2.
家族が増えて数か月。
コーディリアは毎日のように誰かに誘われて外出していた。
研究室に籠りがちだった兄も最近は家にいないことが多い。
気を煩わすことがなくて良いことだとエミーリアは二人の不在を歓迎していたが、義姉が屋敷に及ぼした変化の数々は確実にエミーリアの身近に迫っていた。
「ねえ、お父様。最近アイリス殿下からお茶の招待状が来ないの。お忙しいのかしら」
この国の第一王女アイリスはエミーリアと同じ十四歳。
来年から国立の高等学校に一緒に通うことになっている。
エミーリアはアイリス王女と同世代としては最高位の令嬢だ。学友として共に勉学に励むべく、事前にお茶会などが設けられ親交を深めようという話だったはずだ。
二度は王城に招かれたが、それ以降、なんの音沙汰もない。
滅多に家に帰らない父がその日は珍しく書斎にいたので、エミーリアは世間話代わりに問うてみた。
何かの書類から顔を上げた父が「知らないのか」と言いたげにエミーリアの顔を見て、そして興味なさげに書類に視線を戻す。
「アイリス殿下はコーディリアをお気に召したようだ」
「え?」
「ウチのエドモンドとコーディリア。そして騎士団長アンガス侯爵の長男……名前はなんだったか。ああ、ジェラルド卿だな。ご学友はその三人で良いとのことだったが、聞いていないのか」
「……なにも、存じません」
「そうか。まあ、座学はおまえよりコーディリアのほうが秀でているそうだな。王城でも上品でそつがないと評判が良い。殿下のことはコーディリアに任せて、おまえは自分の勉強をしっかりしなさい」
「……――はい」
アイリス王女がコーディリアを選んだ。
その言い知れぬ不安はエミーリアを別の衝動に駆り立てた。
脳裏に浮かぶのは黒髪の美しい騎士候補の姿。
アンガス侯爵の長男ジェラルド・ヴァレンタイン。
彼もコーディリアを選ぶのかもしれない。そう思っただけで怒りにも似た感情がエミーリアの心を支配する。
「……お父様。私の婚約の件ですが」
「ああ。いくつか話はあるが、私も忙しい。少し待て」
「……アンガス侯爵とお話しくださってはいないんですか」
「ジェラルド卿か? 断られたんだろう。なら諦めろ」
「でもっ、お父様!」
「エミーリア。いずれ騎士団長になるだろう男に結婚相手を無理に押し付けて心証を害したくない。オーランド公爵を継ぐエドモンドにとっても枷になる。聞き分けなさい」
宰相であり法衣貴族であるオーランド公爵の娘が嫁ぎ先に求める条件は特にない。家格が釣り合うマトモな家ならばどこでも良いというのが父のスタンスだった。
細かい条件を上げれば際限がなく、それを処理するだけの時間が父にはない。家督を相続するエドモンドの結婚相手は自ら吟味するだろうが、他所へ嫁ぐエミーリアの相手探しはほぼ人任せだ。無駄なことに割く手間が惜しいと言わんばかりだった。
ならば自分で選ばせてくれと、かねてより憧れていた同い年のジェラルドの名を挙げれば父は難色を示した。
アンガス侯爵は「息子の結婚相手は本人に選ばせるから自分に面倒な話を持って来ないように」と公言しているらしいのだ。
それならば、とエミーリアはジェラルド本人に手紙を出した。
兄とジェラルドは友人だ。ぜひ自分とも仲良くしてほしい、家に遊びに来ないか、というエミーリアにしてみれば控え目な内容の手紙だった。
「時間がないのでまたの機会に」と断りの返事はすぐに届いた。
兄に頼るのは癪だったし、おそらく助けてはくれない。
エミーリアは意を決して、城で見かけた際に直接声をかけた。
「ジェラルド卿。いつでも構いませんわ。ご都合のよろしいときに当家においでになりませんか? 叶うことなら、ご両親も一緒に」
つまりそれは見合いの打診だ。
愛の告白に等しいエミーリアの言葉に、ジェラルドはほんのわずか笑みを崩した。「またか。めんどうだな」と心の声が聞こえて来そうなジェラルドの反応にエミーリアは落胆した。
ジェラルドは他の男たちとは違うと思っていた。
黒い髪に琥珀色の瞳が美しい長身の騎士候補。優しく紳士的で、平時は常に柔らかい笑みをたたえている。彼ならばエミーリアに向き合い、想い合い、今の家族とは違って穏やかな家庭を築けるのではと期待していた。
「エミーリア嬢。すまないが僕には昔から想っている女性がいるんだ」
「……そうですか。どちらのご令嬢なんですの?」
「……彼女が僕に応えてくれたら、紹介するよ」
にこりと笑んで去って行く背を見送り、エミーリアは唇を噛んだ。
最後、ジェラルドの目に浮かんでいたのは警戒心だった。
ジェラルドの想い人がどこの誰かを知ったら、エミーリアがその彼女を害するのではと疑われていた。
そんなことするはずないでしょう!
叫びたかったが、ぐっと堪えた。信じてほしいと言えるほどエミーリアはジェラルドのことを知らないし、彼もまたエミーリアのことを知らないのだ。
父も兄もエミーリアの味方はしてくれない。
アンガス侯爵は息子の結婚に無頓着だ。ならば侯爵夫人に、と思えど、夫人は遠い領地にいてほとんど王都の社交界に顔を出さない人だ。
元侯爵令嬢で元伯爵夫人の義母に頼ろうにも、コーディリアと仲良くしようとしないエミーリアをあまり良く思っていないだろう。
ジェラルドはアイリス王女とも仲が良いと聞いた。
王女に仲介を頼むのが最終手段だと思っていたが、王女からの茶会の招待状がエミーリア個人に届くことはもうない。そうなると登城の機会はほぼなくなり、王女と直接会うこともままならなかった。八方塞がりである。
「……お父様。お姉様の婚約についてはお考えなの?」
「……――おまえはコーディリアと話をしないらしいな」
「私がお世話せずともお兄様がべったり張り付いておいでですから」
「はあ……。だからおまえは何も知らない」
「どういう意味です」
「あの子は消極的で野心など微塵もないが、賢く冷静だ。守るべきもののためならば冷酷にもなるだろう。おまえは今のうちにその態度を改めなければ、どうなるか知らんぞ」
「……お父様も、コーディリアの味方なのね」
「私は三人の子どもの誰も贔屓にはしない。自力で得られる以上のものを私から無条件に与えられると思っているなら、今すぐその名を捨てて出て行くことだ」
父は昔からこうだ。
必要以上に子どもたちに与えることをしない。
でもコーディリアは他人の娘だ。実の娘であるエミーリアと同等に思えるものだろうか。
これもヒロイン補正なのかもしれない。
兄、父、王女。そしてもしかしたらジェラルドも。
彼らがコーディリアの魔の手に落ちているとしたら、どうすればいいのだろう。
「せめてジェラルド様だけでも助けなければ……」
自室に戻って呆然と呟いたエミーリアは机に向かった。
便箋とペンを取り出し、手紙を書き始める。




