第24話 村づくりに詳しいもので
それは一見したところ廃城のようにしか見えず、ラウリは真剣に周囲の観察をしはじめた。夏草があちらこちらに鬱蒼としている。乾いた土と崩れた城壁との境は限りなく曖昧だ。かつては自然の中に頑として在っただろうその砦は、今や風雪を受け入れきって抜け殻のような有り様であった。
(道を間違えて山賊の根城へやってきた……何てことないよね?)
嫌な可能性を否定できず頬のひきつるラウリである。彼は最小の荷物しか背負っておらず、寸鉄も帯びていない。それがヘルレヴィ領の治安に慣れた身の油断のように思われて、ラウリは己が今いる場所を強く意識せざるをえなかった。
アスリア王国中央部北側マルヤランタ侯爵領、その中でも北に位置する辺り。この地域で最大の町といえばチトガ大町がそれであり、東龍河とその支流とが接続する水運の要所に物流拠点としての繁栄を見せている。大河は南北に運び、支流は東西に運ぶ……その活気ある風景はラウリにも馴染みのものだった。
そんな大町から南へ進むとやや険しい地形に入る。水上の旅をした人間の目には小山と林とがうねうねと波打つようにも見えることから、その辺り一帯をして“陸水面”などと俗称されている。とんと旅人も近寄らない土地だ。誰もが小銭を払って船に揺られることを選ぶ。
避けられる理由は明らかだ。街道が破壊されたままに放置されているため、極めて道が悪い。ここを南に抜ければ王都への道が平らかに開ける……陸水面とは、アスリア王国軍とエベリア帝国軍が熾烈な戦いを繰り広げた古戦場なのだ。前線が行禍原となった今現在は、水運の便利によって見向きもされなくなった土地である。
しかし、ラウリはその陸水面を旅した。目的地がそこにあるのだから仕方がない。戦乱の中に大小幾つも建造された軍事拠点の中でも、一時は国王自らが騎士団と共に駐屯したと言われる砦だ。帝国軍に奪われた後は地図上にその名を記されるだけのものとなっていたが。
(流石に無理だよね……うん、無理だよ)
旗1つ翻っていないのだから、これはもう真剣に帰路を考えるラウリである。日の高い今はいいものの、夜ともなれば思わぬ危険が身に迫りそうだ。ラウリは絵物語に出てくる悪者役、魔女や幽霊のことを想像した。夜のこの砦は、そんな存在が出没するのにいかにも相応しいだろう。
せめて砦の正門だけでも確認していこう……ラウリは足場の悪い中を苦労して進み、崩れて正門跡とでもいった風のその場所で、剣を抱えうたた寝をしている大男を発見したのだった。
「オイヴァ!」
「ん? おお、ラウリ、来たかあ」
大きな欠伸が青空へと放られた。立ちあがったならば見上げるばかりの威丈夫である。戦う力のないラウリにとって、このように自然体で強さを表している様子は惚れ惚れとするばかりだ。
「あれ? 1人で来たのか。護衛くらい連れてくりゃいいのに」
「行商人時代の癖でね、1人でスタスタと旅をするのが好きなんだ。でもちょっと後悔していたところだよ。聞きしに勝る土地だね、この陸水面は……」
「そうだなあ。戦場としても相当に面倒な場所だったろうよ。結構な数の傭兵がこの土地で名を挙げたらしいが」
当たり前のように先導していくオイヴァについていきながら、ラウリは周囲をキョロキョロと見まわして見た。なるほどここを舞台にして戦うのなら乱戦は必至だ、と納得する。今この瞬間にも草叢の陰から物騒な手合いが飛び出してきそうに思えた。
「ベルトランもここで戦ったのかな?」
「どうだろうなあ……ここで貴族首を挙げた連中は軒並み死んでるからな。名前が売れるってのは、捕まったときにゃ殺されるってこった。あいつは奴隷にされた口だから、まぁ、ここじゃさして活躍しなかったのかもしんねえ」
戦場の生と死をさらりと言ってのけるオイヴァである。それが剣槍をもって功名を求めることの現実なのだとしたら、ラウリには恐ろしくも何かが虚しい。商人の生き方はもう少ししぶとく後を引くものだからだ。例えばチトガ大町は戦乱の以前も以後もそこにあって、持ち主こそ代わったものの破棄されることはなかった。一方で砦は草木の海に沈もうとしている。
(勇者は死に、サロモンも死んで、王国だけが今も在る。ならば、これから羽ばたこうとする竜の……マルコの行く末は……?)
