第二十六話 : 明確な殺意の塊
「お、おま、なんで、えぇっ? なんでここにいんだよ、サン!」
昨日とほぼ同じセリフのナツ兄ぃ。まるでデジャブ。
違うのは場所と、人数と、わたしの顔が泣き顔じゃなくてしてやったりの表情だってこと。
あの街の外れにポツンとあったアパートとは違う高級な造りのホテルの一室。これこそ正に研究室って感じのいろんな機材がそろったその部屋で、ナツ兄ぃは口をあんぐり開けて、驚愕の表情でこちらを見ていた。
「久しぶりだね、ナツ兄ぃ〜♪」
「やはりこちらでしたね、日高さん」
昨日かっこ良く言えなかった再会の挨拶を、皮肉の意味を込めて思いっきり笑顔で言ってやる。
隣にいるおじさんとハイタッチ。ホント、このおじさんがいなかったらこんな簡単にナツ兄ぃを捕まえられなかったよ。
「……まさか、仙堂さんがサンをここに連れてきたんですか?」
「はは、いいじゃないですか日高さん。こんなに可愛らしいお嬢さんの頼みです。断る道理はないでしょう」
「……はぁ、ったく」
観念した様子のナツ兄ぃ。その背中に乗っかって、わたしは「にひひ」と笑った。
◇ ◇ ◇
話は少し遡って、その日の朝――ナツ兄ぃがわたしを置いてけぼりにしていなくなった時のことだ。
ナツ兄ぃの部屋の中で、ナツ兄ぃが向かった場所の手掛かりを探していたところに、頭から靴先まで真っ白な格好した一人のおじさんがやってきたんだ。
「日高さん、いらっしゃいませんか? 仙堂ですが」
……センドウ? センドウってたしか、この部屋でナツ兄ぃと会う約束してた人だよね。
『仙堂さんですか? 開いてますよ』
『意外と早かったすね、仙堂さ――、』
昨日わたしがこの部屋に入ってきた時、ナツ兄ぃはわたしのことを『センドウ』って人だと勘違いしていた。それは、ナツ兄ぃがこの場所で誰かと会う約束をしていたってことに他ならない。
ってことは、『センドウ』って人がナツ兄ぃの協力者で、今までナツ兄ぃの居場所をつかめなくしていたのはこの人か、その関係者ってことになる。
だとしたら話は簡単。この人に話をつければいい。
突然テーブルの下から飛び出してきたわたしに面食らうおじさん。その顔をおもっきり指差して、声高々に宣言してやる。
「やい、白ジジイ! ナツ兄ぃをどこへやった!?」
「し、白ジジイ……」
「知らばっくれたらブン殴る! それか蹴っ飛ばす! さぁ教えろ! 五秒以内に、――ッ!」
その瞬間、身体中を貫くような何かを感じた。
言葉を途中で切って、わたしはその場から急いで飛びのく。着地と同時に身をかがめ、戦闘態勢を整える。
さっきわたしを貫いたあの気配。殴るとか蹴るとか、そんな生易しいものじゃない。あれは明確な殺意のような、心臓を一突きにするようなそんな気配だった。
部屋の中に居るのはわたし以外にはその白いおじさんだけ。でも、そのおじさんからじゃない。おじさんの背後、半分だけ開かれたドアの陰から、その気配は漂ってくる。
あのおじさんのそばに、殺意を振りまく『何か』がいる。
緊張に身を包んだわたしをなだめるように、おじさんは合図のように片手を上げて、落ち着いた声で話しかけてきた。
「怖がらなくても大丈夫ですよ、お嬢さん」
おじさんのその言葉で、シャワーのように降り注いでいた殺意はピタリと止んだ。
ドアの向こうからはもう何の気配もしなかった。存在感を殺意だけで表していたその『何か』は、殺意と一緒にどこかへ消えてしまったみたい。
いきなりとんでもないものを食らわされて意気消沈気味になって、完全にその場のペースをおじさんに握られていた。
「それにしても素晴らしい敏捷性ですね。何かスポーツでもやってらっしゃるのですか?」
「……え、まぁ、空手みたいなものだけど……」
「素晴らしい。先ほどの反応から察するに、長年培われたものだとお見受けします。一つのことをずっとやり続けることは根気と信念を必要としますからね。尊敬に値しますよ」
「え、そ、そうかな?」
