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第三十五話 : 二度目の別れ(2)

 

 いくらかの残滓を残したまま光の奔流は止んだ。

 強烈な光が徐々に収まっていく中、まるで取って代わるように倉庫に二人の悲鳴が響いた。


「ぐあぁぁぁああ!」

「う、うぅ……!」


 ナツ兄ぃと黒スーツの男は身体をよじりながら地面に倒れていた。二人とも目を抑え、まるで目の中から光を取り出そうとしているみたいに身悶えている。

 わたしはと言えば、ナツ兄ぃの指示通り目を閉じていたから被害を受けることはなかった。ナツ兄ぃの身体が閃光弾を遮ってくれたおかげもある。

 わたしは、ナツ兄ぃにまた守られたんだ。

 苦しそうなナツ兄ぃに駆け寄ろうとして、妙な違和感に気付いた。

 足が変だ。いや、足だけじゃなくて、身体全体が変。立ち上がれないとまでは言わないけど、思うように力が入ってない気がする。

 わたしはまだ一度も被弾していない。脇腹と頬を少しかすり傷を負っただけ。なのに、なんで?


「うぐぅ、……サン、サン!」


 ナツ兄ぃの苦しそうな声で我に帰った。

 地面に倒れた状態のままズリズリと後ずさりしながら、ナツ兄ぃはわたしの居る場所へと近寄ってくる。身体に違和感を抱えたままナツ兄ぃに抱きつくと、ナツ兄ぃは目をかばったまま笑った。その笑顔を見て、強く思った。

 ――この笑顔を、守るんだ。

 まだ目に残る涙を拭って、ナツ兄ぃの肩を抱えて倉庫から出る。

 あの男は視界を奪われただけで、身体の動き自体は支障ないんだ。縛ったりトドメを刺したりするのは危険すぎる。それよりも、ナツ兄ぃを連れて逃げる方が最善だ。

 自分の目的を見失うな。――そうだよね、白秋先生。

 ナツ兄ぃに肩を貸しながら、時折背後からあの男が追ってきていないかどうか確認しながら、わたしたちは数ある倉庫を通り過ぎる。安全そうな場所を見つけて、早く隠れなくちゃ。ナツ兄ぃの傷の手当をしなくちゃいけないし、さっきから続いている妙な違和感のせいもある。身体に力が入らないんだ。

 休憩と潜伏場所を探していると、入り口が大きな吹きさらしになっている倉庫を見つけた。多分、大型の船とかを格納する倉庫だ。一見見晴らしが良すぎて隠れるには不向きだけど、こういう場所こそ逆に追っ手の盲点になるんじゃないかな。

 そう思って中に入ってみると、見事なまでに、どこにも隠れ場所がない。荷物もコンテナも重機すらもない、見渡す限りの殺風景。

 一瞬、昔の家を思い出してしまった。わたしとナツ兄ぃ、ママとパパの四人で暮らした、あの狭くて殺風景なリビングを――

 頭を振り払う。今はそんなこと考えてる場合じゃないんだ。

 この倉庫には船や重機を格納するためのスペースしかない。それだけのためにこんな大きな倉庫を作るだろうか? せめて部屋の角や二階部分なんかに格納以外の用途に使うスペースを作るはずだ。

 そう、例えば、地下室とか。

 その考えが浮かんだ瞬間、月明かりに鈍く反射するものを見つけた。その近くまで行くと、足音ですぐにわかった。この下に空洞がある。ビンゴだ。


「ナツ兄ぃ、地下に潜るよ。足元に注意してね」

「……ああ」


 ナツ兄ぃの目はまだ回復していない。それは良い知らせ。あの黒スーツの男も同様だと言う事だし、何よりナツ兄ぃの身体を支えていられる大義名分にもなるし。

 なんか今のわたし、すごいパートナーって感じ。……守ってもらってばかりで役に立ってないのが悔しいけど。

 鈍く反射する金属製の取っ手を引っ張り、フタを開ける。思った通り、そこは地下室になっていた。先に中の様子を見ると、風が吹きぬけているのを感じた。――この地下室は、どこかに繋がっているんだ!

 どこに繋がってるのかは知らないけど、これぞ渡りに船! 最高の逃走経路だよ!

