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第二十五話 : そして少女は出会った

 

『ま、とりあえず無事でよかったけどね』


 テーブルの上に置かれた携帯から穏やかな声が聴こえる。

 ついさっきまで怒涛の勢いで怒りまくっていた人と同一人物とは思えない、とても穏やかな声。

 部屋の隅でガタガタ震えるわたしとナツ兄ぃ。穏やかになったからって油断はできない。いつまた爆発するかわかったもんじゃない。

 なにせ、相手はあのママだ。

 二回目の爆発に被爆しないよう注意しながら、わたしはそろそろと携帯を耳にあてた。


「……ホ、ホントに、ごめんねママ」

『ん、わかればよろしい。で、ここからは女の話になるんだけど』


 ママの口調が微妙に変化した。……なんだか嫌な予感がする。

 この口調には聞き覚えがある。これは、ママがサヤ姉ぇやパパをからかう時と同じ口調だ。


『アンタ、今日はちゃんと勝負用の下着なんでしょうね』


 ――瞬間、思考が吹っ飛んだ。

 ママの言葉を空っぽの頭の中で反復する。くるくると言葉が回転する感じ。

 わたしもなぜかくるりとその場で回転。部屋の隅にいるナツ兄ぃと目が合った。


「…………ッ!!」


 頭が爆発したのかと勘違いするくらい、一気に血が駆け巡った。

 身体の中で太鼓でも鳴ってるのかってくらい、心臓が身体全体を揺り動かせる。

 さっきまでのママへの恐怖のドキドキとは全然違うどきどき。『ドキドキ』じゃなくて『どきどき』なのがポイント……って、そんなのどうでもいいんだけど!


『なによ、もしかして今さら緊張してるの? あ、まさかムダ毛処理してないとか?』

「な、なな、なに言ってんのよママーッ!」

『あ、図星? だから常に見られることを意識しろって言ってるじゃない。男って妙なとこで急に冷めたりするんだから、勝負どころでは下準備を完璧に、ってそういう意味の下じゃないからね。あっはっは、上手いわあたし』

「だ、だからそういんじゃないんだってばーッ!」

『なによ、そりゃかなりオヤジ入った発言だったのは認めるけど』

「……あのねママ、よく聞いてね。そりゃそうなったらそうなったで嬉しいんだけど、そういうのを期待してここまで来たわけじゃなくてね、わたしはただ単純にナツ兄ぃに会いたいからってそれだけで、ってそれだけってわけでもないんだけど、……うわあぁ、何言ってんだわたし……!」


 電話の向こうからゲラゲラとママの笑い声が聴こえる。

 ……絶対楽しんでる。わたしのテンパリ具合を堪能して楽しんでるよ。くそ、心配させたことへの腹いせのつもりか。

 突然大声を出したわたしに「なんかあったのか?」と訊いてくるナツ兄ぃ。「なんでもないよ!」って言ってはみたけど、まともにナツ兄ぃの顔が見れない。見れるわけがない。

 くそ、ママが余計なこと言うから意識しまくりだよもう!


『ねぇサン。アンタも成長したわよね』

「……なにそれ? またオヤジ発言?」

『それもちょっとはあるけどね。本当にそう思ったから言ってるの。あたしがずっと言ってたこと覚えてる? 本当に必要なものを見分けられるようになれって、アンタが赤ん坊の頃からあたし、ずっと言ってたわよね』

「……うん、覚えてる」

『そうやって育ててきたサンが過ごしたこの六年を、あたしは一番そばで見てきたわ。サンがどれだけ頑張ってきたのかも全部知ってる。だからね、これだけは言っとくわ。思い残しなんか一欠けらも残らないくらい、思う存分やってきなさい!』

「ママ……!」

『アンタはあたしの自慢の娘よ! アンタがやろうとしていることに口出しするつもりなんかこれっぽっちもないからね、やるんなら徹底的にやんなさい!』

「うんッ!」

『あと、連絡はちゃんと毎日しなさいよ。うちにはもう一人、アンタのことを心配しまくって研究に手がつかない人がいるんだから』

「わかった!」

『うん、いい返事。それじゃナツに替わってくれる? 母親としてアンタの世話を頼まなくちゃいけないからね』

「はーい!」


 携帯をナツ兄ぃに返して、わたしは一人感激に身を震わせた。

 やっぱりママはわたしのこと全部わかってくれてる! わたしのことをいつも見ててくれてるんだ!

 おちょくられたり変なレッスンを受けさせられることがよくあるけど、って言うかほとんどそんなことばっかりしてる人だけど、やっぱり最高だよ、ママ!


「ああ、わかった。ミオ姉ぇも元気でな。……は? なんだそりゃ、どういうことだよ? ……ああ、そうする。じゃあな、ミオ姉ぇ」


 不思議そうな顔で携帯を切るナツ兄ぃ。そのままわたしにむかって一直線にやってきた。

 うわ、ヤバイ! さっきママに変に意識させられたこともあってまだナツ兄ぃと面と向かって話せないってのに!

