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火刑戦旗を掲げよ!  作者: かすがまる
第3幕

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第52話 烈風の中に草の根を検めて

「帝国軍も御苦労なこった。わざわざ皇帝まで出向いてよぉ」


 その兵士は馬具の留め具をいじりながら、そうぼやいたという。


「これから寒くなるんだから、大人しく西で家族団欒でもしてりゃいいのによ。妻だの子だの残してわざわざ東までやってきて、何があるっていうんだかねぇ。何にもないと思うんだがねぇ? だってそうだろ? こっちは復興したてで、あっちは以前から荒らされないままに暮らしてたんだ。そりゃあ、王子様だとか貴族様だとかは随分と死んだらしいが、仇討ちにしたって、もうあの人はいないってのによ」


 遠く出撃の鐘が鳴り、兵士は気軽な様子で馬に跨った。サルマント伯爵領領軍の軽騎兵だ。小隊長として六十騎を率いる身であるとか。


「出る前から勝ちがねえって分かってるのは嫌になるよな。けど仕方がねえ。戦いてえ戦場で戦うばかりが兵士じゃねえからな。時には負けることも、殺されることも、火炙りになることも仕事の内さ」


 そして二個中隊の一部として出撃し、帝国軍へと散々にちょっかいを出す。歩兵部隊を狙って弓を射掛け、すぐさま逃げるということを続けたのだ。帝国軍軽騎兵に追い回された後、やがて町への退路を失っていずこかへと落ち延びていったという。その町自体も落とされた。夜陰に乗じて門が内側から開け放たれただけでなく、方々で火の手が上がって迎撃どころの騒ぎではなくなったからだ。


 掠奪は皆無ではないものの軽微なものだった。それはこの侵攻が皇帝自らによる親征であることが影響している。多くが殺され、奪われ、蹂躙されたものの、町自体は破壊されなかった。教会もまたそれを許さなかったからだ。多数の女子供が、教会に保護されることで乱暴狼藉を免れたのである。


「私はこの侵攻を認めない。教義とは関係ありません。私個人が不快に思うのです」


 その若い修道士は炊き出しの汁物を煮立て、かき混ぜながら、そう吐き捨てたという。


「恥ずかしげがなさ過ぎて……いっそもっと暴力的であればいいのに。軍靴をもって凶事を為しているのですから。それを、思いついたように兵隊たちを罰したりなどして、中途半端に軍の矜持などというものを示した気になってます。どの口がどの顔でと言いたいですよ、私は」


 ブツブツと愚痴りながら、己は食べもせずに汁物を配っていく。その両手はどちらも包帯が巻かれていて、治療の仕方がいい加減なものだから傷を半ばも隠せていない。火傷だ。焼け落ちんとする建物から食糧と子供とをどちらも引っ張り出してきたのだとか。


「だって、放火犯が消火しているようなものじゃないですか。全く、それで後ろめたさが消えるのなら安いものですよ。民の心を掌握するための演技だとしても、いやらしいったらない。恥ずべきです」


 修道士は礼拝堂へ辿り着く者たちを迎え入れ続けて、そして帝国軍の暴行を受けるに至った。逃げ込んだ王国軍兵士の引渡しを拒んだからだ。中立を捨てた聖職者に遠慮はいらぬとばかりに殴られ蹴られ、裸に剥かれもしたその修道士は、しかし頑として帝国軍の立ち入りを認めなかった。肌色の壁として立ち塞がり、ここは泣く子を宥める家であると宣言した。声は震えていた。尿も漏らした。しかし譲らない。


 異様な有り様は騒ぎとなり、帝国軍の上官が聞き及ぶにいたって、帝国軍と教会との間に略式ながら戦時協定が結ばれる運びとなった。既に逃げ込んだ兵士についてはその武装を全て帝国軍へと差し出し、許可あるまで建物内に軟禁することが取り決められたのだ。今後は国の区別なく兵士の立ち入りを禁止することも定められた。兵であるか否かの判断に議論の火種を残す決定だった。


「はん、何を怯えてやがる。そんなに恐いなら帰れや、若いの」


 その老人は何人もの兵士に槍を向けられても、そう嘯いたという。


「俺はこの町から出て行くんだ。随分とうるさくなっちまったからよ。どっかお前らが来ないところへ行って、そこで木の根でもしゃぶって生きて死ぬ。そう決めたんだ。殺したいなら殺せばいい。どうせ冬は越えられんだろうし、構いやせんわ。この老骨がここでゴミになるか、どこぞで木の肥やしになるか、決めてくれ。もうたくさんなんだ、こういう、うるさいのは」


