第16話:光のヒロインと、生みの親の違和感
王立貴族学園の巨大な講堂は、新入生たちの熱気と華やかな香水の匂いに包まれていた。
天井に描かれた荘厳なフレスコ画の下、国中から集まった若き貴族たちが、これから始まる三年間への期待に胸を膨らませて整列している。
この学園は完全な実力主義と身分制度が入り交じる、王国最高峰の教育機関だ。生徒一人につき一人まで、特例で同年代の「特別従者」を連れ込むことが許可されており、講堂の壁際には俺を含めた従者たちが主人の様子を静かに見守っていた。
「それでは、新入生代表の挨拶。王太子、レオン・ヴィクトリアス殿下」
司会の教師の声が響くと、講堂内の空気がピンと張り詰めた。
純白の制服に身を包んだレオンが、燃えるような真紅の髪を揺らして演壇へと歩み出る。七年前のお茶会からさらに背が伸び、顔立ちも精悍になった彼は、まさに「次期国王」の風格を漂わせていた。
「新入生の諸君。我々は今日から、この由緒正しき学園において――」
堂々とした、よく通る声で挨拶が始まる。
女子生徒たちの間から、うっとりとした感嘆の溜息が漏れるのが聞こえた。さすがはゲーム本編の第一攻略対象といったところか。
だが、俺は壁際から『観測の眼』を起動し、彼のステータスを冷静に分析していた。
(魂の格は『25』。……同年代の平均が『5』前後だと考えれば、とんでもない才能と努力の結晶だな。さすがは王太子だ)
俺のレベルがバグ技で『99(カンスト)』していることを除けば、彼は間違いなくこの学園でトップクラスの実力者である。
演壇の上で流暢に挨拶を続けていたレオンだったが、ふと視線を新入生たちの列に向けた瞬間――最前列付近に立つセリアと、その斜め後ろの壁際に控えている俺の姿を視界に捉えた。
「――この学園で培う絆こそが、ひっ、将来の王国を……こ、構築する礎となるであろう……」
一瞬、レオンの声が情けなく裏返った。
周囲の生徒たちが「?」と首を傾げる中、レオンは微かに顔をこわばらせ、あからさまに俺たちから視線を逸らしてそそくさと挨拶を終わらせた。
(……あのお茶会での一件、まだしっかり引きずってるみたいだな)
俺は表情を一切変えず、完璧な従者の姿勢を保ったまま内心で少しだけ安堵した。
暗所恐怖症という最大の弱点を指摘され、魔力の差を見せつけられた七年前のあの日。レオンにとって俺の存在がどれほどのトラウマになっているかは定かではないが、少なくとも「得体の知れない気味の悪い平民」として警戒されているのは間違いない。
攻略対象のトップがこれだけ俺たちとの距離を測りかねているのなら、セリアが理不尽な嫌がらせを受けるリスクはいくらか減るだろう。
入学式が終わり、生徒たちはそれぞれの教室へと移動していく。
セリアの周りには、すぐにお茶会からの付き合いがある令嬢たちが集まり、華やかな輪が出来上がった。
「セリア様、今日のドレスもとても素敵ですわ」
「ありがとうございます。皆様とまたご一緒できて、とても嬉しいですわ」
セリアは天使のような微笑みで応対している。瘴気の毒素がない彼女は、誰に対しても分け隔てなく優しく、すでに新入生たちの中でカリスマ的な人気を誇っていた。
俺はセリアの少し後ろに立ち、周囲の警戒を怠らない。
この学園には、レオンの他にもメインキャラクターたちが在籍している。だが、俺が最も警戒しているのは彼らではない。
(……来るはずだ。この物語の主人公である、『光のヒロイン』が)
ゲーム本編のストーリーにおいて、ヒロインである『アリス・フォン・ランチェスター』は、没落寸前の男爵家の令嬢という設定だ。
身分が低いため学園では肩身の狭い思いをするが、彼女には世界を救う唯一の力――『光の魔法』の適性があった。
本来のシナリオライターである俺が描いたアリスの性格は、「健気で純粋、人の痛みがわかる優しい少女」だ。彼女は自分の低い身分を弁えつつも、瘴気に苦しむ人々を放っておけず、自己犠牲を厭わずに光の魔法で攻略対象たちの心の闇を癒やしていく。
それが、重厚なダークファンタジーである『ルミナス・ナイツ』における一筋の希望の光の姿だった。
教室への移動の途中。廊下の角を曲がろうとしたその時だ。
「きゃっ!」
高く甲高い悲鳴が響いた。
角から飛び出してきた小柄な少女が、前を歩いていた王太子レオンの胸に勢いよくぶつかり、そのままペタンと床に尻餅をついた。
「おい、大丈夫か?」
「い、いたた……っ。ごめんなさい、私ったらドジで……あっ!」
尻餅をついた少女は、レオンの顔を見上げた瞬間、両手で口を覆って大げさに驚いてみせた。
「もしかして……王太子、レオン殿下、ですか!? ひゃあぁ、私、なんて失礼なことをっ。どうかお許しください!」
ピンク色に波打つ髪に、大きなエメラルドグリーンの瞳。
少し丈の短い制服を着崩し、涙目でレオンを上目遣いに見つめるその少女。
(……アリス・フォン・ランチェスター)
俺は目を細め、彼女のステータスを『観測の眼』で読み取った。
【名前:アリス・フォン・ランチェスター】
【魂の格:10】
【適性属性:光】
間違いない。彼女がこの物語の主人公だ。
だが、その光景を遠巻きに見ていた俺は、強烈な『違和感』に襲われていた。
(なんだ、今の不自然なぶつかり方は)