 そんなあたふたするわたしに、ナツ兄ぃはとんでもない一言を浴びせた。


「なぁサン。さっきミオ姉ぇに『サンは初めてなんだから優しくしなさいよ』って言われたんだけど、何のことかわかるか?」


 ――その瞬間、頭の中が空爆された。

 動揺とか恥じらいとか緊張だとか。そんなものを全てなぎ払ったその攻撃は、頭の中をきれいに一掃して、一面を真紅の色に染めあげた。

 要するに、わたし、超真っ赤。


「だーーッ! うわーーッ! とーーッ! あちょーーッ!」

「うわ! 何暴れてんだよサン! 落ち着け!」

「ナ、ナツ兄ぃこそ、な、何を、何を言いやがりますかーーッ!」

「え、だから、さっきミオ姉に……」

「うわーーッ! やっぱ言わないでーーッ!」

「……どっちなんだよ。ってか暴れんなっての!」


 うわ、うわわ、うわーーッ! ママ、何を余計なことをーーッ!

 どうせ『サンに訊けばわかるから』とか言って、わたしに向かってあのセリフを言うように仕向けたんだ! ママならやる! 絶対にやる! そんで今頃こうなってることを想像してゲラゲラ笑ってんだ!

 もー! やっぱ最低だあの人!


「ナ、ナツ兄ぃ! わたしもう寝るから!」

「ああ、そうか。長旅で疲れただろうしな。ってかメシは? 食わないのか?」

「要らないから! むしろダイエット中だから! そんでもっておやすみ! また明日!」


 ナツ兄ぃの返事を聞く前に、わたしはダッシュで寝室っぽい部屋に逃げるように飛び込んだ。って言うかホントに逃げたんだけど。

 寝室の扉を閉める。ナツ兄ぃの目が届かない場所まで来てようやく一息つけると思ったその時、気付いてしまった。

 どうやらわたしが逃げてきた場所は、地雷原だったみたい……。


「んぎゃーーッ!」

「ど、どうしたサン!?」

「うわーーッ、来ないでいいから! 来ないでもいいからぁ!」


 扉をガッチリとロック。でも目の前にも相当な破壊力を誇る地雷が立ちはだかる。

 わたしの目の前には、大きなサイズのベッドが一つ、寝室のど真ん中に鎮座していた。

 ……考えてみれば当然だよね。ナツ兄ぃはここで一人で暮らしてるんだから、寝るとこは一つで充分なんだ。当然、ベッドは一つだ。

 ベッドは一つ。今夜ここで眠る人間は、二人。


「あれぇ、計算が合わな〜い? ――なんて言ってる場合じゃないじゃん!」


 え、どうすんのコレ? どうやってどうにかするの? って、どうにかなるってこと確定? えぇ! わたしどうにかされちゃうの!?


「だーーッ! うわーーッ! とーーッ! あちょ〜〜♪♪」

「だから暴れんなっての! ……最後ちょっと笑ってなかったか?」

「もうどうにでもなれ〜〜ッ!」

「……? 意味わかんねぇ」


 不思議そうな声がリビングから聴こえる。そして、わたしの胸からはうるさいくらいの心臓の音が聴こえる。

 こんなに心臓がうるさく感じたのは、あの時――ナツ兄ぃに初めてキスしたあの時以来だ。

 シーツを頭から被ってみた。もちろん緊張が解けるわけもないし、どきどきが収まるわけでもない。むしろ倍増していく一方。


 そんな中で、数時間が経過した。


 ナツ兄ぃがいつこの部屋に来るのか、ナツ兄ぃが来たらどうなっちゃうのか、想像するだけでどきどきして、とても眠ってなんかいられなかった。

 ナツ兄ぃが言ってた通り長旅だったし、何十人と聞き込みしたし、興奮して叫びまくってたのもあって(これが一番疲れた)、気を抜けばすぐに眠れる状態ではあるんだけど、どうしても眠れない。

 ……ダメだ。こんな状態がずっと続いたらわたし壊れちゃうよ。そうなったらナツ兄ぃの力になんかとてもなれない。足手まといにだけは絶対になりたくないのに。

 そうだ、変に意識するからダメなんだ。

 これからはずっと一緒にいるんだから、一緒のベッドで寝ることくらいでいこんなに取り乱してちゃダメだ。


「よし、行くぞ」


 ベッドから降りて、リビングへ向かう。

 向こうからこないならこっちから行ってやる。受身のわたしなんて、らしくないよね。


「あ……、まだ起きてたのか、サン」


 少し慌てた様子で、ナツ兄ぃは寝室から現れたわたしにそう言った。

 テーブルの上はさっき見た時は違ってキレイになっていた。……片付けでもしてたのかな?


