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婚約破棄されたはずの令嬢ですが、執事も王子も恋敵もなぜか商法で溺愛してきます  作者: Altis


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第18話 親切な運送人ほど、道順を確認してください(物品運送)





 フィルベール織物商への返答文を出し終え、私は冷めにくい茶器を見つめていた。




 まだ温かい。

 本当に温かい。


 ノアの甘やかしは、妙に実務的である。


 疲れているなら休ませる、ではない。


 椅子を整える。

 紅茶を温める。

 書類を読みやすく並べる。


 そして働かせる。


 甘やかしというより、優雅な拘束具ではないかしら。


「ノア」


「はい、お嬢様」


「その茶器、今後は短い休憩のときだけ出して」


「承知いたしました」


「本当に?」


「はい。長い確認が見込まれる場合には、さらに保温性の高いものを――」


「そこではないわ」




 改善された。

 悪い方向へ。



 ロッテが補助簿を閉じようとした。

 閉じようとした、まさにそのとき。


 扉が叩かれた。


 私は天井を見た。


 別に何かいるわけではない。


 ただ少し、祈りたかった。


「お嬢様。クライン商会より、至急の書簡でございます」


 祈りは届かなかった。


 ロッテが補助簿を開き直す。


「ロッテ」


「はい」


「まだ中身を読んでいないわ」


「クライン商会ですので」


「分類が早すぎるわ」


 ノアが封書を受け取った。


 封蝋は普通の商会印だった。




 普通。

 最近、この言葉もあまり信用していない。



 封を切る。


 中から正式な提案書が一通。


 それから。


 薄桃色の便箋。


「……また桃色」


 声が出た。


 ノアの目が一瞬だけ細くなる。


 レオンハルト殿下は何も言わない。


 何も言わないのに、見ている。


 とりあえず正式文書から読むことにした。





 アルマーシュ商会 御中

 先日送付いたしました高級絹見本のうち、到着時確認事項としてご通知いただいた品につきまして、当商会指定運送人を差し向け、回収および交換品の再送を行う用意がございます。

 また、旧ベルモンド店舗候補への試験納入をご検討中とのこと、当商会の王都南区配送経路を利用し、返送品、交換品、試験納入品をまとめて運送することも可能です。

 運送費については、当商会にて一時負担いたします。





 読み終えた。


 もう一度読む。


 返す品は持っていってくれる。


 交換品は持ってきてくれる。


 ついでに南区への荷物も運んでくれる。


 費用も、ひとまず向こうが払う。






 便利だ。


 とても便利だ。





 だから困る。


 最近の私は、便利な話を見ると条件欄を探すようになった。


 成長した。

 嫌な方向に。


 次に桃色の便箋を開く。





 ミレイユお姉さまへ

 先日の絹に不備があったとのこと、申し訳ございません。

 お姉さまのお手を煩わせたくありませんので、こちらから運送人を向かわせますわ。

 旧ベルモンド店舗の件も伺いました。

 もし南区でお困りでしたら、当商会の配送経路を少しだけお貸しできます。

 お姉さまの荷が、無事に届きますように。


 ヴィオラ



挿絵(By みてみん)


