第26話 奴らはそういう連中です
「またぞろ戦争がおっぱじまるみたいだねぇ……嫌だ嫌だ」
「何が嫌なもんかよ、俺ぁ願ったりだ。帝国なんて在っちゃいけねえんだ」
「そうだそうだ。俺の家族が何人殺されたと思ってる。あいつらは人殺しだ!」
「帝国兵は勇者様を殺した。その帝国兵を魔人が殺した。その魔人を王国が殺した」
「おお、いいことを言うな。その通り、一番強いのは俺たちに違いないぜ」
家畜は鳴く。餌を食みつつ益体もない音を撒き散らす。詩人は風の音には雅味を感じても、これら有象無象の鳴き声には興味を示さない。しかしどちらも世界の現象には相違なく、むしろこちらにこそ本当の味わい深さがある……屋台で酒杯を舐めている男は、独り、頭巾の内に民草の雑音を聴いていた。
緑巾のベルトラン。彼は今、チトガ大町の雑踏を背に座っている。
「遅いくらいだよな。もっと早くに攻め込んじまえばよかったんだ」
「そらアンタ言い過ぎよ。アタシらの家も町もボロボロだったんだから」
「それが悔しいところだ。俺たちは勝ったのに、アイツらの町の1つもやっつけてねえ」
「まあな。けど仕方ねえだろう。魔人がいたんだからよ」
「そうよ、まずは魔人をとっちめないと安心して生活できないじゃない」
幾つもの屋台が並ぶこの辺りは、夕暮れから次第に人を集め、空が暗む頃ともなれば人と食の熱気で包まれる。灯明があちらこちらに顔と皿とを浮かび上がらせ、それらは連なって朧げな世界を夜に滲ませている。闇を受け入れず、さりとて拒絶しきることもできず、曖昧に生を主張する巷だ。
「教会は今回も俺たちの味方なのかな?」
「そりゃそうだろう。どうして敵なんだよ。俺たちは魔人を倒したんだぜ?」
「いや、だってよ……勇者いないじゃんか、今回は。なんでいないんだよ」
「そりゃあ、お前……そう簡単には出てこないから勇者なんじゃねえのか?」
「王女様も結婚しちゃったしなぁ。まあ、あと2人いるけどな、王女様」
誰も彼も何者のつもりで言葉を放りあっているものか。己が国の一部であると意識する時、それは国のための己なのか、それとも己のための国なのか。ベルトランはそれを興味深く思い、その答えを周囲の音色の中に考察しつつも……笑む。込み上げる喜びがある。
いい空気だからだ。これはとてもいい空気なのだ。
迷いよりも勢いが選ばれている。不安よりも期待が高まっている。熱だ。世間は発熱して今にも走り出さんと欲している。ベルトランはこの熱をよく知っている。自ら望んで視野と思考を狭めていく酔い病。
「ああ、畜生、いつ始まるのかな!」
「全く、全くだな。ウズウズするぜ!」
「今度こそこっちが攻め込む番だよな!」
熱病だ。好戦の病だ。勝利を予断し暴力を望み、正義を確信し蹂躙を夢見る。既に早々と全能感すら味わっているだろう。そういうものだ。ベルトランは堪らない。その過信こそが戦争を招くのだ!
背後から足音もなく近付く者があった。気付くも反応せず、ただ酒で唇を濡らすベルトランである。何者かは屋台を覗くようにしてベルトランに横顔だけを見せ、小さく「整いまして」と呟いた。返事はしない。ただ卓上に白銅貨1枚を置いて立ちあがった。
まるで焚き火の照度と熱量とを背に受けるようにして、ベルトランは路地を暗がりの方へと歩いていく。夜の風にはもう涼しさが混じっている。さりとてたちまちに不穏な空気を醸し出した中を躊躇なく進んでいき、一軒の建物を視野に入れて止まった。
二階建ての木造建築だ。茶錆びた外観の軒先に灯明が揺れている。人通りも碌にない場所で何を商っているものか。古びた看板には何某かの屋号が示されているようだが、この暗さでは字と汚れの識別も難しい。危険を孕んで闇にうずくまるかのような佇まいだ。
戸の傍らにわだかまる影に、気配を殺して潜む者がいる。黒ずくめの服装は尋常のものではない。腰に帯びているのは人を殺める刃だ。しかしそれはベルトランも同じこと、愛用の大剣に比べるといかにも頼りない長剣だが、スラリと現れた白刃には冷たく殺意が照り返している。片刃だ。
ベルトランは影に頷いて見せ、影は静かに戸を開く。緑色の疾風が中へと吹き込んだ。
帳面をつけていた男が目と鼻と口を大きく丸くしたが、吸い込んだ息が腹から押し出されるその前に、振り抜きバチリと首を断つ。厨房に背が見える。便所の中にも気配がある。そのことを指したが早いか、ベルトランの背後から黒ずくめの2人が走っていく。
結果を物音で背に聞きつつ、階段を上がっていく。傍らの戸が開かれるところだった。そこからついと覗いた首をそのままに落とす。赤黒さを噴き出しつつ前のめるそれと交代するようにして、部屋へと素早く踏み込んだ。
「なっ!? お、お前はっ」
