第四十一話 : 月灯りの下、二つの誓い
――現在時刻、午後八時。ゲートが開くまであと四時間。
過去旅行最後の夜をそれぞれ思い思いに過ごす日高家の面々。ある者はこの時代での最後の食事を満喫し、ある者は帰還のための荷物の整理をし、ある者はテレビ番組を見ながら腹を抱えて爆笑し、ある者は縁側から空を見上げ、ある者はその傍らに座って同じように空を見上げていた。
真円のような満月が二人を照らす。昼間の熱気をまとった姿が嘘のような涼しい夜風が二人の身体をすりぬける。
「……月ってさ、なんで日によって欠けたりとかしてんだろうな。フゥ、知ってる?」
『ツキハイツデモ、ナニヒトツ、カワラナイ。ドノソラデモ、ドノジダイデモ』
「え? でもこの間見た時はなんかこう、ぐに〜って感じで歪んでたぞ?」
『タイヨウノヒカリ、ヲ、ハンシャシテ、ツキハソノスガタヲ、アラワシテイル。カケテイルノデハナク、ミエナイダケ』
「ただ見えないだけで、月はいつでもまん丸ってことか。ハハ、『見えない存在』のフゥが言うと説得力あるよな」
『ミエナイ、ソンザイ? ……ソウ、ダ。ツキハ、ワタシトオナジ、ダッタンダ』
見えなくても確かにそこに居る存在――さまよえる者フライングマン。真っ白な瞳の少女は、柔らかな笑顔を浮かべて空を見上げる。
自らと同じ境遇の仲間。長い刻を共に過ごした親愛なる同胞。あの平原で、そして様々な時代で、空を見上げていた本当の理由を、フゥはやっと理解できた気がした。
『ナツ。アナタハ、フシギナヒト。ワタシガ、キヅカナカッタコトヲ、カンタンニ、キヅカセテクレル』
「え、いや、その。べ、別に大したことはしてねぇけどな」
『ダカラコソ、ワタシハ、シンジラレル。イツカキット、アナタガ、ムカエニキテクレルト、ココロカラ、シンジラレル』
「……ああ、待っててくれな。絶対に約束は果たすから」
フゥと同じように月を見上げながら、ナツはそう誓った。
ナツの誓いを支えているもの。それは、愛海が話してくれた見えない半分の糸――絆だった。
『この絆を信じている限り、私たちはまた会える』
それは愛海の言葉。ナツの心から迷いを振り払ってくれた言葉。
「『見えない存在』が居るんだから『見えない糸』だって、きっとある」
真円のような満月が二人を照らす。ナツの誓いを、フゥの希望を、二人の未来を照らすように。
◇
――現在時刻、午後十時。ゲートが開くまで、あと二時間。
涼しい風が吹き渡る日高家の屋根の上。真円のような満月を一番近くで見られる場所で、わたくしは一人満月を眺めているのでした。別に月が好きというわけではありません。ただ、やはり丸いものを見つめていると気持ちが落ち着くのです。刻々と迫り来るタイムリミットを前にざわめく心が、少しでも安らぐのです。
……あと、二時間。あと、たった二時間……。
月は相変わらず世界を見下ろしています。ナツやフゥのことなどお構いなしに。わたくしの覚悟など、関係なしに。
本来『俯瞰の眼』はああ或るべきなのに。目の前の真実を視て、その『眼』に記録する。干渉してはならない。深入りしてはならない。ただただ『視る』だけ。それこそが『俯瞰の眼』の本来あるべき姿だと言うのに。
……どうして、どうしてわたくしは……。
「――やっほ、フカちゃん」
はわわわわ!! ミ、ミオさん! な、なんでこんなところに!?