 ナツ兄ぃを無事に地下室へと下ろして、フタとなっている部分の取っ手を蹴り壊す。また反射されて気付かれたら厄介だし。

 地下室にはかなり古いタイプのランプがあった。ランプのそばに置いてあるマッチを見て、不覚にも感動してしまった。マッチなんて生まれて初めて見た。うまく使えるかな?

 何十本かマッチをムダにして、ようやく部屋の中に明かりを灯すことができた。そうして安全を確保したところで、ようやく一息つく。

 深く深呼吸。身体中の力を抜いて、また込める。あの違和感は今も続いている。全身に力が行き渡らない。そうしているうちに、ナツ兄ぃの視力は回復していた。


「ナツ兄ぃ、大丈夫?」

「…………」

「あ、もしかして傷が痛む? ちょっと待ってて、すぐに止血するから」

「……いや、傷の方は大したことないんだ。……問題は、……眠気と、弛緩剤、だな」

「眠気? 弛緩剤? 何それ? どういうこと?」


 身体を壁に預け、だらんと力なく床に腰掛けながら、ナツ兄ぃは薄く笑った。

 その姿を見て、わたしはようやく気付いた。さっきまでの違和感も、あの黒スーツの笑みの意味も、完璧に打ちぬいたと思ったあの掌底がまったく効かなかった理由も。

 わたしもナツ兄ぃも、力を抜くための薬、弛緩剤を打たれていたんだ。


「……あいつの銃に込められてた弾は多分麻酔弾だ。同時に弛緩針まで撃ち出すタイプなんだろうな。俺のズボンに、よく見ないとわからないくらい小さくて細い針が刺さってた」


 弾丸の周りを覆うように打ち出される弛緩針。たとえ弾丸を避けても、散弾銃のように飛散する針までは完全に避けられない。わたしにも、その針は確実に刺さってたんだ。


「それに加えて、さっき麻酔弾を撃たれちまったからな……。もう、眠くてしょうがねぇ……」


 そう言って、ナツ兄ぃはHPCが入っているハードケースをわたしの目の前に差し出した。力の入らないはずの腕を差し出して、わたしが受け取るのを待っていた。

 それがどういう意味なのか、ナツ兄ぃの表情が語っている。

 わたしがそれを受け入れるはずがないのに。ナツ兄ぃだってそれはわかってるはず。それでもナツ兄ぃはこれを受け取れって、残酷なことを言うんだ。


「……なに、これ」


 このハードケースが何なのかを訊いてるんじゃないことは、ナツ兄ぃだってわかるはず。わたしが訊きたいのは、これを渡すその意味だ。

 ナツ兄ぃはわたしの背後を見つめていた。まだ焦点が定まっていないのか、それとも麻酔弾の効果が出ているのか。

 ランプの明かりに揺れる瞳孔がわたしの瞳を捉える。強い意志を秘めた瞳。わたしの大好きな瞳。でも今だけは、その強さがイヤだ。


「俺を置いて、一人で逃げろってことだよ」

「絶対無理」

「……即答かよ」


 予想していた通りの答え。そりゃ即答するよ。そんなの、わたしの行動のどこにも選択肢として含まれてない。

 ナツ兄ぃを助けるため、ナツ兄ぃの力になるためのこの六年だった。

 そんな年月を過ごしてきたわたしにそんなことを望むのが間違ってる。受け入れるわけがないよ。


「……なぁサン。俺はもう自分の力で動けない。このままじゃ完全にお荷物だ」

「いいよそんなの。だったら本当に荷物みたいに担いで、逃げ切ってみせるから」

「お前も弛緩針を撃たれてる。無理に決まってんだろ」

「……出来るよ。やってみせる」

「ダメだ! そんなことしてたら二人とも捕まる!」

「じゃあナツ兄ぃを身代わりにしてわたしだけ逃げろって!? 出来るわけない! わたし言ったよね、ナツ兄ぃのこと愛してるって! 愛する人にそんなこと出来るわけないじゃない! 二人で捕まる方がよっぽどマシだよ!」

「それだとフゥを助けられないんだよ!」


 身体が、芯から揺れた。

 ナツ兄ぃの言葉が、わたしの意志を、気持ちを、想いを、その一言で切り伏せた。

 二人とも捕まったら、フゥを助けられない? だからわたしにナツ兄ぃを見捨てろって?


