表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二人のリア  作者: 藤野
4/9

4.


「お姉様!」


 数日後。

 玄関ホールの大階段の踊り場で義姉を見かけ、エミーリアは思わず声を上げた。珍しく兄は近くにいないようだ。

 しゃなりと振り返ったコーディリアが何か言うより早く、傍に控えていた従僕とメイドがエミーリアの視界を遮る。


「おまえたち、そこを退きなさい。私はお姉様に話があるの」

「我々はコーディリアお嬢様をお守りするよう命じられております。エミーリアお嬢様はどうぞお控えください」

「控えろですって? 誰にものを言っているのか分かってるの?!」

「無論、エミーリアお嬢様です」

「っ……! そこを、退きなさい!!」


 エミーリアは近くにあった花瓶を両手で持ち上げ従僕に向かって投げた。顔を庇う従僕の腕に当たった花瓶が大きな音を立てて割れる。

 従僕の額から流れ出た鮮血が床にぽたりと落ち、メイドとコーディリアの悲鳴が上がった。


「お嬢様こちらへ!」

「待ちなさい!!」


 はっと気付いたメイドがコーディリアの手を引いて逃げようとする。エミーリアは咄嗟にコーディリアの腕を掴んだ。――刹那。


「?!!」


 バチィ! と電流が走るような痛みが全身を襲い、コーディリアの腕を掴んだ手を弾き返した。

 その拍子だった。「あっ」と声を上げたコーディリアが階段を踏み外してしまったのである。


「お嬢様!」


 メイドが腕を伸ばす。

 金の巻き毛がふわりと視界に揺れて、美人は焦った顔も美人なんだなと、どこか遠くでそう思った。

 二人の悲鳴が階段を転がり落ちて行く。

 何が起きたのか、エミーリアには良く分からなかった。


「リア?!」


 駆け付けて来た兄の声には恐怖が滲んでいた。

 慌ててコーディリアの脈を確認している。どうやら生きてはいるらしい。


「リア、しっかりしろ、リア!」

「お嬢様!? ヘレナ!」

「担架を持って来い。すぐに医者を!」


 大勢の使用人たちが集まって来て、その場は騒然となった。

 踊り場で呆然と立ち尽くすエミーリアを射殺さんばかりに睨み据える兄の目には、憎しみさえ込められていた。


「……エミーリア、おまえ、覚悟しろよ」

「お、お兄様、私は、何も……」

「この状況で言い逃れができると思っているのか!」

「私はただ……話を……」


 エミーリアの言葉は最早誰の耳にも届かなかった。



 ***



 コーディリアはすぐに気付いたらしい。

 足に軽い捻挫をした程度で、あの階段を落ちたにしては軽傷だった。


 コーディリアを懐に庇って落ちたメイドは入院している。

 背中を強く打っており、動くことができないそうだ。意識ははっきりしているようで、階段を転がり落ちることになった経緯を事細かにエドモンドに話して聞かせたらしい。


 エミーリアは謹慎処分となった。

 屋敷から出ることを禁じられ、自室からも必要以上に出ないよう命じられた。

 世話に訪れるメイドは誰も一言も喋らず、目も合わせようとしない。


 父は相変わらず帰って来ないし、義母ともあれ以来まともに顔を合わせていない。兄も義姉も、屋敷の中に気配を察することもなかった。


 少なくとも父や義母からは叱責されると思っていたエミーリアは拍子抜けすると同時に、軽く絶望を覚えていた。

 最早、直接声をかけてもくれないらしい。


 ある日、エミーリアはふと気付いた。

 兄や義姉の気配がないのではなく、屋敷に帰って来ていないのだ。

 まさかと思ってコーディリアの部屋を確認すると、そこはもぬけの殻になっていた。


「お姉様はどこ……?」

「我々にはコーディリアお嬢様についてお話しする権利がございません」


 震える声で問うエミーリアに執事が事もなげに応えた。

 つまりそれは口止めされているということだろう。

 表情を動かさず、無駄口を叩かず。粛々と仕事をこなす使用人たちの様子はエミーリアに対してどこまでも冷淡だった。

 家族が誰もいない広大な屋敷で、エミーリアは孤独に陥った。


 心を落ち着けるため神殿に行きたいと願い出ると、数日後に父から許しの言伝があった。

 エミーリアは沈み切った心地で神殿を訪れた。

 主神とされる女神像の前で膝を折り指を組む。


