三年目の学校祭②
土端と風巻が祭りの話をする数分前の出来事。
風巻は見回りを終え、1人生徒会室に戻った。役員たちはそれぞれの仕事を終えると早々に遊びに行ってしまって誰もいない。にぎやかな祭を嫌いそうな土端も戻ってきてはいなかった。誰もいない静かな空間に僅かな寂しさを覚えながら風巻は会長席に座り一息ついた。
ガラリと重たい生徒会室のドアが開いた。風巻は自然とそちらに視線を向けると息をのんだ。高校にいるはずのない、いや、現実にいるはずのない老紳士がじっとこちらを見つめていた。シワのある灰色のシャツ、少しだけボロくなった紺色のズボン。いつも履いていたサンダル。
「……せんせい」
「なんだ、そんな顔をして。まるで幽霊でも見たような感じだな」
老紳士はニヤリと微笑んだ。そして一歩風巻に近づく。どこか息苦しく、高なる心臓がうるさい。嬉しい、怖い、なんで。風巻は定まらない感情に困惑し無意識に立ち上がった。
「悠馬、何ビビってんだ。全然こっち来ないから迎えにきてやったんだぞ」
「……うそだ」
声にならない声で風巻は呟いた。目の前の老紳士、育ての親である風巻清政が存在していることを受け入れられなかった。一歩、また一歩と近づく清政に風巻は一歩後ろに下がった。いつの間にか窓の淵に手がつき下がらなくなると清政との距離は少しずつ近づいていく。
「それにしても、お前に命を全て差し出したのに、何のうのうと学校生活楽しんでんだ?お前はずっと俺に懺悔して暗く1人で生きるんじゃなかったのか?」
「っ……」
「な?もういいだろ。人様に迷惑かけんなよ。俺と一緒にあの世に行こうぜ」
気づけば2人の距離はもう手を伸ばせば届くまでになった。怯える風巻に清政は不気味な笑みを絶やさない。清政のおろしていた手がゆっくりと上がる。風巻の頬に手を伸ばし触れようとした。
だが、手が触れることは無かった。清政の背後から黒い霧が現れ、飲み込むように覆い被さると霧が晴れると同時に清政の姿は消えてなくなった。
代わりに現れたのは、霧と同じ漆黒の露出度の高いドレスを着た女が1人。長く癖のある黒髪は結われることなく腰高まであり、重たい印象の髪とは相反した白い肌。ぽってりとした唇には紅がぬられ、音がなりそうなまつ毛が瞬き、鋭い瞳が部屋をぐるりと見渡した。
「あぶねえな。きちんと自立して欲しいもんだぜ」
見た目とは反した乱暴な口調で言うと、女は呆れたように溜息を吐いた。風巻は目の前で繰り広げられる事象についていけず、窓枠に手をつきやっとの事で立っていた。
目の前の女に風巻は覚えがあった。突然現れたその女に警戒はするが、何も出来ずじっと見据えるほかなかった。警戒心丸出しの風巻に女は柔らかい笑みを浮かべた。優しく、どことなく風巻に似た笑みであることに当の風巻が気づくはずはない。
「私のこと覚えているか?」
「去年の学校祭で……」
「そうそう」
女は風巻の返答に嬉しそうにうなずいた。見た目こそ大人の姿をしているが一つ一つの反応はまるで少女のように初心だ。ちぐはぐな女に風巻はどうしていいかわからず立ち尽くすしかなかった。
「今の男はお前が後ろめたさから作り出した幻だ。アランの野郎に目覚めさせられて、余計な力まで解放しちまったってこと」
聞き覚えのない名前と告げられる言葉のはずなのに風巻はすんなり受け入れている自分に驚いた。何の疑問もない。すべて心当たりがあるからだ。目の前の女から敵意がないことはわかるが、何が起きているかわからない。風巻はぎゅっと拳を握るだけで女の出方を伺った。
女はつながらない話に更に呆れ、長い髪をかきあげると近くにあった机に腰を下ろし足を組んで座った。膝に膝を乗せ、顎に手を当てながらじっと風巻を見つめた。
「お前が人間界にいたくねえってんなら、私が責任持って連れて帰ってやるって言ってんだよ」
「何処に」
「お前の言う"あの世"に」
ひゅっと冷たい風が背を通った。開け放たれた窓から吹き込む風はあまりに冷ややかで、風巻は息を呑んだ。
女は怖がる風巻に優しく微笑むと先程まで風巻がまとめていたファイルを手にとってぱらぱらとめくった。
「こんなことまで出来るくらい大人になったってことだよな」
「……」
「ふふっ、母に似ず、こう言うところは父親にそっくりだ」
その言葉に風巻は目を見開き窓から背を離した。そして勢いのまま女に近づくと今にも泣きそうな、どこか不安げに女を見下ろした。
「親のこと、知ってんのか」
「ん?」
「知ってんだろ?なあ、何で俺はヒトじゃない。何で、捨てられた。何で、こんな……」
辛い目に合わせるんだ
言いかけたところで風巻の唇に冷たい人差し指が当たった。女はファイルから手を離し、代わりに風巻の唇に指を当て言葉を遮った。ファイルが勢いよく床に落ちた。
風巻は驚きから言葉を呑んだ。自然と涙が溢れ、頬に一筋の雫が顎を伝って落ちる。
いつぶりだろうか、涙を流したのは。最後に泣いたのは義父であり園長の清政から命を取り上げた日だった。
「泣くんじゃねえよ、みっともねえ」
女は唇から手を離すとそっと風巻の頭に手を回し引き寄せそのまま抱きしめた。風巻は抗えない。女が何かをしたわけではなく、体が、魂が、離れることを拒んでいる。その様子に女は小さく笑うと風巻の耳元に顔を近づけ優しく囁いた。
「ごめんな」
その言葉と共に女はその場から消えてしまった。落ちたファイルとほんのりと陽の光の香りだけが残った生徒会室。
風巻は一度ゆっくり瞬きをするとふと嫌な気配を感じ、視線を窓の外へ向け、失笑した。
「そういうことかよ……」
誰に言うでもなく呟くと風巻は前髪をかきあげ深呼吸をした。その眼光はいつもよりも鋭く、全てを見透かすようなまっすぐなものへと変わっていた。
迷いはない。
風巻は生徒会室を出ると階段を駆け下りていった。




