第一話 異世界への転職
夜の工場は、昼間よりも音がよく響く。
人の声も、インパクトドライバーの打撃音も、ホイストクレーンの駆動音も消え、工場の片隅に残っているのは、設備の警報音と制御盤のファンの音だけだった。
アベは書きかけの回路を保存すると、設備に繋いだノートパソコンをそっと閉じた。
「……はぁ、とりあえず一旦休憩するか」
「待ってました!」
若手機械設計のイズミは、手に持った六角レンチでボルトを締めながら返事をする。
現場用の作業着姿でも妙に爽やかな後輩だが、本人に言えば絶対に調子に乗るので、アベは口にしたことがない。
二人は工場内の自販機に向かう。
時刻はすでに二十二時を回っていた。
「先輩、設計ってもっと涼しい部屋でパソコン触る仕事だと思うんすけど」
イズミがエナジードリンクの缶を開けながら言った。
「俺もそう思っていた時期はあったんだけどな。お前も俺みたいに四十歳にもなれば自然とあきらめがつくぞ」
アベはそう言うと、手に持ったコーヒーを口に運んだ。
「俺、まだ二十五っすよ?当分先の話じゃないっすか」
本来、アベは制御設計、イズミは機械設計だ。
人手不足の現場では、設計者だからといって机の前だけにいられるわけではない。
新しい設備の立ち上げも、現地の改造工事も、結局は図面を書いた本人が呼ばれる。
「いや、でも毎日こんな遅くまで仕事して、奥さん怒らないんすか?」
アベはぼんやりと考えた。
毎日こんな時間まで仕事をしていれば、帰ったところで妻と二人の娘はとっくに寝ている。
朝も子どもが起きる前に出社しているので、ほとんど顔を合わせることすらできない。
「怒られないけどな、『会社辞めたら?』とはよく言われる」
「うわ、結構重いっすね……ってまさか、やめようとか考えてます?」
「そうだな、まぁ今すぐにってわけでもないけど、転職もありかなとは……な」
「いやいや、先輩いなくなったら俺困るんですけど」
「なんでだよ。俺はお前の直属の上司じゃないんだからな?」
「まぁそれはそうっすけど……」
そうイズミがつぶやくと、二人の間に沈黙が流れる。
「……でも実際、なかなかいい求人がないんだよな。家族との時間は増やしたいけど、年収は落とせない。住宅ローンもあるし」
「確かにそういうの大事っすもんね」
「転職サイトにはいくつか登録してるけど、来るのはほとんどテンプレスカウトばっかり」
「あなたのご経歴を拝見しましたって書きながら、キーワード検索で一斉送信してるようなやつっすか?」
「そうそう。ただ一件だけ、気になってるスカウトメッセージが来ててさ」
「え、どんな内容なんすか?」
「I WORLDってエージェント会社からのメッセージなんだけど」
「アイワールド?聞いたことないですね。大手じゃなくて、地方系のエージェント会社ですかね?」
アベは作業着の胸ポケットからスマートフォンを取り出し、数日前に届いたスカウトメッセージの画面を開いた。
件名は、こうだった。
『【スカウト】貴方様のご経歴を拝見いたしました。高度なスキルを新たな環境で活かしてみませんか?』
差出人名は、I WORLDの転職エージェント。
イズミが横から覗き込む。
「うわ、ちゃんとスカウトメッセージっぽいっすね」
本文には、国内外での設備立ち上げ、既存設備の改造、不具合対応、マネジメント経験まで、アベの経歴が妙に詳しく書かれていた。
とてもテンプレートを送りつけただけには見えなかった。
「お~先輩の経歴めちゃくちゃしっかり読んでるじゃないっすか」
「そうなんだよ。でも、このエージェントが持ってきた求人は非公開求人みたいだから、企業名とかもよく分からないんだけどな」
アベは求人の詳細画面を開きながらそう言った。
中身には職種・仕事内容・求める能力や経験などが書いてある。
『制御設計担当と機械設計担当の二名体制で、現地作業者と連携しながら、工程改善、手順化、安全条件の整理を行っていただきます』
『海外勤務あり。勤務地や年収等の詳細は面談時にご説明いたします』
イズミが笑った。
