↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
12/19

アディショナルタイム第1節(前編:星輝く戦女神たちの朝)

朝。

ベッドの上で目覚めた蓮がランニング前にまずやることは、

ソシャゲのデイリー消化だった。

ガチャコインの回収、サポートカードの強化。

対戦や育成は登校中にこなすのがいつもの流れで、

朝はあくまで準備だけ——のつもりだった。

(今日、浜アリの抽選結果か……いや、当たらんって)

心の中で自虐を言いつつため息をつきながら、メール欄を開くと

瞬間、画面が弾けたような件名を見つける。

『【当選通知】

 シンデレラ・バスター:レ・エトワール

 World Tour Final リアルイベント参加権』

「……は?」

寝起きの脳がフリーズする。

五度見しても、消えない。


同じ頃。

西村 美鈴は、自分の部屋でスマホを握りしめていた。

画面には、一通のメール。

『【当選】

 篠原 奏 クラリネットリサイタル

 Final Concert ――さよなら、白鍵の夜』

「……うそ」

声が出なかった。

篠原奏は、美鈴が中学の頃から追いかけてきた奏者だ。

表現力が唯一無二と言われ、コンクールの審査員さえ絶賛し

チケットは争奪戦になるほど高い倍率だった。

その篠原奏が今年度限りで引退する。

そのラストコンサートに——当たった。

「美鈴ー! 起きてるー?」

廊下から母の声。

「……おきてる」と大声で返す

なのに、どうして。

画面を見つめながら、美鈴は胸の奥にある小さな引っかかりに気づいていた。

(嬉しい。嬉しいはずなのに)

なんか、ざわざわする。


「え、え、えっっ!? 当たった!? 嘘やろ……!!」

ベッドの中で跳ねすぎて毛布が吹っ飛んだ。

念のため特設ページにアクセスして確認する。

「親子枠」は落選。

「一般枠(fanetプレミアムメンバー)」は——当選。

確かに刻まれている。

“推し声優の生アフレコ”

“凱旋ライブ”

“限定ストーリー朗読”

海外勢が血眼で狙っていたイベント。

“日本の一般人は抽選すら通らない”とネタにされていた、あの浜アリファイナルに。

心臓が痛いほどバクバクする。

「れーーーーん!! ちょっと来てみろぉぉぉ!!」

廊下から父の声。

テンションが高い。

(あ……嫌な予感が)


「美鈴、どうしたの?ぼーっとして」

母がトーストを置きながら覗き込んでくる。

美鈴はスマホを見せた。

「コンサート、当たった」

「えっ! 篠原さんの? すごい!!」

母の声が弾む。

「いいやん! 行っておいで!」

「……うん」

美鈴は笑った。

笑ったのに——

(なんでやろ。胸ん中が……ざわざわする)

トーストに手をのばしながら、その感覚の正体がわからないまま。

外は、穏やかな春の朝だった。


「見ろ蓮!! ほらッ! 俺も結果きたぞ!!」

父が台所でスマホを掲げていた。

父もこのソシャゲのガチ勢だ。

深夜に二人で周回したことも、

オデッサの生配信は仮病を使って一緒に見たのも——楽しい思い出だ。

(やべぇ……)

父の画面に表示されているのは。

『【落選のお知らせ】』

父はまだ気づいていない。

「蓮、お前はどうだった!? 親子で行けたら最高じゃ――」

気まずそうな蓮の顔を見て、父は視線をスマホ画面に落とした。

特設サイトが、開いたままだった。

逃げ場が消えた。

「あ、あー……その……」

蓮は意を決してスマホを向けた。

『【当選】

 一般抽選枠(fanetプレミアムメンバー)』

父は固まった。

三秒……いや五秒……

「………………………………マ、マジかぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

盛大に崩れ落ちた。

(ごめん父さん!! いやほんとごめん!!)

