スレイン公爵邸侵入計画(合法?)
◇ ◆ ◇
スレイン公爵邸は、以前と変わらぬ威厳を放ちながらフローリアを迎えた。
広大な敷地の向こう、緑の多い庭園に佇む美しい白亜の建物。あれが、フローリアがかつて暮らしていた場所だ。
「フローリア嬢、怒っているのかい? もしかして昨日からかったこと?」
シェルリヒトの問いに、フローリアは無言を貫く。気遣っているように見せかけて顔が半笑いだ。
「すまなかった。全て冗談だよ、フローリア嬢。僕も血なまぐさいのは嫌いだし、『大量殺戮兵器の祖』なんて二つ名は君も困るだろうから、友人として利用しないと約束する」
「た、『大量殺戮兵器の祖』……」
余計な一言が多いから全く謝られている気がしないし、その物騒な二つ名は困るでは済まない。
「いえ、昨日のことは、私にも非がありますからいいんです。そうではなく、色々考えていたら、あのあと眠れなくなってしまって……」
「あぁ。まぁ、緊張するのは当然だよね。けれど、魔道具のこともヴィユセ嬢の魔力のことも、専門家に話を聞けてよかったじゃないか」
「あ……そうですね。リノハさんの意見なら、自分の推測よりよほど信頼できますし」
ただ、どういった効果をもたらすか未知数の魔道具なので、完全に不安が払拭できたわけではない。
ヴィユセの魔力に対応できるか、十分に確かめていないのに潜入計画を実行しなければならないなんて、なかなか心臓に悪かった。
「やはり、万全を期すには実験が……」
ここまできてまだ未練がましいことを呟くフローリアを、コルラッドが雑にあしらう。
「はいはい、もう諦めてくださいね。何度も申し上げた通り、公爵が不在の日を狙わなければいけないので日程は動かせません」
半眼になったフローリアは、後ろに控えていた彼を振り返る。
「そもそもなぜ父の不在を知っているのか……」
「当然、入念に調べたに決まっておりますよね」
どうしてだろう。コルラッドの胡散臭い笑顔から非合法な気配を感じる。
ユルゲン帝国と繋がっている証拠を不法侵入して探そうというのだから、はじめから違法なのだが。
――全員が変装をしている時点で、後ろ暗さが満点ですしね……。
フローリア達は、トラウザーズとシャツという簡素な服装に身を包んでいる。
素性が知られて誰より困るのは、王太子であるシェルリヒトだ。
本当は潜入捜査に参加させるべきではなかったのだが、彼の身分は弱点であると共に、強力な切り札にもなり得る。いざという時の保険だと本人が頑なに同行を主張した。
今は全員で、スレイン公爵邸をグルリと取り囲む外壁の周りを、何食わぬ顔で歩いている。
衛兵が僅かに不在となる隙を突き、外壁を越えて侵入する手筈となっていた。警備が手薄な場所や時間帯にあたりをつけたのは、もちろんコルラッド。
そもそもなぜ警備体制を把握しているのか……とは、あえてもう訊くまい。
「さて。時間です、行きましょうか」
コルラッドの合図を皮切りに、それぞれが動き出す。シェルリヒトとコルラッドは、あっという間に壁を越えて姿を消した。
壁は手を伸ばしても届かない高さなのに、彼らの運動能力はどうなっているのか。フローリアは愕然とした。
メルエもあっさり登って行ってしまうのかと、すがるように見つめる。彼女は、フローリアを安心させるためか笑みを浮かべた。
「大丈夫。フローリア、トラウザーズで正解」
「た、確かに……髪もメルエさんが言う通り、まとめてきて正解でしたね……」
不安とは別のところで励まされ、これはこれで居たたまれない。
結果的に、実家の壁をよじ登るという特殊な体験は何とか無事に終わった。彼女の肩を足場にして、指示されるがままに動いたおかげだった。
足を引っ張るばかりで情けないし、もっと体力をつけておけばよかったと肩を落とす。メルエが一瞬で壁を攻略したから余計に申し訳なかった。
「すみませんでした……」
壁の内側、庭園の隅の繁みに身を潜めつつ、小さな声で謝罪する。
「問題ない」
簡潔な返事に顔を上げると、メルエは静かな眼差しでフローリアを見つめていた。
「落ち込むことない。フローリアは、私にできないこと、たくさんできる」
そんなことない、と首を横に振ろうとしたが、彼女はフローリアの頭に手をのせて制止する。
「ゼイン様を救えるのも、あなただけ」
――ゼインさん……。
今、彼は何をしているだろう。
