5日目~モナリザ~
朝、目が覚めて一階へ降りると、ダ・ヴィンチは大きな机の上を少しだけ片付けながら独り言をつぶやいていた。
「ガサゴソ……そろそろ来るかのぅ。」
「あ、おはようございます。」
「あ、おはようゴザイマス。」
AIWatchも挨拶を覚えるんかい!
「昨夜はよく眠れたかの?」
「はい。ぐっすり眠れました。」
コンコン。
コンコン。
ドアが開く。
「ダ・ヴィンチさーん! おはようございまーす! 差し入れですよー!」
「おぉ、おはよう。いつも助かるのぅ。」
ダ・ヴィンチは慣れた手つきで包みを受け取ると、机の上に並べ始めた。
「で、今日はモデルをやってくれるかの?」
「やだぁ! 今日はお休みですよ。」
「お・や・す・み!」
「そうじゃったの……。」
「じゃあ、またねー! また何か持ってくるね!」
バタン。
静かになった部屋で、ダ・ヴィンチは包みを眺めながら小さくつぶやいた。
「……朝飯だけ置いて帰りおった。」
「…………今の娘、何だったんです?」
「…………四代目モナリザじゃ。」
「四代目? モナリザ?」
(タイガーマスクみたいだ……。)
(タイガーマスクの話は通じないと思われマス。声には出さないことを推奨シマス。)
「ダ・ヴィンチさん……モナリザって、あのモナリザですよね?」
「そうじゃ。」
「えっ!? じゃあ、さっきの人がモデルなんですか?」
「今はの。」
「今は?」
ダ・ヴィンチはパンを一口かじり、コーヒーを飲むと懐かしそうに笑った。
「儂は約五百年、モナリザを描き続けておる。」
「ご……五百年!?」
「美しさというものは時代とともに変わる。じゃが、人の心を動かすものはそう簡単には変わらん。その違いを見届けたくての。」
「だからモデルが代替わりしてるんですか?」
「そうじゃ。その時代、その街で、儂が『描きたい』と思った者を描いておる。」
「初代は地上で出会った女性じゃ。」
「二代目はエルフ。」
「初めて見た時は驚いたわ。美しくてのぅ。夢中で描いておった。」
「三代目は人魚じゃ。」
「人魚!?」
「人型でおれる時間が短くての。本人は続ける気じゃったが、川まで通うのもなかなか大変で、短い付き合いになってしもうた。」
「そして、今の四代目じゃ。」
「……すごい。」
「儂はな、美人を描いておるのではない。」
ダ・ヴィンチは少しだけ真剣な表情になった。
「その時代、その場所で、一番『美しい』と儂の心が動いた者を描いておる。」
「だから完成はない。」
「儂が生きる限り、モナリザも生き続ける。」
しばらく静かな時間が流れた。
「……二代目には、今でも会えるんですか?」
ダ・ヴィンチはにやりと笑う。
「もちろんじゃ。」
「会いに行くか?」
「行きます!」
「そう言うと思ったわい。」
ダ・ヴィンチは帽子を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ店も開いとる頃じゃな。」
俺たちはダ・ヴィンチ邸を出て、エルフ街へ向かった。
小さな石橋を渡り、木々に囲まれた一軒の店の前で足を止める。
カランコロン。
「お客さん、まだ営業前だよ。」
店の奥から気だるそうな声が聞こえた。
「……ん?」
「アンタ、こんな時間に珍しいねぇ。」
ダ・ヴィンチは軽く手を挙げた。
「ちょっと紹介したい者がおっての。」
エルフの女性は俺を見て、目を丸くした。
「おや? 転生者の人間かい。」
「こりゃ珍しいねぇ。」
「あ、どうも。」
「ここは?」
「スナックさ。夜はアタシがママをやってる。」
ダ・ヴィンチが嬉しそうに俺を見た。
「この者が二代目モナリザじゃ。」
「……まだそんな呼び方してるのかい。」
エルフは小さくため息をつく。
「もう四百年も昔の話だろ。」
「たまには描かせてくれても……ぶつぶつぶつ。」
「アンタ、いつもそれねぇ。」
「あの……ママさんおいくつなんですか?」
「おやおや。」
エルフの女性は小さく笑った。
「女に年齢を聞くもんじゃないよ。」
「あっ……す、すみません!」
(ダ・ヴィンチ様はこちらへいらして約五百年デス。)
(え?)
(後は計算しないことを推奨……したいとオモイマス。)
(最後ちょっと迷ったな!?)
「ふふふ。」
エルフの女性は幸の慌てぶりを見て楽しそうに笑った。
「まぁ、気にしなさんな。」
「長く生きてるとね、自分が何歳かなんて、そのうちどうでもよくなるもんさ。」
「そういうもんなんですか……。」
「そういうもんさ。」
俺は少し考え込んだ。
「……ということは、種族によって寿命も違うんですか?」
「おや?」
「気になるかい?」
「はい。」
「アトランティスにはたくさんの種族が暮らしているからねぇ。」
「長く生きる種族もいれば、そうじゃない種族もいる。」
「でもね。」
「どの種族も歳を重ねる。」
「そして、いつかは亡くなる。」
(補足シマス。)
(エルフ族、巨人族、人魚族は長寿種に分類されマス。)
(ドワーフ族は比較的長命デス。)
(ヒト族、獣人族は一般的な寿命デス。)
「なるほど……。」
「……あれ?」
「……エルフにも……他の種族にも……ヒト族にも……寿命がある……」
「じゃ……ダ・ヴィンチさんは?」
ダ・ヴィンチは静かにコーヒーを口へ運ぶ。
「儂か。」
「儂は少し違う。」
「アトランティスに残ることを選んだ者は、寿命という概念がなくなる。」
「……。」
「どうしてですか?」
ダ・ヴィンチは少しだけ考え、静かに笑った。
「そういうものじゃ。」
誰も、それ以上は続けなかった。
店の中には、静かな時間だけが流れていた。
「ほら、コーヒーが冷めるよ。」
ママさんは優しく笑いながら、俺の前のカップを軽く指さした。
「あ……はい。」
俺はカップを手に取る。
温かいはずのコーヒーが、いつもより少しだけ重く感じた。
長寿種にも終わりはある。
けれど、ダ・ヴィンチには寿命という概念がない。
理由は分からない。
「そういうもの。」
それだけだった。
俺は一口だけコーヒーを飲んだ。
誰も何も話さない。
ダ・ヴィンチも。
ママさんも。
AIWatchも。
その静けさが、さっき聞いた言葉を何度も頭の中で繰り返させた。
「……今日は宿へ戻ります。」
「少し、一人で考えてみたいです。」
ダ・ヴィンチは小さく頷いた。
「そうか。」
「またいつでも来るとええ。」
「はい。」
俺は二人に軽く頭を下げ、店を後にした。
エルフ街を吹き抜ける風は心地良い。
それなのに、頭の中だけは妙に静かだった。
寿命。
転生。
そして、アトランティスに残るということ。
俺は考えながら、宿への道をゆっくりと歩き始めた。




