紅染める
山吹さんの案内で、桂の木に囲まれた、小さな建物に辿り着いた。白壁に赤茶の屋根と、品が良い造りだ。
「べにー!いるか?」
扉をこづきながら、山吹さんは声を張る。
と、扉が内側からぱっと開く。
「だからベにじゃないわよ。ブッキ」
「ブッキはやめろよ。カッコ悪いっしょ」
きっとこの人たち、毎回この会話してるんだわ。わたしと桃枝は声を立てずにこっそり笑った。
「それよりかわいい後輩を連れて来たよ。紅の染め見せてやって」
山吹さんはその人を、今度は「くれない」と読んでいた。名前の通り、目が大きくて華やかな美人だ。気が強そうなところはかっこ良い感じ。
「1年生の桃枝です。自由課題のために、描き方を勉強しに来ました。よろしくお願いします」
ここでも先に挨拶したのは桃枝だった。わたしも倣って挨拶した。
「よろしく。参考になるか分からないけど、どうぞ」
中に入るとすぐ、ミルク色の壁に囲まれた、広い台所のような部屋だった。でもよく見ると、コンロも鍋も大きい。
紅さんは火を掛けた鍋に近づき、中を覗き込む。
「今、茜染めをするところなの。生地がこれ」
そう言って紅さんは白い布の塊を見せてくれる。布はあちこち糸や紐で結んだり、摘んだり、砂漠で乾燥した皮見たいな形をしている。
「結ばれているところは染まらないのよ」
紅さんは布の塊を鍋に放り込む。布はじゅわっと音を立てて、色が染み込んで行く。甘いような、独特の香りが立つ。
「これで布をひっくり返しながら煮て行くの」
「料理みたい…」
「そうね。キッチンに鍋だものね」
桃枝が感想をこぼすと、紅さんが面白そうに答える。
「いつも茜を使ってると、ああ、私の名前も茜が良かったなあって思うの」
紅さんはしばらく布をつついてから言った。
「そうなんですか? 素敵な名前なのに」
今度は桃枝が答える。
「だって間違えやすいもの。分かってて言う人もいるけどね」
と、紅さんは山吹さんをちらりと見る。山吹さんはニヤリと笑う。
「ひどいヤツだな」
「そう。ひどいヤツよ」
気兼ねない仲ってこうなのね。ちょっと羨ましい。
わたしは自分の出身を隠したいから、人と深く付き合ったことがない。だから素っ気なく突き放したり、曖昧に逃げたりして来た。
もしかしたら、ここでは欲しくてたまらないものが見つかるかもしれない。
本当の信頼ってやつが。
タイマーが鳴ると、紅さんは布をざるに取り出し、茜色の熱い液体は銀のボールに溜めた。
「これは2番だしにするから取っておくの」
布はまた別のボウルに移し、水にさらす。
「あとはよく洗って、脱水をして乾かす」
なるほど、部屋の中には洗濯機があった。それから、物干しの紐やハンガーなんかも。
「染めはね、水の仕事なの。水は天から降ってくる雨が大元だから、空と相性が良いんだと思うわ」
それを聞いた桃枝は思わず、カッコイイ、と言った。
「霧絵の具も空中の水分を傘で集めたものだしな」
と山吹さんは紅さんの言葉に頷く。わたしも青人のアトリエの傘とバケツを思い出した。空気を漂う霧を、透明な骨が雫に変えて拾っていたっけ。
「染料は茜とか藍とか、植物か、霧絵の具を使うの。化学染料もあるけど、空になる時に同じ色が出せないのよ。だから自然物を使うようにしてる」
染めものが原画になるなんて、思ってもみなかった。しかも奥が深そうだ。
「思い通りに染められるんですか?」
「ううん。狙いはつけるけど、そのままにはいかないわ。だからこそ、良いものが出来たら、楽しいのよね」
そう言う紅さんの微笑みは、生き生きしていた。
「こんなところで良いかしら?」
紅さんは山吹さんとわたしたちに尋ねた。
桃枝とわたしが質問を考えていると、山吹さんがハイ、と小学生よろしく手を挙げた。
「ハイ、山吹くん」
紅先生は元気の良い生徒をあてた。
「昼飯にしましょう、先生」
紅さんは大袈裟に呆れて、苦笑いをしてみせた。確かに12時を過ぎていた。
「はあ~、山吹またそれか。ま、時間に正確なことは尊重して、お昼にしますか。桃枝ちゃんとみどりちゃんは食べながらでも聞きたいことあったらどうぞ」
こうしてわたしたちは染めを教えてもらい、お昼も頂いたのだった。
もちろん、お昼は別の台所で作った。
ゴロゴロ回る洗濯機を見ながら、あの皮のような布がどう仕上がるのか、楽しみで仕方ない。
外の桂の葉たちは、ひらひらと心地良さそうに揺れていた。




