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『図書館で出会った御曹司が、私のことになるとちょっとおかしい』   作者: 伊佐波瑞樹


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第112話 君の知らない一日を、少しずつ分け合えたなら


 火曜日の朝、水瀬彩花が目を覚ましたとき、窓の向こうには淡い冬の光が広がっていた。


 昨夜は少し雲が多かったものの、今朝は青空が見えている。カーテンの隙間から差し込む光は柔らかく、机の上に置かれた星模様のノートを静かに照らしていた。


 彩花は布団から起き上がり、窓辺へ近づいた。庭の木々はほとんど葉を落としており、細い枝の向こうには、住宅街の屋根が並んでいる。


 冷たい窓ガラスに触れないよう気をつけながら外を眺めていると、昨日の朝に田辺大地から聞いた話が思い出された。


 大地の妹は、雪が降るのを楽しみにしているという。


 同じ窓から毎日違う景色を探しているらしいその子は、今日の青空を見て何を思うのだろう。


(雪はまだ降りそうにないけど、こんな朝もきっと綺麗だよね。私も、毎日見ている景色をもう少し丁寧に見てみたいな)


 彩花はそう思いながら、庭の端にある植木鉢へ目を向けた。


 そこには季節の草花が植えられている。今は目立つ花こそ少ないものの、土の表面には朝露が残り、日差しを受けて小さく光っていた。


 星模様のノートに書いている少女も、きっとこんなふうに庭を眺めているのかもしれない。


 彩花はその情景を頭の片隅へ留め、制服へ着替え始めた。


 階下へ降りると、台所では母の紗月が朝食の準備をしていた。食卓には温かい味噌汁と焼き魚が並び、父の耕助は新聞を読みながらお茶を飲んでいる。


「おはよう、お母さん。今日は昨日より少し晴れてるね」


「おはよう、彩花。そうね。でも朝は冷えているから、マフラーは忘れないでね」


 紗月が微笑みながら答えると、彩花は頷いて席についた。


 少し遅れて姉の凛花がやって来た。まだ眠気が残っているのか、椅子へ座ると小さく息を吐き、温かいお茶を手に取った。


「おはよう、彩花。昨日の文芸部、どうだった?」


「おはよう、お姉ちゃん。うん、表紙の調整について話したよ。まだ新しい案はできてないけど、直したいところと残したいところを、みんなで確認できたと思う」


 彩花が答えると、凛花は興味深そうに顔を上げた。


「へえ、いいじゃない。完成に近づいてると、直したいところばっかり気になりそうだけど、残したいところも大事だもんね」


「うん。表紙を作ってくれてる人も、そこを大切にしたいって話してた。私も、あの冬の空みたいな余白が好きだから、残ってほしいなって思ってるの」


 彩花は昨日の話し合いを思い返しながら答えた。


 佐々木先輩が言っていたように、一冊の部誌を作るには、それぞれが大切にしているものを聞き合う必要がある。


 自分の考えを伝えるだけではなく、相手が何を守りたいと思っているのかを知ることも大切なのだ。


 凛花は妹の表情を見つめ、少しだけ笑みを深くした。


「最近の彩花って、学校であったことを話すとき、前より楽しそうだよね」


 彩花は箸を止め、姉へ目を向けた。


「そうかな?」


「うん。前から本の話をするときは楽しそうだったけど、今は文芸部の人のこととか、授業で考えたこととか、いろんな話をしてくれるようになった気がする」


 凛花はそう言いながら、味噌汁の椀を持ち上げた。


 彩花は少し照れたように視線を落とした。


(昨日も悠真君に、学校であったことを話したんだよね。前は、こんな小さな出来事をわざわざ話してもいいのかなって思ってたけど……)


