第一話 霧の中の怪異
昭和二十年(一九四五年)八月、鹿児島県知覧陸軍飛行場。
蝉の時雨を切り裂くように、けたたましい空襲警報のサイレンが鳴り響いていた。
爆撃機の重苦しい爆音と、地を揺るがす炸裂音。
猛烈な爆風が滑走路を吹き荒れ、黒煙が夏の青空を塗りつぶしていく。
「神崎少尉! 退避してください! ここは危険です!」
整備兵の叫び声が、爆音の渦に飲み込まれていく。
陸軍飛行第244戦隊所属、陸軍少尉・神崎彰一二十二歳は、吹き荒れる爆風の中、出撃を目前に控えた愛機・三式戦闘機「飛燕」を凝視していた。
胸ポケットには、出撃前夜に十四歳になる妹のハツが縫ってくれた千人針のお守りがある。
(ハツ……お前を一人にはせん。我が命に代えても、お前たちの生きる国を護ってみせる)
その時、直近に落ちた大型爆弾が地面を抉った。
白光と猛烈な衝撃波が彰一の全身を叩く。
耳を突く金属音と、焼き付くような熱。
視界が真っ白に染まり、彼の意識は深い闇の底へと落ちていった。
◇
雨の匂いがした。
聞いたこともない不快な重低音。
アスファルトを叩く濡れた足音と、金属が擦れ合う無機質な音が耳に届く。
(……ここは、どこだ。敵の捕虜になったか……?)
神崎彰一はうめき声を上げ、薄開きの目で天を仰いだ。
そこに広がるのは知覧の空ではなく、ぬらぬらと黒く光る雨雲と、街頭の妖しい明かりだった。
二〇二六年十月、夜半。東京・世田谷の静まり返った住宅街の路地裏。
水野葵二十四歳は、コンビニのビニール袋を下げ、俯きながら歩いていた。
スマートフォンの画面には、手取り十七万円の給与明細と、増税や物価高を告げるニュースの通知。
「……はぁ。生きてるだけでお金減るし、マジで未来ないな……」
息を吐いた、その瞬間だった。
暗がりの中でドサリと重い物体が倒れる音が聞こえた。
「うわっ……なに!?」
ビクッと肩を跳ね上げ、葵はスマホのライトを向けた。
街灯の明かりの下に倒れていたのは、カーキ色の古びた服を着た若い男だった。
腰には木製の鞘に収まった刀のようなものを差し、胸元には泥と焦げ跡が付着している。
「痛むか……出撃は……」
男がうめきながら身を起こす。
葵と男の視線が正面的にぶつかり合った。
葵は息を飲み、思わず一歩後退った。
普段街で見かける同世代の男たちや会社の上司には絶対にない、あまりにも強烈で、どこか狂気すら感じるほど澄み切った瞳。
その射抜くような眼光に、ゾクッと背筋が寒くなった。
「……非礼を赦されたい。無事であるか、婦人」
「ふ、婦人……? 何その格好……サバゲー? コスプレ?」
男——神崎彰一はふらりと立ち上がり、周囲を見回した。
頭上に聳え立つ巨大な箱状の建造物、異様な光を放つ街灯、けたたましい音を立てて走り去る鉄の塊。
「ここは……どこだ。帝都か……? いや、このような怪異な建築物、見たこともない……」
「怪異って……世田谷だけど。っていうかお兄さん、警察呼ぶよ? 刃物持って歩いてたらヤバいでしょ」
彰一は葵をまっすぐに見つめ、濡れた軍服の裾を正すと、背筋をピンと伸ばした。
「当方、陸軍飛行第244戦隊所属、神崎彰一少尉である! 状況を説明されたい。昭和二十年八月、知覧基地より出撃直前、敵機の爆撃を受け……」
葵は手に持ったコンビニ袋を握りしめたまま、呆然と固まった。
(昭和二十年……? え、待って、それって曾おじいちゃんとかの時代の話じゃん。何このコスプレガチ勢……?)
しかし、男の手のひらにある無数のタコ、全身から漂う焦げ臭い油の匂い、そして何より、その異様な気迫に押され、葵の足は金縛りにあっていた。