「先輩への求人なのに制御と機械の二名体制って書いてありますね。完全に俺ら向けじゃないっすか」
「なんでお前が入るんだよ」
「だって機械設計担当って書いてありますし、なんかの縁じゃないですかね?俺も応募しちゃおっかな~みたいな」
「なんだそれ」
待遇も勤務地も曖昧で、普通ならその時点で候補から外すのだが、テンプレスカウトに嫌気がさしていたのも事実だった。
「まぁあれだ。とりあえず話を聞くだけなら、とは思ってる」
「そうっすね、話聞くだけならタダですもんね」
「そうだな」
イズミの言葉にアベは苦笑し、返信欄を開いた。
『ご連絡ありがとうございます。ご提案内容について、一度詳細をお伺いできればと思います。よろしくお願いいたします』
送信ボタンを押す直前、妻と二人の娘の顔が浮かんだ。
生活の質を落とさずに今より早く帰れる日が増えるなら。せめて、娘が寝る前に帰れる日が、もう少し増えるなら。
正直怪しいし、不安がないわけでもない。
アベは中指で眼鏡の真ん中を押し上げ、送信ボタンを押した。
「先輩?……あっ!マジで送ったんすか?」
「うん、マジで送った」
その瞬間、スマートフォンの着信音が鳴った。
『ご応募ありがとうございます。つきましてはただいまより面談を開始いたします』
アベとイズミはスマートフォンの画面を見てから顔を見合わせた。
「……え?こんな時間に?」
イズミがそうつぶやいた次の瞬間、二人の視界と感覚は完全に消えていた。
さっきまで聞こえていた工場の音も、手に持っていた缶コーヒーの冷たさも、一瞬ですべて途切れた。
◇◇
気が付くと、二人は長机とその正面に二つのパイプ椅子が並べられた部屋に立っていた。
自分たちの会社の会議室ではないことだけは、すぐに理解できた。
アベは反射的に手元と作業着のポケットを確認した。
スマートフォンも、手にしていたはずの缶コーヒーも消えていた。
「……どこだここは?」
アベがつぶやく。
「いやいやいや、なんなんすかこれ」
イズミの顔はわかりやすく焦っていたが、アベは長机の奥にいる一人の人物に目を向けた。
その人物はスーツを着ていたが、顔は仮面で隠されていた。
怪しい。
見るからに怪しいこの人物が、この奇妙な出来事の原因である可能性が高いとアベは思ったが、決めつけるのはまだ早い。
「あの、私たち気づいたらここにいたんですが、何かご存じでしょうか?」
アベは相手の様子を窺いながら、慎重に質問した。
「アベさん、イズミさん。お待ちしておりました。私は、I WORLDの転職エージェントです。そしてここは面談空間です」
そのエージェントと名乗る人物は、妙に落ち着いた声でそう言った。
「面談空間?」
意味が分からない。でも嫌な予感がする。
「それでは面談を開始しますので席にお掛けください」
「……面談?」
アベは心拍数が上がっていくのを感じながら目の前の人物を見た。
「面談ってどういうことなんすか?!」
「イズミ、落ち着け」
「先輩、落ち着いてられないっすよ!俺たちさっきまで工場にいたのに!」
「それはわかる。でもまずは状況確認が先だ」
アベは深呼吸して冷静さを取り戻すことに努めた。
「お二人がここにいる理由は、弊社の求人に応募の意思を示されたからです」
「え?俺、応募なんてしてないっすよ!」
イズミが一歩前に出ながら興奮気味に問いかけた。
「イズミさんがこの場にいる理由ですが、イズミさんは機械設計としての適性があり、かつ今回の求人内容に同意されたためです」
「え?求人内容に同意ってまさか、『応募しちゃおっかな』って冗談で言ったことっすか?」
「その通りです」
「えぇ……マジっすか」
イズミは天を仰ぎ放心状態になっていた。
しかし、そんなイズミをよそに、アベはどうやってこの場を切り抜けるかを必死に考えていた。
「私たちは先ほどまで工場にいたはずですが、なぜこのような面談……空間と呼ばれるところにいるのでしょうか?」
「それは、私がお二人をこの空間に転送したからです。私は、あなた方の世界と、それとは異なる『別の世界』との間で求人マッチングを行っております」