「……ひどいよ、そんなの」


 涙が一筋、零れ落ちた。

 ナツ兄ぃの行動の全てがフゥって娘のためなんだって、そんなのわかってたことだ。だけど、だけど……そのためならわたしの気持ちなんてどうでもいいの? わたしの想いなんて、ナツ兄ぃにはその程度のものでしかないの?


「……悪い。でも、それが一番最善の方法なんだ。……逃げろ、サン。逃げて、やってほしいことがある。お前にしか、頼めないんだ……」


 ナツ兄ぃがハードケースを開く。様々な文字の羅列が、HPCの画面に浮かんでは消えていく。


「フライングマンをこの世界に呼び戻すには、白の可視光の波長ともう一つ何かが必要だ。俺が考えたのは、向こう側の世界とこちらの世界の交点だ」

「……聴きたくない」

「いいから聴いてくれ! こちらの世界と向こうの世界、二つの世界には重なり合う部分が絶対に存在する! 二つの違う歴史が交わる交点! この地点で白の波長を使えば、フゥを救えるかもしれないんだ!」

「聴きたくない!」

「サンッ!」


 耳を塞ごうとするわたしの手をナツ兄ぃが奪う。

 弛緩針を撃たれているはずなのに、麻酔で意識が混濁しているはずなのに、ナツ兄ぃの力は強かった。

 ナツ兄ぃの意志の力が、身体を支えている。

 その源は、フライングマンの少女を救いたいって言うナツ兄ぃの想い。

 悔しくて涙が出た。ナツ兄ぃの心は、その人だけにしか向いてないんだ。……わたしじゃなくて、フゥにしか。


「このHPCには、フゥが時空間移動していたゲートの磁場のデータが入ってる。その磁場から向こうの世界を予測、構築してる。あと四日後には、こちらの世界との交点をみつけてくれるはずだ。……うまくいくかどうかは、まだわかんねぇけどな」

「…………」

「この実験を実証するには、管制塔の施設が使えないと無理だ。仮に今逃げられても、追われてる身じゃ待ち伏せされて、実証なんて不可能だ。だったら、俺が捕まればいい。仙堂さんも警戒を解くはずだ。……そうすれば、フゥを迎えに行くことが出来る……!」

「…………」


 もう、何も言えなかった。

 悔しかった。何もかもが悔しくて、涙だけしか出てこない。

 ナツ兄ぃは自分を犠牲にしてでも、その娘を助けたいんだ。わたしだってそれに負けないくらいナツ兄ぃを助けたいのに、わたしにはそれが出来なかった。ナツ兄ぃを守ることが出来なかったんだ……!


「いやだ……いやだよぅ……」

「サン……」

「ナツ兄ぃを見捨てるなんて、出来ないよぅ……ひっぐ、い、一緒に、逃げようよぅ……」


 涙が止まらない。鼻水まで垂れて顔中ぐしょぐしょだ。

 六年間、必死に力を身につけてきた。あの時ナツ兄ぃが連れて行ってくれなかったことを後悔させてやるんだって、必死に力をつけてきた。

 なのに、なに? 今のわたしは、どこから見たって子どもだ。

 また置いていかれる。またナツ兄ぃは行ってしまう。子どものままじゃダメなのに。パートナーとして、扱って欲しいのに……!


「やだ……やだぁ……!」


 心が破裂しそうだった。

 情けない自分、何の意味もなかった六年間が、脆くも崩れ去っていく。

 麻酔弾と弛緩針をまともにくらって、もう意識も虚ろなはずなのに、ナツ兄ぃは微笑み続ける。……こんな役立たずなわたしに向けて。


「ナツ兄ぃが捕まるなら、ひっぐ、……わたしも、一緒に……」

「――サン」


 ナツ兄ぃの手が、わたしの手を捕まえて引き寄せる。抵抗することなく、わたしの身体はナツ兄ぃの腕の中に納まった。

 懐かしい匂いがした。ナツ兄ぃの匂い。小さい頃、いつもそばにあった匂い。

 ナツ兄ぃの腕にぶら下がって、背中に乗っかって、膝の上に寝転がって。

 いつもそこにナツ兄ぃがいた。いつもその匂いを感じてた。

 わたしの大好きな、とても大事な、ナツ兄ぃの匂い。その匂いが、破裂しそうな心を優しく包み込んでくれた。


「お前、もしかして俺が死ぬとか思ってんのか? ……死ぬわけねぇだろ。俺は、死んでる暇なんて、……ねぇんだ」

「だけど、だけど……!」

「……それに、……前に言わなかったか? 仙堂さんはな、『殺人』を憎んでるんだ。そんな人が、俺を殺すわけないだろ? ……あの黒服の奴だって、実弾じゃなくて麻酔弾を使ってたしな。きっとそれも、仙堂さんの指示だ」

