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他 一方、その時の彼等は・2

 ◆



 さて、リベル・アト・レスタギリアはこうしてまんまとリダージュ王国を飛び出していった訳であるが、彼女が原因となった騒動は、実はこの逃走劇に限らなかったりする。



「とんでもねえ客が来たもんだ……」


 リダージュ王都の下町最大規模の傭兵ギルドの親方、兼その活動拠点『黒鷲の尾羽根亭』の主人である老傭兵ブラギムは、淡い金髪が完全に店の出口の向こうへと消え、引き返して来ない事を確信してから、やっとそんな呟きを落とした。


 常の賑やかさを忘れたように静まり返っていた店内に、その声は随分はっきりと響き渡る。

 一階の酒場の席は殆ど埋まっているにも拘らずこの静けさでは、葬式でもやっていると勘違いされそうだ。


 そう考えたブラギムは一つ溜息を吐くと、「おい。大型収入のボーナスだ、エール出してやる」とそのダミ声を震わせた。

 途端、息をすることを思い出したかのように、わっと店内が盛り上がる。

 現金な奴らだ、とブラギムは再度溜息を吐き、それから従業員の少年達にエールのジョッキを配るよう声を掛けた。


「……なあ、ヒュージのやつまだ魂抜けてるみたいだぞ」

「起こすか?」

「放っといてやれ。ヒュージの奴はギルド運営側だし、どうせエールは無え」

「しかし、あのヒュージがここまでになるとはねぇ」


 そんな中、ただ一人燃え尽きた殻のようになったままの者に、お調子者の傭兵達がすぐに群がり始める。

 ギルドの依頼受付のような接客から事務処理、金銭管理までを一手に引き受けている屋台骨、ヒュージ。

 彼はこれまでどんな無作法なゴロツキが来ようが金にがめついオバサンが来ようが、まるで自律人形(オートマタ)のように一切の同様無く処理し続けてきた、ある意味での強者だ。

 それが今やカウンターに突っ伏したまま、動力切れのように動かなくなっているのである。


「いやー、アレはしょうがないだろ。俺だってド肝抜かれて、こりゃ現実でなくて夢かなと思ったし」

「ああ。いや、どっちかって言うと夢というか、夢がぶっ壊されたというか、悪夢っていうか」

「白昼夢だろ」

「違いねえ」


 傭兵達はゲラゲラと笑い合って、配られたエールのジョッキをガンと合わせた。


「まさか貴族のお嬢さんにあんなのが居たなんて、誰も夢にも思っちゃ居なかったよなあ?」


 そうして、つい先程この店で起こった、彼等曰くの白昼夢の話を酒の肴にし始めた。


 傭兵稼業というものは、良くも悪くも非日常的で信じられないような状況に遭遇しやすいものだ。

 そんな出来事を飲み込んでどうにか消化して、彼等は日々次の仕事を熟していく。

 そして、さっさと腹へと収めてしまうには、酒の肴にするのが最も手っ取り早い。



 珍しい客……というより、あまり歓迎出来ない客が来た。


 店の扉を開いた人物を確認した傭兵達は、そう心の中で声を揃えた。

 入って来たのは、住む世界が違うとしか言えないような微笑みを浮かべ、下町には存在しない鮮やかな色のドレスを纏った少女──疑いようも無い、貴族の令嬢だった。

 女は誰かの所有物だ。未婚なら父親や兄の、既婚ならば夫のものであり、下手を打つとその所有者との諍いに発展する。その相手が貴族となると、関わりあいにすらなりたくない相手だった。


 とはいえ、相手は箱入りの小娘。少し脅かせばすぐに逃げていくだろう。

 そう考えた傭兵達は、黙して彼女を睨みつける。


 だが、そこで既に予想が狂った。

 少女は物怖じした様子もなく、店の中へと踏み込んだのだ。


「こんな所に何の御用です、お嬢さん?」


 ギルドから不穏要素を遠ざけるべく、はっきりと動いたのはヒュージだった。

 カウンター越しに立ち上がり、冷えた声色で牽制の一言を放つ。


「お転婆が過ぎてお守りと逸れちまったのかよ、あん? 悪いがここにはあんたみたいな、お綺麗な貴族の嬢ちゃんの面倒見れるような品のある奴は居やしねえぜ」


 更にブラギムまでもが口を開いた。わざと囃し立てるかのような文句にドスを聞かせたその声は完全に傭兵達の中で交わされるような威嚇のそれであり、ちょっと脅かしすぎじゃねぇのか、と何人かの傭兵は心配になったりした。


 ところが、である。


「依頼があって来たんだよ」


 薄く色づいた少女の唇から、傭兵達の思惑を嗤ったような調子で、あまりにも雑にそんな言葉が飛び出した。

 そうして彼女の口の端が、悪童のように釣り上がったのが始まりだった。


 たったその一言、たったその表情の変化。

 それだけで、『黒鷲の尾羽根亭』の中の空気は少女の手の内へと収まってしまったのだ。


「……依頼? あなたが?」

「そ。流石に道案内が必要でさ。──私は『リベル』。外国への護衛含む諸々の手配を頼みたい。あぁ、亡命でも夜逃げでもないから、安心してくれよ?」


 見せつけるように金貨が一枚、彼女の指で弾き上げられる。

 カウンターのヒュージに向かって飛んだそれに、傭兵達の視線は為す術も無く釘付けにされた。下町では殆ど目にもしないような大金をぽんと放り投げられれば、傭兵達は目の色を変えてゴクリと生唾を飲むしかない。


「受ける気ねえなら、他所に行ってもいいけどさあ──前金で金貨十枚。内容は見ての通りのボンボンの小娘一人の、ナザレグ帝都までのお守り。三食の飯と道中の宿つきだぜ?」