「……別の、世界?」
「はい、そうです。弊社では別の世界の求人に対し、スキルや経験で適性がある方、かつ転職の意思がある方を探しております」
「つまり、適性がある人物にスカウトメッセージを送り、返信した時点で求人への応募意思があるとみなす、と?」
「はい、その通りです。まさか機械設計の方まで一緒に来ていただけると思ってはいませんでしたが」
アベはそこまで聞いて、自分のせいでイズミを巻き込んでしまったと、不用意に怪しいメッセージに返信した自分を恨みながら中指で眼鏡の真ん中を押し上げた。
「……先輩?」
「悪い、俺が返信したせいでお前まで巻き込んだみたいだ」
「いや、先輩は悪くないっす。一番悪いのはエージェントの人っすから。てかそれよりこの展開、なんか見覚えがあるっす」
「見覚えがあるだと?」
「そうなんすよ。この空間と別世界、いわゆるこれって異世界転生とか異世界転移ってやつじゃないっすか?!」
「えっと、それってつまり、漫画やアニメでよくあるやつのことか?」
「そうですそうです。まさにそれっす」
イズミはエージェントの方に向き直った。
「エージェントさん、これって異世界転移ってことっすか?……それともまさか異世界転生っすか?」
「昔は神隠しとかいろいろな言われ方をしていましたが、今のあなた方の時代で言えば『異世界転移』という認識で差し支えありません」
その回答にほっとするイズミを見て、アベはイズミのこの質問に疑問が浮かんだ。
「転移と転生ってそんな重要なことか?」
イズミは「マジっすか?」と言いたげな顔でアベを見た。
「転移は今の姿のまま異世界に行くことっす。でも転生は、一回死んで別の世界に生まれ変わるってことなんすよ!」
アベはそれを聞いて血の気が引いた。
考えてもいなかった。
すでに自分たちが死んでしまっていたかもしれないということに。
それと同時に最も確認しなければならないことを思い出した。
「あの、私たちは元の場所に帰ることはできますか?」
エージェントは、すぐに答えた。
「もちろんです。現地求人の業務が完了したら元の世界に帰ることができます」
帰る手段が完全に閉ざされているわけではない。そのことに、アベはひとまず胸をなで下ろした。
それからアベとイズミは、異世界での仕事について思いつく限りの質問をした。
どんな場所なのか、そこには人が住んでいるのか、危険ではないのか、どれくらいの期間行かなければならないのか、生活の保障はあるのか、業務完了とは誰が判断してくれるのか、など。
しかしエージェントからの回答は『現時点ではお答えできません』ばかりであった。
「結局、俺たちと同じ人間がいるってこと以外、ほとんど何も分からないな」
「弊社は求人マッチングのみを担当しております。雇用条件や現地事情は、勤務先でご確認ください」
「いや、私たちには元の世界に家族がいるんです。何も言わずにわけもわからない異世界などというところに転移させられる気持ちがわかりますか?あまりにも無責任すぎるでしょ」
アベはエージェントの対応に苛立ちを覚え始めていた。
「エージェントさん、異世界に行ったら元の世界とは連絡ってとれないっすか?」
イズミが唐突に質問した。
「残念ながら連絡手段はありません。あなた方をこの空間に転送する際、通信デバイスは元の場所に置いてきてあります。転移先に別世界の異物を持ち込むことはできませんし、そもそも持って行ったところで繋がりません」
「ではエージェントさんのスカウトメッセージを先輩の奥さん宛てに送信することは?」
エージェントは少し考えながら答えた。
「……そうですね、スカウトメッセージを利用した一方的な通知であれば可能です。ただし、本来と異なる用途のため、文字数には制限があります」
「何文字なら送れるんですか?」
アベは即座に質問した。
「五十文字が限界です」
「五十文字ですか……わかりました。メッセージを考えます」
妻と二人の娘の顔が浮かぶ。
