大規模浄化
信じられない。
呆然とするフローリアを、コルラッドがぞんざいに誘導する。
「はいはい、魔獣がどこに倒れてくるか分かりませんからね。もっと距離をとりましょうね」
グラリと、天地蜥蜴の巨体が揺れる。
つまり――ゼインは見事に魔核を砕いたのだ。
勝った。
信じられない。勝った。
「しかしこれ、さすがに空間収納に入りきらないんじゃないか? いや、フローリア様が魔獣素材を消費してくださったおかげで、何とかなるか……?」
この偉業を目の前にして、今後について冷静に考えられるコルラッドはすごい。
大型魔獣を、一撃で仕留めてみせたのに。
まだ夢のような心地のまま引きずられていたフローリアの下に、ゼインが笑顔で駆け寄ってきた。
「フローリア殿、無事でよかった。あなたが魔核の位置を特定してくれたおかげで、結構あっさりと方が付いたな」
ゼインまでもが、何てことないように振る舞っている。いつまでも驚いているフローリアの方がおかしいのだろうか。
ドスンと地響きを起こしながら倒れ伏した天地蜥蜴の周りに、騎士達が集まっている。
快哉を上げて大興奮しているところをみるに、やはりゼイン達の反応が変わっているのだろう。
「フローリア、無事? 魔力に余裕はある?」
メルエも寄ってきて、淡々と話を進める。
フローリアはとるべき態度に困り果て……結局、彼らに合わせることにした。
「……みなさんも、無事でよかったです。魔力は、正直苦しい状況です」
素直に答えると、コルラッドが補足する。
「戦闘中も、何度かふらついておりました。すぐにも休んでいただいた方がいいくらいです。――大地の汚染さえなければ、ですが」
そう、魔獣を倒せたまではいいが、まだ大きな問題が残っている。
今や天地蜥蜴が放った攻撃のせいで、土壌汚染は広範囲に及んでいた。
辺り一面が瘴気に侵されている。
それでも、フローリアが浄化の魔道具を使えば何とかなっただろう。魔力に余裕があれば、という注釈付きだが。
魔力をほとんど使い果たしたフローリアと、聖属性ではなくとも潤沢な魔力を持つ者。
どちらが魔道具を使った方が効率的だろう。
――足りない……私はヴィユセになれない……。
やはり義妹を連れてくるべきだったのだろうか。
彼女の魔力量なら苦もない作業だったはず。彼女ほどの魔力があれば――……。
「あ……」
フローリアは、はたと目を見開く。
できるかもしれない。いいや、それしかない。
取るものもとりあえず出発したから、フローリアの持ちものはスレイン公爵家を訪問した時と変わっていない。
黄金鹿の角の魔道具に、青毛豹と岩石山羊の毛皮を合わせた魔道具。
懐から、青いチーフに加工した魔道具を取り出す。これは……魔力を溜め込む性質をもつ。
ゼインに持たせていたチーフには、ヴィユセの聖属性の魔力が十分に蓄積されていた。
リノハはこれを、兵器となり得る恐ろしい魔道具だと評していた。大量殺戮兵器も作れると。
フローリアはこの魔道具を、命をすくい上げるものとして使いたい。
振り絞っていたなけなしの魔力を掻き集め、青いチーフの魔道具と黒杖の魔道具の魔術回路を繋ぎ合わせていく。
繊細に、もっともっと細く。
あとから組み込むせいで反発が強い。
どんどん魔力が消費されていく。
けれど集中を緩めない。
大地の汚染はどんどん拡大している。ここで食い止めないと、大型魔獣を討伐したのに、ギルレイド領には本当の意味での平和は訪れない。
指先が震える。もう限界が近い。
それでも絶対に諦めない。
細く、強く、長く――……。
魔術回路の始点と終点が……繋がった。
ゆっくり目を開くと、青いチーフは影もかたちもなくなっていた。
その代わり黒杖の木に浮かぶ、深い青の模様。それは揺らめき、一度として留まることがない。
幻想的でさえある魔道具に、フローリアは限界を越えた魔力を流し込む。
周囲からはいつの間にか音が消えていた。
「――【起動 最大浄化】」
祈りは、力だ。
思いを込めた魔道具の発動は、凄まじい効果をもたらした。
辺り一帯が鮮烈な青い光に包まれる。
強い、強すぎる光は、目をつむっていてさえ網膜を焼くよう。
痛みで涙がにじむ。それに、全身に重いものが伸しかかっているような倦怠感。
覚えがある。これは、完全な魔力枯渇の症状。
――浄化が……せめて浄化だけでも……。
