16手目 香子ちゃん、四国を飛び立つ
さあさあ、二階堂さん、このガチガチの穴熊、どう攻略するつもり?
「ウーン……まずいなあ……」
二階堂さんはそうつぶやいてから、2二飛と回った。
私は5六金と出て、強気にプレッシャーをかけていく。
5五銀と出られても、4五金とすり抜ければ問題ないはずだ。
3五歩、4五桂、同銀、同金。これで駒得。
「あちゃあ」
と二階堂さん。なんだか様子がおかしい。
さっきから、あんまりやる気がないような指し手だ。
不利になると、テンションが下がるタイプなのかしら。
二階堂さんは背筋を伸ばして、向かって左に流れる髪の束をつまんだ。
「この戦型、よく分からないですね」
いまさら、なにを。
「反発できるだけしますか……9五歩」
端攻めか……目の付けどころは、いい。
私は箸を置いて、30秒ほど考える。
「3五角」
端は相手にしないでおきましょう。
二階堂さんは当然9六歩として、取り込んできた。私はこれを利用して、9四歩。いやらしいところに垂らしておく。以下、同香、8六歩として、桂跳ねを阻止。
「お姉さん、辛いですね」
辛いのは七味よ、分かる?
「とりあえず、金はそっぽに」
二階堂さんは、3四歩と打った。私はちょっとだけ悩んで、同金。
「6六角」
突っ込んできましたか。
私はうどんに七味をふって、すこし味を変えた。
しばらく考えていると、店の入り口でとびらのひらく音がした。
ちらりとみたら、頭に鉢巻きをした、トラックの運転手さんらしき男性。
「二階堂さん、お客さんみたいよ」
「大丈夫です。店員はまだいますので」
そっか、ずいぶんとのんびりした経営なのね。
仕事中に、お客さんと指すなんて。
まあ、複数の店員さんがうろうろして絡んできたら、それはそれで迷惑か。
私はそんなことを考えながら、次の指し手を練った。
「……6八飛」
角に当ててみる。3九角成なら、5三銀と打つ。同金、同角成でもいいし、なにか受けてきたら、6四銀成、同銀、同飛を狙える。一石二鳥だ。
さすがに、これは選択しないかな……あ、5五角と引いた。
私は5八飛と回り、1九角成を許容する。ここで5三銀は、5七歩からの叩きが、微妙に気になるわね。もっといろいろいじっておきたい。
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…………………
………………
「9五歩」
同香、9四歩、9一香、5四歩。
これが厳しいんじゃないかしら。
二階堂さんは手揉みをして、長考。
桂馬を持って、しばらくこちらの陣地をみつめた。
6六桂かしら? でも、それはあらかじめ読んであるわよ。
「これ、あんまり指したくないんだけどなあ……6六桂」
「4四角ッ!」
これが反撃になってるから、まったく問題ない。
飛車を逃げれば6六角で勝ち。4二飛なら5三歩成と行く。
二階堂さんも、さすがにこれは読めてるみたいで、5八桂成とした。
私は飛車を取るまえに、9三銀、同香、同歩成を入れておく。
「同玉」
「2二角成」
二階堂さんは、8二玉と撤退する。ここで9六香。
同香とされたら王手だけど、9七歩と殺して安泰。
二階堂さんは目を閉じて、考えるひとみたいなポーズ。
「同香か5四銀……5四銀」
2一馬、5五馬。
ここで私は、寄せの構想を練り始めた。じっくりと腰をおろす。
第一感は、9五香よね。そこから、どう寄せるか。
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…………………
………………
9五香、9四歩、同香、9三歩、同香成、同玉、9一飛かしら?
(※図は香子ちゃんの脳内イメージです。)
9二香と打たれて、飛車を成ったあとで8二玉の逆襲が、若干気になる。
もうすこし改良して……9三同玉に9八香ね。これに9四歩なら、9一飛、9二香、9四香が決まるし、単に8二玉と引くのは9二飛、7一玉、9一飛成、6二玉、6六桂。これを同馬は、5四馬で銀を取れる。6三銀なら後手の馬筋が止まって終了。
私はかるくうなずいて、9五香と取った。
二階堂さんは9四歩だとジリ貧とみたのか、1九飛と下ろした。これは若干怖い手で、6九成桂〜7九成桂が入ると逆転してしまう。同金、同飛成のとき、5五の馬が利いていて、同銀と取れないのだ。
私は9二飛、7一玉、9一飛成、6二玉に6六桂と打つ。
二階堂さんはこれを見て、タメ息をついた。
「6三銀です」
私は麺を全部食べ終えて、5四香を放った。
「5三歩、4三金に、同金とできないのか……負けました」
二階堂さんは、あっさりと投了した。
「ありがとうございました」
私は一礼してから、お茶を飲む。さっぱりして美味しい。
二階堂さんは納得がいかないのか、腕組みをして首をかしげた。
「ウーン……なにがしたかったのかな」
「陽動振り飛車は、作戦だったんじゃないの?」
「わたしは陽動振り飛車なんかしませんよ」
なにを言っているのか理解できない。記憶喪失ですか?
「だって、序盤で陽動振り飛車に……」
「亜紀ッ! なに勝手に指してんのよッ!」
おどろいて顔をあげると――そこには、二階堂さんが立っていた。
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……………………
…………………
………………
え? 二階堂さんが、ふたり?
