第二十八話 : 許さない
「あら〜、ナツおかえり〜」
「おうナツ。もう晩御飯とっくにできてるぞ。荷物置いてとっとと来ないと、母さんの腕によりをかけた料理は父さんが全部食べちゃうからな」
「パパ、意地汚い。って言うか薄汚い」
「……おかえり、ナツ」
「…………」
日高家のリビングにて、日高家総出で帰宅したナツに声をかけます。ナツはその声に顔を向けることなく、自室へ続くドアへとまっすぐ向かいます。
「ね、ねぇナツ。ちょっと話を聞いてくれないかな」
「……なんだよ、ミオ姉ぇ」
ドアの取っ手にかけた手を止め、ナツは振り返ることなく答えました。
気分が沈んでいるようにしか聞こえないトーンでの返事に、ミオさんは一瞬ためらいながらもナツに謝ります。
「今回のことは本当にゴメン! あたしもかなり反省してる!」
「…………」
「今回の償いはいつか必ずするから! 誓ってもいいよ! あたしがこれまでアンタとの約束で一つでも守らなかったことがあった!?」
「かなりあったと思うけど」
「う。……いや、まぁ昔のことは昔のことで置いといて……。と、とにかく! ――本当にゴメン、ナツ!」
「ミオ姉ぇ」
「な、何?」
「……昨夜は、ゴメン」
「えっ?」
「父さんも母さんもサヤも、昨夜はゴメンな。……俺、言いすぎた。反省してる」
ナツの予想外の言葉に、ポカンと口を開ける日高家面々。その間にナツはドアを開け放ち、自室へと静かに入ってゆくのでした。
「な、何よ。昨日の今日でずいぶん聞き分けよくなっちゃったわね、ナツの奴」
「昨日の父さんパンチが今頃になってナツの心に響いたんだな。アレは痛かった。父さん、愛する息子を殴って心が痛かった。ジンジンした」
「お父さんったら、その後ほっぺもジンジンしてたわね〜」
「……アレは痛かった」
「ママ、なんのこと?」
「サヤもその場にいたならきっとジンジンどころじゃすまなかったかもね〜」
「同感! ったくおじさんったらいい歳して考えることがコスいのよ。もっと堂々とあったかく抱きしめてれば、ビンタじゃなくてキスだったかもしれないのにね」
「――ミオちゃん、それ今からでも有効かい?(マジ顔)」
「あらまぁお父さんったら、またジンジン言わせたいの?」
「……パパ、やっぱり意地汚い。って言うか汚い。いろんなものが」
冷たい視線のサヤの一言に涙するパパさん。爆笑するミオさん。ほんわか笑顔を絶やさないママさん。
いつもなら、ここにはナツがいるのです。パパさんのおバカ発言を後押ししたり、ママさんに思い切り子供扱いされて照れたり、ミオさんの悪ふざけに便乗したり、サヤの一言に泣かされたりと、いたるところにナツの居場所があるのです。
しかし今のナツには……、そのどの場所にも居ることができません。その場所が暖かすぎて、居ることができません。
その理由を、わたくしだけが知っているのです。ナツの目の下に走る涙の跡も、その涙の流れた瞬間も、その理由も。――わたくしだけが知っているのです。
日高家のいつも通りの日常。わたくしはそれを、とても複雑な思いで見つめるしかありませんでした。
◇
「フカちゃん。話があるんだけど」
もう皆も寝静まりわたくしも床に付こうとした時、背後からそう声をかけてくる者がいました。
なんですか、サヤ。わたくしに話とは?
「フカちゃんは何か知ってるんでしょ? お兄ちゃんがあんなに沈んでる理由」
……なぜ、そう思うのですか?
「お兄ちゃんが沈んでるのは一目見ればすぐにわかるし、昨日の今日であんな風に謝るなんてお兄ちゃんらしくない。それを見てもフカちゃんが何も言ってこないのは、今日お兄ちゃんに何かあってその事情を知ってるから。違う?」
……驚きました。サヤは言葉だけでなく勘まで鋭かったのですね。お見それしましたよ。
「あんなに沈んでるお兄ちゃんなんて初めて見た。パパもママもミオ姉ぇも何も言わなかったけど、みんなもきっと気付いてる。だから本人には訊かなかったけど、……何があったの?」
……どうしても言わなければいけませんか?
「言わなかったらどうなるか、言わなきゃいけないかな?」
そう言って、サヤはポケットから何かを取り出しました。
何でしょう? 黒くて小さくて、サヤの小さな手にも握れるくらいの細い棒状のもので、先端にバチバチと電流が走ってて――っ! それ、スタンガンじゃないですか! どうしてそんな物を持ってるんですか!?
「前にミオ姉ぇからもらった。『おイタをしようとする悪い大人がいたら、刺激的にイっちゃいなさい。――バチッとね☆』って、護身用に」
え〜っと、わたくし、悪い大人ですか? それに護身用にしてはやけに電流の質が高いように見えるんですが……?