剣の鞘を掴んでいたその腕を断ち、返す刀で喉を裂く。ピュウピュウビュウビュウと鳴るばかりとなったそれを蹴り倒し、横合いから伸びてきた切っ先を斬り払った。僅かな手ごたえは指を落としてやったものか、すぐさま斬り込んだもののそれを防がれた。鍔迫り合いになる。
「貴様……沙磨屋の!」
男の言葉に一瞥のみを返し、男の剣を鍔で打ち落とす。転がっている幾本もの肌色を踏まないようにして体を捌く。男は指の欠けた手で掴みかかってきたが、すれ違い様に腹を薙ぎ斬った。くぐもった物音をあげ始めたそれを見捨てる。剣の峰に添えた手が、伝わり落ちてきた赤いものを受けて熱かった。
「あ、あわ、わわあっ」
修道服を着たその痩せぎすの男を見下ろす。尻が床と接着したようで、両腕で必死に体を後退させようとしている。両の足は頼りにならないものとして見限ったらしい。終いには顎でも使うのだろうと、ベルトランは小さな賞賛をもって予想した。生への執着は死への恐怖の裏返しである。
「誰だろうな、お前は。入船屋の人間とも見えないが」
返事を待たず、未だ声ならぬ声で唸る男……床に指と色々とを散らかしている男へ振り返り、首を刈ってやる。入り口付近で斬った方はもう静かになっている。他からももう物音は聞こえてこない。
「教会の人間か?」
水を向けてやれば、痩せ男はもげそうな勢いで首を縦に振り振りとした。
「そうか、教会の人間か。ならば問うが、どうしてこんな所にいる。この男が誰かわかっているのか?」
赤色の絡みつく切っ先で、その赤色の持ち主だったものを指し示した。剣を交えたのは今夜この時限りで、その出会いは一番の生と死をもって既に終わっている。しかしベルトランはこの男のことをよく知っていた。
入船屋……表向きはチトガ大町の水運業者で、東西支流における川舟輸送を看板仕事としている。しかし裏では川賊として東龍河を荒らしており、そちらが本業という暴力組織だ。類似の不法組織は幾つかあるが、中でも狂猛で知られるのが入船屋である。その頭領がこの男だ。
「わ、私は、教会の使命として、法を破り、迷える彼を……ひいっ!?」
始まった演説をば剣の血を振り払うことで遮ったベルトランである。次いで布を取り出し、刃を拭う。拭いながら痩せ男の側へとしゃがむ。
「建前の話をするのなら殺さねばならん。俺は敬虔な男なのでな……神の使徒を前にして無法を働いた事実に耐えられんのだ。建前が俺を追い詰めるのならば、いっそ、全てをなかったことにするしかない。残念なことだな」
刀身の具合を見つつの発言は、刃越しに相手を見ることでもある。痩せ男は見るも哀れに青褪め震えていた。こういう手合いは己の痛みに弱い。虎を背に毛皮を被ろうとも、その下には寒がりで痛がりな柔肌があるからだ。ベルトランはふと昔を思った。狐はどこにでもいる。
「ち、違う……そう、本当は違うんだ!」
「ほう、違うのか」
「そうだ、違うとも! 私は彼と交渉しにきたのだ……賊としての彼と!」
鉄錆の臭いが充満する中で、その痩せた男は鳴きに鳴いた。
教会は川賊と結ぼうとしている。物資にしろ兵にしろ、陸路と水路の2つをもって前線は支えられているから、その内の1つに影響しようというのだ。川賊のみではその影響力も知れているが、教会の政治力と結合したならば思わぬ大きな効果を生むだろう。戦争の屋台骨が握られる可能性がある。
(陸水面の砦を封じることも可能だ……あるいは枯らすことも)
ピーピーと甲高く鳴くその声を適当に聞き流し、ベルトランは脳裏に畏怖すべき碧眼を思い浮かべていた。千里を見渡し万事を見通す現人神は、今目の前で語られる内容のその先もその奥も、全てを予め言い終えている。この時間は確認というのもおこがましいものだ。ベルトランはただ待っているだけである。
ただ、密かな満足感はあった。己の働きが主の予見に役立ったのだという実感だ。
そもそもの切っ掛けがベルトランのジキルローザ探索行であるからだ。
彼女の足跡を求めて王国領を広く旅したベルトランは、その中で1つの奇妙を経験した。振る舞いや口調の訛りなどでフワリと気付く故国の気配……王国内には正体不明のエベリア帝国人が多数生活している。しかもかつての戦争奴隷ではない。同じく奴隷だった過去を持ち、そんな奴隷たちを探し求めていたベルトランだからこそ明確に分かることだった。
密入国者である。しかも“聖炎の祝祭”以降に入り込んだ者たちだ。生活ぶりでそれがわかる。
アスリア王国とエベリア帝国とを結ぶ陸地は行禍原があるきりだ。そこを横断する異国人を見逃すほど両国の前線は馬鹿ではない。さりとて行禍原より北には大陸北西の魔境“幻魔森”から一部が細く伸びていて、その先は峻険たる天境山脈が壁の如く在る。南にはこれも魔境である“紫雲海”が海原を広げていて、いかなる艦船の航行をも許さない。
