第二十七話 : 世界の意志 神の御業
長い長い話を終え、フゥは深い息をつきました。
わたくしもナツも息を呑むばかりで、何ひとつ口にすることができませんでした。何度もつまりながら、それでも紡がれるフゥの言葉を、ただ聞いているしかできませんでした。
『時空間移動』が可能になったばかりの頃の過去旅行で起きた、とても不幸な事故。
その不幸な事故を全て記録していた『俯瞰の眼』の帰還により、過去旅行には大幅な改定が強いられました。
その改定の根底となった大原則――『歴史改変の厳禁』。その礎となったのは『俯瞰の眼』に記録されていた、少女の悲しい唄でした。
あのフライングマンのおとぎ話は、あの少女の唄が元になった悲しい物語だったのです。
唄に込められた言霊があのおとぎ話にも乗り移ったのでしょうか? フライングマンのおとぎ話は、わたくしたちの時代の人間なら誰もが耳にするほど有名なものとなりました。
もしフゥの話が本当だとしたら……、その唄を歌っていた少女こそが――、
「……禁忌の存在、フライングマン。……あのおとぎ話は、フゥが作った唄だったんだ」
フゥはうなづくことも、否定もしません。ただポロポロと、笑顔のまま涙をこぼしていました。
その笑顔が、先ほどの残酷な願いを告げた時と同じ笑顔だったから。ナツが「守る」と誓った、その笑顔のままだったから――。
ナツはそんな真実を打ち消すように、叫びました。
「フゥ、還ろう! 俺たちの時代に、俺と一緒に!」
『ナツ……』
「そうすればもう一人ぼっちなんかじゃないだろ!? 俺がずっとそばにいるから! 俺がずっと君を守るから!」
繋いだ手に力を込めて、ナツはフゥに叫びました。思いの丈を叫びました。
ナツのそのまっすぐな思いをフゥは笑顔で受け止め、そして拒みました。
『……ナツ。ソレハ、デキナイ』
「!? なんで、だよ? なんでだよぉッ!」
『アナタト、ワタシ、ノ、レキシノナガレハ、チガウカラ。ダカラ、イッショニハ、イケナイ』
「歴史の流れが、違う……? どういうことだよ?」
『ワタシハ、クルッタレキシノ、イチブ、ダカラ。ダカライッショニハ、イケナイ』
「……わかんねぇ。ちっともわかんねぇよ!」
!! まさか、まさか……! フライングマンとは、歴史を修正するための生贄なのですか!?
『ソウ、イケニエ。タダシイレキシ、ヲ、タモツタメノ、イケニエ』
なんということでしょう、なんということなんでしょう!
しかし、なるほど……。だからこそフゥには世界の事象すら干渉できないし、わたくしの姿も見えるのですね。……確かにそういうことなら今までの謎が全て理解できます。
「な、なんなんだよ、生贄って! 二人だけで話してないで俺にも説明してくれよ!」
……ナツ、世界に意志があるという話を聞いたことはありますか? 予め決められた歴史の道筋があって、それを『世界の意志』が決めている、という説です。
「いや、聞いたことないな。って言うか、なんだよその『世界の意志』って? 神様とは違うものなのか?」
そうですね、確かに普段わたくしたちが使っている『神様』と同義の言葉なのかもしれません。
歴史は、ある程度までなら歪んでもまた元の正常な姿に戻ることができると言われています。『過去旅行』とはその歴史の自動修復をフルに活用した、人類の究極の嗜好とも言えるでしょう。
しかし、その自動修復でも修正できないほどに歴史が歪んでしまった場合は、いかに『世界の意志』と言えどどうすることもできません。それまでの歴史とは違う歴史――別の『世界』が生まれるわけですから。
では『世界の意志』は、新しく生まれた歴史の誕生を防ぐためにどういう手段をとるでしょう?
――答えは、『生まれなかったことにする』。もしくは『別の世界の出来事』と置き換えるかのどちらかです。……ここまで言えばなんとなく予想がつくんじゃないですか?
「……ッ! ま、さか……!」
――そう。その歴史改変の原因となった要素を、正しい歴史から排除するのです。それこそがさまよえる者『フライングマン』。この世界の住人でありながら、狂った歴史側の住人にさせられた存在なのです。
故に、彼らはこの世界の事象に干渉されない。干渉できない。日高一家以外の者にはわたくしの姿が認識できないという設定も、彼らにとっては意味のないことなのです。
以前フゥが歌っていましたね。自らのことを『歴史の狭間でさまよえる者』と。……確かに、言い得て妙ですね。
「そんな……、そんなことがあっていいのかよっ! それじゃあ、フゥがフライングマンにされたって言うのは――!」
……『神の思し召し』と言ってしまうには、あまりにも残酷すぎますね。
「……なんなんだよ、それ。……けんなよ、ふざけんなよ! なんで、なんでフゥだけが! なんでフゥだけがこんな目に合わなくちゃいけねぇんだよぉッ!!」
憤る気持ちを抑えきれずに、ナツが天に向かって叫びました。
あるべき世界を保つために、ただ一人犠牲になった少女。家族から、未来から、そして世界から見捨てられた少女。その少女のことを想って、ナツは叫びました。怒り狂いました。――そして、泣きました。
「っぐ、……ちっくしょう、うっく……、ちくしょう……!」
『ナツ……』
涙に暮れるナツの身体を、フゥはまるで包み込むように抱きしめました。
ナツの叫びを静めるように、ナツの怒りを収めるように、……ナツの悲しみを、癒すように。
――悲しい時は歌いましょう 風が奏でる癒し唄――
――やまない雨がないように 悲しみもいつか終わるから――
――きっと誰かがあなたを想い 彼方で歌っているでしょう――
――夏の夜風に包まれて あなたの涙も乾くでしょう――
――空に舞い散る光の粒が あなたの悲しみ癒すでしょう――
――心が泣いているならば 癒しの唄を歌いましょう――
――彼方へ想いを込めた歌 風が奏でる癒し唄――
その唄に込められたものは、『優しさ』と『慈愛』でした。
その唄がナツにもたらしたものは、『安らぎ』と『平穏』でした。
「う、うぅ……、くっそ、……ふざけんな、……ふざ、けんなぁ……!」
それでも、ナツの目から涙は止まりません。ナツにはわかっていたからです。
フゥを一緒に未来に連れていくことができないことを。フゥのためにしてあげられることがもう何もないことを。
『ナツ。キニヤム、コトハ、ナイ。ワタシガノゾムノハ、タダヒトツダケ』
ただ一つだけ、フゥのためにできること。それが――、
『ワタシヲ、……コロシテ、クレナイカ』
フライングマンの呪われた運命から解き放つこと――フゥを殺すことしか自分には出来ないことを、わかっていたからです。