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幕間 : イオとオズ(1)

 

 ◆ ◆ ◆




 暗闇の中を踊るサヤの指先。ピアニストが音楽を奏でるように、それはキーボードの上を飛び跳ねる。

 無音の演奏会。暗闇の舞踏会。唯一の観客である柳はその演奏に聴き惚れ、その動きに目を奪われた。

 終わりがないのではと思われた演奏会は、ENTERと書かれた大きな足場で動きを止めた。

 小さな口から微かなため息が漏れる。暗闇を伝わって、それは柳の耳にまで響いた。


「……随分と長いプログラムだったね。何をしていたんだい?」

「フライングマンの逃げ道を用意していたんですよ」

「逃げ道? 捕まえようとしてるんじゃないのか?」

「女でも男でも、ただ追うだけでは捕まえられないものですよ」


 微笑みながらそう言うサヤに、柳は何も言い返すことが出来ない。サヤの笑顔に魅せられたからなのか、言葉の意味が掴み取れないからなのか、柳自身もわからない。


「さて、次は私たちの逃げ道を探しましょうか。奴はもうすでに別の場所に移動中でしょうから」

「……さっきから言ってるその『奴』ってのは誰のことだ? セキュリティからは何の連絡も来てないんだぞ? 僕たちは一体何から逃げているんだ?」

「それは――、」


 その答えは突如遮られた。

 非常通路のかすかな灯りは消え失せ、赤々と点滅する光が二人の顔を交互に照らす。アラームはそこかしこから響き渡り、空中にいくつもの「警告」の文字が次々に浮かび上がる。

 突然の異常事態にもサヤの表情は揺るがない。柳が何事かと騒ぎ立てる頃には、すでにサヤの指先は再び踊り始めていた。


「オイッ! 僕だ、柳だ! 何が起こったのか報告しろ!」

『…………』

「応答しろ! オイ!」


 警備室からの応答はない。どんなに耳を凝らしても無線機からは無機質な音が響いてくるだけ。


「誰も居ないのか! 返事をしろ! オイ!」

『――やかましい声だねぇ。そんなに見つけて欲しいのかい?』


 何度目かの問いかけ。無駄とも思えるその作業に、不意に返事が返ってくる。

 待ち望んでいたはずの応答に、柳は思わず無線機を取り落とした。突き刺すように冷たく、よく通る声だった。


『さて、ここで問題だ。俺が誰だかわかるかい?』

「……し、知るか」

『ふむ、お前はそうだろうな。そちらのお嬢さんはどうだい?』

「…………』

『おや? 一緒に居ると思ったんだが、俺の思い違いだったかな。兄貴からの伝言を伝えようと思ってたんだが』

「――ッ!」


 サヤの指がピタリと止まった。

 身体を取り巻くホログラムキーボードを消して、サヤは床に落ちた柳の無線機を拾い上げる。

 目を閉じて、一つ、深呼吸。

 ゆっくりと開かれた唇から、先ほど遮られた答えが述べられる。


「仙堂に子飼いにされている、人をいたぶるのが趣味の変質者だったかしら。主人とは真逆の全身黒尽くめの格好をしているのは、ささやかな反抗のつもり?」

『ハハッ! 言ってくれるねぇ。前半は大正解だ。だが後半は的ハズレだな。この格好は主とは関係ない、ただの仕事着さ。似合うだろ?』

「主人が誰か隠そうともしないなんて、かなり仕事の出来る人みたいね」

『今さら隠しても意味なんてあるのかい? 俺の格好がわかるってことは、今もどこかから俺を見てるんだろう? まったく、あのお嬢ちゃんと言いアンタと言い、日高ナツの周りには強い女ばかりが居るみたいだな。羨ましい限りだ』

「あらそう? だったらこんな所で油を売らずに美人秘書の募集をお勧めするけど」

『ご提案は痛み入るが、そんな暇はなくてねぇ。そこに居る役立たずとアンタを主の元にエスコートするように仰せつかってるんでね。ついでに、あのお譲ちゃんを過去から呼び戻してくれると個人的には嬉しいんだが』