「も〜、フカちゃんたらいつの間にかどっか行っちゃってんだから。あたしに居場所を探させるなんていい度胸してんじゃない。――よっと」
ヒラリと屋根によじ登ってくるミオさん。まったく、なんて危ないことをしてるんでしょうか。わたくしは空を飛べるから安全だと言うのに、妊婦がこんな場所によじ登ってくるなんて普通ありえませんよ。
「こんなトコだから都合いいのよ。一度フカちゃんとはサシで話をしたかったのよね」
何ですか、話とは? ……何かちょっと怖い感じもしますけど。
「なんでよ? 別にとって食うわけじゃないっての。フカちゃんはどうすんのかな、と思ってさ」
どうする、とは?
「ハッキリ言うわね。あの娘のために自分を犠牲にするのか、それとも『俯瞰の眼』の本分を全うして傍観者でいるのか。そのどっちを選ぶのかを訊いてるの」
――ッ! ミオさん……、気付いて、いたのですか?
「あたしを誰だと思ってんのよ、――卯月ミオよ! しかもつい最近母親としてバージョンアップしたてだからね。当社比1・5倍ってことでよろしく」
……まったく。ついさっきまでテレビを見ながら爆笑してたかと思えば変なところで鋭いんですから。あなたには敵いませんよ。
「まあねん♪ ま、ちょっと考えてみればわかることよ。あの二人が別れた後、どうやって再会するのか。どんな方法を使えば可能か。そしてそれを実行できるのは誰か。ここにいるメンバーでその条件に該当するのは、たった一人――フカちゃんだけ」
…………。
「あたしは未来に還った後はあの娘のことを思い出すことはないだろうしね。ナツみたいに強い思いをあの娘に抱いてるわけじゃないし、ナツの頼みじゃなかったら食中毒のせいにしてあの娘を助けるつもりもなかった。どっちかって言うと、もう関わりたくないって言うのが本音かな」
『絶望の唄』が響いたあの日、ミオさんにも絶望は降り注いだのです。お腹の中の子供が死んでしまうという、ミオさんにとってはこの上ない絶望。その元凶であるフゥに対してミオさんがいい印象を抱いていなくても、それは仕方のないことですよ。
「ナツはあの娘に心底惚れてるみたいだしね。単純な奴だから、あの娘のために動く理由はそれだけで充分説明がつくんだけど……。問題はフカちゃんの方なのよ。『俯瞰の眼』は傍観者のハズでしょ? なんでフカちゃんはそこまであの娘に肩入れするの?」
……なぜなのでしょうね。その答えをずっと考えていたのですが、明確な答えはいまだに出てきません。震えるほど臆病なくせに、逃げ出したくなるほど怖いくせに、それでも決心だけは揺るぐことはありません。
ナツは生涯をかけてフゥを救うと誓いました。フゥはそれを信じて待つと言いました。わたくしは、そんな二人を再会させたいのです。二人をつなぐ見えない糸に、二人の『絆』になりたいのです。
「……そう。フカちゃんがそう決めたんだったら、しょうがないわね」
わたくしの答えに満足したのか、それとも何かを諦めたのか、どちらとも取れるような表情を浮かべながらミオさんが立ち上がります。……屋根から落ちないように中腰で屈みながら去って行く背中がちょっと情けなく見えるのは、ミオさんには内緒です。
「――フカちゃん。最後に一つだけ言っとく」
は、はい! あ、あの、情けなく見えたってのはただの言葉のあやと言うか、悪ふざけと言うか、悪い意味で言ったのではなくて、むしろ良い意味で言ったのでしてですね、え〜と、その……何でしょうか?
「フカちゃんのこと、結構気に入ってたよ。だから、また会えるのを楽しみにしてる。……情けないって言葉の後始末はその時にしてもらうから、覚悟しとけよ〜」
最後まで振り向かず、そう言い残してミオさんは屋根から下りていきました。ミオさんらしい少しトゲのある言葉。そのトゲの痛みが心地よくて、優しくて、少し苦くて。わたくしの心に深く深く突き刺さるのでした。
――現在時刻、午後十一時。ゲートが開くまで、あと一時間。