その15 周回遅れ
俺の予想通りクラリッサは部室棟のトイレに隠れていた。
ボッチが学校で逃げ込む先なんて限られてるよな。
とはいっても、寮のトイレや校舎のトイレに入っていたらアウトだった。
まあ最初から、そんな利用者の多い場所に逃げ込むなんて思ってなかったがな。
「おい! まだかよ!」
「う、うるさいのです! 急かさないで欲しいのですよ!」
俺は今、トイレの外でクラリッサを待っている所だ。
支度があるので出ていて欲しいとクラリッサに言われたからだ。
アイツ、トイレにこもったついでに用でも足していたのか?
しまったな。だとしたら乱暴にドアを叩いたりして悪い事をしたかもしれない。
「ま・・・待たせたのです」
「おう。あ、おい、ちゃんと手を洗えよ」
「?」
あれ? 違ったのか?
まあいいか。俺はクラリッサを手招きすると、ある場所を目指した。
俺は鍵を開けると悪役令嬢対策倶楽部の部室に入った。
いつもの席に座る俺をクラリッサは不思議そうに見ている。
「お前も座れよ」
「・・・テストを受けに行かないのですよ?」
ああ、そういえばさっき始業の鐘が鳴ってたな。
なんだそんな事を気にしていたのか。
「もういいよ。どうせ今から行っても間に合わないだろうし。それより座って話をしようぜ」
俺の言葉に目を丸くして驚くクラリッサ。
ん? コイツ今まで泣いていたのか? 目の端が充血しているが。
・・・・・・
男だろうが女だろうが、泣いていたのを知られたくない時だってあるさ。
俺はあえて気が付かなかったふりをして、重ねてクラリッサを促した。
「――とまあそういう訳だったんだ。紛らわしい言い方をして俺も悪かったよ」
「・・・そう・・・だったんですよ」
俺の説明にまだ釈然としない様子のクラリッサ。
何だ? まだ信じられないのか?
「そんな事はないんですよ。・・・でも、アタシの勉強が遅かったのは事実なのですよ」
クラリッサはポツリポツリと打ち明け始めた。
クラリッサは俺と勉強をしていくうちに、いかに自分の学力が劣っているのか知ってしまったんだそうだ。
今までは単に授業に付いていけないとだけ思っていたものが、下手に自分の理解が進んだがゆえに、大きな隔たりとして感じられるようになったんだと言う。
俺はクラリッサの話を聞いて、内心でため息を付いた。
つまりはこうだ。
今までクラリッサは、本人的にはみんなに離されないように、必死に食らいついていたつもりだったんだろう。
「今は辛いけど自分は今まで勉強して無かったから仕方が無い。でもいつかはみんなのいる場所に追いついてみせる。」そう考えて、必死に周囲に食い下がっていたんだ。
しかし、俺との勉強でコイツは理解してしまった。
自分が明らかに”周回遅れ”だという事実に。
今まで頑張っていた大前提が覆され、クラリッサはパニックになってしまったんだ。
あの日、クラリッサの見せた焦りはこれだったんだな。
「アルトはそう言うけど・・・ やっぱりアタシは勉強を始めるのが遅すぎたのですよ。最初からこの学園に入るべきじゃなかったのですよ」
そう言ってクラリッサは力無く項垂れた。
俺はそんなクラリッサに手を伸ばすと――
ビシッ
チョップをクラリッサのつむじに落とした。
「なっ! 痛いのですよ!」
「そんなに強く叩いてないだろうが。大袈裟に言うな」
俺はクラリッサの目をジッと見詰めた。
目を丸くして驚くクラリッサ。
コイツこんな表情をしても可愛いな・・・いや、それは今はいいや。
「今更勉強が遅れている事に気が付いた? それで落ち込んだからってどうなるモンでもないだろうが。いいんだよ遅れてたって。俺がいくらでもお前の面倒を見てやるよ。つまらない考えや周りの連中に振り回されるな。お前はそんな余計な事を考えてないで、黙って俺に付いて来りゃいいんだよ」
始めるのが遅すぎた? だったら途中からサッカーを始めたヤツは小学校からやってたヤツに永遠に敵わないってか?