 この世界のヒロイン(コーディリア)にはもう二度と近付かないと約束します。

 だからせめてジェラルド様だけはお救いください。


「何かお困りですか、レディ」


 エミーリアの必死な様子が気になったのか、老齢の女性神官がにこやかな笑顔で話しかけて来た。

 誰かに優しく接せられるのが久しぶりだったエミーリアは、思わず涙ぐんでしまう。


「あら。あらあら。どうなさったの?」

「大切な方が、良くないことに巻き込まれているのではないかと心配で……。誰にも相談できず、神に祈っていました」

「あらまあ。それは心配ね。……でも、信じましょう。黒髪の乙女は【月夜の聖女】様の生まれ変わりと言われているのよ。熱心に祈れば女神様や聖女様がきっとお力を貸してくださるわ」

「【月夜の聖女】って、七十年くらい前に魔王を討伐してくださった勇者様パーティーの聖女様ですか?」

「そうよ。彼女は美しい黒髪の乙女だったらしいの。あなたと同じね」

「……本当に、私に何か特別な力があればいいのい……」

「……その方のことを守りたいのね」

「はい」

「ん-、そうねえ。あまりあなたのようなお嬢さんにお勧めしたくないのだけど……」


 老神官は「それに胡散臭くって私はあまり好きじゃないの」と言いつつ、エミーリアにとある黒本の存在を教えてくれた。


 黒本――つまり魔法書はそれ自体が魔力を帯びているため、魔力のない人でも扱える他力発動型の魔法だ。

 現役を退いた魔法使いが小銭稼ぎのために作成している場合が多く、手順通りに行えば発動するレシピとして、広く一般に出回っている。込められている魔力は微量で、ほとんどが一回使い切りだ。


 その中の一つに【覚醒の魔法】という黒本があるらしい。

 それは黒本の発動者の内に眠っている才能を引きずり出すという少々手荒な魔法で、激痛を伴い、人によっては気を失うこともあるという。

 何かしらの才能があれば、という但し書き付きだが、成功率はほぼ十割。

 試してみる価値は十分にあるとエミーリアは思った。


 エミーリアは公爵令嬢だ。方々の高貴な血を継いでいる。才能が何も無いということはないだろう。

 それにもしかしたら、老神官の言う通り本当に【月夜の聖女】の生まれ変わりかもしれないのだ。

 聖属性の【治癒魔法】は使い手が滅多に生まれず稀少価値がかなり高い。

 もし、エミーリアが聖女の生まれ変わりで、聖属性に覚醒したら。

 きっと父も少しは話を聞いてくれるようになる。兄も認めざるを得ないだろうし、義母や義姉にも尊敬され、王女にも必要とされるかもしれない。ジェラルドもきっと結婚の件を考え直してくれる。ああ、そうだ。例のケガをしたメイドも治してあげよう。


 【覚醒の魔法】の黒本は簡単に手に入った。

 例の老神官が口を利いてくれたらしく、エミーリアが神殿に来る日に合わせて届けに来てくれたのだ。

 近付いて来た黒いローブの人影が馬車のドアを三回ノックする。それが合図だった。窓の隙間から代金の入った小袋を渡すと、丸めてリボンで留められた羊皮紙が投げ込まれた。一言も発することなく、ローブの人影は去って行く。

 たったそれだけだった。おそらく一分にも満たないその邂逅で、エミーリアは人生を変える魔法を手に入れてしまった。


 屋敷に戻り、誰も来ないようにと言い置いて地下の倉庫に籠る。

 黒本のリボンを解くと、短い箇条書きの説明と魔法陣が記されていた。


 魔法陣を床に書き写し、発動者は黒本を持って中央に立つ。

 (血液、水銀、樹液等。天然由来であれば染料はなんでも可。

  床または地面に直接彫り込んでも良い。)

 発動者は呪文を唱える。――以上。

 ※決して書き間違えのないように。


 それだけの説明書きをエミーリアは五度は読み返した。

 こんな簡単な陣で本当に大丈夫なのか、と不安になるほど簡素な魔法陣を植物由来の黒いインクで床に書き写す。何度も何度も、黒本と床を交互に見据えて間違いがないかと確認し、陣の中央に立った。

 大きく息を吸い、吐く。

 どうかジェラルドを救える力が目覚めますように。


「――“覚醒せよ”」


 ざわ、と空気が揺れた。

 背中を縦に激痛が走り抜けたと思った瞬間、エミーリアの意識は暗転する。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