「そんなの、……そんなのわかんないじゃん!」

「わかるんだよ、俺には」


 その穏やかな声に、わたしは言葉を失った。

 なんでそんなに優しい声で話せるの……? 仙堂はナツ兄ぃを裏切ったって言うのに、どうして……?


「……あの人と俺は、同じなんだ。俺だって、進む道が違っていれば、仙堂さんと同じことをしてたかもしれない……。だから、わかるんだ」


 そう言いながら、ナツ兄ぃは首から下げているペンダントを外して、わたしに差し出した。

 苦しいはずなのに、もう意識が泣くしてもおかしくないはずなのに。

 ナツ兄ぃは無理やりそれをわたしの手に受け取らせて、ニコリと微笑んで――、


「フゥのこと頼むぜ、……相棒」


 ――そんなことを言うんだ。


「……ずるいよナツ兄ぃ。こんな時に、そんな言葉……」

「本心だよ。お前だから、安心して頼めるんだ。お前ならきっとやり遂げてくれるって信じてるからな」

「…………」

「それにもう一つ、頼みがある」

「……なに?」

「フゥとフカちゃんに、迎えに行けなくてごめんって、約束守れなくてごめんって、謝っといてくれないか?」


 フカちゃんの記憶、メモリーチップが入ったロケットのペンダント。フゥのいる世界との交点を検出中のHPC。それらを抱えながら、わたしはブンブンと首を振った。

 鼻をすする。涙を拭う。

 ナツ兄ぃの顔をまっすぐに見て、わたしは言った。


「自分で言いなよ。後で、二人に直接会った時にさ」

「……ああ、そうだな。そうするよ」


 安心しきったような表情で、ナツ兄ぃの身体から力が抜けた。

 だらんと壁にもたれかかるその姿を見ていたら、ようやく固めた決意が揺らぎそうだった。

 ナツ兄ぃのために過ごした六年だった。

 ナツ兄ぃの力になれることをずっと望んできた。

 だったら、わたしが今やるべきことは――!


「……待っててナツ兄ぃ。フゥのお迎えが終わったら、今度はナツ兄ぃのお迎えに行くからね。勝手に死んじゃったりなんかしたら、許さないからね……!」

「ああ、約束する。……俺は死なない、死んでたまるかよ。あの時のお前との約束も、まだ果たしてないもんな」


『今度ナツ兄ぃのうちに遊びに行くよ!』

『そうだな。……全部、終わったらな』


 六年前、ナツ兄ぃがわたしたちの前からいなくなったあの日に交わした約束。ナツ兄ぃは、覚えていた。覚えて、いてくれたんだ……。

 視界がまた歪む。ナツ兄ぃの笑顔が涙で霞んでいく。

 そのままわたしはナツ兄ぃに背を向けた。目の前には風が吹きぬける通路がある。

 一歩、足を踏み出す。

 ナツ兄ぃの視線を背中に受け止めたまま、わたしは一人歩いていく。

 立ち止まらない。一度でも立ち止まったら、もう進むことなんて出来ないから。

 歯を食いしばって、止まらない涙に気付かれないように、背を向けたまま、ナツ兄ぃに告げる。


「……ナツ兄ぃ。わたし、きっと迎えに来るから! 絶対、迎えに行くからね!」

「ああ。頼りにしてるよ、相棒」


 その言葉を聞いた瞬間、わたしは走り出した。

 先の見えない真っ暗な通路を、ただひたすらに、振り返らずに。

 左手にハードケース。右手にペンダント。心に大きな使命感と後悔を抱いて、わたしは駆けて行く。

 ナツ兄ぃとの、二度目の別れ。

 今度は、わたしが置き去りにする方だった。


 

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