 今は、そういう出来事こそ相手に伝えたいと思うことがある。


 大きな事件がなくても、楽しかったことや考えたことを話せば、相手が過ごした一日を少し知ることができる。


 彩花はその気持ちを思い返しながら、凛花へ微笑んだ。


「私も、最近は誰かの話を聞くのが前より楽しくなった気がする。自分が気づかなかったことを教えてもらえるし、私が考えたことも聞いてもらえるから」


「それ、いい変化だと思うよ」


 凛花は穏やかに答えた。


 父の耕助も新聞から顔を上げ、娘たちの会話へ耳を傾けていた。


「彩花が学校でいろいろ経験しているのは、父さんも嬉しいよ。文芸部の活動も、無理のない範囲で楽しんでほしいな」


「うん。ありがとう、お父さん」


 彩花は笑顔で頷き、朝食を続けた。


 家族と交わす何気ない会話も、今日という日の始まりを温かくしてくれるものだった。


     ◇


 青葉高校へ向かう通学路には、冬の朝らしい澄んだ空気が流れていた。


 彩花はマフラーを首元へ寄せながら歩き、道路脇に並ぶ木々へ目を向けた。


 昨日まで気づかなかった小さな変化が、いくつか見つかる。


 枝に残っていた葉が一枚少なくなっていること。日差しの当たる場所では、落ち葉の色が少し明るく見えること。風が吹くと、歩道の端に集まった葉が小さく動くこと。


 どれも特別な出来事ではない。


 けれど、少し意識して見るだけで、昨日とは違う景色が広がっているように感じられた。


 彩花はそのことを心の中へ留め、学校の門をくぐった。


 教室へ入ると、すでに何人かの生徒が登校していた。窓際では田辺大地が友人と話しており、彩花に気づくと軽く手を上げた。


「おはよう、水瀬」


「おはよう、田辺君」


 彩花が挨拶を返すと、大地は少し笑った。


「昨日、妹に水瀬の話をしたんだよ。同じ窓から毎日違う景色を見つけてるんじゃないかって言ってたって」


 彩花は少し驚いて足を止めた。


「えっ、そうなの?」


「うん。そしたら、あいつ結構嬉しそうでさ。『今日は雲の形が違った』とか、『昨日より木の葉っぱが少なくなってた』とか、いろいろ教えてくれたよ」


 大地は妹の様子を思い出したのか、少し楽しそうに笑った。


 彩花はその話を聞き、胸の奥が温かくなるのを感じた。


「そうなんだ。なんだか嬉しいな。私も今朝、いつも通る道を見てたら、昨日と違うところがいくつか見つかったんだよ」


「へえ、水瀬も?」


「うん。葉っぱの数とか、光の当たり方とか、本当に小さなことだけどね」


 彩花が答えると、大地は感心したように頷いた。


「やっぱり、そういうところに気づけるのっていいな。俺も今度、妹と一緒に窓の外を見てみようかな」


「きっと楽しいと思うよ。妹さんが何を見つけるのか、聞いてみるのも面白そうだね」


 二人は穏やかに笑い合った。


 彩花は自分の席へ向かいながら、昨日の何気ない会話が、別の場所でも続いていたことを嬉しく思った。


 自分が話した言葉を、大地が妹へ伝えてくれた。


 そして、その妹が見つけた景色を、今度は大地が彩花へ教えてくれた。


 言葉は、こうして人から人へ渡っていくのかもしれない。


     ◇


 午前中の授業では、国語の時間に短い文章を読み、登場人物の気持ちを考える課題が出された。


 彩花は教科書を開き、教師の説明を聞きながら、文章の中に書かれた仕草や視線へ目を向けた。


 登場人物は、友人へ何かを伝えようとしている。


 しかし、相手の反応を気にするあまり、言葉を選び続けてしまい、なかなか本題を切り出せない。


 彩花はその場面を読みながら、自分にも似たような経験があることを思い出した。


 以前の自分なら、相手がどう思うか気になって、言いたいことを飲み込んでしまうことがあった。


 けれど今は、少しずつ言葉にできるようになっている。


 その変化には、悠真と過ごしてきた時間も関係しているのだろう。


(悠真君は、私が考えていることを急がせずに聞いてくれる。だから、私も自分の言葉をちゃんと探してみようって思えるんだ)