祝賀会でのラティシオのように、ヴィユセに愛を囁いているのだろうか。考えただけだ胸が痛む。
必ずゼインを正気に戻すと決めたのに、弱気になってどうする。
フローリアは覚悟を新たに、再び顔を上げた。
「……はい。やり遂げてみせます」
メルエが優しく目を細める。
頭にのせられたままだった彼女の手がフワリと髪を撫でたように感じたのは、ほんの一瞬。
かすかな風を残し、目の前にいたはずのメルエの姿は掻き消えていた。
「……え?」
「メルエはもう別行動をはじめたのでしょう。当初の予定通り、離れへ向かったようです」
呆然とするフローリアに淡々と状況を説明したのは、コルラッドだ。
とはいえ、理解が追いつかない。
「ひ、人は普通、消えたりしませんよ……?」
「ユルゲン帝国の密偵の子ですから」
再びそこはかとない非合法感が漂いだしたが、気にしたら負けだ。フローリアは作戦の内容に頭を切り替える。
本来なら、全員で離れとなっている別館を捜査する予定だったが、ゼインの行方が分からなくなり計画変更を余儀なくされていた。
ゼインが本当にスレイン公爵家にいるのか、確かめるべく本邸を捜索するのは、フローリアとシェルリヒトとコルラッド。
フローリアが魔力を可視化する魔道具の靴を履き、ヴィユセを捜す役割。ゼインが彼女といる可能性を考えての判断だ。
シェルリヒトに関しては別館で見つかると厄介という消去法で決まり、コルラッドは護衛役。
フローリアはこの割り振りで大丈夫なのか、密かに疑問に思っていた。メルエの負担が大きすぎるのではないかと。
けれど、今の動きを見て理解した。
確かに彼女は、一人の方が動きやすいだろう。むしろフローリアが一緒では確実なる足手まといだ。
――というか、メルエさんの方こそ、あっさりゼインさんを救ってしまえるのでは……。
次元が違いすぎて、先ほどの彼女の励ましすら遠くに感じる。
「フローリア嬢、我々も動こう」
「は、はい」
シェルリヒトに促され、フローリアは正気を取り戻した。今は自暴自棄になっている場合ではない。
早速、魔道具に魔力を流す。
金色の魔力は、本邸の東棟に視えた。あちらは、家族の私室がある住居部分。
簡単に見つかったのはありがたいけれど、さすがヴィユセの魔力だけあり範囲が広い。
それを二人に伝えると、コルラッドが提案する。
「ある程度、予測をつけて動いた方がいいでしょう。あちこち歩き回れば、その分だけ我々が見つかる確率は高くなる。間取りを知っているフローリア様なら絞り込めるはずです」
確かにその通りだ。
シェルリヒトも頷いたので、フローリアは東棟にある部屋を懸命に思い起こす。
それぞれの私室、浴室、ホール、クロゼット、書庫、物置――。
「……書庫か、物置……?」
ヴィユセの私室に匿っているとも考えられたが、彼女は未婚の令嬢。その上、正式な第二王子の婚約者でもある。
貴族令嬢に淑女たれと説くノクアーツ王国では、私室に異性と二人きりなどあり得ないこと。
ならば、人目のつかないところに隠すはずだ。
「特に、物置でしょうか? あそこは、季節の変わり目に使用人が出入りする程度だったはずです。調度などを保管するための部屋なので広いですし、大柄なゼインさんを匿いやすいかと」
「なるほど、辺境伯を物置に……教育の行き届いたお嬢様ですね」
「返す言葉もございません……」
最終的にはシェルリヒトが判断を下し、一行は物置を目指すことになった。
使用人とも遭遇しないよう、少しの遠回りをしながら慎重に進む。
物置は二階の最奥、北側に位置している。
たどり着くまでにやや時間がかかったものの、幸いなことに付近には人の気配がない。フローリア達は、やすやすと扉をくぐることに成功する。
フローリアも初めて入ったけれど、ホールのように広い。遮へい物のおかげで死角も多そうだ。
「ここだとしても、どこにいるか……」
呟いた声がやけに響いて、フローリアは歩みを止めた。天井が高いせいで反響している。
もしかしたら見えない場所に使用人がいるかもしれないと、ドキドキしながら辺りを見回す。
カツン、と音がしたのは偶然だったのか。
振り向くと、その一角には重厚なソファや椅子、テーブルが置かれていた。さらに奥には丸めて立てかけられたいくつもの絨毯。
「姉様……?」
ソファに並んで座っていたのは、驚いた顔のヴィユセと――なぜかフローリアを凝視したまま硬直する、ゼインだった。