気まずさ、申し訳なさ、でも——

胸の奥がジンと熱くなるくらい、嬉しい。

(行きたい……! でも……どうしよ……)

蓮の朝は、“人生最大級の幸運”と”言いしれない気まずさ”の両方を抱えて始まった。


同じ朝の登校中。

美鈴はまだ、あの胸のざわざわの正体を知らない。

それが”誰かのことを想っている”ということに——

まだ、気づいていない。


————


ホームルーム前の教室は、妙に騒がしかった。


以前なら、こうはいかなかった。

オタクはオタクの隅で、陽キャは陽キャの固まりで——

それぞれ静かに住み分けていたのに。


冬休み前に「地位協定」こと「イケメン・オタク地位協定」が無期限停止になってから、

この教室は少しだけ変わった。


壁が消えた、というより。

壁があったことを、みんなが少しずつ忘れ始めている。


そんな明るい教室にただひとつだけ、ぽっかりと空いている席があった。

玲央の席だ。


誰もそこには触れなかった。


「見てくれよこれ!!」


オタ友の丸山が、スマホを突き出してくる。


画面には、見覚えのあるガチャ演出。

淡く輝くカード。


(……あれ)


蓮は目を細めた。


「それ……リアイベ当選者限定キャラじゃん」

「そう!! シリアルコード入れたら出た!!」


丸山の声に、周りが集まってくる。


「マジで?」

「倍率えぐいのに?」

「いいなー」


蓮はそれを横目に、スマホをポケットに突っ込んだ。


(……言わなくていいかもな)


父と応募して、自分だけ当たったなんて。

しかも昨日の夜、同じシリアルコードが自分にも静かに届いていた。


「野中は? 応募したんじゃなかったけ?」


丸山が振り向く。


「落ちた」


即答した。


嘘をついた感覚は薄い。

「「親子枠」は落ちた」というのは事実だから。


「だよなー、倍率えぐいもんな」

「海外勢も半端ないと聞いたよ」


話題はそのまま流れていく。


(助かった)


そのとき。


「……ちょっと待って」


別のオタ友、佐野が眉をひそめた。


「野中……フレンド一覧のキャラ編成、リアイベ限定入ってるんだけど」


迂闊だった。育成するたびに日頃自動編成を組んでいたことが、仇となった。


一拍。


蓮は目をそらした。


「「「 おい 」」」


三人が同時に叫ぶ。


「当たってんじゃねーか!!」

「嘘ついたぞこいつ!!」

「そういえば前に親子枠応募したって言ってた気が…」

「まさか…一般枠は!?」


蓮は肩をすくめた。


「……当たりました」


「「「 なんで黙ってんだ!! 」」」


笑い声が広がる。

羨望と恨みと、それでも笑いに変わるような。


地位協定が動いていた頃には、こういう盛り上がりはなかった。


(バレてしまったけど……一緒に笑うの、久しぶりだな)


蓮がそう思いかけた、ちょうどその時だった。


教室の扉が、静かに開いた。


一人の女子生徒が教室に立つ

整った顔立ちで、シワひとつない制服

そして腕に巻かれている見慣れたワッペン


SS——学園警務隊。


教室の空気が、一瞬で変わる。


ざわ……


「失礼します。野中蓮さんはいますか」


笑い声が止まった。


丸山が小声で言う。


「……なにかやらかした?」


蓮は即答した。


「いや、全然」


蓮は慌てて手を挙げる。


「はい、俺ですけど……」


SS隊員は近づくと、

丁寧に白い封筒を差し出した。


「生徒会長・倉原ともみ様より。

 本日の放課後、生徒会室にお越しください。」


そう言い残し、彼女はその場を去った。


「え、えぇ……なんで……?」


クラス中がどよめく。


「アプリあんのに、生徒会長直々!?」

「特別参与制度か?」

「いや蓮くんそんな……何で!?」

「東條くんの替え…にしては不可解かな…?」


蓮の頭の中はさらに混乱しながら座り

渡されたものを眺める。


厚めの、しっかりした封筒。

表には一言。


*生徒会 倉原ともみ*


蓮は封を切った。


手書き。

丁寧な、しかし妙に圧のある文字で。


野中蓮くんへ


放課後、生徒会室まで来てください。

「特別参与制度」についてお話があります。


           生徒会長 倉原ともみ


そして最後の一行。

少しだけ文字が小さくなっていた。


---P.S. ――シンデレラ・バスター、リアルイベント。私も当選しました。---


蓮とオタ友三人が、同時に顔を上げた。


「「「「 !? 」」」」


教室が、再びざわめいた。


この日、校内SNSでは——「生徒会長はシンバズガチ勢」と「リアイベ当選」がトレンド入りしていた。


——

その日の授業とホームルームが終わり、蓮が掃除道具を片付け終えると

蓮の机に戻り、再び封筒を手に取る。


(“特別参与制度について”……って、なんなんだよこれ……

 俺、そんな立派なもんじゃないっての)