 彩花はその思いを胸に、ノートへ自分の考えを書き始めた。


 授業の後半には、隣の席の女子生徒と意見を交換する時間が設けられた。


「水瀬さん、この登場人物って、相手に嫌われるのが怖いのかな?」


 隣の生徒が尋ねると、彩花は文章をもう一度読み返した。


「そういう気持ちもあると思う。でも、私は相手のことを大切に思っているから、どう伝えたらいいか迷ってるのかもしれないって感じたよ」


 彩花が答えると、相手は少し考えるように首を傾げた。


「大切だから、迷うってこと?」


「うん。どうでもいい相手だったら、そこまで言葉を選ばないこともあると思うんだ。でも、大切な人だからこそ、自分の気持ちをちゃんと伝えたいって思うこともあるんじゃないかな」


 彩花は自分の言葉を確かめるように、ゆっくり話した。


 隣の生徒は文章へ目を戻し、しばらく考えたあとで頷いた。


「なるほど。そう考えると、迷ってること自体が、その人を大切にしてるってことなのかもしれないね」


「うん。もちろん、ほかの読み方もあると思うけどね」


 二人は互いのノートへ考えを書き足し、授業の終わりまで意見を交換した。


 彩花はその時間を通して、昨日とはまた違うことに気づいた。


 言葉に迷うことは、必ずしも悪いことではない。


 大切な相手へ伝えたいからこそ、簡単には決められない言葉もある。


 そのことは、自分が書いている少女の物語にもつながっているように思えた。


     ◇


 昼休み、彩花は弁当を食べ終えてから、星模様のノートを鞄から取り出した。


 学校で長い時間を書くつもりはなかったが、午前中の授業で考えたことを忘れないうちに、少しだけメモしておきたかった。


 少女は祖母へ手紙を書いている。


 元気に過ごしていることを伝えたい。


 けれど、離れて暮らしている寂しさも、確かに胸の中にある。


 その二つをどう言葉にすればいいのか、少女は迷っている。


 彩花はノートの余白へ、小さく書き加えた。


『大切な人だからこそ、言葉を選ぶ時間が必要になる。』


 書き終えると、彩花は少しだけ微笑んだ。


 昨日は、元気でいることと寂しいことが同時にあってもいいと考えた。


 今日は、その気持ちをどう伝えるか迷う時間にも意味があるのではないかと思った。


 物語はまだ完成していないが、少女の気持ちは少しずつ輪郭を持ち始めている。


 彩花はノートを閉じ、窓の外へ目を向けた。


 校庭には昼休みの生徒たちが集まり、冷たい風の中でも楽しそうな声が響いている。


 彩花はその景色を眺めながら、ふと悠真のことを思い出した。


 今頃、彼は桜華学園でどんな時間を過ごしているのだろう。


 生徒会の仕事について考えているかもしれないし、森川航平と昼食を取っているかもしれない。


 彩花には、悠真の一日のすべてを知ることはできない。


 けれど、夜になれば、今日あったことを少しずつ聞けるかもしれない。


(悠真君の今日も、きっと私の知らない出来事でいっぱいなんだよね。それを聞けるのが楽しみだな)


