幕間話 あの子は優秀でしたね
「どうして、アスリア王国だと女は騎士になれないんでしょうか」
「んー、弱いからじゃねえの?」
少女の必死の質問に対して、その大男はあっさりと言ってのけた。望んでいた内容でもなければ期待していた配慮もない回答に、眉を跳ね上げ拳を握りしめるも、長い吐息でもって彼女は堪えた。
「……確かに、私は弱いです。それはわかってます」
己の打ち身だらけの腕に手を添えて、言う。護衛団の分所では竹束剣の稽古が日夜実施されていて、事務員である彼女も許されて参加していた。この大男に意欲を買われてのことだが、しかし、参加するたびに何十回も打たれて終わるばかりだ。
井戸の周りでは同じく稽古を終えた団員たちが思い思いに寛ぎつつ、傷を水で冷やしたり、武術談義に花を咲かせたりしている。歴戦の男たちだ。それに比べて自分などは計算と石投げが得意というだけの小娘で、どんなにか竹束剣を振るっても誰にも敵いやしない。
特にこの大男だ、と少女は下唇を噛んだ。
ハッキネン護衛団第四部隊隊長オイヴァ・オタラ。第一部隊と第二部隊とが解散した今となっては、第三部隊のヤルッコ元軍曹と並び立つ団の実戦指揮官である。本人は鍛冶師を自称し、実際にその腕前は確かだが、最近は休日の趣味程度にしか槌を振るえていないという。
そして強い。団の最強というわけではないが、まず負けるということがない。少女が見てきた中で最も強かったのはアクセリ・アーネル中尉だが、その剣風は鋭く多彩で、対戦相手を翻弄することによって圧倒してしまうというものだった。そのアクセリが勝てなかった相手がオイヴァである。
動じないのだ。どんなにか打ち込まれても欠片の動揺もなく受けきってしまう。そしてゆっくりと攻めてくる。初めは押していると思っていたものが、いつの間にか互角になり、やがて呑み込むかのように打ち倒してしまうのだ。
アクセリは攻め続けることによって終始押したままに試合を終えたものだが、少女にそんなことができるわけもなかった。気付けば圧倒されていた。息の切れた身に、笑みすら浮かべた大男の剣は巨大な巨大な何かに感じられたものだ。何度挑戦しても変わらない。負けを実感した後にもらう一撃は骨身に沁みる。
「ああ、弱いな。剣筋はいいんだけどなぁ……まあ、非力だし」
しかし言葉も痛いというのはどういうことだろう、と少女は何かが悔しい。率直なのだろうとは思う。的確でもあるのだろう。わかってはいるのだが。
「……それでも、私は駄目でも、非力を技術で補って戦える女性だっているじゃないですか」
「まあ、いるにはいるな。でもそいつが強力だったらもっと戦えるぜ?」
団で最も力持ちの人間にそう言われてしまっては反論もできない。
「そ、それは……ならば指揮能力では? 今、エベリア帝国には女性の騎士団長もいるとか。何も剣をもって取っ組み合いをするばかりが騎士の力ではないはずです」
「帝国はあの戦いで優秀な軍人を大量に殺されてるからなぁ……人手不足から仕方なしにってことじゃねえのか? 貴族の女どもが社交気分で軍を扱い出したら堪らねえ、堪らねえよ。ホント」
オイヴァは何か嫌なものを払うかのように手を振った。言われた内容について思うところよりも、過去にどんな目にあったのだろうと好奇心の湧いた少女である。さりとて目的はそれではない。
「じゃあ、どうしたら……どうしたら、女の身で功名を成せるのですか?」
「え……それを俺に聞くのか。俺、新聞に名前も載らんのだけど……いや、載りたいわけじゃないのだけど……そうだなあ……誰か有名なやつと結婚するとか、そいつの子を産むとか?」
「功名の結果としての結婚ならともかく! 功名のために結婚するなんて!」
荒ぶる声に大男の身が仰け反った。少女はハッと口を押さえたが、何だ何だと周囲に男たちが集まってくる。彼らの中には半裸どころか全裸に近い者もいて、女だからと特別扱いされないことに居心地の良さを覚える一方、汚らしいものをブラブラさせるなとも思う少女だった。
「そういやあ、お前ってキコ村の出身だったっけか」