生徒会長・倉原ともみからの直筆メッセージ。

そして追伸の「リアルイベント。私も当選しました」――。


(あれは……なんなんだよホント)


深いため息が漏れた。


「……野中くん?」


声のした方向へ振り返る。


美鈴が扉からそっと現れた。


「あ、西村さん……」


彼女は、いつもの落ち着いた表情に見えて、

どこか視線の置き場を迷っていた。


「生徒会室に呼ばれたって……聞いたから。

 その……大丈夫?」


「いや……大丈夫じゃない。

 なんで俺なんだって気持ちが九割ぐらい」


蓮が苦笑すると、美鈴も少しだけ笑った。


でも、その笑顔の奥に、

さっき教室で見せた“ざわつき”がまだ残っているように見えた。


(……なんか、気になって仕方ない)


美鈴は続ける。


「でも……野中くんに声が掛かるのは、きっと理由があるんだと思う。

 野中くんなら、きっと大丈夫だよ」


静かで優しい声。

その言葉は、蓮の胸にじんわり染みた。


「……ありがとうございます。西村さん」

「そんな……敬語じゃなくてもいいのに」


(なんだよ、こんなの……

 緊張してたのがちょっとだけ軽くなるじゃないか)


美鈴は首を振る。


「私は……ただ、野中くんが大丈夫ならそれでいいから。

 ……行ってきて」


まるで“送り出す”ような言い方だった。


蓮はほんの少しだけ照れながら、ドアへと手を伸ばす。


「じゃ、行ってくる」


「うん。……頑張って」


美鈴は立ち止まったまま、

蓮の背中が生徒会室のある方向へ消えるのを見送った。


ドアが閉まった瞬間、

美鈴は胸の前でそっと手を握った。


(……どうしてなんだろう。

 こんなに胸が……苦しいみたいに、ざわざわするの)


理由はまだ分からない。

でも、目の奥がほんの少しだけ熱い。


美鈴は、ゆっくり息を吐いた。


「……蓮くん」


その小さな呼び声は、誰の耳にも届かない。


ただ夕焼けだけが、美鈴の横顔を優しく照らしていた。


——


放課後の廊下は、帰宅する生徒の流れと逆方向だった。

蓮は封筒をポケットに押し込んだまま、生徒会室の前に立った。

ノックする前に、中から声がした。


「どうぞ」


蓮はドアを開けた。


窓際の席に、倉原ともみ。

その斜め前に、山本結衣。

ともみは書類から目を上げた。


どちらも制服の袖をきちんと通し、

机には整理された書類が積まれている。

「仕事のできる上級生」のオーラがすごい。


蓮は一瞬で背筋が伸びた。


「ど、どうも……失礼します」


一拍だけ——間があった。


「来てくれてありがとう。誰も来ないから、

適当なところに座って」


「はい」


蓮は向かいの椅子に向かう。


結衣が軽く手を上げた。


「二人でお話し以来かな。久しぶりだねー」


「……お久しぶりです」


「敬語はいいって。どうせたくさん話すんだから」

「な、なんですかその言い方……」


「別に? 前からちょっと気になってただけー」


(こわいこわいこわい……!

 なんでそんなに俺を見るんだこの人……)