「なんかね、相手の身体にあたった瞬間に電極を残すタイプなんだって。小一時間はビリビリ状態。……試してみる?」
言葉の内容とは真逆のママさん似の笑顔を浮かべるサヤ。はっきり言って怖いです。怖すぎです。こんな「ワシが言わしたんちゃうよなぁ? 兄ちゃんの方から進んで払う言いよったんですわ〜」的な、ヤクザ風の駆け引きを使う小学生が存在していいんでしょうか?
いつの間にかわたくしの背後は壁。サヤの迫力にいつの間にか追い詰められていたようです。逃げ道はとっくになく、目の前には笑顔のヤクザ、……いえ、鬼がいます。そんな状況でわたくしにこのセリフ以外のどの言葉が口に出せたというのでしょう?
話します! ぜひ話させてください!!
わたくしのその言葉に笑顔でうなづきながら、鬼はようやく金棒(スタンガン)をおろすのでした。どんな小学生だ。
◇
わたくしは全てを話しました。
ナツが昨夜から考えていたこと。ナツが健介くんに相談したこと。そして、ナツがフゥから聞いた全てを、サヤに話しました。
フゥがフライングマンになったいきさつ。フゥの孤独。あの悲しい唄の正体。……そして、ナツにとって残酷すぎるあの願いをも。
『ワタシヲ、……コロシテ、クレナイカ』
もう何度目かのその願いを、フゥはナツを抱きしめながら言いました。その瞬間のナツの顔を、わたくしは今も鮮明に思い出せます。
例えば建築家が、何年もかけて創り上げた自分の作品を一瞬で破壊された時。
例えば砂漠をさまよう旅人が、ようやくたどり着いたと思ったオアシスがただの幻だったと悟った時。
そんな時、人はそんな顔をするのでしょう。――絶望を具現化した、見るも無残なその表情を。
『……スゥ……』
ナツの耳元で、フゥが息を吸う音が聞こえます。
そしてフゥは歌いました。もうすぐ願いが叶えられるという希望を込めて歌いました。ナツにとって、とても残酷な唄を。
――あなたはやがて忘れてしまう 私の姿も この声も――
――あなたの中から消されてしまう――
――この時ですら この出会いすら――
――あなたが未来に還る時 あなたの歴史が動き出す――
――その時あなたは忘れてしまう――
――私のことも その存在も――
――なぜなら私はフライングマン――
――孤独を背負いしフライングマン――
――どうか笑ってくれないか どうか笑ってくれないか――
――生きたくて ただ生きたくて――
――その証として望んだ物は――
――生を全うした者が 最後に得たり尊き儀――
――どうか私に死をくれないか 生きた証をくれないか――
――あなたは私に名をくれた 私に思い出させてくれた――
――名を呼ばれるその喜びを 言葉を交わすその喜びを――
――一人ぼっちだった私に あなたは生きる喜びをくれた――
――思い残すことなどない――
――また一人きりになるのなら あなたに忘れられるなら――
――どうか私に死をくれないか 生きた証をくれないか――
――探し求めた『応える者』よ 我が最愛の友人よ――
――過去への時を遡り 歴史の止まったあなたなら――
――私を彼の地へ連れていける この運命を閉ざしてくれる――
――どうか私に生をくれないか どうか私に死をくれないか――
――生きた証をくれないか――
――私を殺してくれないか――
「――うああぁああッ!! やめろ、やめてくれぇっ……!」
『……? ナツ?』
もはや力を込めることも出来ずに、ナツはぼろぼろと涙を流しながら、その唄を聴くまいと耳を塞ぎます。
ナツのその様子を不思議そうな顔で見つめるフゥ。なぜナツがこんなにも苦しんでいるのか、なぜこんなにも泣いているのか、本当にわからないと言いたげな顔でした。
その唄で、ナツはわかってしまったのです。フゥが自分の願いを拒んだ理由を、わかってしまったのです。
もし一緒に元の時代に還れたとしても、何も変わらないのです。
わたくしたちは『過去旅行』と言う名目で過去へと来ています。つまり、わたくしたちに流れている『歴史』は現時点で完全ではありませんが止まっているのです。
例えばナツがこの時代で死んでしまった場合、ナツに流れる歴史が終わるのはこの時代ではありません。ナツの歴史が終わるのは、数百年後の未来からこの時代へと『時空間移動』を果たした、その瞬間なのです。
だからこそわたくしたちにはフライングマンであるフゥの姿が確認できるのです。歴史の止まっているわたくしたちだからこそ、フゥの身体に触れることができるのです。
では、わたくしたちが元の時代へ還ったらどうなるのでしょう? ――その瞬間、わたくしたちはフゥのことを忘れてしまうでしょう。『記録されぬ者』の名の通り、わたくしたちの記憶からフゥの存在は忘れ去られてしまうのでしょう。