 対応を決めかねる兵士たちの間をヒョコヒョコと素通りし、本当にそのまま町の外へと出てしまったのだという。襤褸をまとい煤塗れの格好だったから、放っておいても死ぬものと見られたのかもしれない。


「お行儀がいいのか悪いのか、どうにもわからん連中だな、今度の帝国軍は。なまじっか皇帝なんぞが頭にいるもんだから、手癖の悪さもほどほどにってことか? 馬鹿馬鹿しい」


 町から離れて、その老人はグイと顔を拭ったものだ。そこに火傷などありはしなかった。襤褸も拾い物だ。その筋骨は老いに細まっていながらも動作の機敏を保持している。退役兵士だ。町を振り返り鼻を鳴らすと、キビキビとした動作でいずこかへと歩き去った。その足取りには迷いなどなく、向かう先には木立などありそうもない。それどころか、懐から干し肉など出してしゃぶりながら行ったのだ。


 町は次々と陥落しているようだった。前線二領の共通する特徴として全ての町は外縁部を壁に囲まれているのだが、帝国軍はそれに対し本格的な攻城を仕掛けることもなく突破していく。各町が内部から崩れていくからだ。人々は進軍の道から逃れようと、我先に町を捨てていた。


「ふん、持っていきたいだけ持っていくがいいさ。どうせアイツらは生きては帰れないんだから」


 その村女は、避難民の列の中にあってそう息巻いていたという。


「折角、今年の冬は誰も身売りなんてせずに済むと思ったのに、腹ばかり減らした虫の群れみたく大勢で来やがって。精々、アタシの麦を食えばいいさ。アイツらはどうせくたばるんだから。そしたら、アタシはあいつらを食ってやる。多少の毒も火を通せば食えるからね。アタシは家畜に餌をやったんだよ。何が惜しいもんかい。悔しくもないさね」


 鼻息も荒く言い放ち、四人の子を引き連れてのしのしと歩く。村の子らであるという。胸に抱える乳児だけが己の子だ。軍用の背嚢を背負っていて、それは戦死した王国軍兵士から借用したとのことだった。


「どっちが出てくるかしらね。勇者かしらね、魔人かしらね。アタシは前の時もピタリと当てたんだ。アタシの麦を餌にした連中には罰が下るんだよ。きっとアイツらは酷い目にあうのさ。決まってるんだ」


 物騒で不躾な予言であった。しかし本人はそれを当たり前と考えているようだった。勢いに押されたものか子の一人が転げ、泣き出した。それを助け起こして励ましたのは領軍兵士であったという。避難民の行列には領軍の護衛と先導とがついていた。領軍も町の防衛を早い段階で諦めたからだ。


 申し合わせたものか、サルマント伯もペテリウス伯も、どちらも同じ抗い方を選択したようだった。帝国軍が来たる前に町を放棄し、民を避難させる。そして領都に軍を集中させて篭城するという抗戦方法だ。流石に前線を任されるだけあって両名の覚悟と準備は並みではない。援軍を待つための構えではなかった。王国軍再編の時間を稼ぐための居座りだった。


 そんな領都には目もくれず、避難民の列は遠回りでも主要道を避けて進んでいく。幾つもの類似の集団があった。目指す進路は、東か南だ。


 東へ行けば東龍河につき当たり、その対岸はヘルレヴィ伯爵領である。南へ行けば支流を渡りユリハルシラ侯爵領へ抜けることができる。南東は支流の流れといい、その対岸に広がる難地形“陸水面”といい、マルヤランタ侯爵領へと抜ける陸路は困難極まるものだ。支流を船で遡る水路は容易であるが、この情勢下にあって船の行き来は混乱している。避難民の流れは主に東へ向いていた。


 前線二領における日常は完全に崩壊した。


 人々は戦渦の中に生きる力を試されているかのようだった。


 あちらこちらで混乱が生じ、悲痛な叫びが上げられた。苦悶の表情というのは凍りつく性質を持つようで、誰もが強張った頬を薄汚れさせながら生き残ろうと懸命だった。一つ一つの風景に強さと弱さとが見られた。思わぬ者が弱く、また、思わぬ者が強い。生と死が両者に判定を下し、その結果はゆっくりとゆっくりと訪れて肩を叩く。誰もがその裁定から逃れられない。


