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塵灰のリハイブ  作者: 道安 敦己
第二話『砂時計の殺人』

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二日目②〈2-2-②〉

 時を少し遡り、私たちが検査を受けていた頃――。支所で出会ったあの二人は、南のD級街を歩いていた。支所の西、海沿いに広がるこの一帯も、他の等級街同様、住人の素性や性質による住み分けがある。二人の暮らす〝落伍者の集落〟は西の縁だ。D級街を突っ切るのが最短だが、弱った者が一人で還れる道ではない。佐川(さがわ)瀬太郎(せたろう)氏にとって、強かな同行者はありがたいものだった。


 冷たい風が吹いて、土埃が舞った。佐川氏は小さく咳き込み、薄っぺらい上着の襟を立てた。柔らかい空き缶が石にぶつかり転がる寒々しい音が、はっきりと聞こえる。数歩先を歩く同行者を、彼はそっと窺った。集落の顔役である矢部(やべ)栄三(えいぞう)氏は、上機嫌に周囲を見渡しながら、


「この辺の連中は人形どものところに行ったみてえだな」振り向いて、「せっちんのおかげだ」


 棒切れのような新参者を称えた。佐川氏は微かに苦笑い浮かべた。名前にちなんだ渾名だが、古くは(前時代には既に死後だった程には古い)手洗い場のことをそう呼んだからだ。日常生活で使うことは無い、知識としての単語だ。佐川氏は高い水準の教育を受けた市民だった。


 D級街全域が騒然とする中、ワァルドステイトの支所を頼ろうと主張したのが彼だった。矢部氏を説得し、一部の区画の長が集まる場で提案させたのだ。


「動いたのは矢部さんじゃないですか」痛む腕をそっとさする。小さな声で、「俺は言っただけです」

「ま、寄合で言うってのは我ながら冴えてたよな」矢部氏は得意げに笑った。


 人形の棲家と言えば、それまで非市民たちも敬遠してきた場所だ。それが各区の捨て駒に選ばれた者たちが支所に向かい、帰ってきた彼らの話が区画単位の噂話となり、ここ二、三日の騒ぎだ。


 支所を頼るという佐川氏の案は非市民たちに物心両面で一定の恩恵をもたらした。それは彼らを別の選択から遠ざける助けにもなっていた。


「すみません。家まで送ってもらって」

「良いってことよ」


 落伍者の集落に無事帰り着いた佐川氏を、彼の家の前で一人の少女が待っていた。焚火の前で木箱をひっくり返しただけの粗末な椅子に腰かけ、退屈そうに宙を眺めている。いつも抱えている背負い鞄は今日は無い。生業と嘯く泥棒は臨時休業中だった。


「おう、戻って来たぞ」


 矢部氏が右手を挙げて朗らかに呼びかけた。少女は悠長に歩いてくる二人を不服げに見て、


「遅えぞ」

「混んでるって言ったろ」呆れ顔で言い返す矢部氏。

「ごめん」佐川氏は申し訳なさそうに笑みを浮かべた。


 二人も手近なところから椅子を引き摺って焚火を囲むように座る。少女は佐川氏に、


「薬は持って帰ってこれたか」はにかんだ笑顔で付け加える。「おかえり」

「大丈夫だよ。ただいま、花ちゃん」

「そっか」赤井(あかい)(はな)という名の少女はほっとしたように言った。

「花ちゃんはどうしてたんだい」

「近所の見回りをして、仲の良い余所の奴らにも声かけしてた」後ろ頭に両手を添えて、上体を反らしていく。「他にやることないしな」ひっくり返りそうになり、慌てて態勢を戻した。


 佐川氏は微笑みがちに「大丈夫かい」と気遣って、


「大切なことだよ。こんな時に孤独に過ごすのは危ない。訪ねてくれる人がいることは心の支えになるんだ」

「だろ。だからここにもよく来てるんだ」

「ありがとう」


 少女の無邪気な笑顔で言うのに、佐川氏は思わず苦笑した。


「大きな道の向こうには行かなかったんだね」真面目な顔を作り、尋ねる。

「行ってない。他にやることないって言ったろ」少女は口先を尖らせた。

「ごめんごめん」


 この緊張状態が始まった頃から、佐川氏は花にC級街に行かないよう忠告していた。しかし、遠くの人々の思惑や行動、それがどのように影響するかを説明することは難しく、彼女は出先で向けられる敵意の変化を肌で感じていながら、まるで取り合おうとしなかった。


「大したことないと思ってたんだけどなあ」


 その口ぶりからは今でもそう思っていることが滲んでいる。


(わり)い、ちょっとばかし遅くなった」


 そこに砂を踏む音を立てながら、長身の男が早足でやってきた。土師(はじ)槐太(かいた)氏、今は市民に成り上がった、この集落出身の元非市民だ。貴族や有力市民の醜態を暴いて金を得る、気鋭の記者は、椅子に座った拍子に顔を顰め、首をさすった。