奇妙な寒気を覚えるも、ラウリは口元を引き締めてそれを振り払った。予想していた風景が裏切られたからといって、何もかもを悪く考えてしまうのは臆病だと思ったのだ。
「……でも、言っちゃなんだけど、山賊のねぐらのようだよね?」
「だよなあ、うん。俺もそう思うぜ。だから使ってないんだよ」
林が途切れ、唐突に視界が開けた。
何百もの天幕が整然と並び、兵士たちがその間をきびきびと動いていた。地は均されていて真新しい木造の施設が幾つも建っている。井戸も複数あるようだ。生活の熱が開けた青空へと放射されていて、その活気の証なのか、随所で白く長い旗が元気にはためいている。
第3王女パウリーナ親衛団駐屯地。
ラウリが勇んでやって来た目的の場所は、その在所とされていた砦から少し離れて存在していたようだ。王女の旗の下に集った千五百人の戦士たち……実のところはマルコの手勢であるが、それを知るのは親衛団の幹部とダニエル、そしてラウリばかりである。
「やあ、凄いね。畑もあれば村じゃないか」
「あるよ。少し歩いたところに耕作地と放牧地が作ってある。俺ぁ実戦指揮官として来たつもりだったんだが、ここんところの日々は村の貴重な鍛冶師ってやつよ。剣と同じ数の鋤鍬の面倒を見てるんだぜ?」
「あはは、技術は裏切らないね。道場だってあるんでしょ?」
「勿論だ。竹束剣は楽しいからな。槍のやつも作ってみたらよ、これがまた面白いのなんの」
談笑しつつ2人が向かったのは、駐屯地の中央付近に建つ建築物だ。親衛団の本部である。
「遠路お疲れ様です。よく来てくれました」
扉を開けて迎え入れたのは黒髪碧眼の美しい少年である。親衛団においては団長付きの従者という肩書きだが、それをそのままに信じるか否かである種の選別ができるとラウリは思う。
マルコだ。13歳になって手足も伸びてはきたが、未だ伸びきってはいない。卵の殻か天使の羽かは知れないが、そんな幼さの欠片をその身から振り落とし終えていないのだ。切る暇がないものか髪が長いのもどうだろう、とラウリは内心で批評を続ける。これではやはり綺麗な女の子で通ってしまう。
「む……何やらそこはかとなく不快感が」
「わあ、道なき道を来た私にそれはないよ、マルコ」
「それは……はい、そうですね。ありがとうございます。もっとも、僕らだって椅子すらなかった土地に駐屯地を開拓していますが」
「凄いことになってるみたいだねぇ。私ももう少し早く来れたらよかったんだけど」
「いえ、そこはしっかりとやってもらえた方がありがたいです。まだまだこれからですからね」
椅子を勧めつつニコリと笑うマルコに、ラウリは少し面映い気分を味わうのだった。
この場所には誓いを立てた仲間の内、3人が常駐している。アクセリ、オイヴァ、ヤルッコだ。ダニエルは相変わらず王都で衆目に晒される日々を送っているとラウリは聞いている。しかし手紙は頻繁に往復しているようで、彼がいかに追い詰められているかが察せられる。縁談攻勢が凄まじいらしい。
他にもベルトランが既に何度か訪れていると聞いていた。彼の率いる犯罪組織はヘルレヴィ領だけに留まらず周辺各領にも影響力を持っている。チトガ大町にも彼らの息のかかった船宿があるし、この駐屯地にも雑役の人夫の中に組織員が混じっていることは間違いない。
そして一季節遅れて到着したのがラウリである。ハッキネン護衛団の運営に忙殺されていたのだ。主兵力が指揮官ごと親衛団へと移籍したのだから大変だ。もとより縮小傾向にあった護衛団だが、その組織構成を大幅に変更していったのである。最低限の兵力こそ持つものの、今の護衛団からは百人単位での集団戦闘を行う力は失われた。より商業的な組織へと変わったのだ。
それでも名目上の責任者はダニエルであり、実務上の責任者はラウリであることは変わらない。こうして駐屯地にやって来た今も、ヘルレヴィ領内の物流には護衛団の影響力が大きく及んでいるのだ。そしてそれをマルコに役立てることこそがラウリの役割である。
「ようやくマルヤランタ侯より許可を取り付けることができました。ラウリにはチトガ大町からこの砦に至るまでの道路整備をお任せします。それが出来たなら砦の改修のための人員確保もお願いします」
「うん、色々と下調べや予備交渉は済んでるよ。後は許可証さえあればすぐにも動けると思う」
「流石ですね。許可証はこれです」
マルコが卓上に出したのは豪奢な装飾の入った巻物筒だ。前線と王都との間に位置するマルヤランタ領は商業的に発展していて、全領の中でも最も裕福な領であると言われている。その財力は芸術方面の発展をも援けていて、マルヤランタ侯は舞台演劇の熱心な支援者として知られていた。
「道さえ出来れば物資も兵も簡単に移動できるようになると思うけど、船はどうするの?」
「ああ、それはベルトランに支流船団の調査をお願いしてあります。その結果を待って僕が出向くつもりです。まぁ、僕1人だとまだ支障があるので……誰かしらと一緒に、ということになりますけど」
