その3 歴史の授業は俺の敵
俺はいつものように部室棟の部屋のドアに鍵をさした。
授業のカリキュラムの問題か、みんなが貴族の令嬢のせいか、何故かこの倶楽部では俺が一番に来る事が多いのだ。
「あれ? 鍵がかかってないぞ」
俺がドアを開けると部屋にはオレンジ色の髪の美少女、クラリッサがすでに来ていた。
クラリッサは俺が入った事にも気が付かない様子で、机に教科書を広げて熱心に勉強をしている。
俺はクラリッサに声を掛けようとして、ちょっとした好奇心で彼女の後ろから教科書を覗き込んだ。
ふむ。この国の歴史の教科書か。俺の大の苦手分野だな。
綺麗に使われた新品同然の教科書だ。教科書自体は俺達平民学科と変わらないんだな。
どうやらクラリッサは教科書をノートに書き写ししている最中みたいだ。
同じ文章が何度か書かれている事からこうやって丸暗記しているんだろう。
いやいや待ってくれ。
「お前そんなやり方で本当に覚えられるのか?」
「きゃあ!」
あ、黙って後ろに立ってたのを忘れてた。
「部屋に入ったら挨拶くらいするのですよ! 平民アルト!」
「悪い悪い。お前があんまり熱心に勉強していたんでついな」
「熱心に勉強していたらつい人の後ろに立つのですよ?!」
俺の言い訳にショックを受けるクラリッサ。まあ確かに。それだと俺は大分変なヤツになってしまうな。
「それよりもお前が早く来てこの部屋で勉強しているなんて珍しいな」
そう、実はコイツはいつもはメンバーの誰よりも遅れがちなのだ。俺は未だに道に迷っているんじゃないかと疑っている。
「・・・平民アルトがいつもしている事を見習ってみたのです」
「ああ。そういう事か」
さっきも言ったが俺はこの部室に一番に来る事が多い。
メンバーが揃うのを待っている間、いつも時間つぶしに勉強をしているのだ。
「アタシは成績が悪いから学年主席の平民アルトのマネをしてみたのです」
「ふうん。中々感心な心掛けじゃないか。でも、さっきも思ったけどそんなやり方でお前本当に覚えられるのか?」
俺の素朴な疑問に驚愕の表情を浮かべるクラリッサ。
何だよ、大袈裟なヤツだな。
「そ・・・それはどういう事なのです? 平民アルトの勉強の仕方は違うのです?」
まあ、まるで違うな。というか何でお前は俺の名前を呼ぶ時にいちいち”平民”って付けるんだ?
「いいから教えるのですよ!」
何だか妙に必死な様子のクラリッサに、俺は少し気圧されながら説明した。
「先ず教科書がキレイ過ぎるな。ちょっと待ってろ」
俺は鞄から自分の教科書を取り出した。
「ほら、同じページだ」
「なっ! 落書きだらけなのですよ!」
まあそういう事だ。俺の教科書には重要な部分に線が引いてあるだけでなく、文字や絵も書き込んである。
「『ダミアンの馬鹿』? 酷い落書きなんですよ。」
「ああそれ、ダミアンが『ゴルトルホ』を『ゴールドラッシュ』と堂々と読み間違えたんだよ。あまりにあり得ないと思ったんで忘れないようにメモしておいたんだ。」
実は俺の教科書に書かれたダミアンネタは結構多い。アイツのおっちょこちょい加減は同室のマリオも呆れる程だしな。
「なんで教科書にこんな酷い事をするのですよ!」
「なんでって覚えるためだよ」
「?」
正直言って日本人転生者の俺にとって、授業の何がキツイと言って歴史の授業ほどキツイ物は無い。
そうでなくても覚え辛い固有名詞に、客観性の欠片も無い押し付けの歴史観。
例えば、どう読んでも自分の国の町を一つ滅ぼしたとしか思えない王が、平気で名君とか書かれているんだぞ。最初はこっちの目を疑ったわ。
結局、彼は名君だったというのはこの世界ではみんなが知っている常識で、教科書もその結論ありきで書かれているので、それまでに王が何をやろうが最後は名君だったで終わってしまうのだ。なんだそりゃ。
