その15 古くて巨大な精霊
ディアナに案内されて到着した森の奥には何人もの学生が血を流して倒れていた。
慌てて駆け出す俺の背にディアナの悲鳴が届いた。
「! ダメ! アルト! 止まって!」
驚いて足を止める俺。
何だ? 何があった?
「信じられない! なんて古くて巨大な精霊! そこは危険だわ!」
精霊? どういう事だ?
俺は慌てて辺りを見渡した。
ここは森の中のちょっと開けた小さな広場だ。
広場の中心は何かが爆発したんだろうか? 地面が円くえぐれている。
周りに燃え広がっていた火はこの爆発が原因なのかもしれない。
ディアナの魔法で一部は鎮火しているが、それすら完全に消し止められた訳じゃ無い。
まだまだあちこちに燃え広がっている状態だ。
あまり長居をしてはヤバいだろう。
そんな森の広場のあちこちに負傷した貴族学科の生徒が倒れている。
その多くが何かに切り裂かれ派手に出血している。誰もかれも死んだようにピクリとも動かない。
・・・いや、もしかしたら全員死んでいるのかもしれない。
その時俺はひと際小柄な生徒の姿を見付けた。
「ブリちゃん先輩!」
「ダメ! 動かないで!」
ディアナの叫び声に俺は出しかけた足を止めた。
ブリちゃん先輩は右肩から血を流した状態で倒れている。
さすがにこの距離だとケガの状態までは分からない。
俺は焦りで居ても立ってもいられなくなった。
「ディアナ何処だ?! 何処にそんなヤバいヤツがいるんだ?!」
俺はディアナに振り返った。
ディアナは青白い顔でガクガクと震えている。
さっきディアナは何と言った? 古くて巨大な精霊、だったか?
そんなヤツ一体何処にいるんだ?
そう。ここには俺達以外誰もいない。
いや、少なくとも俺の目には何も見えなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ディアナは目の前の光景に目を奪われていた。
彼女の目には――精霊を見る事の出来る目には――森の巨木に匹敵しようかという巨大な精霊の姿が映っていたのだ。
巨大な精霊の周囲を無数の精霊達が飛び回る姿は幻想的で美しさすら感じさせた。
だが、ディアナの目には力溢れる恐怖の塊、暴力が形になった姿にしか見えなかった。
もし、ブリギッテ達がこの場で魔法を使ったとディアナが知れば、あまりの無謀さにはとこの正気を疑っただろう。
ディアナはかつて感じた事の無い恐怖に、まるで雲の上にでも立っているかのように足元がフワフワと頼りなくなるのを感じた。
幸いな事に巨大精霊はアルトの背後のあの謎の精霊の方に気を取られている。
もしあの視線が自分に向けられたら・・・ 想像するだけでディアナは恐怖のあまりその場にへたり込みそうになった。
その時、巨大精霊がディアナの視線を感じて振り返った。
「ひっ!」
それだけで恐ろしい圧力を感じたディアナは後退り、尻餅をつきそうになった。
いや、強く手を引かれなければそうなっていたのは間違いない。
「おい! さっきからどうしたんだよ!」
彼女の手を掴んでいるのは明るいブラウンの髪の平凡な顔つきの男子――アルトだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「おい! さっきからどうしたんだよ!」
俺はフラリと後ろに倒れそうになったディアナの手を握った。
そのまま今度は膝からクタリと崩れ落ちるディアナ。
俺は慌てて前に出ると彼女を抱きとめた。
うわっ、柔らか!
あ、いや、そんな事を言っている場合じゃないよな。
ディアナは俺の体にすがりつくとブルブルと震えている。
俺は耳まで真っ赤になりながらディアナを支えた。
いや、自分でもこんな場面で浮ついているみたいで不謹慎だと思うが、俺の意志に反して勝手に心臓がドキドキするんだから仕方がねえだろ。
「と・・・とりあえずブリちゃん先輩の様子を見に行くぞ。いいな?」
ディアナは俺の胸に顔をうずめながらコクリと小さく頷いた。
顔を上げるのも怖いのか? 一体何を見たんだ?
俺はすがりつくディアナを苦労して引きずりながらブリちゃん先輩の方へと向かった。
「右肩が大きく切られている。頭も打っているかもしれない。こういう時はどうすりゃいいんだ?」
確か止血の時は傷口を心臓より高い位置に固定するんだっけ? 肩から出血している時はどうなるんだ? 傷口が上になるように横向きに寝かせればいいのか?
ブリちゃん先輩は肩から血を流しながら気絶していた。
素人の俺には彼女のケガがどの程度のものか判断は付かない。ただ、酷いケガだという事だけは分かった。
もしかしたら命にかかわるケガなのかもしれない。
その想像は俺の焦りを激しく掻き立てた。
ブリちゃん先輩の隣に倒れている男子は、大きく切り裂かれた腹から血を流している。
多分コイツの方が重傷だ。顔色は既に紙のように白い。呼吸は浅く、今にも止まりそうだ。
俺は医者じゃないが、このままだとコイツが助からない事くらいは分かる。
急いで止血して、俺が背負って森から出たとして――果たして間に合うだろうか?