 彩花は穏やかな気持ちでノートを鞄へ戻した。


     ◇


 同じ頃、桜華学園高等部では、九条悠真が生徒会の資料を確認していた。


 昼休みの教室は賑やかだったが、悠真は机の上に広げた書類へ目を向け、必要な項目を一つずつ確認している。


 そこへ森川航平が近づいてきた。


「九条、昼飯はもう食べたのか?」


「うん、さっき食べ終わったよ。今は午後に確認する資料を少し見てるところなんだ」


 悠真が答えると、航平は机の上を覗き込んだ。


「生徒会のやつか。相変わらず真面目だな。でも、今日はそんなに急がなくてもいいんじゃないか?」


「そうだね。全部を今やる必要はないから、確認したいところだけ見ておこうと思ってる」


 悠真は資料をまとめ、手帳へ簡単なメモを書いた。


 航平はその様子を見て、少し笑った。


「最近のお前、前より余裕がある気がするな」


 悠真は顔を上げた。


「そうかな?」


「うん。前は、頼まれたことを全部自分で片づけようとしてる感じがあったけど、今はちゃんと人に任せたり、確認したりしてるだろ」


 航平の言葉に、悠真は少し考えた。


 確かに、以前は自分が動いた方が早いと思うことがあった。


 けれど、最近は周囲の人たちと協力することの大切さを、以前より意識するようになっている。


 それは生徒会の仕事だけではなく、彩花との関係にも通じているのかもしれない。


「そうだね。自分だけで考えるより、ほかの人の意見を聞いた方がいいことも多いから」


 悠真が答えると、航平は満足そうに頷いた。


「それならいいんじゃないか。お前が全部抱え込んだら、周りも手伝いにくいしな」


「うん。これからも気をつけるよ」


 二人はそう話しながら、午後の授業の準備を始めた。


 悠真は教科書を取り出し、ふと窓の外へ目を向けた。


 冬へ向かう空は澄んでおり、遠くの木々が風に揺れている。


 土曜日に彩花と歩いた川沿いの景色が、自然と思い出された。


 あの日、彩花は葉を落とした枝の向こうに見える空を、嬉しそうに眺めていた。


 同じ景色を見ても、人によって気づくところが違う。


 そして、相手が何を見ているのか知りたいと思うことで、自分の見方も少しずつ変わっていく。


(彩花さんと話していると、俺も今まで気づかなかったことを考えるようになるんだ)