「何かあったんですか」


 気になった佐川氏が尋ねると、彼はうんざりという顔でため息を吐き、


「例の宗教だ。今日も今日とて白頭巾の男が道の真ん中で説教を打って、頭やられた連中が群がってる。小馬鹿にしたら、血相変えた信者が追いかけて来やがった。それで遅れちまった」

「捕まったのか。よく無事で済んだな」


 少し意外そうに矢部氏が言う。土師氏は着たきりの草臥れた外套から煙草を取り出し、


「いや、逃げ切るだろ。馬鹿と俺だぞ」


 困惑した様子の三人を尻目に、煙草に火をつけ、マッチを焚火に放り込む。


「首は」そろり佐川氏が訊いた。

「ああ。寝違えた」

「なるほど」


 あっけらかんとした回答に、三人は苦笑いを浮かべた。


「おまえを追い回すくらいなら、市民の一人にでもそうしてろって話だ。ま、負け犬は粋がる相手を間違うもんか」矢部氏は呆れ顔で嘆いた。「聴き手の数はどうだ。増えてたか」

「じわじわ増えてるな。一気にでないだけマシだ」

「セタローの言ってた通りだ」少女が口を開いた。「薬に手を出したヤツも増えてる。死んじまったヤツも」


 絶望死だ。佐川氏は真っ先にその増加を案じた。酒、薬物、自死――破滅的な宗教への没頭も、根底と結末は共通している。人形にできることなど何も無い、矢部氏の指摘が全くの間違いでないことは佐川氏も分かっていた。それでも彼を説き伏せたのは、事態の打開を期待したのではなく、悪化を抑えたかったからだ。目論見は一定程度当たった。支所に入り浸ることを選んだ非市民たちからは、幾らか死を遠ざけた。


 だが、今も、増えているのだ。抑圧が非市民を命がけの逃避へと追い立てている。今の彼らは苦痛を紛らわしてくれるならば、なんであれ容易く手に取るだろう。佐川氏は悲痛な顔で押し黙った。矢部氏が励ますようにも笑い飛ばすようにも取れる朗らかな調子で、


「根っこを解決しねえことにはどうにもならねえよ。そういう話をするんだろ」両手を広げ、三人を促す。「さあ、作戦会議と行こうや」


 場に白けた空気が漂った。土師氏が咳ばらいをして、


「アンタはダメだ。丙と繋がってる」

「ケチなこと言うなよ。たまには混ぜてくれても良いじゃねえか」

「だったら、丙の話を聞かせてくれよ。何かやろうとしてるんだろ」


 駄々をこねるように抗議していた矢部氏が途端に守りに入る。


「勘弁してくれ。そんなことしたら俺まで殺されちまう」

「じゃあダメだ。ここで聞いたことを丙の連中に話しかねん。そうだろ」


 土師氏ににべもなく突っぱねられ、矢部氏は残念そうにため息を吐いた。


「しょうがねえ。引き下がるとするか」太ももを叩いて立ち上がる。

「そう言って盗み聞きするなよ」


 花が疑るような視線を投げる。矢部氏は心外と言わんばかりに胸を張り、


「馬鹿言え。良いか、俺がこの歳まで生きてこられたのはな、偏に弁えるということを知ってたからだ。精々、目をつけられんようにな。俺でも庇いきれんぞ」

「お気遣いありがとうございます」

「おう。そういう言葉をかけてくれるのはせっちんだけだ。まったく」


 大股で去っていく矢部氏を苦笑いで見送り――「しれっと混ざる気でいやがったな」と土師氏——三人は真剣な面持ちで向かい合った。


 根本的な解決以外に事態を打開する方法は無い、その点、見解では三人と矢部氏は同意していた。彼らが違えているのは意見だった。


 非市民を追い詰める先は逃走だけではない。対極にある行動、報復を選ぶ者もいる。彼らが〝丙〟と呼んだ集団はその最たる者たちだ。非市民と市民の対立が深刻化することもまた避けたい三人の目には、矢部氏はそれならば歓迎しているように見えた。計画を話すわけにはいかない。


 佐川氏には平和的な策があった。少なくとも、相手が二度とすまいと思うまで徹底的にやり返すなどというよりは平和的な策が。佐川氏、花、土師氏、出自も生業も違う三人が知識と情報を共有していく。最後の問題は人手だ。話し合いの終わり、険しい顔の大人二人に少女が明るい声で言った。


「大丈夫だろ。たまちゃんがなんとかしてくれるって」

※これは架空の物語であり、実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。


〈2026/3/23〉

・投稿間隔が大きく空いてしまい申し訳ありません。

・今後も当面はこんな感じの微速前進になるかもしれないです。

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