私は私のために
ギルレイド辺境伯領の騎士団は、天地蜥蜴という伝説的な魔獣の討伐を死傷者なくやり遂げた。これは、奇跡的なことだった。
シェルリヒトから魔獣掃討の命を受けたゼインとフローリアは、無事に任を終えたことを報告するため再び王都へと向かっている。
魔力枯渇で一週間以上寝込んでいたフローリアのために、馬車でののんびりとした道行きだ。ちなみに大地の汚染は、つつがなく浄化されていた。
メルエとコルラッドは馬車の周りを守っているので、車内ではゼインと二人きり。
緊張はしているけれど、正直それどころではないというのがフローリアの心境だ。
シェルリヒトは『とびきりの処分を用意して待っている』と言っていた。
あれは、無事に帰ってくるようにという彼なりの激励だったのだろうが、フローリアは断罪を待つ身であることを決して忘れてはいけない。
――ゼインさんや騎士のみなさんは、きっと褒章を受けるはず。きちんと王都の人達にも認めてもらえたら嬉しい……。
天地蜥蜴を討伐したのだ。
ゼインを『野獣辺境伯』と揶揄する者達も、ギルレイド領を『絶望の地』と蔑む者達も、きっと見る目を変えるはずだ。
フローリアにとってはそれだけで十分。
車窓を流れていくギルレイド領の景色を、惜しむように見つめる。愛しい場所が遠ざかっていく。それだけが少し寂しい。
「――フローリア殿」
正面から名前を呼ばれ、フローリアは馬車の中に視線を戻した。
ゼインが、意を決したように切り出す。
「ずっと黙っていて申し訳なかった」
彼は深く頭を下げた。
「ある程度の事情はコルラッドから聞いているだろうが、改めて謝罪させてほしい。俺の潜在魔力は風属性なのだが……実は生まれつき、全て身体強化に消費されてしまう体質なのだ」
彼が何を謝罪しているのか分かった。
フローリアは居たたまれなくなって、左右に目を泳がせる。
「その、フローリア殿を軽んじて話さずにいたわけではない。俺は、あなたに嫌われたくなくて……」
「あ、あのっ」
これ以上は言わせられないと、性急に遮る。
フローリアの頬はもう真っ赤だった。
「フローリア殿?」
「あの……私は全く気にしていません。謝ってもらうほどのことではないし、謝っていただくにしても……一度で十分ですし」
妙な沈黙が生まれる。
ガラガラと車輪の音だけが響いていた。
そして、ゼインはまじまじとフローリアを見つめている。
「……覚えて?」
「……はい」
言葉少なに問われ、重々しく応じる。
魔力枯渇は、重度になると目眩や倦怠感だけでなく、様々な症状を引き起こす。
やけに気分が沈んだり、その逆に高揚したり。今回の場合は多幸感の方だ。
他者からすれば悪酔いしているようにも見えるかもしれない。けれど……意識はしっかりしている。記憶はなくならないのだ。
もちろんフローリアも覚えている。
ゼインが珍しく弱気になって過去や心情を吐露したことも、そんな彼に対し信じられないほど失礼な態度をとった自分自身も。
再び二人は黙り込んだ。
ひたすら気まずい空気の中、馬車は順調に王都へと向かっていた。
◇ ◆ ◇
「あれ? 君達何かあった?」
満面の笑みで出迎えたシェルリヒトの問いに、フローリア達は黙秘を貫いた。
場所は王太子宮の応接間。
これは公式の登城ではない。陛下との謁見を控えたゼインがシェルリヒトに呼び出されたというかたちをとっているが、実際にはスレイン公爵家にまつわる諸々の決着を聞くための場だ。もちろん、フローリアの処遇も。
「まぁ野暮なことは聞かないでおこうかな。どうせゼインだし、そこまで期待してもね」
「うるさい」
……だというのに、シェルリヒトの態度が平常運転すぎる。あとゼインも多少。
あまりの緊張感のなさに、当事者であるフローリアですら気が抜けそうになった。
「天地蜥蜴という大型魔獣を討伐したと聞いたよ。陛下に恩賞を賜ることになるだろうね。謁見のあと、しばらくは王都に滞在するのだろう?」
「いや、もうすぐ領地で祝祭が執り行われる。陛下との謁見が済み次第、帰る予定だ」
ついに断罪の瞬間を迎えたというのに、この不安に共感してくれる人がいない。
フローリアは違う意味で震えそうになった。だんだんこちらの方が場違いな気がしてくる。
「そういえば、あんなにも居心地の悪い気分を味わったのは、スレイン公爵家に一人残ったあの時が初めてだったよ。公爵は気絶しているし、ヴィユセ嬢と執事は動揺して会話にならないし。ユルゲン帝国の者達まで気まずそうだったな」