そして、フゥはまた一人ぼっち。
結局はフゥがフライングマンである限り、何も変わらないのです。フゥが背負う孤独を取り払うことはできないのです。そのことを、ナツはわかってしまったのです。
「俺、……何も、わかってなかった。何もわかってないのに、『守る』とか偉そうなこと言って……、何も、できないくせに……!」
『ソンナコトハ、ナイ』
ナツの顔を見て、フゥはそう呟きます。
こんなにも近くにいるのに、はるか遠くから聴こえてくるような響きをのせて、呟きます。
『アナタハ、ワタシヲ、ヒト、ダト、イッテクレタ。ワタシハ、ヒトトシテ、サイゴヲ、トゲタイ』
「……ッ!!」
『ワタシハ、イキタ。ダカラシヌ。ソレダケ。ダカラドウカ、ドウカ、アナタノテデ、ソノサイゴヲ、トゲテ、ホシイ』
そう言って、フゥはナツの両手をとりました。そのままナツの両手を、自分の首の辺りへと運びます。
ナツの手を自分の首に巻きつけて、フゥはあの笑顔で――ナツが『守る』と誓ったあの笑顔で言いました。
『ドウカワタシニ、シヲ、クレナイカ』
ナツにはもう、耐えることができませんでした。今まで堪えていたものが決壊したように、ナツの目から次から次へと涙が溢れ出しました。
何もできない自分への苛立ちと不甲斐なさに――、
どうすることもできない運命への怒りに――、
目の前にいる少女への罪悪感に――、
ナツの体は打ち震えました。ナツの心は入り乱れました。そしてナツは、ともすれば壊れてしまったように、悲痛の雄叫びをあげました。
「……うっ、ぐぅぅ……! ――くっそおおぉぉ!!」
涙でボロボロになった顔を見られないように、ナツはフゥを思い切り抱きしめました。フゥは驚いたような顔をしながらも、笑顔は絶やしませんでした。
「なんでだよっ! なんで、なんでフゥがこんな目に……! くそぉ……、何がフライングマンだ……! 何が禁忌の存在だよッ! ふざけんな! ふざ…けんな…よ……、う、うぅ……」
『……ナツ、ナゼ、ナイテイルノ?』
「泣いてねぇよ! くそっ、くそ……! 俺が泣いてどうすんだよ……! ちく、しょう……!」
『ナツ、ナカナイデ。ナカナイデ』
そしてフゥは再びあの唄を歌いました。誰かの悲しみを癒す唄を。
ホタルの光が宙をさまよう中、二人はいつまでも抱き合っていました。
『風が奏でる癒し唄』がいつまでも響いたその夜、ナツの心が泣き止むことは、ありませんでした。
◇
「……それで、その後お兄ちゃんはどうしたの?」
ナツは、……どうすることもできませんでした。いつまでも泣き止まないナツに、フゥは猶予をくれましたよ。『決心が付いたらここに来て。私はここで待ってるから』と言ってくれました。
わたくしたちがあと数日後に還ってしまうことをフゥは知りません。もしそのことを知っていたら、ナツはあの場で決断を迫られていたでしょうね。フゥは何よりも、『死』を望んでいましたから。
「……わたしたちは未来人だからあの人に干渉することができる。紀ちゃんや健介さんがあの人の姿を見ることができなかったのは、歴史が正常に流れている現代の人だから、か……」
わたくしたちにフゥの姿が真っ白に見えるのもそのせいでしょうね。わたくしたちとて完全に歴史が止まっているわけではありません。そのためにフゥの姿も完全には認識できていません。――わたくしたちにはフゥの『色』が認識できていない。そういうことなのでしょうね。
「…………」
サヤ、どうかお願いです。ナツのためにも、あまりこの件には触れずにいてもらえませんか? このことを知っているのは当人たちを除けばサヤとわたくしだけです。フゥの望みを叶えるのか否か、どんな決心をしたとしても傷付くのはナツなのです。ですから……。
「わかってる。誰にも言わない。お兄ちゃんにも何があったのかは訊かない」
サヤの視線がナツの眠る部屋へと向けられます。部屋の中からは物音一つしません。中で寝ているはずのナツは、果たしてどんな夢を見ているのでしょう。
どうか夢の中でだけは、ナツの願った通りの未来が広がっていることを願わずにいられません。ナツがいて、サヤがいて、ミオさんやパパさんやママさんがいて、――そしてフゥがいる未来。そんな光景を夢見ていることを、願わずにはいられません。
しばらくナツの部屋を見つめた後、サヤはおやすみのあいさつもなく自室へと戻っていきました。
――まるで呪いでもかけるかのような、力強い呟きを残しながら。
「……許さない。許さない……!」