俺は周囲を見渡して絶望した。
ここにはブリちゃん先輩のようなケガをした学生が十人もいる。
全員を助ける事は出来ない。
俺は助ける命を選ばなければならないのだ。
そして俺に選ばれなかったヤツの多くは多分ここで死ぬだろう。
俺にそんな選択が出来るだろうか? だが迷っていても全員が手遅れになるだけだ。
動き出すのは一分一秒でも早い方が良い。
だがそのためには救う命に順番を付けなければならない。
急がないと間に合わない。急げ。急げ。
・・・理屈は分かっている。理屈は分かっているが、俺は動く事が出来なかった。
こうしている間にも貴重な時間が無駄に過ぎるだけだと分かっている。だが俺の頭の芯は痺れたようになり、体は自分のものじゃなくなったみたいに指一本動かす事が出来なかった。
くそっ・・・ どうすりゃいいんだよ。
俺は悔しさと情けなさと――目の前で人が死ぬという恐怖に、呼吸が荒くなり心臓が締め付けられた。
そんな俺の視界の片隅でディアナが立ち上がるのが見えた。
ディアナは顔は悲壮な覚悟にこわばっていた。
「僕が・・・僕が魔法でなんとかする」
「魔法? 魔法ってケガを治す事も出来るのか?」
「ここまでのケガだと常識的には無理。でもここには常識外れの精霊がいる」
それってさっきディアナが言っていた”古くて巨大な精霊”の事か?
俺は突然降って湧いた希望に思わず身を乗り出したが、そんな旨い話があるにしては何故かディアナが悲壮な表情をしている事が気になった。
「そう。その精霊が力を貸してくれればみんなのケガを治す事は可能」
「精霊が力を貸してくれれば・・・ その言い方だと貸してくれない可能性もあるって訳か?」
ディアナはコクリと頷いた。
ディアナはさっきから自分の後ろを絶対に振り返らない。多分そこにその精霊とやらがいるんだろう。
「前も聞いた事があるが、本当に俺が頼んでもダメなのか? お前、そんなに辛そうにしてるじゃないか」
「本当にダメ。ううん、アルト以外でも――学園の教師でもダメ。大お婆様クラスの魔法使いじゃないと無理」
ディアナのひい婆さんって『アスペルマイヤーの大魔女』とか言われてる有名な魔法使いだろ? その人クラスじゃないと制御出来ないほどの精霊なのかよ。
俺はディアナ言葉に驚くと共に、ディアナが悲壮な表情をしている理由に気が付いた。
「それってディアナにだって無理って事じゃねえか!」
「・・・僕になら出来る可能性がある。ほんの少しだけど、多分」
ディアナは少し迷っている様子だったが、やがて覚悟を決めたのか俺の目を真っ直ぐ見詰めた。
「僕には誰にも言っていない秘密がある。知っているのは大お婆様だけ。昔大お婆様に絶対に人には言うなって言い聞かされたから。実は「いや、言うなって言われてんだろ? だったら言わなくてもいいよ」僕は生まれた時――へっ?」
俺に話を遮られて目を丸くして驚くディアナ。
「それを言わなきゃ俺に信用されないと思ったんだろ? だからそういうのはいいって。
友達なんだからさ。秘密があろうが無かろうがディアナがやれると言うなら俺はお前を信じるさ。
今はみんなの命がかかっているんだ。可能性がゼロじゃないなら、やるだけの事はやってみようぜ」
俺は立ちあがると膝に付いた土を払った。
ディアナはまだポカンとした顔で俺を見上げている。
俺は仕方なくディアナの手を掴んで引っ張った。つんのめるようになりながら立ち上がるディアナ。
「俺も一緒に精霊にお願いしてやるよ。俺には精霊は力を貸してくれないって言ってたけど、ひょっとして少しくらいは足しになるかもしれないだろ?」
俺の提案にディアナは呆れ顔になったが、やがて微笑みを浮かべた。
可憐なその微笑みに俺は危うく意識が吸い込まれそうになった。
「あー、ゴホン、ゴホン。で、俺はどうすればいいんだ?」
「アルトはそこにいて。それだけでいい」
そう言うとディアナは俺の腕に手を回した。
あの、そんなに強く腕を組まれると、ディアナの柔らかクッションが俺の肘にあたってるんですけど。あたってるんじゃない、あててんのよ、ですか? そうなんですか。
「アルト?」
「・・・何でもない」
俺は空いた手で軽く頬を叩いて混乱した頭を鎮めた。
さあ巨大精霊とやらにみんなのケガを治してもらおうか。そしてこんな危険な場所からはおさらばだ。
次回で第三章は終わります