廊下は十分な広さがあった。走って角を曲がったわけでもないのに、どう見ても「意図的にレオンの胸を狙って飛び込んだ」ようにしか見えなかったのだ。
それに、あの大げさなリアクションと上目遣い。
俺が書いたアリスは、もっと控えめで、王太子にぶつかったら顔面蒼白になって土下座するような生真面目な性格のはずだ。あんな風に「ドジっ子」をアピールして相手の気を引こうとするような、軽薄な性格ではない。
「……気にするな。怪我はないか? ほら、立て」
レオンは少し戸惑いながらも、紳士的に手を差し伸べた。
本来ならここで、光魔法の微弱な『魅了』効果がレオンに作用し、彼がヒロインに興味を惹かれるという重要なファーストコンタクトのイベントだ。
「ありがとうございますっ! 私、男爵令嬢のアリスって言います! レオン様、とってもお優しいんですね!」
アリスはレオンの手を取り、花が咲いたような満面の笑みを向けた。
だが、その直後だった。
アリスはレオンの奥にいるセリアの姿を見つけると、ハッとしたように目を輝かせ、レオンの手を離してこちらへトタトタと駆け寄ってきたのだ。
「あ、あなたがセリア様ですね! 私、アリスです! ずっとお会いしたかったんです!」
ズイッと距離を詰め、セリアの手を握ろうとするアリス。
俺は反射的にセリアの前に半歩進み出て、アリスとセリアの間に自然な壁を作った。
「……失礼いたします。お嬢様はこれより教室へ向かわれるところですので」
俺が穏やかな声で制止すると、アリスは「えっ?」と不満そうに口を尖らせた。
「なによ、ちょっと挨拶くらい……あ、でもそうか。貴族階級の壁ってやつね」
アリスは何かを納得したように頷き、俺越しにセリアを見つめた。
「セリア様! 私、身分は低いですけど、絶対にセリア様とも仲良くなりたいんです! これからよろしくお願いしますねっ(チラッ)」
彼女はセリアに向かってウィンクをし、意味深にレオンの方をチラリと見た。
まるで、「私が王太子殿下と仲良くしているのを見て、嫉妬して怒りなさいよ」とでも言わんばかりの、あからさまな態度だった。
「……? ええ、アリス様。同じ学園の生徒同士、こちらこそよろしくお願いいたしますわね」
だが、セリアは嫌味など微塵も感じさせない、心からの優しい微笑みでそれを返した。
嫉妬も怒りもなく、ただ上品に挨拶を返されたアリスは、拍子抜けしたように目を瞬かせた。
「えっ……あ、うん。よろしく……?」
セリアの完璧な対応に調子を狂わされたのか、アリスはそれ以上何も言えず、逃げるように自分の教室の方へと去っていった。
その背中を見送りながら、俺の内側にあった違和感は、確信に近い疑念へと変わっていく。
(なんだあいつ。まるで、乙女ゲームのヒロインみたいな『テンプレムーブ』だったぞ)
ダークファンタジーである『ルミナス・ナイツ』の世界観には、あんな底抜けに明るいラブコメのような空気は存在しない。
俺は周囲に気づかれないよう、風魔法で微細な空気の振動(音)を拾い上げる『集音』の術式を展開し、廊下の奥を歩いていくアリスの独り言を探った。
『……あれー? おかしいな。ここって、レオン様の胸にぶつかる出会いのスチルイベントの直後に、悪役令嬢のセリアが「殿下に気安く触れるな」って嫌味を言ってくるイベントの回収ポイントだよね? なんでセリア、普通に挨拶返してきたの?』
その声を聞いた瞬間。
俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。
(……『スチルイベント』? 『回収ポイント』だと?)
そんなメタ的な単語、この世界の人間が知るはずがない。
アリスのステータス自体は、ゲームで設定された通りの「光魔法持ちの男爵令嬢」だった。しかし、その中に入っている『魂』の性格や思考回路は、俺が設定したものとは明らかに異なっている。
答えは一つしかない。
(こいつ……この世界の人間じゃない。俺と同じ、前世の記憶を持つ『プレイヤー』か……!)
俺はハッと息を呑み、歩き去っていくアリスの背中を鋭く見据えた。
ゲームの世界に転生したのは、モブである俺だけではなかったのだ。
あのアリスの中に入っているのは、おそらく『ルミナス・ナイツ』を乙女ゲームとしてプレイしていた現代の人間。
しかも、彼女の独り言から察するに、彼女が知っているのは「恋愛イベント」や「悪役令嬢の断罪」といった表面的な知識だけであり、このゲームが過酷なダークファンタジーであることや、ローズグレイ家が抱えていた瘴気の裏設定などには全く気づいていない可能性が高い。
「……ルーク? どうしたの、難しい顔をして」
セリアが不思議そうに俺の袖を引いた。
俺はすぐにいつもの従者の顔に戻り、首を振った。
「いえ、何でもありません。それより、次の教室へ急ぎましょう」
「ええ、そうね」
俺はセリアの背中を守るように歩きながら、頭の中で急速に状況を整理し始めていた。
転生プレイヤーであるヒロイン。
もし彼女が、ゲームの知識を使って「逆ハーレム」や「セリアの断罪」といったイベントを強引に起こそうとするなら、それは俺たちにとって明確な脅威となる。
主人公がこれからどう動くのか。
俺は警戒を最大に引き上げ、静かに学園での日々を歩み始めた。