「ぶ、分身してるッ!」
私の喫驚に、ふたりの二階堂さんたちはキョトンとした。
「分身?」
「わたしたち、ふたごですよ?」
私は呆然とする。よくよくみたら、ひとつ結びの髪が、左右逆に流れていた。
それに、対局中、最初は右手を使っていたのに、後半は左利きだった。
私の混乱をよそに、右利きの少女、立っているほうの二階堂さんは、椅子に座っているほうの二階堂さんを指差して睨んだ。
「亜紀ったら、勝手に指し継いで、ボコボコになってるじゃない」
「だって、わたし、振り飛車党じゃないから」
言い訳をするなと、右利きの少女は怒った。姉妹喧嘩。
「早紀、亜紀、店内でさわぐんじゃないぞ」
厨房のほうから、お父さんらしきひとの声が聞こえた。
ふたりは「ハーイ」と返事をして、声をひそめる。
「それにしてもお姉さん、亜紀を倒すなんて、なかなかやりますね」
でしょ?
「わたしが負けたんじゃなくて、早紀の変な戦法が負けたのよ」
「いやあ、わたしなら勝ってたもんね」
サキ(?)さんは、とぼけたような顔で、ひとつ結びの髪を撫でた。
それから、もういちど自己紹介をする。
「わたしは二階堂早紀。早い遅いの早いに、一世紀、二世紀の紀。中3です」
次に、割烹着少女が自己紹介。
「わたしは二階堂亜紀。紀の字はおなじで、亜細亜の亜です」
「ふたりとも、似たような名前なのね。なにか意味があるの?」
「わたしたち、一卵性双生児なんです。わたしが先に生まれたから『早』紀」
「わたしはあとに生まれたので、『亜』紀です」
両親よ、それでいいのか。
「ところで、お姉さんの名前、訊いてなかったですね」
と亜紀さん。私が答えるまえに、早紀さんのほうが教えてくれた。
「ウラミさん……ああ、T佐市の桂太くんのお姉さんなんだ」
「姉じゃなくて、従姉妹よ」
私は訂正しておく。
「出身は、どこなんですか? 四国じゃないですよね?」
「H島の駒桜市って、知ってる?」
ふたりは、その情報にびっくりした。
「え? 捨神先輩の街ですか?」
ウーン、そんなに有名なのか、捨神くん。
将棋の強い変な子ってイメージだったんだけど。
「うらやましいですね。捨神先輩のサインとか、もらえません?」
亜紀さんは、よく分からないものをねだった。
そこまで親しいわけでもないし、ちょっと難しいと答えておく。
「残念……あ、そう言えば、兎丸くんもいますよね」
また出てきた。だれよ、そのウサギなんとかって子は。
「兎丸くん、同学年のなかでは、一番かっこいいかなあ」
「なに、亜紀、狙ってるの?」
早紀さんは、右ひじで亜紀さんの肩をこづいた。
「そ、そうじゃないってば」
「またまた、双子だから、男子の好みは、だいたい分かるよ」
それは、あなたも狙ってるっていう自白ですか?
この姉妹、仲がいいのか悪いのか、よく分からない。
早紀さんは急にこちらへふりむいて、駒をつまむ仕草をした。
「もう一局しませんか?」
リベンジか。普段ならちょっと迷うところだけど、今回の答えは決まっている。
「ごめん、このあと電車があるのよ」
「H島まで、そんなに時間がかかるんですか?」
私は、K戸で待ち合わせをしていると告げた。T松からK戸までは、快速と新幹線を乗り継いでも、2時間はかかる。松平とK戸駅で合流するのは、きっかり14時。壁の時計をみやると、すでに11時に近かった。T松駅までの移動と切符の購入、そのほかもろもろを考えたら、将棋を指すのはムリ。
「そうですか……じゃあ、またの機会に」
私は、ごちそうさまをしてから、席を立った。お会計を済ませていると、早めのお昼を食べに来たのか、お客さんがちらほら入り始めた。
「いい暇つぶしになったわ。またね。エート……」
「早紀です。右利きが早紀で、左利きが亜紀って覚えといてください」
私が店を出るとき、うしろから「ありがとうございました!」の声が聞こえた。
ふりかえると、ふたりとも店を出て、手を振ってくれていた。
「次は負けませんからね!」
私は親指を立てて「かかってきなさい」の意思表示。
だんだんと暑くなる日射しを受けながら、私はT松駅へと急いだ。
いよいよ四国をあとにして、いざ、K戸へッ!
場所:うどん屋『たかやぐら』
先手:裏見 香子
後手:二階堂 早紀→亜紀
戦型:後手陽動振り飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲2五歩 △3三角
▲4八銀 △3二銀 ▲5六歩 △4三銀 ▲6八玉 △6二銀
▲5八金右 △6四歩 ▲6六歩 △6三銀 ▲7八玉 △9四歩
▲9六歩 △7四歩 ▲6七金 △6二玉 ▲3六歩 △7一玉
▲7七角 △7三桂 ▲8八玉 △2二飛 ▲7八金 △5二金左
▲9八香 △8二玉 ▲9九玉 △7二金 ▲8八銀 △5四歩
▲1六歩 △4五歩 ▲3七桂 △4四銀 ▲5七銀 △4二飛
▲6八銀 △5五歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲7九銀右 △5六歩
▲6八角 △2二飛 ▲5六金 △3五歩 ▲4五桂 △同 銀
▲同 金 △9五歩 ▲3五角 △9六歩 ▲9四歩 △同 香
▲8六歩 △3四歩 ▲同 金 △6六角 ▲6八飛 △5五角
▲5八飛 △1九角成 ▲9五歩 △同 香 ▲9四歩 △9一香
▲5四歩 △6六桂 ▲4四角 △5八桂成 ▲9三銀 △同 香
▲同歩成 △同 玉 ▲2二角成 △8二玉 ▲9六香 △5四銀
▲2一馬 △5五馬 ▲9五香 △1九飛 ▲9二飛 △7一玉
▲9一飛成 △6二玉 ▲6六桂 △6三銀 ▲5四香
まで95手で裏見の勝ち