 悠真はその思いを胸に、午後の授業へ向けて姿勢を正した。


     ◇


 放課後、彩花は文芸部の活動場所へ向かった。


 今日は大きな話し合いの予定はなく、部誌の確認作業をそれぞれ進めることになっている。


 部屋へ入ると、佐々木先輩が机の上へ資料を並べていた。


「お疲れさま、水瀬さん。今日は本文の確認を少し進める予定だから、手伝ってもらえると助かるよ」


「お疲れさまです。はい、分かりました」


 彩花は鞄を置き、メモ帳を取り出した。


 窓際では、表紙担当の女子部員がノートパソコンを開いている。


 昨日話し合った枝先と下部の文字について、修正案を考えているところらしい。


 彩花が近づくと、相手は顔を上げて微笑んだ。


「水瀬さん、お疲れさま。昨日話したところ、少し試してみてるんだけど、まだ全体を見せられる状態じゃなくて」


「お疲れさま。うん、分かったよ。無理しないでね」


 彩花が答えると、相手は安心したように頷いた。


「ありがとう。枝先のところは、全部濃くするんじゃなくて、見えにくい部分だけ少し調整してみようと思ってるの。下の文字も、位置は変えずに色の差を見てるところ」


「うん。昨日話してた方向だね。元の雰囲気が残るといいな」


 彩花はそう言い、相手の作業を邪魔しないように少し距離を取った。


 表紙担当の部員は再び画面へ目を向け、慎重に作業を続け始めた。


 彩花は佐々木先輩のところへ戻り、本文の確認作業を始めた。


 自分の作品『いつか、ここに』だけではなく、ほかの部員の作品についても、ページ番号や目次との対応を確かめていく。


 すでに確認が進んでいる部分も多いため、今日の作業は大きな修正を見つけることより、見落としがないか丁寧に確かめることが中心だった。


 彩花は資料を一枚ずつ確認し、気づいたことをメモ帳へ書き留めた。


 しばらくすると、佐々木先輩が声をかけてきた。


「水瀬さん、ここの確認はどう?」


「はい。今のところ、目次とページ番号は合っていると思います。もう一度、前後のページも確認してみますね」


「ありがとう。急がなくていいから、丁寧に見てもらえると助かるよ」


 佐々木先輩はそう言い、別の部員のところへ向かった。


 彩花は再び資料へ目を落とした。


 部誌の完成は、少しずつ近づいている。


 けれど、まだ決まっていないことも残っている。


 表紙の修正案ができたあとには、再び確認する必要があるし、最終的な印刷や配布についても、これから相談することになるだろう。


 彩花はその過程を、焦らず大切にしたいと思っていた。


     ◇


 活動が終わる頃には、窓の外の光が少しずつ弱くなっていた。


 部員たちは資料を片づけ、机の上を整え始めた。


 彩花も確認用の紙をまとめ、佐々木先輩へ渡した。


「ありがとうございました。今日のところは、ここまで確認できました」


「うん、助かったよ。水瀬さんもお疲れさま」


 佐々木先輩は資料を受け取り、穏やかに微笑んだ。


 彩花は鞄を持ち、ほかの部員たちへ挨拶をしてから部屋を出た。


 廊下には放課後の静けさが広がっている。


 階段の窓からは夕方の淡い光が差し込み、遠くの教室からはまだ活動を続けている生徒たちの声が聞こえていた。


 彩花はゆっくり階段を下りながら、今日の出来事を思い返した。


 朝の教室では、大地の妹が見つけた景色の話を聞いた。


 国語の授業では、大切な相手へ言葉を伝えることについて考えた。


 文芸部では、少しずつ進む部誌の準備を手伝った。


 どれも大きな出来事ではないが、彩花にとっては大切な一日の一部になっていた。


(今日も、悠真君に話したいことがいくつもあるな)


 彩花はそう思いながら、校舎を出た。


 外の空気は冷たかったが、夕方の空にはまだ少し明るさが残っている。


 彩花はマフラーを整え、家へ向かって歩き始めた。


     ◇


 夕食を終えたあと、彩花は自室へ戻り、机の上へ星模様のノートを広げた。


 昨日書いた少女の物語を読み返すと、手紙の二行目まで進んだところで、少女が次の言葉に迷っている場面が続いている。


 彩花は今日の国語の授業を思い出した。


 大切な人だからこそ、言葉を選ぶ時間が必要になる。


 その考えを、少女の気持ちへ重ねてみる。


 少女は祖母へ、元気に過ごしていることを伝えたい。


 けれど、離れて暮らしている寂しさも、確かに胸の中にある。


 彩花はペンを持ち、続きを書き始めた。


『少女は手紙の余白を見つめながら、祖母がこの文章を読んだとき、どんな顔をするのだろうと考えていた。


 庭の花が咲きそうだと知れば、きっと喜んでくれるだろう。毎朝少しずつ変化を見つけていると書けば、元気に過ごしていることも伝わるかもしれない。


 けれど、それだけでは、少女が本当に伝えたいことのすべてにはならなかった。


 祖母が遠くへ引っ越してから、庭は以前より静かになった。朝の水やりをするとき、隣から聞こえていた声がなくなったことを、少女は今でも寂しく感じている。


 それでも、花の世話をやめようとは思わなかった。


 祖母と一緒に大切にしてきた庭だからこそ、これからも毎日の変化を見つけていたかった。


 少女はペンを持ち直し、手紙の続きを考えた。


 寂しいと書くことは、祖母を困らせることなのだろうか。


 それとも、会えなくても大切に思っていることを、伝えるための言葉になるのだろうか。


 少女にはまだ答えが分からなかったが、すぐに書き終えなくてもいいのだと思うと、少しだけ肩の力が抜けた。』


 彩花はそこで筆を止めた。


 今日も、手紙の三行目は書かなかった。


 けれど、少女が言葉を選ぶ理由は、昨日よりもはっきりしてきたように思う。


 彩花は書いた文章を読み返し、静かに頷いた。


(この子は、きっとおばあちゃんに心配をかけたいわけじゃないんだよね。でも、寂しいって気持ちも、大切にしていいんだと思う)


