第2話 最初の転職
《逃走》を習得した翌日。
俺とサラは、何事もなかったように鉱山で働いていた。
「昨日、古い坑道で物音がしたらしい」
監視役の一人が、仲間と話している。
「ネズミか何かだろ」
「ずいぶん大きな音だったと聞いたぞ」
「だったら、崩落しかけているんじゃないか? 近づかないほうがいい」
俺は会話を聞きながら、黙ってツルハシを振った。
幸い、俺たちが古い坑道へ入っていたとは気づかれていない。
だが、これまでより見回りが増える可能性はある。
秘密の修行場所を変えたほうがいい。
そう考えていると、隣で鉱石を選別していたサラと目が合った。
サラがほんのわずかに頷く。
俺たちは昨日から、監視役の前で必要以上に話さないようにしていた。
誰が見ているか分からない。
無職で役に立たない奴隷だと思われているからこそ、監視が緩い。
少しでも怪しまれれば、その利点を失ってしまう。
「ルナト!」
監視役に呼ばれ、俺はツルハシを止めた。
「はい」
「採掘した鉱石を運べ。二往復だ」
「分かりました」
床に置かれた籠を背負う。
中には掘り出された鉱石が詰め込まれていた。持ち上げた瞬間、革の帯が肩へ食い込む。
鉱石置き場へ向かう途中で、武器庫の前を通った。
窓はない。
扉は厚い木製で、大きな錠前が下がっている。
武器庫と呼ばれているが、監視役が使う剣や盾だけが入っているわけではない。
地図。
コンパス。
保存食。
傷薬。
予備の水筒。
鉱山の外へ出るために必要なものが、まとめて保管されている。
扉の前には、普段一人の見張りが立っていた。
夜間は監視役の人数が減るが、それでも完全に無人にはならない。
俺は足を止めず、見張りの顔と腰に下がった鍵を確認した。
「何を見ている?」
見張りに声をかけられた。
「いえ。何も」
「だったら、さっさと運べ」
「はい」
頭を下げ、その場を離れる。
こちらへ疑いの目を向ける様子はなかった。
無職の俺が武器庫を破ろうとしているなど、考えてもいないのだろう。
その油断を、最後まで利用する。
◇
仕事を終えたあと、俺とサラは寝床へ戻った。
奴隷たちが使う部屋には、粗末な寝台が隙間なく並べられている。
見回りが一度通り過ぎるのを待つ。
周囲から寝息が聞こえ始めると、俺は毛布の下へ石や丸めた服を入れた。
暗闇の中で見れば、人が眠っているように見える。
サラも同じように寝台を整えていた。
二人で部屋を抜け出す。
今夜向かうのは、昨日まで使っていた古い坑道ではない。
さらに奥にある資材置き場だった。
俺が昼間のうちに見つけておいた場所だ。
人目を避け、足音を消して進む。
《隠密》を習得してから、自分の動きが少し変わった。
何も考えず歩くのではなく、どこへ足を置けば音が鳴らないのか、自然と注意を向けられる。
ただし、身体が勝手に消えるわけではない。
気を抜いて小石を踏めば、普通に音は出る。
スキルを持っていても、使いこなすには練習が必要だ。
先を歩いていたサラが、不意に立ち止まった。
俺はぶつかりそうになり、慌てて足を止める。
「どうした?」
小声で尋ねると、サラが口元へ指を立てた。
「誰か来る」
「足音は聞こえないぞ」
「でも、いると思う」
サラは目を閉じ、通路の先へ顔を向けた。
しばらくすると、本当に灯りが近づいてきた。
俺たちは急いで岩陰へ身を隠す。
監視役が一人、欠伸をしながら通り過ぎていった。
足音が遠ざかってから、サラが目を開ける。
「今の、どうして分かったんだ?」
「分からない。なんとなく、誰かが近づいてくる気がしたの」
俺は《スキル図鑑》を開いた。
探索系のページを確かめる。
> 《気配察知》――未登録
> 習得のヒント:視覚だけに頼らず、周囲に存在する者の動きを感じ取る。
「サラ。水晶の欠片を握ってみてくれ」
服の内側から欠片を取り出し、サラへ渡す。
サラは両手で欠片を包んだ。
> 名前:サラ
> 年齢:19歳
> 種族:人間
> 職業:無職
> 状態:軽度の疲労
>
> 主なスキル:
> 《応急処置》《看護》《隠密》
> 《気配察知》《逃走》
「《気配察知》が増えてる」
サラが驚いた声を漏らした。
「さっきの監視役に気づいたとき、習得したんだろう」
「私にも、ちゃんとできたんだ」
「ああ。俺より先に気づいた」
サラは嬉しそうに笑い、もう一度表示へ目を向けた。
その表情が、不意に止まる。
「ルナト。転職できる職業が増えてる」
「なんだ?」
「《斥候》」
サラから欠片を受け取り、俺が握る。
俺には自分のステータスしか見えない。だが、サラが嘘を言う理由はない。
「今、転職するか?」
「しても大丈夫なのかな」
「何が起きるかは分からない。でも、脱走するなら《無職》のままよりいいはずだ」
サラは少し迷ったあと、もう一度欠片を握った。
「やってみる」
欠片の中で、淡い光が揺れる。
その光がサラの指を伝い、身体を包んだ。
> 《転職条件を満たしています》
> 《斥候》へ転職しますか?
