その13 亜人との戦い
俺はバルバラを捜しに彼女の実家の裏の林を頼りなく彷徨っていた。
そう。俺は迷子になってしまっていたのだ。
いや、ブルータスのオッサンの説明が大雑把すぎたんだって。
林の中とか歩き慣れた人間ならそれでも分かるんだろうけど、俺は藪漕ぎ用のナタすら持たずに入っちまったからな。
頭まで届く茂みや大きな岩を迂回している間に、すっかり自分のいる場所が分からなくなってしまったのだ。
こういうのを、木乃伊取りが木乃伊になる、って言うんだよな。
このままガチで迷ったら、文字通り本当に木乃伊にならないだろうな。
俺は湧き上がる不安に心臓をバクバクいわせながら、林の中をあてどなく歩いていた。
だから俺がその現場にたどり着いたのは本当に偶然だったのだ。
大きな倒木のそばにバルバラが座り込んでいた。
それはいい。俺は彼女を捜していたんだからな。
しかし、そのシチュエーションが最悪だった。
小柄な男くらいの猿のようなゴリラのような生き物が、何匹も彼女の周りを取り囲んでいたのだ。
あれは、まさか亜人か?
亜人は人間を襲うモンスターだ。
女性を襲ってはらませると聞いた事がある。
遺伝子が違うだろうに、そんな繁殖の仕方が生き物としてあり得るのか? と、思わないでもないが、ここは俺の常識の通じない異世界だ。そんな変態生物がいてもおかしくないのかもしれない。多分。
バルバラは恐怖に青ざめて目を見開いている。
その目に大きな涙が浮かんだ。
それを見た瞬間、俺は頭の芯がカッと熱くなった。
「う、うおおおおおおっ!」
俺は意味不明な雄叫びを上げながら走り出した。
正直言ってメチャクチャ怖い。何せ相手は人間を殺す野生生物だ。
対して俺は武器一つ持っていない。
大声でも上げないと恐ろし過ぎて、立ち向かうどころか指一本動かす事すら出来なかっただろう。
突然の雄叫びにヤツらは混乱しているようだ。俺はバルバラの前に立つ、他のヤツらより大きな一匹に目を付けた。
奇襲のチャンスは最初の一回きり。
だったら一番の大物を狙わなきゃ損だ。
「アルト?!」
「どけ、この野郎!」
俺は駆け込んだ勢いのままジャンプ。驚く亜人リーダーの背中にサッカー部仕込み(?)の飛び蹴りを叩き込んだ。
「グギッ!」
「あ痛っ!」
そのままもつれ合うように倒れる俺と亜人。
地面に投げ出された俺の目の前には、亜人が持っていた錆の浮いた剣が転がっていた。
俺は急いで剣を拾うと立ち上がり――足の痛みに悲鳴を上げた。
倒れた亜人が俺の足を握っていたのだ。
亜人の腕は俺の足よりも太い。ひょっとして俺の足を握りつぶすつもりなのかもしれない。
俺は痛みと恐怖に再び吠えると、剣を握りしめてすくい上げるようにフルスイングした。
俺の狙いはヤツの側頭部だった。ケンカをしたことのあるヤツなら分かると思うが、こういう時の攻撃は必ず相手の顔面に向かう。
ボクサーや格闘家が相手のボディーに攻撃が出来るのは、そういう風に鍛えている人間だから出来るのだ。普通の人間は大抵目で見た場所にしか攻撃が出来ないものなのだ。
剣は思ったよりも重く、俺のスイングは狙った場所の下に向かった。
そしてタイミングを合わせるように亜人が立ち上がろうと体を起こした。
そのため剣は吸い込まれるように亜人の首筋に当たった。
俺の手に木でも叩いたような鈍い手ごたえを残し、亜人の頭があらぬ方向へとねじ曲がった。
間違いなく即死だった。
俺は吐き気をこらえて俺の足を掴んだままの亜人の手を蹴飛ばした。
気分は最悪だが、今はそんな事に構っている場合じゃない。
『寄るな! テメエら近寄ったらこうなるぞ! おい、バルバラ、大丈夫か?!』
俺は虚勢を張って剣を振り回しながら背後のバルバラに声を掛けた。