 彩花はノートを閉じ、机の端へ置いた。


 物語はまだ完成していない。


 それでも、少しずつ登場人物の気持ちを知っていく時間は、彩花にとって大切なものになっていた。


     ◇


 夜、悠真は自室で手帳を確認していた。


 今日の生徒会では、担当者ごとに進める作業を整理し、必要な確認事項を共有した。


 大きな問題が起きたわけではないが、互いに協力しながら進めることの大切さを、改めて感じる一日だった。


 悠真は手帳を閉じ、スマートフォンを手に取った。


 彩花からメッセージが届いている。


『悠真君、こんばんは。今日は学校で、ちょっと嬉しいことがあったんだ』


 悠真はその文章を読み、自然と微笑んだ。


『こんばんは、彩花さん。嬉しいことがあったんだね。よかったら聞かせてもらえる?』


 しばらくして、彩花から返事が届いた。


『昨日、田辺君から妹さんが雪を楽しみにしているって話を聞いたんだけどね。今日、その妹さんが毎日窓から違う景色を見つけてるって教えてもらったの。私も今朝、いつもの道を少し意識して見たら、昨日と違うところが見つかったんだ』


 悠真はその文章を読み、土曜日に彩花と歩いた川沿いを思い出した。


 葉を落とした木々の向こうに広がる空。


 季節が変わることで見えてくる景色。


 彩花は、そうした小さな変化を見つけることを楽しんでいる。


『素敵だね。毎日同じ場所を見ていても、少しずつ違う景色があるんだろうな。俺も明日の朝、学校へ向かう途中で何か見つけられるかもしれない』


 悠真が送ると、彩花からすぐに返事が届いた。


『うん。悠真君が何を見つけるのか、私も聞いてみたいな』


 その言葉に、悠真は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。


 彩花は、自分が見つけた景色だけではなく、悠真が見つける景色にも興味を持ってくれている。


 それが嬉しかった。


『じゃあ、明日何か見つけたら話すね。彩花さんも、また面白いものを見つけたら教えてほしいな』


 悠真が送ると、彩花から笑顔の絵文字と一緒に返事が届いた。


『もちろん。楽しみにしてるね』


 悠真はスマートフォンを置き、窓の外へ目を向けた。


 庭には夜の静けさが広がり、木々の影が淡い灯りに照らされている。


 明日の朝、どんな景色が見えるのだろう。


 そんなことを考えるのは、以前の自分にはあまりなかったことかもしれない。


 けれど今は、彩花へ話したいと思うだけで、何気ない一日の始まりが少し楽しみになっていた。


     ◇


 彩花は悠真とのメッセージを終えたあと、葉模様の日記帳を開いた。


 今日の出来事を書き留めながら、朝から夜までの時間をゆっくり思い返す。


 大地の妹が見つけた景色。


 国語の授業で考えた、言葉を選ぶ理由。


 文芸部で少しずつ進む冬の部誌。


 そして、悠真と交わした、明日の景色についての約束。


 彩花はペンを動かした。


『今日は、昨日と違う景色をいくつも見つけた。自分で見つけたものもあれば、誰かが教えてくれたものもある。同じ一日でも、人によって見えているものは違うんだと思った。』


 彩花はそこで少しだけ手を止め、悠真からのメッセージを思い返した。


 明日、何か見つけたら話す。


 その言葉が、胸の奥に温かく残っている。


 彩花は続きを書いた。


『悠真君が明日どんな景色を見つけるのか、楽しみ。学校が違うから、同じ場所を歩くことはできないけれど、お互いに見つけたものを話せば、少しだけ相手の一日を知ることができる。』


 書き終えると、彩花は日記帳を閉じた。


 机の上には、まだ完成していない物語のノートがある。


 その中の少女も、離れて暮らす祖母へ、自分が見つけた景色を伝えようとしている。


 彩花はそのことを思い返し、静かに微笑んだ。


 誰かに伝えたいと思うことで、普段なら見落としてしまう小さな変化にも気づけるのかもしれない。


 そして、その言葉を受け取ってくれる相手がいることは、とても嬉しいことなのだ。


 彩花は部屋の明かりを落とし、ベッドへ入った。


 窓の外では、青凪市の夜が静かに広がっている。


 明日もまた、それぞれの学校で一日が始まる。


 けれど、その一日のどこかで見つけた小さな景色を、夜になったら分け合うことができる。


(明日は、悠真君が見つけた景色を聞けるんだよね。私も、何か見つけられたらいいな)


 彩花は穏やかな気持ちで目を閉じた。


 まだ知らない明日の景色を楽しみにしながら、静かな眠りへ落ちていった。


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