ともみがくすっと笑う。


「山本さん、あまり脅さないの。

 野中くん、座ってください」


促されて、蓮はおそるおそる席に着く。

気がつけば雑談しながら、3人でお茶菓子をつまんでいた。


蓮は、封筒を取り出し、ともみに尋ねた


「……あの、これ、なんなんですか?」


ともみは真顔に戻って、

資料をゆっくり蓮のほうに向ける。


「単刀直入に言うと、

 あなたに協力してほしいことがあるの」


「……俺に、ですか?」


「はい」


結衣が補足する。


「知ってる通り「イケメン・オタク地位協定」は今“停止中”。

でも"停止"は"撤廃"じゃない。明文化されていないルールが、まだたくさん残ってる

このまま何もしなければ、いずれまた揺り戻しがくるわ。

…要は、「生徒会だけじゃ実態が見えにくいから

オタク側(キミ)から見えてる景色を、直接聞きたい」ってこと」


ともみが続ける。


「強制じゃない。でも引き受けてくれると助かる」


蓮は書類を一枚ずつ確認した。


活動内容、権限の範囲、報告先。

どれも、思ったより穏当な内容だった。


「……SSとの関係はどうなりますか」


「押田さんとは違って、基本的には監視はしない。

でも生徒一人ひとりの安全のために情報は共有され、場合によっては

介入する可能性がある。

それが嫌なら、断っても構わない」


「……わかりました。持ち帰って、考えます」


「ええ。それでいいわ」


そのとき結衣がスマホを見て、軽く立ち上がった。


「あ、ごめん。用事あるから先帰るわー」


「ちょっと」


「大丈夫でしょ、あとは二人で話せば」


ともみが何か言いかけるより早く、結衣はひらひらと手を振って扉を閉めた。


軽い足音が廊下に遠ざかる。


---


室内が静かになった。


ともみは書類を閉じた。


しばらく何も言わなかった。


蓮も黙っていた。


窓の外で、部活の掛け声が遠く聞こえる。


「……P.S.のこと、聞かないの?」


先に口を開いたのは、ともみだった。


「聞こうとしてました」


「そう」


ともみはペンを置いた。


「シンデレラ・バスターシリーズ、三年前から追いかけてる。

浜アリのファイナルの倍率、知ってる?」


「……知ってます」


「当選してるのに、隠してたでしょ」


「……はい」


「一般枠で当選。親子枠は落選」


蓮は少し目を細めた。


「なぜ、それを」


ともみはわずかに視線を逸らした。


「……生徒会には、いろいろ見えるものがあるの。

喜ぶべきか、悲しむべきか…。」


それ以上は、言わなかった。


蓮も、追わなかった。


少しの間があって。


ともみは、書類をトントンと指で叩いた。


「……私も、当選したの」


「え」


「浜アリ。P.S.に書いた通り」


「それは……すごいですね」


「でしょ?倍率知ってるから余計に誰かに教えたくなったけど

トレンド入りされちゃっては、かなりのお誘いのメッセージが来たから

お断りのメッセージを送り続けるハメになったわ…」


蓮は不思議そうに聞いた

「それは、先輩と一緒に行けるなら嬉しいと思ってますけど…どうしてです?」


ともみは少し俯いて、それから顔を上げた。


「……決めてた」


どこか、覚悟を決めたような顔で。


「誰と一緒に行くか。

だから——野中くん。リアイベ、一緒に行きませんか」


蓮は固まった。


「……え」


「同じゲームのファン同士、別々に行くのも変じゃないかと思って」


「それは……その」


「ダメ…かな?」


「ダメでは、ないですけど…異性に誘われたのが

初めてで…」


ともみはじっと蓮を見ていた。


(そうなんだ…)

生徒会長でも、先輩でもなく——

ただ、返事を待っている顔で。


蓮は少し迷って、頷いた。


「……考えておきます」


「さっきと同じ返事ね」


「すみません」


「うん…」


ともみは小さく笑った。

それは、生徒会長の笑い方じゃなかった。


「返事、待ってる」


「はい」


蓮が扉を開けると、廊下の向こうに夕陽が差し込んでいた。


扉が閉まる。


ともみは窓の外をしばらく見つめていた。


(……言えた)


それだけで、今日は十分だった。


————

週末の朝

河川敷の土手


冬の風が芝を揺らし、

川の流れる音が遠くから聞こえる。


ボールが転がる。


トン。


トン。


トン。


「……相変わらずだな」


拓真が苦笑した。

蓮は足元でボールを止める。


「何が?」


「トラップ」


拓真が肩をすくめる。


「部活やめた奴の動きじゃないよそれ。

どっかFCでも行ってるのか。」


蓮は軽く笑った。


「授業でやってるだけ」


「それでコレかよ」


拓真がボールを拾う。


「じゃあ一本」


「どうぞ」


次の瞬間。


拓真が振り抜いた。


ドンッ。


ボールは高く上がり、

河川敷のフェンスを越えていく。


蓮が呆れた顔をする。


「……それ、入れる気ある?」


「ある」


拓真は平然としていた。


「お前が出すパスならな」


「そーですか」


二人は同時に笑った。


しばらくして、

土手に腰を下ろす。


スポーツドリンクのキャップを開ける音。

二人は飲み終えるが、しばらく何も話さない。


やがて拓真が言った。


「そういやさ、蓮」


蓮がボトルを傾ける。


「この前、生徒会に呼ばれてたよな」


「ああ」


蓮は少し考える。


「特別参与って制度、知ってる?」


拓真は即答した。


「玲央がやったヤツでしょ?

