五歳児「このおうち、すきなひとのこえがする」――白い結婚ごっこの夫婦、本音を全部暴露される
「このおうち、すきなひとの、こえがする」
白い人形を抱えた小さな女の子が、わたしとシオンの布のおうちを見上げて、そう言った。
雨の日だった。
わたしとシオンは、いつもの控えの間で二人の家を作っていた。
椅子を二つ並べ、背もたれへ布をかける。
この屋敷でいちばん静かな二人だけの場所だ。
布の屋根がふくらんだころ、入り口にいつのまにか、その子が立っていた。
わたしより、二つか三つは下に見える。
この家の子ではない。
庭の生垣のほころびから雨宿りに迷い込んできたらしい。
髪の先が、少し濡れていた。
「あなたは、どなたですか」
「フィー」
女の子は、それだけ言った。
「どこから来たのですか」
「んーとね」
フィーは、しばらく考えた。
「わすれちゃった。とおくから、きたの」
わからないのか、言えないのか。
けれど、その顔があんまり無邪気で、それ以上は訊けなかった。
「すきなひとの、こえって、なんのことですか」
「このおうちに、すんでるの」
フィーは、布の屋根へちいさな手のひらを当てた。
なにかにじっと耳を澄ますような顔をする。
「あったかいこえ。ふたつ」
わたしとシオンは顔を見合わせた。
布に声が住む、という話は、聞いたことがなかった。
◇
「フィーも、家に入ってみる?」
シオンが、布をめくって招き入れた。
困っている子がいると迷わず手を伸ばす。
そういうところを、少しまぶしく思う。
フィーは、おそるおそる中へ入った。
「せまい」
「二人の家だからね。三人だと、ぎゅうぎゅうだ」
シオンが笑うと、フィーもつられて笑った。
人形を膝にのせ、きょろきょろとあたりを見回している。
「このこ、なまえは?」
シオンが尋ねると、フィーは人形を持ち上げた。
「まだ、ないの。おやくも、きまってないの」
「役?」
「まえのおやくが、おわったから。つぎは、じぶんできめるんだって」
何のことかは、わからなかった。
けれど、人形を撫でる手つきがとても大事そうだった。
お菓子が運ばれてくると、シオンはいちばん大きな苺のケーキをフィーの前へ置いた。
「ちいさい子が、いちばんいいのを食べる決まりだよ」
「そんな決まり、ありましたか」
「いま作った」
フィーが、ぱっと顔を輝かせる。
そのフィーの頭を、シオンがくしゃりと撫でた。
妹をあやすような、なんでもない手つきだった。
なんでもない、とわかっている。
それでも、その手が最初にわたしのものだったから、ほんの少しだけ目で追ってしまう。
シオンの手は、あたたかい。
それを知っているのは自分だけがいい、なんて。
子供みたいなことを考えた自分が可笑しかった。
◇
その様子を、フィーがにこにこと眺めていた。
それからまた、屋根へ手を当てる。
目を閉じて、じっと耳を澄ませた。
やがて、その口から聞き覚えのある声がこぼれた。
『りりあは、ぼくといて、たのしいのかな』
シオンの声だった。
けれど、シオンの口は、動いていない。
「なっ……」
シオンの顔が、みるみる赤くなる。
「なにを言ってるの、フィー」
「このおうちに、すんでたことば」
フィーは、けろりとしている。
『ぼくばっかり、すきなのかもしれない』
『きらわれたら、どうしよう』
シオンの声が、次々とこぼれてくる。
布のおうちに残っていた、シオンの本音だった。
いつも自信たっぷりに手を引いてくれるあの子が、こんなことを一人で思っていたなんて。
「フィー、もういい、もういいから」
シオンが両手を振る。
耳まで真っ赤だった。
いつもかっこいいシオンの、初めて見る顔だった。
わたしは、思わず口をひらいていた。
「うそ……わたし、ずっと、逆だと思っていました」
「逆?」
「シオンは、わたしがいなくても平気なのだと」
言った途端、フィーがこちらへ手を伸ばした。
わたしの座っていた場所の、布へ触れる。
『シオンが、ほかの子と笑うと、むねがいたい』
わたしの声だった。