「ええ、少なくとも私はそう思います。……失礼、まだお名前をお伺いしていませんでしたね。私は仙堂ジンと申します。あなたのお名前は?」
「えと、夕凪サン、だよ」
「夕凪サン。良い名前です。強い意志と活力に溢れている。名はその人の在り様を示すと言いますが、あなたほど名前と在り様がピッタリな人と出会うのは初めてですよ」
落ち着いた表情と口調で綴られる賛美の数々。
殺意の塊のせいで毒を抜かれたわたしの頭に、おじさんの言葉はすいすいと吸い込まれていく。
わたしなんかおじさんに比べたらかなり年下の子供なのに、わたしをちゃんとレディとして扱ってくれるこの待遇に、わたしはすっかり心を許してしまっていた。
「……おじさん、紳士じゃん。格好は変だけど」
「お恥ずかしい。紳士ならば女性にお茶の一つもお出ししたいところですが、この部屋では少々勝手がわかりません。近くにひいきにしてもらっている店があるので、あなたさえよければそちらで紅茶でもいかがでしょう。あなたも、私に訊きたいことがおありでしょうから」
「……変なことしたらぶっ殺すけど、それでもいいなら」
「フッ。そうならないよう、努力しますよ」
爽やかな笑みを浮かべつつ、おじさんは部屋を出て行く。
おじさんの後について部屋を出る瞬間、あの突き刺すような気配を思い出して身構える。
ドアの向こうには何もいなかった。
ホッとしながらおじさんの後についていく。ついていった先にあるお店で上品な朝食をご馳走になった頃には、もうあの気配のことはわたしの頭から忘れ去られていた。
◇ ◇ ◇
「……それで、そのままサンをここまで連れてきちゃったわけすか。……はぁ」
センドウのおじさんと朝食を済ませてからほんのニ、三時間後。あのアパートとは一線どころか何層も壁を隔てたレベルの高級ホテルの一室で、ナツ兄ぃはため息と共にそう呟いた。
おじさんには、わたしとナツ兄ぃの関係、この六年間にわたしが身につけた力のこと、ずっと抱き続けてきた思いなんかを全部話した。別に隠すことじゃないし。
おじさんは話が上手だ。ナツ兄ぃの居場所や、ナツ兄ぃとの関係を訊き出そうとしてしていたのに、気付いたらわたしの方がナツ兄ぃとの関係を全て話すハメになっていた。
やっとわたしが訊きだす番になってから、おじさんは「その話は日高さんを交えてしましょう」とこの場所へと案内してくれた。なんでも、あのアパートもこのホテルの一室も、全ておじさんがナツ兄ぃのために用意したものだったらしい。……何者なんだろ、このおじさん。
ま、そんなことはともかく。
せっかくナツ兄ぃをこうして再び捕獲することに成功したんだ。今度こそ、話つけてやる。
「ナツ兄ぃ、わたしの気持ちは変わってないからね。何でもやるからナツ兄ぃの助手にしてよ。絶対に役に立てるから! これマジ!」
「だからそれは……」
「良いではないですか、私もお嬢さんの意見には賛成ですよ」
「な、なに言ってるんすか仙堂さん!」
「日高さん一人きりで研究を続けるのはいかがなものかと前々から思っていたんですよ。お互いに気を置かない間柄でしょうし、私が助手を用意するよりもその方がよろしいかと。それに、このお嬢さんの行動力と知識量には眼を見張るものがあります。日高さんのお力にきっとなれると私は思いますが、いかがでしょう?」
「そうだよ、そうだよ! ここまでたどり着いたわたしの功績、いかがでしょう!?」
「う〜ん……。まぁ仙堂さんがそこまで言うなら……」
「そこまで言うならッ!?」
「……わかったよ俺の負けだ。サン、よろしく頼むよ」
「うっきゃ〜〜! ありがと、ナツ兄ぃ! ありがと、センドウのおじさ〜〜ん!」
こうしてわたしは念願叶ってナツ兄ぃの手伝いをすることになったんだ。
この時のセンドウのおじさんの優しい笑顔を、わたしは今でも覚えてる。
この人がどうしてナツ兄ぃにあんなことをしたのか、今でもわからない。
あの優しい笑顔の裏でおじさんが考えていたことは……一体なんだったんだろう。