第七章 白い花を置く商人
西の商人は、森の保護を祝う暇も与えてくれなかった。ある男は市場の品を全部買いたいと言った。別の男はノルドへ直接行った。ファーレンでは、三年分の仕事をまとめて契約しようとする者まで現れた。
話だけ聞けば、悪くなかった。まとまった金が入り、売れ残りを気にせず作れる。職人が心を動かされるのを、カイルは責められなかった。
ヴィオラが、契約書の最後の一枚を指した。
「ほかへ売るには、許可がいるのね」
「買い取る側も、それだけの危険を負いますから」
西の商人は滑らかに答えた。
「値段の見直しは、買い手だけができる」
「市場に合わせる必要があります」
「作り手が契約を終える場合の金額は、書いてあるわ。でも、あなたが買わなくなった場合は?」
そこで相手の笑顔が、少しだけ薄くなった。
交渉は夕方まで続き、まとまらなかった。
だが、町の全員が断ったわけではなかった。ファーレンの灯り職人は、別の商人と一年の専属契約を結んだ。市場へ貸していた灯りを引き取りに来た日、カイルに、妻の療養費をまとめて払えるのだと言った。
「お前たちの売り方は好きだよ。でも、今月いくら入るかは、まだ分からないだろう」
引き止める言葉はなかった。
壁のない部屋には、宿から借りた小さな灯りを置いた。棚の下だけが暗くなった。カイルは戸口まで見送り、戻ってきて椅子へ腰を下ろした。
「西とつき合わないってわけには、いかねえんだよな」
「ええ。あなたの町が面白くなったから来るの。扉を閉めても、隣の町へ行くだけよ」
「俺の町じゃないぜ」
「そうね」
ヴィオラは紙を揃えた。
「だから、あなた一人で嫌いだと言っても済まない」
その頃、泉へ通う若い男がいた。上質だが地味な服を着て、いつも小さな帳面を持っている。森へ来てもエレナを探し回らず、石の上へ白い花を置いて帰っていく。
三度目に見かけた日、カイルは声をかけた。
「花を置く理由まで、町で聞いたのか?」
男は振り向いた。
「最初は、ここの人に気に入られる方法を調べていました」
ヴィオラが目を細めた。
「ずいぶん正直ね」
「今さら別の理由にしても、ばれるでしょう」
男は少し笑った。
「古い記録も読みました。昔はここで水を汲んで、旅立ったんですね。私の商売も、途中で水を飲ませてもらえなければ成り立ちません」
エレナが花のそばへ降りてきた。
「なまえ」
「レイヴンです」
「レイヴン。またね」
「はい。また来ます」
約束をする声を、カイルは聞いていた。
「でも、あさは、こないで」
エレナが言った。
「エレナ、ねてるひ、ある」
レイヴンは帳面を開きかけ、閉じた。
「分かりました。会えなくても、水をいただければ十分です」
翌朝、商談へ来た別の商人が、泉の少女に会わせてほしいと言った。縁起物として客へ見せたいのだという。断ったのはカイルでもヴィオラでもなく、エレナだった。
「エレナ、うりものじゃない」
言ったあと、少女はヴィオラの後ろへ隠れた。商人が帰るまで、そこから出てこなかった。
数日後、市場の部屋で再会したレイヴンは、包丁で肉を切っていた。
「何してるんだ」
「客になっています」
彼は切った肉を皿へ置いた。
「使ってみないと、分からないので」
カイルは向かいへ座った。レイヴンが出したのは、独占の契約ではなかった。西へ少量を運び、誰にいくらで売れたか、作り手へ返す提案だった。売れなかった理由も持ち帰る。
「利益はちゃんと取ります」
「取ってくれ。取らない奴のほうが怖い」
カイルが言うと、レイヴンは初めて声を立てて笑った。
ただし、レイヴンに西への窓口をすべて任せる案には、ヴィオラが首を振った。
「あなた一人が倒れたら、止まるでしょう」
彼はむっとした。
「私が信用できませんか」
「信用と、仕事の組み方は別の話よ。カイルもよく倒れそうになるから、なおさらね」
「俺を見て言うなよ」
結局、帳簿を町にも残し、別の商人も条件を守れば参加できるようにした。作り手の印と、運んだ商人の札を分けてつける。品物がどこから来たか、売ったあとも分かるように。
ギルドには、道中の護衛と、壊れた品が出たときの確認を頼んだ。受付の女性は帳簿を閉じ、カイルを見た。
「最初に猫を追っていた人が、ずいぶん大きな依頼を持ってくるようになったわね」
「あれも大きな仕事だったぜ。爪が痛かった」
西へ送った最初の椅子は、売れなかった。高い、と言われた。二度目も売れなかった。
三度目に、レイヴンは椅子を売るのをやめ、商館の長い相談に使ってもらった。半日座った商人が、家のために二脚注文した。ファーレンの職人は、その報告を何度も読み返した。
「やっぱり、座れば分かるんだよ」
嬉しそうに言う声を聞いて、カイルも笑った。
レイヴンの次の手紙には、椅子の話に混じって、西を治める王弟がまた宴席を抜け出し、水車を見に行ったという噂が書き添えてあった。
秋になる頃、西から客が来始めた。買うだけでなく、作るところを見たいと言う者がいた。ベルナへ食べに行き、ノルドの木の扱いを学び、ファーレンで自分の家の棚を相談する。
リーベルの宿には、市場と同じ椅子を置いた部屋ができた。ベッドの代金を一度に払えない宿には、半分を先に払い、残りをその部屋の売上から返す約束をした。職人にも帳簿を見せ、無理な値引きはしなかった。
五号車が、西街道の橋を初めて渡った。橋の修理には、リーベルだけでなく、西の商人も金を出した。帰りに積める荷物があるなら、橋に金を使う意味もあるのだと、レイヴンは説明した。カイルは欄干から川を見下ろした。
「これで四つだな」
ヴィオラは町へ続く道を眺めた。
「ええ」
「最初、荷車一台だったのにな」
「その一台を泥から引き上げたのは、私よ」
「分かってる。あと百年言われる気がする」
ヴィオラは笑いかけて、笑うのをやめた。カイルはその変化に気づいたが、声をかける前に、後ろから次の荷車が来た。
二人は道をあけた。橋を渡る車輪の音が、川音をかき消した。