未だに何してるか全くわからん」


「だよな」


蓮は苦笑する。


「生徒会とは別枠で、

学園の仕事を手伝う制度らしい」


拓真はボールを足元で転がす。


コロコロと芝を進む。


少しして言った。


「……玲央の時も思ったけどさ」


蓮が顔を向ける。


拓真は川の方を見たまま続ける。


「生徒会とかがやっている、ああいう制度って」


少し間を置く。


「なんか、ろくなこと起きない気がする」


風が吹く。


蓮は小さく笑った。


「俺も同じこと思った」


沈黙。


拓真が聞く。


「で、受けるのか?」


蓮は少し考える。


河川敷にいる人々を追いながら言う。


「……まだ決めてない…けど

押田さんの時代よりマシになったのは確かだから…

少し、信じてみようと思ってる自分もいる。」


拓真はそれ以上聞かなかった。


ボールを拾い、軽く放る。


「まあ…、決めるのはお前だろ」


蓮は少しだけ驚いた顔をする。


拓真は続ける。


「俺は止めない」


少し間を置いて、


「ただ」


ボールを指で回す。


「巻き込まれるなよ」


二人の間に、

玲央の名前は出ない。

でも互いに分かっていた。


しばらくして、拓真が聞く。


「んで、サッカーは?」


蓮は少し空を見た。


見下ろすと辿々しい歩きでボールを追いかける子供と

それをスマホで撮る親が見える。


色んな掛け声が入り混じる河川敷。


昔と変わらない景色。


「好きでも嫌いでもない」


蓮は静かに言う。


「今は…、たまにやるくらいがちょうどいい」


拓真は何も言わなかった。

ただボールを足元に落とす。


(……なら)


小さく蹴る。


(まだ終わってない)


「そうだ」


拓真がふと思い出したように言う。


「この事、涼子に伝えてもいいか?」


蓮が首を傾げる。


「え、なんで?」


「遅かれ早かれ耳に入るだろ」


拓真はボールを転がしながら言う。


「生徒会絡みなら、あいつと顔合わせることもある。

「学生生活ほぼ風紀委員になる」っていき込んでたし」


蓮は少し考えて肩をすくめた。


「まあ……そうか」


拓真は少し黙る。


「それに――」


蓮が見る。


「?」


拓真はすぐに視線を逸らした。


「……いや、何でもない」


ボールを軽く蹴る。


「後で知られたら面倒くさいだけだ」


蓮は苦笑した。


「災難ですね」


拓真も笑う。


「ほんとだよ」


昼まえの河川敷。


二人は立ち上がる。


「もう一本やるか」


「……ああ」


ボールがまた転がる。


トン。


トン。


トン。


その後、涼子からの怒りの連絡が来るまで、

二人のパスの音が響いていた。


その夜

蓮は自室の机にいた。

課題はとっくに済ませており、机上には

特別参与制度の手紙と、製本された「七星生の心構え」があった。


倉原体制となった今では「改訂版を作成中」と言う理由で廃棄・回収となっていたが

本棚の影に長年隠れていた。

蓮が同人誌などの整理をしている時に見つけ、机上に置いている。


「…」


蓮は、この本を開くのを躊躇っていた。

自分は悪くはないのに、「オタク」という理由(ステータス)だけで

中等部生活は決して明るくは無かった。


流血もあった

理不尽もあった

七星(ここ)に学ぶ意味、自分の存在意義を失いかけた時もあった。

彼にとって、この本は「呪われた魔導書」に等しかったが

今となっては懐かしい思い出だ。


待っている間にスマホが鳴る

拓真からだ

≪見つけたぞー≫

≪探し求めたモノが!≫

そこにはもう一つの「心構え」のPDFデータだ


≪サンキュー≫

≪週明けのメシ、奢りな≫

≪佐藤さんのお許しがあればね…≫

≪…スミマセン≫


拓真との軽いやり取りの後、データを開く。

蓮はしばらく、二冊を交互に見比べた。

古い方を開く。

見慣れた文字が並んでいる。

かつて何度も読まされた、あの言葉たち。


立場をわきまえ、他者を乱さぬこと。

各自の役割を理解し、秩序の維持に努めること。


(……要は、目立つなってことだよな)


