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第24話 俺の妻になってほしい



 翌朝。


 目を覚ますと、目の前にサラの顔があった。


 昨夜は手を繋いだまま、同じ寝台で眠った。


 途中で離れたらしく、今は手を繋いでいない。


 代わりに、サラの片腕が俺の胸へ回され、細い身体がぴったりと寄り添っていた。


 薄い寝間着越しに、柔らかな胸が押しつけられている。


 規則正しい吐息が、首元へ触れる。


「サラ」


 小さく名前を呼んだが、起きる様子はない。


 寝顔は穏やかだった。


 鉱山にいた頃、サラは眠っている間も身体を丸め、物音がするたび目を覚ましていた。


 今は、俺に身体を預けて眠っている。


 それが少し嬉しい。


「ん……」


 サラが身じろぎする。


 胸元へ頬を擦りつけ、俺を抱く腕に力を込めた。


「ルナト……」


 名前を呼ばれ、心臓が跳ねた。


 起きているのかと思ったが、蜂蜜色の瞳は閉じたままだ。


「置いていかないで……」


 寝言だった。


 俺はサラの背中へ腕を回す。


「置いていかない」


 柔らかな栗色の髪を撫でる。


「これからも一緒だ」


 しばらくすると、サラの瞼がゆっくり開いた。


「……おはようございます」


「ああ。おはよう」


「近いですね」


「サラが抱きついてきたんだ」


「ルナトも抱き締めています」


「それは……」


 言われてみれば、俺の腕もしっかりサラの背中へ回っている。


 離そうとしたが、サラの腕が強くなる。


「もう少しだけ」


「ああ」


 俺たちは、しばらくそのままでいた。


 昨夜、サラは俺の妻になりたいと言ってくれた。


 俺も自分の気持ちは分かっている。


 それを、きちんと言葉にしなければならない。


 胸元にいるサラの顔を見つめる。


 寝間着の襟が少し開き、白い鎖骨と胸の谷間が覗いていた。


 サラが俺の視線に気づき、自分の胸元を見る。


「……見ましたか?」


「少しだけ」


「正直ですね」


「嘘をついても仕方ないだろ」


 サラは頬を赤くしながら、寝間着の襟を閉じた。


「妻になったら、見てもいいのか?」


 思わず口にすると、サラの顔がさらに赤くなる。


「そ、それは……妻になってから聞いてください」


「分かった」


「本当に聞くつもりなのですか?」


「駄目なのか?」


「駄目ではありませんけど……朝から困らせないでください」


 サラが俺の胸へ顔を埋める。


 耳まで真っ赤だった。


 そのとき、部屋の扉が開いた。


「二人とも、起きて――」


 リオナが扉から顔を覗かせる。


 寝台の上で抱き合っている俺たちと目が合った。


「……お邪魔しました」


 静かに扉が閉まる。


「待て、リオナ!」


「ゆっくり続けていいよ! 朝ご飯は一人で食べるから!」


 廊下を走り去る音が聞こえた。


 サラが俺の胸へ顔を埋めたまま動かない。


「追いかけないと」


「私は、しばらく動けません」


「どうして?」


「恥ずかしいからです」


 仕方なく、一人でリオナを追いかけた。


 食堂へ下りると、リオナはすでに席へ座り、パンを食べていた。


「ずいぶん早かったね」


「誤解するな。何もしてない」


「抱き合ってたのに?」


「一緒に眠っただけだ」


「何も着ないで?」


「服は着ていた」


「じゃあ、今夜かな?」


「何がだ」


「分かってるくせに」


 リオナは笑っている。


 だが、立っていた獣耳が少しだけ横へ倒れていた。


「リオナ」


「なに?」


「俺は今日、サラに結婚を申し込む」


 笑っていたリオナの表情が止まる。


「そっか」


「ああ」


「昨日、妻だって言ってたもんね」


「家を借りるための言葉で終わらせたくない」


「いいと思うよ」


 リオナはすぐに笑顔へ戻った。


「サラ、ずっとルナトのことが好きだったから」


「分かっていたのか?」


「本人以外は、みんな分かってたんじゃない?」


「そんなに分かりやすかったか?」


「ルナトのことになると、すぐ心配するし、ほかの女の人を見てると少し怒るしね」