亜人は俺にビビったのか、それとも俺が殺したヤツがコイツらのリーダーだったのか、戸惑うようにギャアギャアと騒ぐだけで近寄って来ようとはしなかった。
『バルバラ! おい、聞こえてないのか?! バルバラ!』
「アルト・・・ 何でここに?」
くそっ! バルバラは状況が飲み込めずに放心状態に陥っているようだ。
俺の呼びかけにぼんやりと言葉を返す事しか出来ない。
昔、一度だけサッカーの練習中に頭を強く打ったヤツがこうなったのを見た事がある。
そいつは顧問の先生の車で病院に連れて行かれたが、特に問題なかったようで無事に退院して来た。バルバラもひょっとしてコイツらに襲われた時に頭を強く打ったのかもしれない。
ならば今走らせるのはマズい。本当はこの隙に逃げて欲しかったんだが。
ギャアギャアうるさい亜人共は俺達を遠巻きにしたまま様子を窺っている。
とはいえ、いつまでもこのままではいないだろう。
ビビって逃げてくれれば万々歳だが、ヤツらの様子からその気配は感じられない。
むしろ飛びかかるチャンスを狙っているみたいに見えた。
俺達は追い詰められていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
バルバラは恐怖に痺れた頭でぼんやりと目の前の光景を眺めていた。
亜人のボスと思わしき個体に、今まさに襲われようとしたその瞬間。雄叫びを上げてアルトが飛び込んで来たのだ。
アルトは群れのボスに飛びかかると、その手から剣を奪って首に叩き込んだ。
ボスはあっさりとその場に倒れた。
まるで夢のような光景にバルバラは現実感を失っていた。
本当の自分はもう死んでいて、これは走馬灯のように自分の願望が見せた夢なのではないだろうか?
アルトは今も剣を振り回しながら懸命に何かを叫んでいる。
実はアルトは焦るあまり、無意識に馴染みの深い日本語で叫んでいたのだ。
当然バルバラには通じない。時々自分の名前が呼ばれているのが分かっただけである。
彼女の脳裏にこの時のアルトの背中が強く焼き付いた。
父と兄、男性の家族のぬくもりを知らずに育った彼女にとって、それはブルータス以外に初めて自分を受け止めてくれる男性の背中だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ヤバい。もうハッタリも限界だ。
俺は内心の焦りを隠して亜人達を睨み付けた。
じりじりと亜人達の包囲網が狭まっている。
そろそろヤツらも我慢の限界なんだろう。
俺はとっくに剣を振り回すのを止めている。剣の重さに握力が負け始めたからだ。
こんな事ならバルバラに付き合って少しは体を鍛えとけば良かったぜ。
今更後悔しても後の祭りだ。こうなりゃ一か八か。
俺はゴクリと喉を鳴らすと、学校の剣道の授業で習った正眼の構えを取った。
幸い今、ヤツらの注意は俺に引き付けられてバルバラの方には向いていない。
一気に切り込んで俺がアイツらを引き付け、全力でこの場から離れればバルバラだけは助かるかもしれない。
極限まで緊張感が高まる中、一つの影が俺達の間に飛び込んで来た。
「坊主良くやった! 後はワシに任せておけ!」
「オッサン!」
それは髭の白くなった年配のオッサン。かつては剣豪とうたわれたブルータスのオッサンの姿だった。
新たな敵の出現に亜人達は浮き足立った。オッサンはそんなヤツらの隙を見逃さずに一気に距離を詰めた。
「先ずは一匹!」
「ギャアアッ!」
オッサンは手にした木剣を近くの亜人の胸に突き立てると、ケンカキックで蹴り飛ばした。
林に亜人の血しぶきが舞った。
オッサンはそのまま横に立つ別の亜人に袈裟懸けの一撃を叩き込んだ。
「グギッ!」
「坊主! 剣をよこせ!」
オッサンの手には木剣の根元だけが残り、折れた刀身は亜人の体から生えていた。
マジかよ、木剣だぜ?! 一体どんな力で叩きつければそんな事が出来るんだ?