 行禍原から吹いてきた風が王国の民を掃き散らしているのだ。広く広く死が香り、命を篩にかけているのだ。前線各地から集まる報告に耳を傾けつつ、ベルトランはそんなことを考えたものだ。彼の耳目たる者どもは王国北部のあらゆる場所にいる。生きて動く彼ら彼女らは、多くの情報を持ち帰り、そして再び散っていった。情報は日毎に更新される。


 その一方、ベルトランの同僚と言える者たちもまたそれぞれの働きを示していた。


「ヘルレヴィ領の受け入れ準備は万全だよ」


 そう言って鍛えていない胸を叩いてみせたのはラウリだ。


「物も人も問題なく動かせてる。伯との戦時協力体制、随分と具合がいいんだ。やっぱりアクセリを寄越して貰えたのは大きいかもね。元上司だけに扱いに慣れてるっていうか……言い方は悪いけど、上手いもんだよね、うん。動きたいように動けるよ。その分だけ、いよいよ仕官の誘いを断りにくくなってる気もするんだけど」


 彼は駐屯地に一度赴いた後、チトガ大町でベルトランと茶を共にした。その表情には緊張感といったものはなく、常と同じく油断も隙もあった。ベルトランは大いに見直したものだ。ラウリという男の胆の据わりようには交刃の巷を生きる人間をして目を見張らせるものがあったからだ。


 鈍感でもなく、勇猛でもなく、それは確信だ。信仰心とは違う形でもって揺るがないものがある。ベルトランはそこに先駆者の威風を見た。思えばこの男が初めの一人だった……そう思い至ったのだ。この新時代にあって、誰よりも早く運命を見出した者こそがラウリであったのだと。


「さても、俺の任務には独自判断が付きまとう。初めの将としての誉れかな?」


 そう言ってニヤリと笑んだのはアクセリだ。


「敗れたる後はそっ首晒してみせるのも将というものだが、我が王はそこの部分で他より辛い。たとえ死んだとしても蹴り起こされるのかもしれん。いや、そういう夢を見たのだよ。臣として誓ったものは、職業でも人生でもなくて……死の前後も全て含んだ魂の契約だったのかもしれん。早まったかな?」


 言葉とは裏腹の喜悦を顔に浮かべ、親衛団団長たる男は船べりで酒を舐めていたものだ。どこにあっても己の流儀で大いに楽しむ……それは類稀な適応力の為せる技だ。多才を背景にして世界を広く見下ろしているところがあるようだった。それが俗な嫌味や世を斜めに見る皮肉に堕さない理由は一つきりだろうとベルトランは推察した。


 死だ。アクセリという男もまた死を畏怖している。それでいて、そこにもまた己の流儀を当てはめることを止めないのだ。彼一流に生き、彼一流に死す……そのためには命をどう用いればよいのか、それを知っているに違いない。そう考えた。


「お前さんもあれだよな、すっかり大悪党って面構えになったもんだよ」


 そう言って首をゴキゴキと鳴らしたのはオイヴァだ。


「思えば腐れ縁というか因縁というか、長い付き合いだよなぁ……今度は同じ側で戦争をやるわけか。そっちはすっかり水の人、こっちはもっさり土の人だけどな。信じられるか? 町で与太者やってた頃にゃ土木仕事なんざやってられるかと思ってた俺がよ、今じゃちょいと見渡しただけで掘りやすさの目検討がつく始末さ。働きもんだよなぁ、働きもんだよ、全くもって」

 

 ベルトランがオイヴァと会ったのは親衛団駐屯地でのことだ。奇しくも用件まで同じで、最終報告に来たのだという。その彼の武装はベルトランにとって奇異なものだった。それは槍でも剣でもなく、農具のようにすら見えた。匙を巨大にしたような代物だった。


「ん? ああ、これか。別に武器ってわけじゃねえんだけどよ。剣よりも鍬よりも役に立つんだぜ? “掘り匙”って俺らは呼んでる。色々と工夫してたらこの形に行き着いたんだよ。今や全員の必需品だぜ、こいつは」


 もとより大男であったが、その肉体は以前にも増して隆々たる筋肉に覆われていたものだ。それは彼の率いる歩兵たちも同様で、逞しくノソノソと歩く様子は熊の群れのようですらあった。これまでのところ特にこれといった戦功のない彼らであるが、なぜだろうか、ベルトランはその集団こそが最も危険な男たちのように感じられたのである。