 カレンの胸を見ていたときのサラを思い出す。


「怒っていたのか」


「今さら気づいたんだ……」


 リオナが呆れたように息を吐く。


「それで、どこで申し込むの?」


「まだ決めてない」


「贈り物は?」


「必要なのか?」


「結婚を申し込むんでしょ?」


「気持ちを伝えるだけでは駄目か?」


「駄目じゃないけど、何かあったほうが思い出になるよ」


 何を贈ればいいのか分からない。


 サラが喜ぶものを考える。


 高価な宝石や飾りを欲しがる姿は想像できない。


 鉱山にいた頃、サラが持っていたのは古い服と毛布だけだった。


 逃げ出してからも、自分の物より食料や薬を優先している。


「指輪は?」


「今の所持金で買えるのか?」


「結婚指輪なら、高価な宝石がなくてもいいんじゃない? 市場に銀細工の店があったよ」


「見に行ってみる」


「じゃあ、サラには内緒にしておく」


「頼む」


「その代わり、あとで全部教えてね」


「全部?」


「どんな顔で、何を言って、どこまでしたか」


「最後のは必要ないだろ」


「家族になるんだから必要だよ」


 家族。


 リオナがその言葉を口にしたとき、声が少しだけ揺れたような気がした。


「リオナも、これから一緒に暮らす大切な仲間だ」


「うん」


「サラと結婚しても、それは変わらない」


「……ありがとう」


 赤褐色の尻尾が、椅子の下でゆっくり揺れる。


「でも、今日はサラだけを見てあげて」


「ああ」


「もし泣かせたら、あたしがもらうからね」


「それは困る」


「どうして?」


「俺がサラと一緒にいたいからだ」


 言葉にすると、自分の気持ちがさらに明確になった。


 リオナは目を丸くしたあと、楽しそうに笑う。


「それを本人に言えば大丈夫そうだね」


 少し遅れて、サラが食堂へ下りてきた。


 いつもの服に着替えているが、俺やリオナと目が合うたびに頬を赤くしている。


「先ほどのことは、忘れてください」


「無理かな。可愛かったし」


「リオナさん」


「ルナトは忘れられる?」


「忘れないと思う」


「ルナトまで……」


 サラは両手で顔を覆った。


 朝食後、俺たちは昨日の家へ向かった。


 マーナへ保証金四万Gと、最初の家賃二万Gを支払う。


 契約書には、俺、サラ、リオナの三人が住むことを記載した。


「それで、夫婦の証明はあるのかい?」


 マーナに尋ねられる。


「証明?」


「神殿か役所で婚姻を登録すれば、夫婦証明書をもらえるよ」


「まだ登録していないんです」


 サラが小さな声で答える。


「では、今は婚約中ということかい?」


「はい」


 今度は俺が答えた。


 サラが驚いたようにこちらを見る。


「近いうちに登録する」


「それなら問題ないよ。若い二人で仲よく暮らしな」


 マーナはそれ以上追及せず、家の鍵を渡してくれた。


「今日から使っていい。水場は裏庭にある。風呂や台所の火を使う前に、煙突が詰まっていないか確認するんだよ」


「分かった。ありがとう」


「家を壊すんじゃないよ」


 鍵を受け取り、三人で新しい家へ入る。


 家具は最低限しかない。


 居間には古い机と椅子が四脚。


 寝室には、それぞれ一つずつ寝台が置かれている。


「本当に、今日からここに住めるんだね」


 リオナが家の中を走り回る。


「この部屋、あたしがもらってもいい?」


「どこでもいいぞ」


「ルナトとサラは、一番大きな寝室だね」


「私はまだ――」


「婚約中なんでしょ?」


 リオナに言われ、サラが黙る。


「荷物を運ばないといけませんね」


「先に掃除したほうがいいよ。しばらく誰も住んでなかったみたいだし」


 机や棚には、薄く埃が積もっている。


 窓を開け、三人で掃除を始めた。


 俺が大きな家具を動かし、サラが布で棚や窓を拭く。


 リオナは箒を持っていたが、途中から庭にいる虫を追いかけていた。


「リオナさん、掃除をしてください」


「してるよ」


「さっきから同じ場所しか掃いていません」


「ここが気になるんだよ」


「虫を追いかけていますよね?」


「違うよ。あいつが掃除の邪魔をするから追い出してるだけ」