「あら、私じゃ不満?」

『ああ、不満だね。申し訳ないが、アンタじゃ勃たない』


 ククク、とかすれた笑い声が無線機から響いてくる。柳はいまだ息をするのも忘れているかのように固まったままだ。そんな柳の様子を横目で眺めつつ、サヤは無言でホログラムを射出する。片手で何かのプログラムを打ち込んでいく。


「……お兄ちゃんからの伝言を聞きたいんだけど」

『おっと、アンタとの会話が楽しくてすっかり忘れてた。俺は絶対に死なないから、だとさ。笑えるだろ? 主に殺されることは無いからって舐めてるのかね。それ以上に惨いことなんていくらでもやってる人なのにねぇ』

「そう。伝言ご苦労さま」


 その言葉と共に、サヤは躊躇なく無線を切った。

 まだ固まったままの柳に向かって無線機を放り投げると、サヤは片手で打ち込んでいたプログラムを起動させる。

 その瞬間、非常通路の灯りは元に戻った。それと入れ替わりにどこか遠くからゴゴゴ、という地響きのような音が響いてくる。


「な、なんだ、今度は何だ!」

「警備室のスプリンクラーを作動させただけですよ。まぁ、かなり大量に放出してますが」


 愉快そうにそう呟くサヤを見て、柳は再び固まった。




 ◆ ◆ ◆




「……う、……うう……」


 彼の口から、地響きのような声が漏れてくる。

 読んでいた本にしおりを挟んで、声の主の覚醒を待つ。慌てることはない。何も慌てることはない。

 しかし、待ち遠しかった。

 こんなにも何かを待ち遠しく思ったのは、まだ何も知らなかった、子供の頃以来かもしれない。

 病室の中でイオとオズの訪れを待ち焦がれていた、あの頃。

 何事にも無垢でいられていた、あの頃。

 思い出すだけで胸が苦しくなる。追憶は果実のように甘く、それ故に簡単に溺れてしまう。かつてアダムがイヴがそうであったように。

 禁断の果実は、もう私には必要ない。間違いなら、とっくの昔に犯している。


「う、……あ、……ここ、は……?」


 彼の意識が蘇り、瞼は次第に開かれていく。

 ベッドに横たわったままの彼に向けて、目覚めの挨拶を口にする。


「お早うございます、日高さん」

「ッ! 仙堂、――さん?」


 彼――日高ナツは私が隣に居ることに驚きを隠せない様だ。当然だろう。四日もの間、意識を失うほど彼を痛みつけたのは、私の側近である『影』の仕業だ。私に警戒心を抱くのもしょうがない。

 だがしかし、彼は安堵の表情で息を漏らした。

 今度は私が驚く番だった。


「……なぜそんな顔をされるのか、理解できないのですが」

「だって、俺はずっと仙堂さんとサシで話したかったんですよ」


 顔の半分を包帯に巻かれた状態でも、彼の笑顔は眩しいままだ。

 こんな状況であっても彼は私を恨まないのか。今から自分がどんな境遇に立たされるかも知らずに、私に笑顔を向けてくるのか。

 それでこそ、意味がある。

 私が彼の目覚めを待ったのは、最後の踏ん切りを付ける為なのだから。


「……私も、あなたに話がありました」

「へへ、仙堂さんもスか?」

「あなたに途中で電話を切られてしまいましたからね」

「ああ……。あの時はすいません。ちょっとテンパってたんで……」

「無理もありません。しかし、あの話には続きがあるのです」


 周囲に視線を馳せる。何もない。誰もいない。ここはそういう場所だ。

 これからする話は、彼以外の誰にも聞かせるつもりはない。例え『影』であろうとも、聞くことは許さない。

 視線を戻す。憎しみの欠片もない瞳が私を見つめる。


「あなただけには知っておいて欲しいのです。――イオとオズという、二人の兄妹のことを」


 



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