菅藤瑞希疾走の事情
あたしが毎朝、秘術を尽くして全力疾走しなければならないのには、それなりの事情がある。
原因は、お兄ちゃん。
あたしがこれまでの人生で出会った最大最強のバカ兄貴。
といっても、これまでお兄ちゃんと呼べる立場の相手は菅藤冬彦ただ一人なんだけど。
この「バカ兄貴」の弁当箱を持って、朝の路地を、公道を、公園のど真ん中を疾走する……。
これが、あたしの朝の日課。
中学までのお兄ちゃんは、毎朝のように朝寝坊していた。
慌てながら、どう見ても10代にしか見えない母さんから弁当を受け取るお兄ちゃん。
無駄に顔がいいだけに、なんか恋人同士みたいでイラッとしたものだ。
で、お兄ちゃんはいつも何かの拍子に、それを忘れて学校へひた走る。
小学校は公立だったから給食があったが、この私立、それがない。
去年まで小学生だったあたしは、弁当箱を手にお兄ちゃんを追いかけてから登校するのが日課になった。
ところが高校生になってからのお兄ちゃんは、少し違う。
朝がやたら早くなった。下手をすると7時前に家を出る。
だが、バイオリズムがついてこないのか、朝食抜きで学校へ行くことが増えた。
何を急いでいるのか、さっぱり分からないけど。
変わったところといえば……。
中学までは帰宅部だった。
家でひたすら本を読むか勉強をしてた。
それなのに、高校では演劇部なんかに。
関係があるのかどうかは分からない。
とにかく朝早く家を出ては、弁当を忘れるようになった。
その分、あたしが起きるまでのタイムラグは大きくなる。
でも、早起きなんかしない。
お兄ちゃんなんかのために。
家を出るのも、今まで通り。
弁当箱を届けに走るのも、今まで通り。
その時間差、平均して約30分。
追いつくのは無理。
あくまでも、常識の上だけど。
あたしなら、できる。
吉祥蓮に伝わる忍術を身に付けた、あたしなら。