怒りではなかった。

もう慣れてしまっているから。


それに——正直に言えば、

この本や、年に1回OB・OGによる「特別講義」のおかげで助かったこともある。

オタクは「陰でいろ」と言われ続け、誰にも期待されない分、

誰にも見られていない場所で、自由にいられた。

それが救いだった時期も、確かにあった。


でも。

蓮は拓真から送られてきたPDFに目を落とした。


「特別参与制度について」


蓮の本には、この項目がない。

あるわけがない。

オタク側の生徒が学園運営に関わることは、

最初から「想定外」だったのだから。

(……最初から、なかったのか)

ため息が漏れた。

怒りでも悲しみでもなく、

ただ静かな、確認だった。


でも——

(今は、ある)

それだけのことなのに、

胸の奥がじわりと熱くなる。

倉原ともみがこの手紙を自分に渡したのは、

きっとわかっていたからだ。


この本に、自分の名前が載っていないことを。

蓮は古い「心構え」をそっと閉じた。


捨てなかった。

捨てる気にもなれなかった。


これも、自分の七星(おもいで)だったから。


スマホを手に取った時、拓真の声が頭をよぎる。

(巻き込まれるなよ)


(そうはならないようにするよ。拓真)

蓮の心にそう誓い。学園内アプリを起動した。


⸻

それから数日後

蓮は再び生徒会室にいた。

放課後の生徒会室は、妙に静かだった。


窓の外では運動部の声が聞こえているのに、

この部屋だけが切り離されたように空気が重い。


扉の近くに、二人のSSが立っていた。


蓮は一瞬だけ視線を向けて、すぐ前に戻した。


机の奥。


生徒会長、倉原ともみが

静かに書類を閉じる。


その動作だけで、

部屋の空気がさらに引き締まった。


机の横に立つのは結衣。

副会長としてここにいる。


だが、その表情はどこか硬い。


(……やっぱり普通の話じゃないな)


蓮は小さく息を吐いた。


ともみが口を開く。


「確認するわ、野中 蓮くん」


落ち着いた声。

感情はほとんど乗っていない。


「あなたは…特別参与制度への参加を希望するのですね?」


沈黙。


時計の秒針がやけに大きく聞こえる。


蓮は一度だけ結衣を見る。

結衣は何も言わない。

ただ、ほんの少しだけ視線を下げた。


(……止めない、か)


それが答えだった。


蓮は前を向く。


「……はい」


短く、はっきりと自分の意思を伝えた。


ともみはすぐには頷かない。


代わりに書類を一枚、

蓮の前に滑らせた。


「これは単なる“申請”じゃない…今後この学園の運営に関わる『契約』です。

あと、君の学生証を山本副会長に渡してくれる?」


その言葉で、

部屋の空気がさらに冷える。


蓮は学生証を結衣に預け、彼女は端末にかざし

操作をし始めた。

その間、書類に目を落とす。


細かい条文。


責任範囲。

権限。

守秘義務。


そして——


逸脱時の処置。

全ては事前に生徒会長からもらった資料どおりだった


(……軽いもんじゃない。けど)