 私は便箋を置いた。


「ロッテ」


「はい」


「今度は道まで桃色なのだけれど」


「帳簿上は、運送経路の提供案です」


「色と道の話をしているのよ」


「帳簿係ですので」


 帳簿係は強い。


 ノアが私の前へ新しい紙を置いた。


「運送人との連絡、受渡しの調整、必要書類の準備はこちらで行います。お嬢様には最終確認のみお願いいたします」


「紅茶を飲みながら?」


「もちろんでございます」


 椅子は快適。


 紅茶は温かい。


 書類は整然。


 逃げ道だけがない。


「ノア」


「はい」


「あなたの甘やかし、着席補助になっていない?」


「お嬢様にご負担なく実務へお進みいただくためでございます」


「やっぱり」


 殿下が言った。


「甘やかされている場合か」


 冷たい。


 本当に冷たい。


「殿下。婚約破棄した元婚約者へかける言葉として、もう少し柔らかなものはございませんの?」


「ある」


「あるのですか」


「今の君には不要だ」


「あるのに使わない」


「必要がない」


 未使用在庫である。


 殿下は提案書を指した。


「クライン指定の運送人が、君の荷を運ぶ」


「はい」


「まずそこを整理しろ」


 私はロッテを見る。


「本日の項目?」


「はい」


 補助簿が一枚めくられた。




「物品運送です」




「物品運送」


「まず、誰が送って、誰が運んで、誰が受け取るのかを整理します」


 ロッテが紙へ書く。


 荷送人。

 運送人。

 荷受人。

 運送品。

 発送地。

 到達地。


「荷送人は、送る人

 運送人は、運ぶ人

 荷受人は、受け取る人

 発送地は出す場所。到達地は届ける場所」


「はい」


 分かりやすい。


 怖いくらい分かりやすい。


「今日は優しいわね」


「まだ入口です」


「やっぱり」


 油断しなくなった。


 ロッテの補助簿に青い線が入る。


「そこも?」


「学習成果です」


 何を学んでいるのだろう、私は。


 提案書へ戻る。




 返送品。

 交換品。

 試験納入品。




 それを、まとめて運ぶ。


「これ、全部同じ荷物として考えていいの?」


 ロッテが少しだけ目を細めた。


「青字です」


「質問しただけよ」


「よい質問です」


 ノアが三つを書き分ける。


「返送品は、当商会からクライン商会へ返す品でございます」


「だから、こちらが荷送人。クラインが荷受人」


「はい」


「交換品は逆」


「クライン商会が荷送人、当商会が荷受人です」


「試験納入品は?」


 少し間が空いた。


 ロッテが提案書を見る。


「誰の品を、どこから旧ベルモンド店舗候補へ運ぶのか、これだけでは分かりません」


「分からない」


「はい」


 赤でも青でもない。


 ただ、分からない。


 少し安心した。


 世の中には、まだ普通に確認すれば済むものもあるらしい。


 ノアが新しい整理表を置いた。




 品名。

 数量。

 荷送人。

 運送人。

 荷受人。

 発送地。

 到達地。




 さらに横へ。


 状態。

 費用負担。

 引渡し予定時刻。

 受渡し確認者。


「ノア」


「はい」


「いつ作ったの?」


「お嬢様が桃色の便箋を二度お読みになっている間に」


「早いわね」


「混乱なさる可能性を考慮いたしました」


「甘やかしが先回りしている」


「恐れ入ります」


 褒めていない。


 表を順番に追う。


 返送品。


 こちらからクラインへ。


 交換品。


 クラインからこちらへ。


 試験納入品。


 行き先は、旧ベルモンド店舗候補。


 そこでノアが口を開いた。


「こちらは物品運送そのものとは別に、一点確認が必要かと存じます」


「何?」


「旧ベルモンド店舗は、まだ取得条件を確認している段階でございます」


「ええ」


「そこへ商品を搬入すれば、外からは既に店舗利用を始めたように見える可能性がございます」


 私は殿下を見た。


「また、外から?」


「今度は俺だ」


「担当制になったのね」


「法律上、誰が送って誰が受け取るかが整理できても、商売はそれだけでは終わらない」


「誰の運送人が、誰の荷を運んでいるように見えるか」


「そうだ」


 クラインの運送人。

 アルマーシュの荷。

 南区への配送。

 そして以前の、名前を出さない支援。


 並べてみる。


 クライン商会がアルマーシュの商売を支えているようにも見える。


 アルマーシュがクラインに頼っているようにも見える。


 あるいは。


 ヴィオラ様が。


 そこまで考えて、やめた。


 今のは商法ではない。


「ロッテ」


「はい」


「今、赤字を引いた?」


「はい」


「どこ?」


「最初の『荷物を運ぶだけ』という認識です」


「もう訂正したわ」


「青字を重ねます」


「紙が忙しいわね」


「お嬢様ほどではありません」


「何が?」


「帳簿係ですので」


 答えになっていない。


 ノアが淡々と続けた。


「運送実務はこちらで行います。ただ、何を誰へ任せたのかは、お嬢様にも把握いただいた方がよろしいでしょう」


「そこは分かる」


「半分だ」


 殿下が言った。


「また半分」


「任せるのはいい。だが、任せた結果どう見えるかまでは知れ」


「……分かるようになってきました」


「ならいい」


 短い。


 褒める気はないらしい。


 ロッテが整理表を指した。


「返送品について送り状を作成する場合には、運送品の種類や数量、荷送人、荷受人、発送地、到達地などが分かる形にします」


「状態や費用は?」


「それらも実務上確認します。ただ、同じものとして考える必要はありません」


「送り状に書くことと、受渡しで確認することは別。費用条件も別」


「はい」


 分類。