俺は慌ててオッサンに駆け寄ると剣をパスした。
「ほらよ、いったぜ!」
「何じゃこのボロ剣は?! 錆びだらけではないか! 剣が泣いておるぞ!」
いや知らんがな、元々俺のじゃないし。文句ならそこで死んでる亜人のボスに言ってくれ。
オッサンは文句を言いつつも縦横に剣を振るい、次々と亜人を切り伏せていった。
そしてあっという間に全ての亜人がオッサンの豪剣の餌食になったのだった。
なんつーか、マジですごかった。それしか言えないわ。
俺はバルバラの肩を掴んで揺さぶった。
「おい、大丈夫かバルバラ?」
「アルト・・・私は・・・ 助かったのかしら?」
「ああ。マジですげえなブルータスのオッサンは。もう心配しなくていいぜ」
良かった。さっきと違って、今度はバルバラも俺の言葉に反応してくれた。
ちょっと言葉遣いがいつもと違う気もするが、特に頭にケガをしている様子もないようだ。
まあひと目で分かる事か。あの時は俺も焦っていたんだな。
ちなみにオッサンは地面に倒れた亜人の止めを刺して回っている。
モンスターは生命力が強く、完全に息の根が止まったのを確認しないと安心出来ないんだそうだ。
さすが定年まで騎士団に勤めていただけの事はあるな。こういう場面では素直に頼もしいぜ。
「お嬢様、ご無事で何よりでした。まだ他の群れがいるかもしれません。安全な場所まで移動しますが、立てますかな?」
助かったばかりで、今はホッとしているバルバラに対して酷かもしれないが、オッサンの言葉は最もだ。
ここでの時間の浪費が命取りになる危険性だってある。
「まあ可能性としては低いと思うがの。念のためじゃ」
オッサンが言うには、そもそもモンスターがこんな場所にいること自体があり得ない事なんだそうだ。
ひょっとしたら騎士団が何か大きなミスをして、その結果コイツらがこの林に逃げ込んだのかもしれない。そんな事を言っていた。
「全くあやつめ。危うく実の娘が死ぬ所じゃったぞ」
オッサンは騎士団長であるバルバラの親父さんの不始末が余程腹に据えかねるようだ。
憎々し気に吐き捨てると、眉間に皺を寄せている。
「ごめんなさい。立てそうにないわ」
バルバラは俺の手を掴んで立ち上がろうとしたが、ケガのせいか腰が抜けてしまったのか、足に力が入らないようだ。
「なら坊主、お嬢様をおぶって差し上げなさい」
「そうだな。ほらバルバラ。急げ」
俺が背を向けてしゃがむとバルバラは少しためらっていた様子だったが、そっと体を預けて来た。
「では坊主が先に行け。ワシは亜人が追って来ないか後方で警戒する」
「分かった。あっ・・・と、ゴメン。俺、林の中で迷子になったんで、ここがどこか分からないんだった」
「坊主お主・・・」
困り顔の俺に呆れるオッサンだった。
ちなみにこの場所は俺の目的地だった広場の割とすぐ近くだった。
「なんだ、すぐ目と鼻の先だったのか」
そもそもバルバラはオッサンの助けを求めてこの広場を目指していたのだ。つまり俺達が広場の近くで出会ったのは偶然じゃなかったのだ。
俺は山道のすぐそばで道に迷って遭難する登山者の話を思い出してしまった。
「とはいえワシは坊主に言われなければ、屋敷に戻っていたからの。危ない所じゃったわい」
確かに。
俺もまさかバルバラがこんな事になっているとは思っていなかった。まあ今回は結果オーライ、無事に済んで良かったんだろう。
「坊主、ここから――おっと、ここまで来れば安全じゃろう。ワシは少し先の様子を見て来る事にするか」
俺に振り返って何か言いかけたオッサンだったが、こちらをチラリと見ると足早に茂みの向こうに去って行った。
立ち止まった俺は、背中のバルバラに声を掛けた。
「あー、どうしようか。俺もどこかに行っていようか?」
俺の背中は細かな振動を感じていた。
バルバラはさっきからずっと俺の背中に顔をうずめ、懸命に嗚咽をこらえていたのだ。
俺の言葉にバルバラは小さくかぶりを振った。
「そうか。後、泣きたいなら別に俺に遠慮する事はないぜ。涙で濡れたってどうせすぐに屋敷に戻るんだからな。後で着替えりゃいいだけだ」
バルバラはようやく見知った場所にたどり着いた事で緊張の糸が切れたんだろう。
バルバラは声を上げて泣いた。
俺はしばらく広場で彼女をあやしながらオッサンが戻ってくるのを待つのだった。
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