黒い夜
さあ、いよいよ始まります。
夜、アトリエに戻ると、と寝転がっていた山吹が、よっ、と手を挙げて迎えた。
「夜まで出掛けるなんて珍しいな、青人」
「うん…」
山吹は表情を変えずにおれの様子を見て来た。
「なんかあった?」
「気になることがあってね」
おれは最下層の門の側にいた、「影」の女の子のことを話した。その暗い瞳の中に、嫌な光を感じたことも。
「それで?」
「その辺りをまた見て来たけど、いなかった。思い過ごしだよ」
「そうかなあ」
山吹の言葉にドキッとした。
「いやね、何か起こるなら、これからなんじゃないか」
ランタンで照らされた灯りが、木に影を写し出す。夜のアトリエに、山吹のネオングリーンの眼鏡が浮き立って見える。
「青人の感性って鋭いってか、感度が高いからさ。ほっとけないっつーの?」
いかにも若者口調、と言うおれは老人ではないけど。山吹に言われると、思い過ごしでもないのか。
「今日は寮に帰るのか?」
「いや…」
山吹とおれは同じ寮だ。時々、アトリエに泊まって帰らない。夜にたまらなく描きたいって思ったり、制作が盛り上がったりしたら、帰ってる場合じゃないから。
「そうとなったら、今夜はおれも帰らないよ」
「え?」
「言ったろ?青人のヤな予感は当たるんだよね。何が起こるか、見てやろうじゃないの」
前もこんなことがあった気がする。確か、職人学校に来る前の年だった。おれが、背を丸めて、周囲を目だけで警戒してる男を見つけた時だ。話をすると、山吹も一緒になって男をつけたら、放火犯だったってことが。
灯りの火が揺れる度に、枝の影が生き物のように動く。
「じゃあ、行くか?」
「うん」
上の空へと続く門の元へ。
おれたちは木から降りた。ランタンに照らされた森は秘密めいている。
しばらく歩いて、木々の広場に出た時、空も広く見える。
「あ」
「どうした、青人?」
気のせいかと思った。でも、確かに空に浮かぶ光が陰った。つまりは…
「星が消えた」
「え?」
空のある方角から、星が一つ、またひとつと、目の前から消えていった。
いや、消えていくのは星だけじゃない。空が…
「青人!」
山吹に指差されて地上を見ると、森の一部がなくなっていた。これは…
「黒い空だ!」
叫んだ瞬間、目の前は黒い闇に覆い尽くされ、見えなくなった。