そう言って小さく溜息を漏らすマルコには、ラウリとしてもかける言葉がない。キコ村で聞いた言葉を思い出す。彼はいつだって見ている視界と動かせる手足との間に齟齬があった。策を練ってもそれを実行できない。戦おうにも体がついてこない。もどかしさを抱えつつジッと耐えているのがマルコなのだとラウリは考えている。そして、こんなにも「子供であることを楽しまない子供」はいやしないとも。
「それにしても……ホント、凄い所の凄い砦を宛がわれたものだよね」
聞くのと見るのとでは溜息の質も変わるものだ。ラウリのそれはまだ新鮮味のある吐息であるだけマシなのかもしれない。この駐屯地の者は何度となく漏らした吐息だろう。
春、このアスリア王国に発足した親衛団であるが、その運営史は最初期から異例に次ぐ異例を重ねることになった。発端が第3王女暗殺未遂事件なのだから、最初から通常の運営とは無縁だったのかもしれない……ラウリはそうも思うが。
まず、承認式が略式の中でも略式を極めたような、粗雑なものであった。団長であるアクセリだけが王城へ召喚され、彼に王の言葉が伝えられたきりでお終いである。団員たちが閲兵の誉れに浴することもなければ、王女の御言葉を頂戴することもなく、教会からも何の祝福を受けることがなかった。許可されただけである。
次に、王女たちが王都へと帰還する際の軍列の位置だ。公認された親衛団であるからには領軍はおろか国軍よりも時として上位に配置されるのが通例であるが、警備上の都合という乱暴かついい加減な理由により最後尾を行軍させられたのだ。これには幹部はともかく団員たちが動揺したが、マルコはそこで1つの指示を出したものである。
「王都へ南進する以上帝国軍が来るとして北からということになりますが、その最後尾を護っているものこそが我々なのです。これは大変重要な役割ですよ。騎兵の小隊を組んで周辺警戒を厳にしましょう。敵の斥候の1人として逃さない働きを示すのです。僕らの最初の任務は豪勢なものですよ。パウリーナ王女殿下のみならず、全ての王女殿下らを御護りするのですから」
その内容を団長たるアクセリから聞かされた団員たちは、皆、奮い立ったという。それは早々の軍事演習であり、団の意識を固めた出来事であり……誰かしらへの示威行為でもあったのかもしれない。
王城へ到着した親衛団の面々はその場でパウリーナの御言葉を頂戴する機会を与えられ、また、城下での宿と酒とを約束された。そして三日と経たず1つの王命を得る。
「エベリア帝国との緊張が高まるこの情勢下にあってはその勇を活かすべし。国王所縁の砦を下賜する。王女パウリーナの名の下に粉骨砕身の働きを見せよ」
随分と仰々しく言われたものだが、つまるところは僻地の捨て砦に押し込められたのだ。それを聞いてラウリは嘆息したものだが、実際に現場を見てみるとその思いは尚更のものとなった。
「これじゃあ、千五百人でも目一杯って感じだよねぇ」
「はい。それを見越してのことでもないでしょうが、砦が形になるまでは相応の数です」
「砦の改修は急ぐけど……増員がなぁ……」
親衛団への異例は他にも多いが、その中でも危険な1つが人数制限である。通常、親衛団にしろ騎士団にしろ三千人をもって一個戦団として組織される。千五百人で始まった第3王女親衛団としても増員を予定していたものだが、それを平時においては半個戦団千五百人までにせよと限定されたのだ。理由としては国庫負担が問題とされた。親衛団の維持費は国庫の支出である。
嫌がらせであることは明白だとラウリは思う。そしてあってはならない類の嫌がらせだとも。他で何をされてもやりようがあるが、戦力の拡充を妨げられては戦場における危険が増す。危険が増せば思わぬ犠牲が出る。ラウリにはそれが怖い。刃の巷は大切なものの失い方が尋常ではないのだから。
「大丈夫ですよ。全く問題ありません」
マルコだった。その碧眼が日陰となった室内にあっても瑞々しい輝きを湛えている。
「平時での限定など、戦場では意味がありませんからね。前線が行禍原にある現状、親衛団はしっかり三千人で戦うことができます」
「うん、まぁ、ここが襲撃されることはないものね……でも、傭兵ってそんなに簡単に揃うものなの?」
久々に会ったためだろうか、それとも砦の有り様を見たためだろうか。ラウリは己の不安をマルコに吐露することを止められなかった。護衛団としての組織運営から傭兵に詳しくなったこともある。信用できる傭兵を千五百人も用意することは中々に難しい。それが緊急的に招集するものであれば尚更だ。
しかし、そんなラウリにマルコは笑い声を聞かせるのだ。
楽しそうな、嬉しそうな、耳に心地よい音色のそれをラウリは聞く。そして気配を感じていた。凡庸な自分の目では見えない風景を見せてくれる者の、竜の息遣いを感じていた。
「何を言ってるんですか。もう揃っていますよ。とびきりの千五百が」
「え……あ、ああ、そうか……って、え!? 千五百も出せるの!?」
「はい。無理すればもう少し出せますよ?」
端整なその口元から炎が漏れ見えている……そんな気がするラウリだ。聞く。
「馬賊の里より極上の千五百騎、いつでも呼び寄せることができます」
ブルリ、とラウリは震えた。
竜の威が放たれていた。