大地の浄化が完了したことを、確認することすらできなかった。
足元の地面が、ぐにゃりと歪む感覚。
フローリアはそのまま昏倒した。
◇ ◆ ◇
夢うつつに、誰かが語りかける声がする。
穏やかな低音、聞き慣れた声。
「身分のみならず、異常な身体強化まで……俺はあなたに多くの隠しごとをしていた……」
未だにふわふわと覚束ないながらも、フローリアの意識はゆっくりと浮上していく。
「すまなかった、俺は、怖かったのだ……」
「怖い……? なんで……?」
フローリアが問い返すと、ゼインは弾かれたように顔を上げた。
「フローリア殿、目が覚めてよかった……! 今、医師を呼んでくるから……」
彼が慌ただしく立ち上がろうとするのを、フローリアはトラウザーズを掴んで阻止する。普段なら考えられない暴挙だ。
けれど、熱に浮かされたような感覚のせいだろうか、あまり恐ろしさを感じない。
それよりもフローリアは、話の続きをしてもらえないことが不満だった。
「逃げちゃ駄目、ゼインさん」
「だが……」
「いいから。何で怖かったの?」
ゼインも、常にないフローリアの様子に気付く。
敬語も抜けているし、感情が筒抜けになった顔にはありありと不満が浮かんでいる。
「もしやこれが、魔力枯渇が落ち着いた頃に現れるという、酩酊状態に近い症状というやつか……?」
「ぶつぶつ言ってないで、早く答えて」
「……分かった」
ゼインは渋々といった様子で座り直した。
どうせ回復する頃には覚えていないだろうと呟いているが、そう決め付けられると意地でも忘れてやるものかという思いが強くなる。
「……コルラッドから説明があったのだろう。俺の本来の潜在魔力は風属性だが、それが生まれつき身体強化にのみ消費されていくことを」
「いいえ、そこまで詳しくは聞いてない」
「あの野郎……」
彼は何やら深く後悔しているようだったが、やがて諦めて語り出した。
生まれつきの能力。
元々力は強かったけれど、成長するにつれ異常なまでの怪力になった。それは、危険だからと乳母が遠ざけられるほど。
「幼児に魔力を制御しろといっても、当然理解できない。俺は、周囲にあることごとくを傷付けた」
潜在魔力は生まれながらに保有しているものだし、行使魔術と違って理論で動かすものでもない。ましてそれを幼子に制御しろとは、無理難題もいいところだった。
「……それでも両親は、俺を恐れなかった」
恐れないだけの能力があったのも理由の一つだろうが、それ以上に愛情深い人柄だったらしい。
ゼインは惜しみなく愛情を注がれて育った。
両親は制御を身につけるためにと、多くのことを教えてくれた。ゆっくり、時間をかけて。
そんな両親を、魔獣討伐で一挙に亡くしてしまったから……ゼインはことさら他者を恐れるようになったという。
「制御はある程度、身に付いていた。感情が昂った時以外は、一般的な生活ができた。だが……もしもを考えると、途方もない恐怖に襲われた」
万が一制御に失敗した時、ゼインは闇雲に周囲を傷付けるだろう。
それ自体も怖かったけれど、異質な能力さえ絶対的に受け入れてくれる存在がもういない。その事実を認めることが何より耐え難く、恐ろしかった。
これまでも力が暴走するたび、ゼインの側から人が遠退いていった。
それでも、両親がいてくれた。だから孤独を感じずに済んだ。
だがもし次に失敗したら――ゼインの周囲には、誰が残ってくれる?
「今は役立てられるようになったが、元々俺にとっては疎ましい力だ。だから、知られたくなかった」
「……怖くないのに」
だんだん重くなってきた目蓋の裏に、大剣を振るうゼインを思い浮かべ、フローリアは呟いた。
暗闇に走る一条の閃光。天地蜥蜴の魔核を一撃で砕いた姿。驕ることなく部下を労う横顔。
「全然怖くない。あなたの誇り高さが、頼もしい背中が、この地を守っている。きっと、ギルレイド領の誰も、今のあなたを怖がらない」
ゼインは今、何を思っているのだろう。返ってくるのは沈黙ばかり。
フローリアはますます眠くなってきた。
「皆ではなく、フローリア殿に嫌われるのが恐ろしかったのだが……まぁ、いいか」
今はゆっくり休んでくれ。
穏やかな呟きと、頭を撫でる手。
それらは十分な効果を発揮し、フローリアをすぐさま眠りに引き込んだ。