昨日この家で、こっそり呟いた言葉だった。
『わたしだけを、見てほしい』
「フィー!」
今度はわたしが真っ赤になる番だった。
二人して、顔を覆った。
布のおうちの中は、狭くて、逃げ場がない。
しばらく、どちらも動けなかった。
◇
先に指のすきまから顔を上げたのは、シオンだった。
「……リリアも、そう思ってたんだ」
「シオンこそ」
「うん」
シオンは耳を赤くしたまま、それでもまっすぐこちらを見た。
「ぼく、リリアがいないと、つまらない」
こういうとき、シオンは、やっぱり逃げない。
「わたしも、です」
小さな声で、そう返した。
言ってしまうと、胸のちりちりはきれいに消えていた。
嫉妬していたのが、急に恥ずかしくなる。
シオンの手が、そっとわたしの手に重なった。
フィーが、その二つの手をまんまるの目で見つめている。
「なかなおり、した?」
「けんかは、していません」
「でも、なかよしに、なった?」
シオンと、顔を見合わせる。
どちらからともなく、笑ってしまった。
「はい。なかよしに、なりました」
フィーはほっとしたように、人形をぎゅっと抱きしめた。
「よかった」
それから、ふしぎそうに自分の胸のあたりを見た。
「フィー、いま、あったかい」
「あたたかい?」
「うん。かなしいことばをきくと、さむいの。でも、いまは、あったかい」
フィーは、人形の白い顔を、こちらへ向けた。
「このおうちのことば、ぜんぶ、あったかいね」
わたしは少しだけ、胸が締めつけられた。
フィーを寒くさせた言葉が、どんなものだったのか。
訊いてはいけない気がして、訊かなかった。
かわりに、シオンが言った。
「じゃあ、この家の決まりを、もう一つ増やそう」
「どんな決まりですか」
「フィーの席を、いつも空けておくこと。ここへ来れば、寒くないように」
フィーの目が、まんまるになった。
「フィー、また、きていいの?」
「もちろん」
シオンが、胸を張る。
「布と椅子があれば、家はどこにでも建つんだ。フィーの席も、ちゃんと作る」
◇
お迎えの時間が来て、フィーは人形を抱えて立ち上がった。
帰りぎわ、わたしの袖を、ちょんと引く。
「このこのおやく、きまったかも」
「どんな役ですか」
「このおうちの、はじめての、おきゃくさま」
目も口もない白い人形が、ちょこんとこちらを向く。
なんだか、得意そうに見えた。
「では、お客さまに、お伝えします」
わたしは人形とフィーの目を見て言った。
「また、いつでもいらしてください。席は、空けておきます」
「ほんとう?」
「ええ。約束します」
フィーは、何度もうなずいた。
それから、お迎えのほうへ、駆けていく。
途中で一度だけ振り返り、人形の小さな手をこちらへ振らせた。
わたしとシオンも、手を振り返した。
その姿が見えなくなると、シオンがつないだままの手を、そっと握り直した。
「ばれちゃったね」
「フィーのせいです」
「でも、ばれてよかった」
シオンが笑う。
わたしも、笑った。
雨は、いつのまにか上がっていた。
水たまりに夕方の空が映っている。
あの白い人形の、つぎのお役があたたかい役でありますように。
言葉は、残るらしいから。
願いも、きっと、どこかに残る。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この短編は、公開中の二作品の子供たちが出会う、お祭りのようなお話です。
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どちらも白い結婚のお話ですが、読み味は違います。
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リリアとシオンの物語を、もう少し読みたい方へ。
九歳になったリリアと十歳になったシオンが、初めて自分たちの「好き」を言葉にする続編を公開しています。
作品タイトル
「その子は何を与えられるの?」――十歳の夫は、九歳の妻の手を取りました