 分類。

 また分類。


 ロッテが強い理由を、最近ひしひしと感じる。


 混ぜなければ、大抵のものは少し分かりやすくなる。


「返送品と交換品は、同じ便にまとめない方がいい?」


 ノアが答えた。


「今回は分けた方が確認しやすいでしょう。返送と受領では、当商会の立場が逆になりますので」


「なら分ける」


「承知いたしました」


「試験納入品は」


 私はそこで一度止まった。


 旧ベルモンド店舗。


 まだ、買うと決めていない。


 何を引き継ぐかも決めていない。


 商号も。


 債務も。


 契約も。


 確認中。


 なのに、荷物だけ先に入れる。


 それは少し順番がおかしい。


「まだ入れない」


 ロッテが青い線を引いた。


「理由は?」


「取得するかどうかも、どこまで使えるかも決まっていない場所だから」


「はい」


「先に荷物を入れる理由がないわ」


「大変よいです」


 ノアもうなずいた。


 殿下は何も言わない。


 異論なし。


 たぶん。


 次。


「運送費については、当商会にて一時負担いたします」


 私はその一文を指した。


「一時負担」


 殿下がすぐに言った。


「確認しろ」


「やっぱり?」


「後で請求するのかもしれない」


「無償かもしれない」


「取引条件に入っている可能性もある」


「……親切な一文が、だんだん長くなっていきますわね」


「条件を省けば何でも短い」


 嫌な真理だった。


 ロッテが青い線を引く。


「今のは?」


「費用負担への確認です」


「私のため息は?」


「記録対象外です」


「よかった」


「回数が多すぎますので」


「理由がおかしい」


 私はペンを取った。


 ノアが紙を差し出した。


 いつ出した。


 もう聞かないことにした。





 クライン商会 御中


 高級絹見本に関する交換対応および運送のご提案を受領いたしました。


 返送品、交換品、旧ベルモンド店舗候補への試験納入品については、それぞれ荷送人、荷受人、発送地および到達地が異なるため、当商会では別個に整理いたします。

 返送品については、対象品目および数量を確定のうえ、運送人、発送地、到達地その他必要事項を明確にして引渡しを行います。

 交換品についても、発送内容を事前にご提示いただき、当商会において受領時の品目、数量および状態を確認いたします。


 なお、旧ベルモンド店舗候補への試験納入については、現時点では実施いたしません。店舗取得条件および利用範囲を確認した後、改めて検討いたします。


 また、貴商会による運送費の「一時負担」について、その費用が無償負担、立替え、後日精算その他いずれの取扱いとなるかをご提示ください。





 書き終えた。


 手が痛い。


 今日は何通書いたのだろう。


 数えない。


 未来の私に任せる。


「どう?」


 ロッテを見る。


「青字です」


 ノアを見る。


「大変よい文面でございます」


 殿下を見る。


「隙が減った」


「殿下」


「何だ」


「褒め言葉の在庫が少なすぎます」


「事実だ」


「では、ロッテから仕入れてください」


 ロッテが小さく咳払いした。


「褒め言葉の在庫管理は、現在ノア様寄りです」


「殿下には?」


「未入荷です」


「未入荷」


 殿下が黙った。


 私も待った。


 何を待っているのかは知らない。


 たぶん入荷。


「……よい判断だった」


 止まった。


 私が。


 部屋が。


 たぶんロッテも。





「今、褒めました?」





「評価した」


「いえ、少し褒め言葉でした」


「そうか」


 殿下は視線をそらした。


 ロッテの補助簿に、灰色と青い線が同時に入る。


「何その色」


「分類困難です」


「あなたでも?」


「はい。殿下の評価が褒め言葉へ接近しました」


「事件みたいに言わないで」


 ノアが静かに笑った。


 私はようやく紅茶を飲む。


 少し冷めていた。


 それでも、まだ温かい。


 荷物は勝手には歩かない。


 誰かが送る。

 誰かが運ぶ。

 誰かが受け取る。


 だから、道だけを借りることはできない。


 誰の荷を。

 誰が運んで。

 どこへ届けるのか。


 全部ついてくる。


 親切な道ほど、道順を確認する。


 ずいぶん疑り深くなった気もする。






 商人としては、たぶん青字である。




ロッテの帳簿メモ


本日の項目


物品運送


物品運送では、荷送人、運送人、荷受人、運送品、数量、発送地、到達地などを整理します。


荷物は単に「運ぶ」だけではありません。


誰が預け、誰が運び、誰が受け取るのか。


どこから、どこまで運ぶのか。


その記録が、後の責任判断に関わります。


品物の状態や費用負担についても、別途確認して記録しておくことが大切です。




お嬢様向け整理


返送品、交換品、試験納入品は分けて整理します。


「まとめて運ぶ」は便利ですが、荷送人と荷受人の立場が異なる品まで一緒にすると、確認が複雑になります。


送り状には、運送品の種類や数量、荷送人、荷受人、発送地、到達地などを記載します。


品物の状態や費用負担についても、別途確認します。


発送時と受領時の状態確認を行います。


旧ベルモンド店舗のように、取得条件や利用範囲が未確定の場所へは、安易に荷物を入れません。


誰の運送人が誰の荷を運んだように見えるかも、外形上のリスクになります。


親切な運送提案ほど、誰が何を見ることになるのか確認してください。




本日のひとこと


親切な運送人ほど、道順を確認してください。


荷物は、勝手に歩きません。


誰かの責任で運ばれます。


そして、荷物と一緒に情報も動きます。


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