本当なら今頃家に帰って寝顔を見ていたかもしれない。
起きている時間に帰れなくてもアベにとってはそれなりに幸せな毎日だった。
そんな家族を安心させてあげるにはどうしたらいいか。
「決めました」
「では奥様に送るメッセージの内容をどうぞ」
「いきなりいなくなってごめん 仕事の関係でしばらく帰れない でも必ず帰る 娘たちのことを頼む」
妻なら、これを見ただけで気づいてくれるだろうか。
娘は突然いなくなった父親のことをどう思うだろうか。考えてもしょうがない……けど、生きていること、いつか帰ることだけは伝えたかった。
「あ!ちゃんと、件名に先輩の名前も入れておいてくださいね」
「承知しました」
エージェントがうなずく。
「イズミ、ありがとな」
「いいんすよ。それより、異世界転移なら転移ボーナスとかありますかね?」
アベは思わずイズミを見た。
「お前何言ってんの?」
「いや、もうここまで来たら腹くくるしかないかなと。そう思ったらお決まりのパターンは確認しとかないとじゃないですか。様式美ってやつっすね」
イズミは妙に真剣だった。
「全属性魔法適性とか、剣聖スキルとか、……まさか勇者になっちゃったりとか?」
「いやいや、俺たち制御設計と機械設計で呼ばれてるんだぞ?」
「あ、そうっすね。だったら何がいいっすかね?創造魔法とかクラフト系のチートスキルとかあれば無双し放題っすよ!」
「まぁ業務上必要だと思うなら聞いてくれ……」
呆れ気味のアベをよそに、イズミはエージェントへ向き直った。
「もちろん転移ボーナスありますよね?」
「転移ボーナスとは入社祝い金のことですか?ですから雇用条件に関することは……」
「またまたぁ~そうじゃなくて、チートスキルとかもらえるんすよね?」
「私からあなた方にお渡しできるものは特にございません」
「え?!」
イズミの顔がみるみる曇っていく。
「スキルが無理ってことっすか?じゃあ、すっごいレアな装備をもらえるとかは」
「服装はそのままの状態で転送されます」
「じゃあじゃあ、女神さまが一緒についてきてくれるとかは」
「女神さまが下界に降り立つことは決してありません」
「いや、だったらせめてCADソフトの入ったノートPCは」
「異物の持ち込み禁止です」
「終わった……」
イズミは分かりやすく肩を落とした。
「異世界転移なのに特典なしとか、いきなりハードモードっすか……男のロマンがぁ……」
アベは思わず笑った。上がっていた心拍数も今は落ち着いている。
状況は何も変わっていないし、これからのことを考えると不安で仕方がない。
それでも、イズミが真顔で転移ボーナスについてエージェントとやり取りする姿を見ているうちに、張り詰めていた緊張が緩んできているのがわかった。
こうなってしまった以上、分からないことを一つずつ確認していくしかない。
それは、元の世界での仕事と同じだった。
「それではまもなく、お二人を初期転送先である人族領のとある王国へ転送しますが、よろしいですか?」
少なくとも、この場に留まり続けていても元の世界には帰れそうにない。帰るためには、現地へ行って課せられた仕事を終わらせるしかなさそうだった。
「……このまま考えていてもしょうがないか」
「そっすね!じゃあ……」
「「お願いします」」
アベとイズミは声を合わせて答えた。
その返事を聞くや否や二人の足元に大きな模様が現れ、その線が淡く光り始めた。
「先輩、俺が今の会社にいる理由って、半分くらい先輩なんすよ」
「お前、こんな状況でそれ言う?」
「人生初の異世界転移なんで、ちょうどいいかなって」
「まぁ……俺も一緒に行くのがお前でよかったよ」
アベは、イズミに聞こえないようにつぶやいた。
「え?先輩なんか言いました?」
「いや、なにも言ってない。じゃあ行くか、イズミ!」
「はい、先輩!」
エージェントの声が響く。
「王国への転送を開始します」
この空間に転送されたときと同じように、視界と感覚は消えていく。
こうして二人は、転職するために異世界へと飛ばされることになった。