 サラに見つかり、リオナは渋々掃除へ戻った。


 昼過ぎには、どうにか人が暮らせる程度にきれいになった。


「宿の荷物を運んできます」


 サラが立ち上がる。


「俺も行く」


「ルナトは左腕を怪我しています。重い物は持たないでください」


「片腕でも運べる」


「では、軽い物だけお願いします」


「分かった」


「リオナさんは?」


「あたしは必要な生活用品を買ってくる。灯りの油とか、掃除用の布とか」


「一人で大丈夫ですか?」


「子供じゃないんだから大丈夫だよ」


 俺はリオナへ目配せした。


 彼女は俺の考えに気づき、小さく頷く。


「サラ、やっぱりあたしが宿へ行くよ。ルナトは庭の片づけをお願い」


「でも――」


「腕を休ませたほうがいいでしょ?」


 サラは少し迷ったが、最後には頷いた。


「分かりました。では、行ってきます」


「気をつけて」


 サラとリオナが家を出る。


 二人の姿が通りの向こうへ消えたのを確認し、俺も市場へ向かった。


 銀細工の店は、装飾品を扱う店が並ぶ通りにあった。


 店内のガラスケースには、宝石のついた指輪や首飾りが並んでいる。


 値札を見ると、数十万Gするものもあった。


「何をお探しですか?」


 店員の女性に尋ねられる。


「結婚を申し込むときに渡す指輪が欲しい」


「ご予算は?」


「……五千Gくらいだ」


 家を借りたばかりで、あまり余裕がない。


 恥ずかしく思いながら答えると、店員は笑わなかった。


「でしたら、こちらはいかがでしょう」


 見せてくれたのは、細い銀の指輪だった。


 宝石はついていない。


 代わりに表面へ、小さな葉の模様が刻まれている。


「五千Gです。大きさも調整できますよ」


 サラの指を思い出す。


 細く、料理や治療をするときは誰よりも優しく動く手。


「これにする」


 正確な大きさは分からないが、あとから調整できるらしい。


 俺は指輪を買い、小さな布袋へ入れてもらった。


 新しい家へ戻り、裏庭に立つ。


 どこでサラに伝えるべきか考える。


 立派な場所ではない。


 土は荒れ、雑草も伸びている。


 だが、これから三人で畑を作り、花や野菜を育てる場所だ。


 俺たちの新しい生活が始まる場所でもある。


 しばらくすると、玄関の扉が開いた。


「ルナト、戻りました」


 サラの声。


「裏庭にいる」


 家の横を回り、サラが庭へやってくる。


「庭の片づけは進みましたか?」


「まだ何もしてない」


「腕が痛むのですか?」


「違う。サラを待っていた」


「私を?」


 蜂蜜色の瞳が、不思議そうに俺を見る。


 胸の鼓動が速くなった。


 魔物を前にしたときとは違う緊張だ。


「昨日の返事をしたい」


 サラの表情が変わる。


 両手を胸元で重ね、俺の言葉を待っていた。


「俺は、家族に売られた」


「……はい」


「サラも同じだ。だから俺は、家族というものがよく分からない。血が繋がっているだけでは、家族とは呼べないと思っている」


 サラは何も言わない。


「鉱山でサラと出会った。二人で逃げるために修行して、同じ飯を分けて、一緒に町まで来た」


 一つずつ思い出す。


 暗い坑道で交わした小さな声。


 初めて火を起こした夜。


 町で食べた温かい料理。


 危険なときは、いつも隣にサラがいた。


「俺にとって、サラはもう誰よりも大切な人だ」


「ルナト……」


「これからは、逃げるためだけじゃない。二人で飯を食べて、働いて、帰ってこられる家を作りたい」


 布袋から銀の指輪を取り出す。


 サラが息を呑む。


「高価なものじゃない。今はこれしか用意できなかった」


「そんなことは、どうでもいいです」


 サラの瞳に涙が浮かぶ。


「俺の妻になってほしい」


 銀の指輪を差し出す。


「これからも、俺と一緒に生きてくれないか?」


 サラの唇が震えた。


 涙が頬を伝う。


 それでも、表情は笑っていた。


「はい」


 震える声で答える。


「私を、ルナトの妻にしてください」


 サラが左手を差し出す。


 俺はその薬指へ、銀の指輪を通した。


 大きさは少しだけ緩い。


「あとで直してもらおう」