「全部自業自得だと思うが」
フローリアは喉を鳴らし、ついに口を開いた。
「――で、殿下……っ」
呼びかけに応え、青紫色の瞳がこちらを向く。
不敬であることは分かっている。それでも、譲れないなら訴えなければならない。
「恐れ多くも、申し上げます。わた、し……私の、望みをお伝えしても、よろしいでしょうか……?」
脳裏に浮かぶのは彼らの言葉。
『しかし何より悲しいのは、頼ってもらえないことだ。寄りかかって構わないと言ったのに、これでは格好つけ甲斐もない』
『気持ちは、自分だけのもの。フローリアはもう少し、自分のために意志を押し通したっていい』
……フローリアは夢見てしまった。
一度揺らいでしまったら、もう駄目だった。
ゼインに想いを告げたい。
ギルレイド領で、またみんなと笑い合いたい。
魔道具師として技術を磨きたい。
もっと、もっと、今まで諦めるばかりだった人生を、前を向いて――……。
天地蜥蜴と対峙している時はギルレイド領を守るために必死だったけれど、討伐したあとになれば、芽生えた欲は隠しきれないほどに膨らんでいた。
――生きたい……私は、生きたいんだ。
フローリアは恐れずに顔を上げた。
「私はご下命通りに、魔獣の討伐に尽力いたしました。もし恩賞をいただけるのなら、私は……減刑を望みます」
応接間が静まり返る。
シェルリヒトの静謐な眼差しと、ずっと見つめ合う時間が続く。
不意に、彼の口許が綻んだ。
「フフ。君がようやく頼ってくれたのだから、僕も張り切らなければね」
シェルリヒトが本当に嬉しそうに微笑むから、束の間この場にいる理由を忘れた。
まるで、ただの友人同士として向かい合っているような。
「ということで、無罪」
「……えぇ!?」
「――にしたいところだけれど、厄介なことに体裁やら建前というものがあってね」
一瞬本気で何を言っているのか分からなかった。シェルリヒトの冗談は心臓に悪い。
フローリアの鼓動がまだ整わない内に、彼は笑顔のまま続ける。
「だから、君には王族お抱えの魔道具師として、馬車馬のように働いてもらおうかな」
「シェルリヒト、それは……!」
これに顕著な反応をしたのはゼインだった。ソファから腰を浮かせ、友人に非難の眼差しを送る。
気付いているだろうに、シェルリヒトはあくまで芝居めかした調子だ。
「国宝の魔道具の調整は、国内にいる魔道具師ではほぼ不可能。この負担の大きい仕事は、君の償いに相応しいだろう。しかしお抱えとはいっても、城には魔獣素材がないから宝の持ち腐れになってしまうね。――というわけでフローリア嬢は、ギルレイド領に派遣することにしよう」
「……え」
「派遣の条件は、作成した魔道具を必ず僕に報告すること。そうしたら僕も大手を振ってギルレイド領に遊びに行けるし」
そんなにうまい話があっていいわけない。
フローリアは罪人の娘。自由も人生も、奪われて当然の身。こんな、飛び付きたくなるような条件、許されるはず――……。
――いい、の……? 本当に……?
心が動く。シェルリヒトの厚意に甘えたくなる。
フローリアは隣に座るゼインを見上げた。
彼もまた、穏やかに笑っている。
「『絶望の地』と呼ばれるギルレイド領なら、流刑地にちょうどいいな」
喉奥が震えて、言葉がうまく出てこない。
口を開けば嗚咽が漏れてしまいそうだった。
――私……迷惑じゃない……?
ポロポロと熱い涙がこぼれ落ちる度、ゼインの大きな手が器用に拭ってくれる。
申し訳なくなって慌てて距離をとろうとするも、彼はむしろ嬉々として世話を焼きたがる。
「ゼ、ゼイン、さ……」
「フローリア殿。これからも、ギルレイド領にいてくれるか?」
目尻を拭う手付きは、もう我慢しなくていいといわんばかりに優しい。
甘やかすように訊かれて、拒絶などできるはずもなかった。
「こ、こちら、こそ……お、ねが……あり、がと、ござい……ます……」
懸命に唇を動かしても言葉にならなかった。
シェルリヒトも柔らかく微笑むだけで、フローリアはますます涙を堪えることができない。
本当に、いいんだ。
初めて存在を許されている気がした。
フローリアは、涙が枯れるまでひたすら泣き続けた。そうして少し落ち着いたあと、赤い目のまま謹んで頭を下げる。
「殿下、ありがとうございます。これからも、国を豊かにする魔道具を開発していきたいと思います」
シェルリヒトの提案を受け入れる。
そうしてここから、フローリアの新たな人生がはじまるのだ。