「はい」
サラが答えた瞬間、光が強くなった。
風のない坑道で、栗色の髪がわずかに揺れる。
変化はすぐに収まった。
服装も外見も変わっていない。
だが、サラは自分の手足を不思議そうに眺めていた。
「どうだ?」
「身体が少し軽くなった気がする。それに、周りの音が前より分かりやすい」
「職業の力か」
「たぶん」
サラは再び欠片でステータスを確認した。
> 名前:サラ
> 年齢:19歳
> 種族:人間
> 職業:《斥候》
> 状態:正常
俺たちは顔を見合わせた。
水晶の欠片があれば、本当に職業を変えられる。
それを初めて確かめた瞬間だった。
「次はルナトだね」
「俺はまだ《鉱夫》しか選べない」
「何になるつもり?」
「剣を使える職業だ」
サラが少し心配そうな顔をする。
「剣、使ったことないでしょう?」
「だから練習する」
俺たちは資材置き場へ向かった。
◇
資材置き場には、壊れた道具や使われなくなった木材が積まれていた。
俺は昼間、この中に錆びた刃を見つけている。
積み上げられた木箱を動かし、奥から引っ張り出した。
「これ、剣なの?」
サラが首を傾げた。
「たぶん」
監視役が使っていたものではない。
刃は途中から折れ、全体が赤く錆びている。柄を含めても俺の腕より少し長い程度だ。
武器としては使えない。
だが、剣の持ち方を練習することはできる。
俺は図鑑の戦闘系ページを開いた。
> 《剣術》――未登録
> 習得のヒント:剣の性質を理解し、繰り返し扱うことで基礎を身につける。
「剣の性質か……」
俺は折れた剣を構えてみた。
ツルハシとは重さも形も違う。
両手で握るべきか、片手で持つべきかも分からない。
何度か振ってみる。
刃先が安定しない。
力を込めるほど、身体が前へ流れてしまう。
「危ないよ」
サラが少し離れた場所から言った。
「分かってる」
「今、転びそうだった」
「分かってる」
「剣士って、もっと格好よく――」
「最初から格好よく使えたら、もう《剣術》を持ってる」
サラが口元を押さえて笑う。
「笑うなら、サラもやってみるか?」
「私は斥候だから遠慮しておく」
「都合のいい職業だな」
笑われたままでは悔しいので、俺はもう一度剣を構えた。
ツルハシを振るときと同じでは駄目だ。
力任せに振り下ろせば、外したときに体勢を崩す。
足を開き、腰を落とす。
片手で柄を握り、何も持っていない左手は身体の近くへ置いた。
まずはゆっくり振る。
斜めに振り下ろし、元の位置へ戻す。
横へ振り、止める。
突き出し、引き戻す。
図鑑には詳しい型まで載っていない。
俺は何度も試し、最も身体がぶれない動きを探した。
翌日も、その次の日も続けた。
昼間はツルハシを振る。
夜は折れた剣を振る。
サラには周囲の警戒を頼んだ。
《斥候》になったサラは、監視役が接近すると、足音が聞こえるより先に気づくようになった。
そのたびに剣を隠し、何食わぬ顔で寝床へ戻る。
五日目の夜。
折れた剣を横へ振り抜いた瞬間、頭の中で声が響いた。
> 《剣術を習得しました》
> 《初級スキル図鑑へ登録します》
>
> 登録数:7/90
「来た」
俺は剣を下ろした。
「習得したの?」
「ああ。《剣術》だ」
欠片を握り、転職可能な職業を確認する。
> 転職可能職業:
> 《鉱夫》
「まだ増えてない」
「《剣術》だけでは足りないのかな」
「図鑑に職業の条件は載ってないの?」
「直接は載っていない。ただ、剣士に関係しそうなスキルなら分かる」
戦闘系のページを順番に確認する。
《剣術》の近くに、《盾術》と《防御姿勢》が並んでいた。
> 《盾術》――未登録
> 習得のヒント:盾で攻撃を受け、逸らし、身を守る基礎を身につける。
>
> 《防御姿勢》――未登録
> 習得のヒント:攻撃を受ける際、重心を安定させて身体を守る。
「次は盾みたいだ」
「盾はどこから持ってくるの?」