「いいえ。このままでいいです」


「落とすかもしれないぞ」


「紐に通して、首から下げます。直す間も離したくありませんから」


 サラは指輪を見つめ、また涙を流した。


「泣かせて悪かった」


「嬉しいから泣いているんです」


 彼女が一歩近づく。


 俺も腕を伸ばし、細い身体を抱き締めた。


 サラの両腕が背中へ回る。


「もう、置いていかないでください」


「置いていかない」


「ずっと一緒にいてください」


「ああ。約束する」


 胸元へサラの涙が染み込む。


 しばらく抱き合ったあと、彼女が顔を上げた。


 濡れた蜂蜜色の瞳が、俺を見つめる。


「ルナト」


「何だ?」


「夫婦になる人たちは、こういうとき……口づけをするのでしょうか」


「たぶん」


「したくありませんか?」


「したい」


 正直に答えると、サラが目を閉じた。


 長い睫毛が震えている。


 俺は彼女の頬へ手を添え、ゆっくり顔を近づけた。


 唇が触れる。


 柔らかく、温かい。


 最初は触れるだけの短い口づけだった。


 離れようとすると、サラの腕が首へ回る。


「もう一度……」


「ああ」


 二度目は、先ほどよりも長かった。


 互いの息が混ざり、抱き締める腕へ自然に力が入る。


 サラの胸が俺へ押しつけられる。


 唇が離れても、顔を離すことはできなかった。


「ルナト……大好きです」


「俺も、サラが好きだ」


 ようやく言えた。


 サラは幸せそうに微笑み、もう一度俺の胸へ顔を埋めた。


「おめでとう!」


 突然、背後から声がした。


 振り返ると、家の窓からリオナが顔を出していた。


「見てたのか?」


「途中からね」


「荷物を運びに行ったんじゃなかったのか?」


「もう運び終わったよ。二人の邪魔をしないように、家の中で待ってたの」


「全部聞いていたのですね……」


 サラが真っ赤になり、俺の胸へ顔を隠す。


「すごくよかったよ。あたしまで泣きそうになった」


 リオナは窓を乗り越え、庭へ降りようとする。


 片脚を外へ出した拍子に、短いスカートの裾が持ち上がった。


 白い布が、窓の向こうからはっきり覗く。


「リオナ、玄関から来い」


「どうして?」


「いいから」


「あっ」


 リオナが自分の格好に気づき、慌てて裾を押さえた。


「見た?」


「見てない」


「今のは見た顔だね」


「お祝いの日ですよ、リオナさん」


 サラの声が少しだけ低くなる。


「ごめん、ごめん。すぐ玄関から行くよ」


 リオナは家の中へ引っ込み、すぐに庭へ走ってきた。


 そのままサラへ抱きつく。


「おめでとう、サラ」


「ありがとうございます」


「よかったね」


「はい」


 サラもリオナの背中へ腕を回す。


「でも、結婚しても、あたしはここにいていいのかな?」


 リオナが小さな声で尋ねた。


 獣耳が不安そうに伏せられている。


「何を言っているのですか?」


 サラがリオナから少し離れ、その両手を握った。


「この家は、三人で選びました。リオナさんの部屋もあります」


「二人の邪魔にならない?」


「二人きりになりたいときは、先に言います」


「サラ、急に大胆になったね」


「そ、そういう意味ではありません!」


 サラの顔が赤くなる。


「でも、リオナさんも私たちの大切な家族です。それは結婚しても変わりません」


 リオナが俺を見る。


「ああ。三人で暮らそう」


「……うん」


 リオナが笑った。


 いつもの明るい笑顔だった。


 赤褐色の尻尾が大きく揺れ、俺とサラをまとめて抱き締める。


「二人とも、おめでとう!」


 三人の身体が重なる。


 少し苦しい。


 けれど、不思議と嫌ではなかった。


 家族に売られた俺とサラが、自分たちの意思で夫婦になる。


 そして、同じ家で暮らしたいと言ってくれる仲間もいる。


 まだ婚姻の登録は済んでいない。


 家具も足りず、庭には雑草が生えている。


 それでも、ここが俺たちの家だ。


 明日から三人で、この家での生活を始める。


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