「うん、ちょっと眠れなくて。……ナ、ナツ兄ぃはまだ寝ないの?」

「ああ、片付けが終わったら寝るつもりだから、もうちょっとだな」

「……そう、なんだ。わたしも手伝おうか?」

「いいっていいって。もう終わるから、気にしないで先に寝てろ」

「う、うん。……あ、あのね、ナツ兄ぃ!」

「あ?」

「あ、えっと、その、……わ、わたし、寝相悪いかもしんないから、蹴っちゃったらごめんね。い、一応先に謝っとく」

「……? 蹴るって、何を?」

「えっと、ナツ兄ぃを」

「?? ……! ああ、そんなこと気にしてたのかお前!」


 そんなことぉ? わたしにとっては人生の一大イベントだよ! ……とは口に出しては言えないから、とりあえず無言。

 ナツ兄ぃは爽やかに微笑みながら、あれほど覚悟していた一大イベントをあっさりと覆す一言を浴びせかけた。


「気兼ねなんかしてないでゆっくり寝ろって。俺は今日はそっちのソファで寝るからさ」


 …………ソファ?

 ナツ兄ぃが指差したその先に向かって、わたしの首がゆっくりと回る。

 たしかにそこにはソファがあった。三人は座れるくらいの、大きくてゆったりしたソファ。

 それを見た瞬間、金縛りが解けたような安堵感と、せっかく何時間もかけて準備した覚悟がムダだったことへの失望感が同時にやってきた。わかりやすく言うなら、ホッとしたけどだったらそれ先に言えよ、ってな感じ。


「わかったよ! とっとと寝るから! おやすみ! バカ!」

「おお、おやすみ。……なんで『バカ』?」


 寝室の扉を思い切り閉めてベッドに飛び込む。

 何時間にもわたる緊張からの解放と旅の疲れもあって、わたしが眠りに落ちるのにそう時間はかからなかった。

 扉の向こうでナツ兄ぃが呟いた言葉も、その時のわたしの耳にはもう、届いていなかった。


「……ごめんな、サン」




  ◇ ◇ ◇




 ――翌朝。

 雲一つない空、文句一つない開放的な天気、そこにそびえる清々しい朝日。

 そのまま何の問題もなければ、一日の始まりには最高のシチュエーションのはずだった。

 何の問題もなければ、ね……。


「……いない。いない、いない! ――ナツ兄ぃがいない!」


 現在時刻、午前十時。昨夜の緊張の疲れのせいか、いつもよりも寝坊したわたしが扉の先に見たのは、誰もいないリビングだった。

 ソファにも、トイレにも、キッチンにも、窓の外にも、テーブルの下にも、ナツ兄ぃはどこにもいない。それどころか、昨日テーブル中を埋め尽くしていたはずの研究道具も姿を消していた。

 あるのはテーブルの上に置かれた料理だけ。そして置手紙。

 読まなくてもなんとなく中身が想像できるシチュエーション。それはわたしの予想を裏切ってくれることなく、笑えるくらいに想像通りの内容だった。


『悪い。やっぱり助手はダメだ。約束は、俺が一人で果たす』


 ……なにこれ? たったこれだけ? 素っ気なさすぎでしょ、ナツ兄ぃ。

 二度も置いてけぼりをくらわされたことにも腹が立つけど、それよりも、こういう事態を予想してなかった自分自身にも腹が立った。

 発信機とか用意しておけば、昨日何が何でもナツ兄ぃが寝るまでそばに居れば、逃げ出さないように手足を縛っておけば、入り口に何か仕掛けておけば、もっと早く起きていれば――!

 予測していれば対処はいくらでもしておけたのに……!

 ナツ兄ぃを見つけたことで浮かれてて、そんなことさえも考えられないなんて……!

 そうまでして、わたしを巻き込むのがイヤなの? そこまで、その『約束』ってのはナツ兄ぃにとって大事なものなの?


「面白いじゃない、ナツ兄ぃ……!」


 ナツ兄ぃがそうまでしてわたしから逃げるのなら、何が何でも追っかけてやる。

 もう逃げられないところまで、ナツ兄ぃの方が音を上げるくらいまで、追っかけまくってやる。

 わたしはもう、あの頃のわたしとは違うんだ。――わたしの意志の強さ、なめんなよ。


「……とは言うものの、手掛かりは一つしかないんだよねぇ」


 昨日交わした会話の中に重大な手掛かりを残していること、ナツ兄ぃは気付いてもいないだろう。もっとも、もしそれが今度のナツ兄ぃの居場所を探る手掛かりじゃなかったらアウトなんだけど。

 もう一つくらいどっかに手掛かりが落っこちてないかと部屋の中を見回してみる。

 まず目をやったのがテーブルの下。一番始めに目をやったその床部分に、何か不自然なものがくっついていた。人差し指がちょうど入るくらいの半円型の鉄の輪が、床からはみだしていた。


「……なんだろコレ? ドアの取っ手?」


 テーブルの下にもぐりこんでそれを引っ張ろうとした瞬間、入り口のドアが開く音がした。

 思わずテーブルに身を隠す。ドアを開けた人の足元だけがやっとで見ることができる。

 ナツ兄ぃ? ……いや、それはないよね。じゃあ、もしかして――。


「日高さん、いらっしゃいませんか? 仙堂ですが」


 白い革靴のそのおじさんは、わたしが居ることにも気付かずにそう名乗った。

 ……やっぱりわたし、昨日からツイてるみたい。

 ナツ兄ぃの居場所を知るための唯一の手掛かりが、まさか向こうからやってくるなんて――。



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