冗談じゃないぞ。
そりゃあ苦労は多いだろうさ。トレセンに選ばれるようなエリートには当然敵わないだろうさ。
でも一生懸命頑張れば、小学生の頃から遊び半分でダラダラ続けていただけのボンクラ相手にだったらきっと勝つさ。
俺だってちゃんとサッカーを始めたのは中学に入ってからだ。
同じポジションに小学校の頃から地元のサッカースクールに通ってたヤツがいて、もちろん最初は敵わなかったさ。
でも自慢じゃないが、三年生の時には俺の方がレギュラーになってたぜ。
要は本人の――お前のやる気次第なんだよ。
俺に正面から見つめられ、クラリッサは弱々しく目を反らした。
頬も少し赤らんでいる。
怒って不貞腐れているのか・・・まあ言葉だけではすぐに納得出来ないのも仕方が無いか。
「中間テストは諦めるにしても、テストは受けとかないとマズイだろう。次の時間のテストはちゃんと受けろよな」
「! そうなのです! アルトもテストを受けられなかったのです! アタシのせいでアルトがーー痛っ!」
俺は今度はさっきより強めにチョップを落とした。
とはいえ全然大した強さでは無いんだが。
ダミアンとチョップ合戦になった時には、お互い胸板にミミズ腫れが出来るくらいまで張り合ったからな。馬鹿の相手はこっちも体を張る必要があるからキツイぜ。・・・いや、この話は今はいいか。
「アルト?」
「あ、いや、何でもない。それより俺のテストに関しては今のチョップで許してやる。だから何度も言うが次の時間のテストは受けろ。分かったな」
俺の言葉に、信じられない、といった表情を浮かべるクラリッサ。
「何でそんなにあっさり言えるんですよ?! アルトは学年主席が惜しくないんですよ?!」
ああ、その事か。けどあれは、俺じゃなくて元のアルトが取った点だからな。
今までずっと頑張って来たアルトには悪いが、俺は日本の高校に通っていた時もそこそこの点が取れていれば満足だったし。ぶっちゃけ今もそれで全然困らないんだよな。
クラリッサにもそう言えればいいんだが・・・ 流石にこればかりは誰にもバラす訳にはいかないよな。
さてどうするか。
変に誤魔化すのも面倒だな。言える所だけでも正直に言うか。
「別に順位なんていいんだよ。お前の方が大事だからな」
「んなっ!」
俺の言葉に真っ赤になるクラリッサ。
ん? あれ? ちょっと待て。この言い方は変に誤解されないか?
「あ、いや、そうじゃなくて、俺にとってのテスト順位より、お前の方が優先順位が上なだけで――て、これもおかしくないか? いやちょっと待て、今のも無しだ。一旦落ち着こうぜ」
「ななななっ、何を言い出すのですよ!」
焦ってますます混乱する俺。そして耳まで真っ赤になるクラリッサ。
この時俺は「俺にとってテストの順位はあまり価値が無い」という事と「クラリッサの事」を一つの文章で喋ろうとするからややこしくなっていたのだ。
最初から二つに分けて、別々の事として伝えればクラリッサにも分かってもらえただろう。
しかしこの時、すっかり慌ててしまっていた俺は、説明に説明を重ねる事でどんどん泥沼にはまってしまったのだ。
「もういいのです! もうアルトは喋るな、なのですよ!」
真っ赤になったクラリッサにキレられてようやく俺は口をつぐんだ。
この間に言った数々の言葉を後で思い出して俺は軽く死にたくなるのだが、今はそれは置いておこう。
「ちゃんとテストを受けるのです。だからアルトもそんな事を言わずにテストを頑張るのです」
・・・まあコイツが納得してくれたのならいいか。
その時、一限目を終える鐘が鳴り響いた。
俺は慌てて立ち上がった。部室棟は貴族学科でも外れに位置しているからだ。
「本当に行けよ! 約束したからな! もう逃げるんじゃないぞ! それと、後で迷惑を掛けたみんなにちゃんと謝っておけよ! もし約束を破ったら金輪際口もきかないからな!」
俺は小学生か!
とはいえ今は時間が無い。俺はクラリッサの背中を押すように部室を出ると急いで鍵を掛けた。
と、いかん。俺も急がなきゃ。
走り去る俺の背中に向けてクラリッサが声を掛けた。
「もちろんなのです! これからもアルトに勉強を教えて貰うためにちゃんとテストを受けに行くのですよ!」
俺はクラリッサの声を聞いてホッとしながらも、頭の中では、そういえばさっきは平民アルトって言わなかったな、などと下らない事を考えていた。