「おうおう、てめぇ、まだいたのかよ。さっさとお船チャプチャプしに行けってんだ、畜生め」


 そう鳴いて肩を揺らし、顎を突き出し、酔っ払ったような動きで寄ってきたのはクスターだ。


「川賊なら川賊らしくよ、水の上でお役に立ってこいや。陸の上は俺ら馬賊に任しときゃいいんだよ。そんでもって、どっちが当たり籤を引くか賭けようじゃねえか。俺とてめぇと、どっちが側近くでその瞬間を見ることになんのかな? つまりはよ、どっちがより運命を共にしているかってことだ。どうだ、おい、面白そうだろうが。ええ?」


 これでもかというほどに顔の筋肉を駆使し、奇天烈な表情を展開するその顔のど真ん中へ、ベルトランは拳を一撃見舞ったものである。煩いのはいい。しかし気持ちの悪い顔で人の失笑を誘うものではないと思ったからだ。


「さ、じゃれてないで仕事をしますよ」


 そう言って微笑むのは、他に誰がいるはずもなく、マルコだ。ベルトランにとってもクスターにとっても命を差し出して仕える主である。彼が登場したのならばもう他に目が向こうはずもない。ただ跪き、頭を垂れ、己を己以上に使役するその声を待つばかりだった。


「何も難しいことはありません。まとめて殺した後、分けても殺します。それだけのことです」


 静かな声の中に微かな色が見え隠れしているように思えて、ベルトランはマルコの顔を見やったものだ。クスターもまた見ていたように思う。そこには果たして嬉しそうに碧眼が細められていたのだ。


「ここからですよ、二人とも」


 声音に魔力が乗っているようだった。碧色の深淵から恐るべき何かが漏れ出でていた。ベルトランはそれを神の気配と認知しているが、いつかラウリが竜の息吹に例えたのを聞いたこともある。意味するところは同じで変わらない。どちらも人を容易に支配する存在だ。


「かつては片手落ちでしたが、今度は違います。僕にはもう迷いがなく、それを選ぶことに躊躇いがないのですから」


 かつてとは何のことか。何をもって片手落ちとするのか。いかなる迷いが消えたのか。どんな選択肢を前に躊躇った過去があるのか。そしてこれからいかなる選択を為すものか。マルコは何も語らない。その神秘の双眸に映す遥かな風景を、誰にも説明したりはしない。孤高だ。偉大なる孤高なのだ。


 ベルトランはそれを不満には思わなかった。なぜならば彼は信者であり、それは本質的に問う者ではなく頂く者だからだ。使命を与えられ生きる日々は常に満たされており、飢えも乾きも久しく無縁のものとなっている。充分なのだ。生き死にを委ねた身にはその姿が見えさえすればそれでいい。見えずとも在ることを思うだけでいい。彼にとって祈りとはそれだ。


 そら、今も……その胸には信仰の幸福が充実している。


 静かな、実に静かな水上の朝である。


 櫂の口から顔を覗かせれば、切りつけるような冷気が白雲のように対流している。控えめにたて続く水音によって水面の存在は知れるが、それを目には見せないほどの白色だ。川霧である。よく冷えた朝にはこういう幻想も生じる。東龍河の冬の風景として、ベルトランも嫌いではない。


 僅かに階段の軋む音がして振り返った。支流では使えないほどの大きさを持つ大船の、その漕ぎ手たちの詰め所である。空席の数だけベルトランの配下が存在し、そうでない者たちは誰一人として物を言わず呼吸もない。裂かれた喉より赤いものを垂れ流すだけの肉として並んでいる。血抜きと見れば肉屋の風景として珍しくもないものだが、それにしたところで外に比べれてしまえば血生臭いにもほどがある。


 階段を下りてきたのは配下の一人だ。どうやら準備ができたということらしい。後はベルトランが合図を一つするだけだ。それだけで事が成る。大惨事が起こる。血風が吹き荒ぶことになる。


 マルコの策を受けて、今、ベルトランには時代を揺るがす権利が与えられているのだ。


(主よ……全てはその御技、御心のままに……)


 ベルトランは合図した。


 時代が揺らぐ大音響の、その最初の一音は、踏まれた階の軋みの音であった。


 それはとても小さい音だったが、その時も、その後も、ベルトランの耳に残る音であった。 

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[良い点] 行禍原 いくまがはら
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