「使えそうなものならある」
資材置き場の端に、鉱石を選別するときに使う丸い木板が置かれていた。
本物の盾ではない。
だが、片腕で持てる大きさで、身体の一部を隠すことはできる。
俺は木板の裏側へ革紐を取りつけ、腕を通した。
「サラ。これで俺を叩いてくれ」
「嫌だよ」
「盾で受ける練習にならない」
「怪我をしたらどうするの?」
「弱く叩けばいい」
サラはしばらく迷ったあと、細い木の棒を手に取った。
「本当に叩くよ?」
「ああ」
俺は木板を構えた。
サラが棒を振る。
軽い音がして、木板に当たった。
「弱すぎる」
「だって、痛そうだから」
「これでは練習にならない」
「じゃあ、もう少しだけ強くする」
二度目の棒が、木板の端に当たった。
思ったより強い。
木板が押され、俺の身体が後ろへ傾く。
「大丈夫?」
「ああ。もう一度だ」
今度は足を前後に開き、腰を落とした。
腕だけで受けず、身体全体で衝撃を支える。
サラの棒を何度も受けた。
盾を正面へ向けるだけでは、次の動きが遅れる。
少し角度をつければ、棒を横へ逸らせる。
練習を続けた三日目。
> 《盾術を習得しました》
> 《初級スキル図鑑へ登録します》
>
> 登録数:8/90
続けて、別の表示が現れた。
> 《防御姿勢を習得しました》
> 《初級スキル図鑑へ登録します》
>
> 登録数:9/90
「二つ同時だ」
「転職は?」
俺は水晶の欠片を握った。
表示が切り替わる。
> 転職可能職業:
> 《鉱夫》
> 《見習い剣士》
ようやく現れた。
俺が欲しかった職業。
戦うためだけではない。
大切な者を守り、自由をつかむための職業だ。
「《見習い剣士》にする」
> 《転職条件を満たしています》
> 《見習い剣士》へ転職しますか?
「ああ」
欠片から光があふれ、俺の身体を包んだ。
胸の奥が熱くなる。
腕や脚に力が満ちていくような感覚があった。
だが、急に剣の達人になったわけではない。
折れた剣を構えてみても、自分の未熟さは分かる。
それでも、先ほどまでより身体が動かしやすい。
剣を振ったあとの姿勢も、少しだけ安定していた。
> 名前:ルナト
> 年齢:19歳
> 種族:人間
> 職業:《見習い剣士》
> 状態:正常
>
> 主なスキル:
> 《剣術》《盾術》《防御姿勢》
> 《隠密》《鍵開け》《逃走》
「似合ってるよ」
サラが言った。
「何も見た目は変わってないだろ」
「でも、さっきより少しだけ剣士らしい」
「見習いだけどな」
「私はもう《斥候》だから、私のほうが先輩だね」
「転職したのは数日前だろ」
「それでも先輩は先輩」
サラが得意そうに胸を張る。
俺は小さく笑い、折れた剣を下ろした。
ルナト――《見習い剣士》。
サラ――《斥候》。
まだ弱い。
本物の監視役と正面から戦えば、負けるかもしれない。
だから、戦わずに逃げる。
俺が剣と盾を持ち、サラが安全な道を見つける。
二人で役割を果たせば、可能性はある。
「次は武器庫の見張りを調べよう」
俺は言った。
「地図とコンパスを盗むなら、鍵だけ開けても駄目だ。誰にも気づかれず、中へ入れる時間を見つけないといけない」
「私が調べる」
「一人では危険だ」
「ルナトが剣の練習をしている間、私は見張りの交代を調べる。斥候になった私の仕事でしょう?」
心配ではある。
だが、サラは守られるだけの存在ではない。
俺より早く監視役の気配に気づき、逃げ道を見つけられる。
「危険だと思ったら、すぐ戻れ」
「分かってる」
「絶対に無理をするな」
「ルナトもね」
俺たちは古い資材置き場を出た。
暗い坑道の先には、監視役の灯りが見える。
まだ、あの向こうへは行けない。
だが、俺たちはもう無職の奴隷ではなかった。
一人は見習い剣士。
もう一人は斥候。
自由を手に入れるため、自分たちで選んだ最初の職業だった。