(──こりゃあ、まいった)


 ブラギムは内心で頭を抱えた。客を見損なった(・・・・・)自分の不甲斐なさに、だ。


(行儀の良い方だとはいえ、うちの傭兵達を黙らせ捩じ伏せる事が出来るほど場の支配力を持ったようなヤツが、大人しく誰かの支配下に収まっているような、箱入り貴族のお嬢さんな訳があるか)


 極稀な事ではあるが、魔術師などが着飾らせれて貴族に社交界を連れ歩かれる事があるという話は聞き覚えがある。

 おそらくその部類なのだろう、とブラギムは納得し、無意識に安堵の息を吐いた。

 これほど若いのに貴族の伴のできる魔術師で、その上あのナザレグ帝国の人間だと言うなら、金を持っていつつ浮世離れしていてもおかしくない。こんな振る舞い方をする貴族の令嬢なんて得体の知れないものが存在していると考えるよりずっと自然でまともだ。


「……この金貨は? なんのおつもりです?」

「迷惑料。場違いだって自覚はあるんだ、一応ね」


 悪戯が成功した子供のように、少女の声が愉しげに弾む。


「……こりゃあ、とんだじゃじゃ馬が来たもんだぜ。なあ、ヒュージ」


 話を聞かせて貰え、と言外にヒュージに伝えるよう、ブラギムは座っていたカウンター席を空け、その隣の椅子へと移る。


「どうぞ、座って。依頼について詳しく話してくれないか」


 ヒュージはブラギムにだけ分かるように小さく頷くと、先程からの態度とは一変、いつも通りの調子に切り替えた。

 依頼人の少女はにっこりと笑い、言われた通りに席に着く。


 ほぅ、と微かな吐息があちこちで幾つも漏れた。

 張り詰めていた緊張が、やっと緩む感覚。


 少女とヒュージの会話は何一つ拗れず流れるように進んだ。

 依頼人が金に糸目を付けないというのもあるが、何より、ギルドが依頼人に理解して貰う必要のある諸条件の呑み込みが異様に早いからだ。

 粗雑な口調からは予想していなかったが、相当高度な教養を身に着けているらしい──とブラギムが感心しながら眺めているだけで、彼女の依頼はトントン拍子に契約締結まで進んだ。


「契約内容はこれでいいな。それじゃ、一応身元の証明って事で、旅券を確認させてくれるか?」


 ところがである。


「……旅券? って何?」


 その爆弾は、最後の最後で落とされた。──やっと店内が完全な安堵に浸されようとした矢先に放たれたその一言で、空気が再びピシリと音を立てる勢いで固まる。


「……旅券を持っていない?」

「えっと……それって、国外とか街の外から来た人の身分証って認識で合ってる?」

「ああ、それだ」

「え、持ってないよ。国外に出るのは初めてだし」

「は?」

「でも身分証ならあるぜ。はい、これ」


 そう言って、少女は右手の甲をトントンと叩いた。すると一瞬だけ、そこに魔術紋が浮かび上がる。

 店内で突然魔術を発動させた事に、反射的に傭兵達が腰を浮かせるより早く、紫を帯びた魔法光と共に一通の紙がヒュージの眼前の虚空からストンと落ちた。

 少女はそれを掴まえてヒュージへと差し出すと、声を潜めて一言添える。──残念ながら、傭兵達には丸聞こえだったが。


「大事に扱ってくれよな、国王陛下直筆だ。偽造不可能な魔法制御の印章付き……一番信頼性のある書類だろう?」

「こっ……!?」


 思わずヒュージが絶句する。彼は応対中、すっかり彼女を貴族ではないと認識して、そういう扱いをしていたのだ。


「き……っ、貴族、の方、だった……のですか?」

「生まれも育ちも貴族街、正真正銘貴族の一員だ。騙りじゃないよ? まあ、これ見れば分かるっしょ」


 そう言ってポイと投げ渡されたその紙に、ヒュージはギョッとして両手を差し出して、何とか落とさず受け止めた。

 その突っ伏したままの姿勢で「こっ、こっ……!」と言葉にならない声を上げて口をパクパクさせる彼を、少女は「ニワトリの真似?」とからかう。


「……〜〜っ、なんて貴重なものを軽々しく扱うんだ!? ……じゃない、扱うんですか!?」

「落ち着けって。盗難も破損も対策済みだからヘーキヘーキ」


 それよりさっさと確認しろって、と促され、恐る恐るその紙を覗き込んだヒュージは、今度こそふらりと目眩を感じた。


「おっ、王室直属の外遊官、リベル・アト・レスタギリア男爵…………!?」


 小声で叫んで、何度も身分証と私とを行き来させられる彼の視線に、少女はここで初めて貴族らしく、努めて上品ににっこりと微笑む。

 艶やかで、華の咲くような、けれど気品のある笑顔──彼女が物心ついた時には既に既にそれこそが『笑顔』だと教え込まれていた、十七年モノの技術である。


「そ。よろしくぅ!」


 しかしその笑顔の主から繰り出されるのは、やはりおぞましい程のギャップを感じさせる、いっそ晴れ晴れしいほど雑な口調で。


 ──真っ白な頭で何とか最後まで契約の締結を終わらせたヒュージは、そのまま口から空へと魂を飛ばしたまま、今に至るという訳である。





「おーい? どうしたよネッド?」


 そしてここにももう一人。

 国境門を潜り抜けて緊張の糸が切れた途端、発覚した護衛対象のとんでもない正体に魂を飛ばし、地面に突っ伏す傭兵が居た。


「公爵令嬢……こんなのがうちの国のお姫様……やっぱり信じられねェ、信じたくねェ。嘘だろ…………?」

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