ただ1つ両国を行き来する手段があるとすれば、それは聖杯島だ。紫雲海の南に位置する教会領有のその島は、東西の岬を通じて両国の南部に連絡する海路を確保している。そのための特別な船があるのだ。
しかし“聖人”の奇跡で造り得た特殊船は1隻のみで、その航行も島の周囲を巡る以外では制限が多い。岬と岬に挟まれた最短の海路でしか紫雲海を渡れないばかりか、海の状況によってはそれすらも困難なのだ。
それでも不可能ではない。両国の与り知らぬ所で人を運ぶことができるのは教会だけだ。そしてそんな密入国者が軍事的な諜報活動を行っている節があるのなら、そこに教会の思惑を透かし見ることができる。
「教会は王国を勝たせたくないのでしょう」
マルコのその言葉を聞いて驚かなかった者はいない。時は今より5年近くも前のこと、場所はヘルレヴィ領領都のハッキネン護衛団本部会議室でのことだった。臣下の誓いを立てた幹部全員が揃い踏みし、ベルトランもまたそこにいた。当時8歳だったマルコを急ぎキコ村から領都まで運んだのである。探索行の失敗と詳細とを報告したなり、緊急にと命令されたことだった。
恐るべき言葉だ。
かつての戦乱に王国を救ったのは教会であり、当時も今も第1王女と密接な関係にあって広く強く国内へ影響している。この数年でその影響力は増すばかりだ。勇者信仰は民に遍く流布されていて、最近では聖杯騎士団の援軍すら噂されているほどだというのに……マルコは一貫して教会のことを断じている。戦争に影響を及ぼす存在であると。注視すべき存在であると。
だからベルトランは考えるのだ。マルコのこれまでは常に自らを目立たせずに来たが、それは王国の権力者からだけでなく、教会の目からも隠れるためではなかったのかと。そうとなれば真っ先に奇跡調査官のことが浮かぶが、それだけではないのかもしれない。何か別の危惧があるのかもしれない。
分からない。分からないが、しかし、分からないままに迷わず仕えられる喜びがある。
何故ならばベルトランは臣下ではなく信徒だからだ。そして使徒でもある。己が主の手足として、耳目として在れるのならば無上の幸いだ。使い捨ての道具としてでも喜びは変わらない。役に立ちたいのだ。己の全てを供物として捧げる極悦がベルトランの人生を満たしきっている。
「……そうか。なるほどな。本音を聞けて俺も救われる思いだ」
満ち足りた笑みを口の端に覗かせて、ベルトランは痩せ男へと話しかけた。すっかり綺麗になった剣を鞘に納めて提案する。
「俺と結んでみないか?」
手で合図をしたならば黒ずくめの男たちが5人、6人と部屋に入ってくる。痩せ男は目を白黒とさせている。ベルトランは用意した言葉のままに畳み掛ける。
「俺は沙磨屋という船宿を営んでいるが、実際のところはこんな手勢を多く従える頭領なのだ。この町の物と金の流れに関わりたくてな。色々と事業を拡大中なのだよ。今夜ここに来たのも、賊の内の最強とされる入船屋の頭領が僅かな供のみでいると聞いて……まぁ、こうしたわけだよ」
急速に熱を失っていくものに腰掛け、笑む。
「わかるだろう? 俺も本音で話しているのだ。これは互いに縁というものではないか。教会はこの町に動かせる賊が欲しい。俺は東西支流と南北本流と、どちらにも深く関わって儲けたい。どうだ? 利益は共有されていると思うのだが」
眼球をキョロキョロとさせつつも、その奥に打算と安心と欲とをチラつかせる痩せ男に、もう1つ心からの言葉を添えるベルトランである。
「大丈夫だ。こう見えて俺たち大変に信心深い。狂信者と呼ばれるほどだからな」
唇を上弦の三日月の形にして、笑む。
ここに1つの暗い契約が成されたのだ。教会が裏社会からの影響力を欲して伸ばしたるその手を、緑巾に飾られた手がガッチリと握ってもう離しはしない。手は腕へ肩へと繋がり、首の上では碧色の眼光が輝いているのだ。
ベルトランにはマルコの声が聞こえる。
「王国中央部から前線への陸路はヘルレヴィ領を経由するかユリハルシラ領を経由するかの二通りがありますが、前者は僕らにその全てを掌握されていて、後者はあの男が早々教会の好きにはさせないでしょう。そうなれば水路が残りますが、チトガ大町は水運の要所です。アスリア王国にとっては当然ですが、かつてはエベリア帝国もまた利用していました。戦線の巻き返しによって帝国が退いた後も、その残滓とも言える不法組織が残っているはずです。最も過激に輸送を乱す賊がソレですね。教会はソレに接触しようとするでしょうから、そこを狙って潰しなさい。そして代わるのです。あなたの名前と経歴も役に立つでしょう」
悦に入る。
ベルトランはチトガ大町に強力な影響力を持つに至ったのだ。