しかもそんな話が修飾語の多い読み辛い文章で書かれているのだ。マジでたまったもんじゃない。
ハッキリ言って歴史の授業は俺の敵だ。
「だからって落書きだらけにして良いのですよ?」
「だってほら、この文章読んでみろよ。『ゴルトルホ家はあまねく天地に光を失いし時、即ちヒュッテンブレンナー家は神のみ名においてあまねく大地と富を約束せり。民はその栄誉を讃え、天より七色の光が注ぎ、牛は毎年子を産み、小麦の実りは十度彼らの足元を覆った。王家にありしフリードリヒ=ヒュッテンブレンナー一世この地より光を失いし時。フリードリヒ二世は七年の戦争を以て敵を退けその名を碑文に刻むなり。』意味分かるか? 俺には分からん」
「しかし、教科書にそう書いてあるのですよ」
俺はクラリッサのペンを借りると教科書の不要な文の上にサクサクと線を引いた。
「こんなのはいらない所を消していけばいいんだよ。『ゴルトルホ家の次はヒュッテンブレンナー家。フリードリヒ一世は内政に励んで二世の時に戦争をして他国に勝った』。ほら簡単になった」
「ザックリし過ぎなのですよ!」
そうか? というか元の文章が分かり辛すぎやしないか?
「詳しい話が必要になったらその都度覚えりゃいいんだよ。最初は大体の流れさえ押さえておけばその時になって困る事は無いからな」
何も俺は授業の暇つぶしに教科書に落書きをしている訳じゃない。・・・いやそういう落書きが全く無いとは言わないが。
それだって後で教科書をパッと見た時に「ああそういえばこの時教師がこんな事を言っていたな」と関連付けて思い出すためのヒントとして書き込んでいるのだ。
まあ、俺がまだこの世界の文字になじみが薄すぎて一からノートを取るのが大変なので、教科書をノート代わりに利用しているという面もあるけどな。
流石に日本にいた時にはここまではしていなかったぞ。
この世界の教科書を読んでいると日本の教科書の完成度の高さをしみじみ思い知らされるわ。
スゴイよ文部科学省。
てな感じの俺の説明を受けて目を丸くして驚いているクラリッサ。
今まで丸暗記で覚えていたクラリッサにとって俺のやり方は冒涜的だったのかもしれない。
「・・・この方法で勉強をすれば学年主席になれるのです?」
「あっ、いや、それは・・・」
クラリッサに痛いところを突かれて俺は思わず口ごもってしまった。
実は学年主席の結果は俺が取ったものじゃない。俺の記憶がこの体に宿る前の、この世界のアルトが受けたテストの結果なのだ。
俺が何とか誤魔化そうと言葉を探している間に、クラリッサは俺の目をジッと見つめるとこう言った。
「アタシは・・・ 次のテストで良い成績を取らないといけないのです! アタシに勉強の仕方を教えて欲しいのですよ!」
「お前・・・」
アイドル並みの美少女に真っ向から見つめられて、俺の心臓はドキリと跳ねあがった。
美人は三日見たら飽きるとか言うが、ほとんど男子高だった高校に通っていた俺には、まだ女の子に対する免疫が出来ていないらしい。
くそう。今絶対に耳が真っ赤になってるぞ俺。
「まあ、どの道俺も中間テストに備えて勉強するからな。一緒に勉強したいっていうなら断る理由も無いけどよ」
うわっ、俺カッコ悪。言い訳が男子中学生じみてないか?
しかし、そんな俺の言葉でも嬉しかったのかクラリッサの表情がパッと明るくなった。
まいったな。やっぱりコイツの笑顔の破壊力はハンパねえわ。
いつもこうやって笑っていればいいのに。
その時、ローゼマリー会長が執事のゼルマを連れて部室に入って来たので、俺達の話はここで一旦切り上げられた。
俺はまだドキドキうるさい心臓を気にしないようにしながら自分の教科書を鞄に戻したのだった。