ともみが続ける。


「知っていると思うけど特別参与は、生徒会の補助でありません。

学園運営に関わる“外部権限”。つまり、一般の生徒よりもアクセス権が

広がるという意味もある…だから——」


視線が鋭くなる。


「生半可にやることも、途中で投げることは許されないのです。」


静かな圧。


蓮は少しだけ考え、それからペンを取る。


迷いはなかった。


紙に自分の名前を書き、静かにペンを置く。


その瞬間。


ピー、と電子音がし、結衣はともみに向かって頷く。


扉付近のSSが、

わずかに姿勢を正した。


ともみが書類を回収し、付与された学生証を渡される。


「これであなたは、特別参与よ。」


蓮は軽く一礼する。


「……よろしくお願いします」


ともみがふっと息を吐く。

そして言う。


「そうだ。一つ、確認しておきたいことがあるわ」


その言葉ひとつで

結衣の眉が、わずかに動いた。


ともみは続ける。


「特別参与には、希望者だけが受けられる

特別講義があるの」


その瞬間。


結衣の顔がはっきりと強張った。


「……会長、それは一定の条件を…」


明らかに止めようとしている低い声で呼んだが

ともみは視線を動かさない。


「規定よ」


そして蓮を見る。


「これは任意だから、受けなくても問題ないわ。

でも…これを受ければ生徒会の重要ポストや強力なアクセス権も

得られやすくなる」


ともみの視線が鋭くなる。


「——東條 玲央君のように」


その名前が出た瞬間、蓮の目が揺れた。


「!?」


結衣がはっきりと顔をしかめる。


「会長…それは野中くんにとって——」


ともみは軽く手を上げて結衣の発言を遮った。


「私は、あなたの意見を求めてません。それに…」

ともみの空気が変わる。

一瞬だけ——押田の面影がよぎった。


「私情をこの場に持ち込まないでくれませんか。山本副会長。

元を言えば、君が東條参与をちゃんと躾けてないから…では無いでしょうか。」


結衣は反論することなく、ただ静かに俯いた。


ともみはそれを見て、視線を蓮に向け、静かな声語る。


「彼は中学3年にこの講義を受け、そして非常に優秀な功績を生徒会にを残した。

次期生徒会長としても相応しいと言いていいほど…だったわ」


生徒会室が静まり返る。


蓮はゆっくり聞く。


「……その講義、何をやるんですか」


ともみは答える。


「簡単に言えば、この学園がどうやって動いているのか。

その“裏側”を学んでもらいます」


一拍。


「聞く?」


沈黙。


蓮の頭に浮かぶのは、玲央だった。


かつての相棒。

一緒にボールを追いかけ、全国制覇を獲った

この関係がずっと続くはずだった。


でも特別参与に入ってから変わって、

最後は停学処分まで発展した。


拓真との間に何があったかは知らない。

ただ——あいつも、何か抱えてたんだろう。


(巻き込まれるなよ)


拓真の声が、頭をよぎる。


蓮は小さく息を吐いた。


「……その講義ですが」


ともみの視線が鋭くなる。


蓮は言う。


「受ける予定はありません」


結衣の肩が、わずかに揺れた。


蓮は続ける。


「特別参与としての仕事はやります…でも

そこまで深入りするつもりはないです」


沈黙。


ともみはしばらく蓮を見ていた。

やがて——

小さく笑う。


「……そう。いい判断よ」


蓮が少し驚く。

ともみは書類を整える。


「この講義、受けたい人の方が多いけど

私たちの方で断り続けてるの」


「権限に興味を持つから…ですか」

ともみは視線を上げ、頷く。


「でも、君は私からのオファーを断った。

これは誰も成し得なかったことよ。」


結衣が小さく息を吐いた。


それは明らかに安堵の息だった。


ともみは続ける。


「今日は本当にお疲れ様。もう帰っていいわ

初仕事は後日連絡します。」


蓮は頷いた。


「……分かりました。失礼します」


一礼してから扉へ向かい、SSの横を通り過ぎる。


視線を感じるが、決して恐怖の対象ではなく

「安心感」を感じた。


蓮が去り少し経って、SSも一礼して生徒会室を後にした


扉が閉まる。

生徒会室に残るのは二人。


結衣が言う。


「……会長、やりすぎです」


ともみは窓の外を見ながら答える。


「いいえ」


一拍。


「むしろ安心した」


結衣が視線を向ける。

ともみは静かに言う。


「彼は…壊れない子だよ」


結衣は何も言わなかった。

ただ、ゆっくり頷いた。


⸻


生徒会室を出た蓮は、

胸の奥に何か温かいものを抱えたまま校舎を降りた。


夕暮れはすっかり薄くなり、

街灯がぽつぽつ灯り始めている。


校門に差し掛かると――


「……野中くん」


そこに、美鈴が立っていた。


制服の襟を指先でいじりながら、

どこか所在なげに空を見上げている。


「あ、西村さん。待ってたのですか?」


「ううん。……ちょうど部活の子と別れたところ。

 でも……野中くんと一緒に帰れたらいいな、って」


蓮は一瞬だけ言葉を失った。


「……お…、俺でよければ」


美鈴は、ふっと優しく笑った。


二人は並んで歩き出す。

歩幅を合わせているつもりはないのに、

自然とぴったりと揃っている。


駅までの一本道。

夕風が少し冷たくて、思わず歩幅が近くなる。


美鈴が、そっと切り出した。


「生徒会……大変そうだったね」


「まぁ……なんか、よく分からないまま権限付与されて……。

 俺なんかで大丈夫なのかなって」


「大丈夫だよ。野中くんは、ちゃんと見てる人だよ。

 誰よりも……優しいし」


蓮は照れたように頬をかいた。


「や、優しいとかじゃなくて……

 俺、むしろ逃げてばっかりだったし」


「それは……誰だって同じだよ」


美鈴が穏やかな声で続けた。


「逃げてた時間があるから、

 今みたいに“誰かのために動ける”野中くんがいるんだと思う」


(……なんだよ、

 そんな真っ直ぐ言われたら……)


