忘れられない笑顔
俺には忘れられない人がいるんだ。
そんな話。
俺には、忘れられない人がいる。
学校の帰り道、いつも通る道に面した花屋の店で働いている女の人だ。
その人は可憐な花に囲まれながら、いつも笑顔で働いていて、とても明るい人だった。
お客さんと話している笑顔、花を扱っている真剣な顔、何かミスでもしたのか電話をしながら困っている顔、色んな表情をする人だった。
その顔の一つ一つが、見せに並ぶ花の様に綺麗で美しくて、俺は何度見とれて立ち尽くしてしまった事だろう。
そんな体たらくだから、その人が俺に気づくのも早かった。
花に興味があるのか、と尋ねられてとっさについてしまった嘘。
しどろもどろに話を合わせる俺に、その人は無邪気に、嬉しそうにしながら話を続けていく。
見つめているだけで十分だと思っていたのに、話をした途端に貪欲になってしまった。
俺は、もっとその人と話がしたくて、いろんな花の事を調べる事になった。
そのおかげか、会話は増えたし、学校の帰りに自然に店に寄れるようにもなった。
対抗心を燃やしたその人もさらに調べてくるものだから、ここら一帯では花の事で俺らに勝てる人はいなくなってしまったくらいだ。
けれど……。
だんだん、花が好きなわけでもないのに、利用しているようで悪い気になってきた。
不純だとも。
けれど、俺はその人ともっと話がしたくて、利用する事を止められなかった
楽しい毎日だった。
下校のひと時。
店の都合も考えれば、そう長くはとどまれなかったけれど、それらの時間は、店に置かれたどの花にも見劣りのしない、鮮やかで煌びやかなものとなった。
しかし、そんな時間は長くは続かない。
近くに大きなデパートが建って、その中にもっと立派な花屋ができる事になったからだ。
客足の途絶えた店は、閉店を余儀なくされ、当然その人の働く姿を見ることはなくなってしまった。
それは学校を卒業するよりも、下校時に寄るという口実がなくなるよりも、はるかに早い出来事だった。
忘れられない人の思い出を回想し終わった俺は、くつろいでいたソファーから身を起こした。
「明日は会社でしょう? 早く眠ったらどうです?」
声をかけてくる妻に、俺は返事をして立ち上がる。
あれから、何年も経った。
すっかり成長して大人になっていた俺は、会社に勤める事になったし、あの店はやはり再び閉じたシャッターを開ける事はなくなった。
その代わりその人は……。
「明日は君も仕事だろう。君こそ早く寝たらどうだ? 倒れられたら、俺も勤め先の人達もきっと大変だ。君以上に花に詳しい人は店にはいないんだから」
「うふふ、経験が違いますもの。それにあなたと培った知識もあるんですから。アルバイトの子達なんかにはそう簡単に負けませんよ」
新しい勤め先に勤める事になっていたりもするのだが。
俺には忘れられない人がいる。
それは、今の妻の、過去の姿だ。
彼女の何ら変わらない笑顔、何ら変わらない明るさがこんなにも傍にある。
だから、そう簡単には、あの人の事を忘れるなんてできないのだ。




