第四話 桶狭間 ――敦盛の舞
第四話 桶狭間 ――敦盛の舞
空は、重く垂れ込めていた。
湿った風が、戦の匂いを運ぶ。
駿河の大大名――
今川義元。
その軍勢、二万。
尾張を飲み込まんと進軍していた。
対するは――
織田信長。
わずか数千。
誰もが、終わりを予感していた。
だが、信長は違った。
城の中。
静まり返った空気の中で、
彼はひとり、舞っていた。
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば――」
敦盛。
静かに、そして力強く。
命の儚さを歌いながら、
その足取りは迷いがない。
やがて、舞は止まる。
信長は顔を上げる。
「――夢幻の如くなり」
その言葉は、戦場へ向けられていた。
外では、別の戦が進んでいた。
刃ではない。
人の流れ。
民が動く。
信長の意を受けた者たちが、
今川の陣へと出入りしていた。
食を運び、酒を運び、
言葉を運ぶ。
「織田は恐れている」
「攻めてくる気配はない」
小さな安心が、積み重なる。
やがてそれは、油断へと変わる。
今川の陣。
勝利は目前。
誰もがそう思っていた。
緊張は緩み、
兵たちは酒を口にする。
笑い声が広がる。
「尾張など、恐るるに足らず」
その空気が、すべてだった。
その時。
空が、暗くなる。
風が止む。
そして――
豪雨。
激しい雨が、すべてを覆い隠す。
視界も、音も、消える。
信長は、その中で立っていた。
静かに、ただ前を見据える。
「行くぞ」
織田軍、突撃。
雨の中から現れる影。
突然の襲撃。
混乱。
酔いの残る体では、対応できない。
何が起きているのか、分からない。
その中心を、信長は駆ける。
一直線に。
ただ一つの首を目指して。
そして――
今川義元、討ち取られる。
静寂。
あれほどの大軍が、崩れていく。
酒に酔い、
安心に溺れ、
その隙を突かれた。
戦が終わる。
雨は止み、空が開ける。
信長は、ただ立っていた。
「夢で終わるかと思うたか」
誰にともなく呟く。
奇跡ではない。
仕組まれた勝利。
人の心を動かし、
流れを作り、
その一瞬を逃さず討つ。
それは、遠い昔から語られてきた知恵。
強きものを倒すには、
力ではなく、隙を作ること。
風が吹く。
その風は、時代を変える風だった。
“うつけ者”は、もういない。
そこにいるのは――
戦を支配する者。
織田信長。