蓮の胸がまた少し熱くなる。


少し沈黙が続く。

でも気まずくはない。

むしろ“静かに心が寄る”ような沈黙だった。


駅の入り口の明かりが見え始めたとき――

美鈴がふと俯いた。


「……ねぇ、野中くん」


「ん?」


「今日……野中くんが生徒会室に呼ばれてる時、

 私……すっごく胸がざわざわしてたの」


蓮は息を呑んだ。


美鈴は続ける。

でも視線はどこか遠くへむけたまま。


「理由は……わからないの。

 ただ、野中くんが呼ばれたって聞いた瞬間、

 なんか……変な感じで」


蓮の心臓がドクンと跳ねる。


美鈴は少し笑ってごまかす。


「変だよね、私……もうちょっと落ち着きたいのに

中等の後輩に心配されるほど、ドジったみたいで」


蓮は、何か言おうとして――

言葉が喉でつっかえた。


代わりに、そっと歩幅を半歩だけ近づける。

それだけで美鈴は、ほんの少し驚いた顔をして、

すぐに柔らかい微笑みに戻った。


「……野中くん」


「はい…」


「今日、一緒に帰れてよかった」


「……俺も」


気づけば、

二人の手の甲が――

触れそうで触れない距離にあった。


駅の改札の前で立ち止まる。


「じゃあ……明日も、よろしくね?」


「うん。……また明日」


美鈴は軽く会釈して、

改札の向こうへ消えていった。


蓮はしばらくその背中を見つめていた。


胸の中が、

どうしようもなくあたたかい。


(……なんなんだよ、これ)

 

夕風が、蓮の髪をそっと揺らした。


⸻

夕飯を終えて、

蓮は机に向かっていた。


オンライン講座のアプリを開き

高校2年で使う数学の先取り学習を眺める。


(……2年の内容、まだ全然分かんねぇな)


ため息をつきつつシャーペンを動かす。

だけど気が散って、思考がすぐ止まってしまう。


(今週だけでも、情報多すぎたよな……)


ソシャゲのリアイベ当選から始まり

美鈴と帰ったときの、言葉にならない感情を告白(カミングアウト)され

いつも間にか生徒会室で“特別参与”として任命される。

極め付けは、結衣先輩が放つ獲物を獲るような眼差しと、

ともみ会長の静かな本音。


(……こんな日、普通ねぇだろ)


肩の力が抜けて、椅子にもたれかかった。


そのとき――

スマホが小さく震えた。


《学校公式アプリ:お知らせが届いています》


蓮は何気なく画面を開く。


『【全校生徒へ】

 Open Your Voice 2開催決定

 ─ 本校生徒による自由スピーチ企画─

 開催日:来週金曜・昼休み

※午後授業はありませんが、参加は任意です

高等部・中等部3年は優先登壇できますので、ご参加ください

 会場:中庭特設ステージ

 主催:生徒会』


「……Open Your Voice……2?」


画面を見つめながら、蓮は小さく笑った。


(また……やるんだ、これ)


倉原会長が就任してから数ヶ月後に実施したイベント

人気バラエティ番組から着想を得たらしいが

第1回は、混沌の極みだった。

誰かが友情を叫び、

誰かが恋を叫び、

そして、誰かが先生への感謝を叫ぶ……

中には、誰かが“歪んだ学生生活”を叫んで泣いたやつもいた。


だが、登壇者は全員「イケメン」側の人間たちばかりだった。

オタク側の人間誰一人登壇するものは、いなかった。


それでも彼ら、彼女らは不器用で、まっすぐで、

“あの場所にいた全員の心が動く”イベントだった。


蓮は静かに天井を見上げる。


(……学校……変わったよな)


地位協定が止まって、

クラスも少しずつ明るくなって、

夕方の廊下で美鈴に声をかけられて、

ともみ会長が本音を話してくれて……


(みんな……ちゃんと“前”を向いてるんだ)


通知の光が、机を淡く照らしている。


蓮はひとつ息をついた。


「……なんかさ。

 俺も前に進めって言われてる気がするな、これ」


自覚はまだない。


でも——なんか、悪くない一日だったな。


そんなことを思いながら、

蓮はシャーペンを握り直した。


その手の甲が――

ほんの少しだけ温かかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。