部下が集まって態勢を立て直したものか、大男が身を乗り出して話しかけてきた。少女は警戒する。さっきまでの素っ気無い態度とは違うということは、何かしら攻めてくるということだ。
「聞きたいと思ってたんだ。なあ、マルコって村の娘らにゃ人気あったのか?」
そら来た、と少女は思った。臨戦態勢をとる。
「……マルコくんは特別でした。私は彼よりも2歳年上ですけど、彼のことを同じ子供だと思ったことは一度もありません。他の子もそうです。彼は皆のマルコくんであって、人気があるとかないとか、そういう話じゃないんです」
しっかりと考えて答えを口にしたが、どうやら大男はその内容がお気に召さなかったらしい。つまらなそうに首を振ると、とんでもないことを言い出した。
「違うな。あいつは慣れてる奴の目をしてた。こういうのはすぐにわかるもんなんだ。なぁ?」
周囲に同意を求め、頷きを幾つももらってから断言する。
「抱くのも殺すのも、どっちも相当のもんだぜ、あいつは」
最初何を言っているか分からなかったが、意味が少しずつ解けていって、そして少女を激発させた。
「何てこと言うんです! 何てこと……マルコくんはそういうことしません! 殺すとかは、それは、あんなに強いんだしあるかもだけど……だ、抱くとか……そういうのはありません!」
大男はさっき以上に仰け反った末、大きすぎる囁き声で周囲に相談などを始めたようだ。その内容も少女を怒らせる。「俺まずいこと言ったかな」だの「殺す方はともかく、抱く方は村でだろうと思ってたんだがよ」だのと八の字眉毛でボソボソと助けを求めている。
「まあ、その、何だ……誤解だったみてえだな。すまん」
鼻息も荒くその謝罪を聞く少女である。
「あいつは色々と不思議だからな。これもそういうもんなのかもしれねえ。悪気はなかったんだよ」
本当に困ったような顔で頭を下げるオイヴァである。しかし口が動く。
「しかし、何だな。やっぱり隅には置けねえ感じだったんだなあ」
「……そりゃあ、マルコくんは、特別ですから」
「そうだな。あいつに惚れちまったんなら、お前さんも大変だ。うん。大変だよ」
危うく頷きかけた少女である。キッと睨みつけたならば、この素直なのだか無神経なのだかわからない大男の方がウンウンと頷いていて、反応に困る。
「そういうんじゃ、ありませんから」
「ま、めげずに精進するこった。筋は悪くねえんだから。あいつも元気にしてるって話だしよ」
さらりと重大なことが聞こえた。
「え、連絡があったんですか!? ど、どうやって!?」
「うおっ? いや、そりゃ、連絡の1つや2つあって当たり前だろ。どうやってってのは、そりゃまあ、何だ……俺の古馴染みが色々と……あ、団とは関係ねえからな。もう言わねえ、言わねえ」
何かコイツ苦手だ、と逃げ口上を呟いて分所の中へすごすごと消えていくオイヴァである。残された少女はしばし立ち尽くすも、小さく息を吐いて自らも建物へと入っていく。彼女は事務員である。
竹束剣での稽古という休憩時間を終えて、少女は再び書類との格闘を開始した。
世の傭兵組織がどういうものかを詳しく知るわけもない彼女だが、それでもこのハッキネン護衛団の業務が一般的なそれと大きく異なることは分かる。半ば公式の街道守護者であり、商家の看板を掲げていない商家だ。領軍が護らない場所を護り、商家が手を伸ばさない場所にも手を差し伸べる存在だ。ヘルレヴィ伯爵領が北辺にあって冷害に強い土地柄となったのは領政の成果ではない。護衛団の功績である。
だから、キコ村は平和と豊かさとを享受できるのだ。
1つの村だけが平和で豊かであることなどできはしない。有形無形の財は目立てば狙われ奪われる。飢えを悲しむ誰かが、子の飢えを悲しむ誰かが、孫の飢えを悲しむ誰かが……利益を共有しない誰かに対して牙を剥く。領法がそれを禁じたところで、確実に迫る死よりも試みる価値があると判断したならば、人は凶行に走るのだ。
少女はマルコの姿を思い浮かべた。それは少し前のもので、キコ村のあの大樹の下で受けた授業風景だ。辺境の村に生まれた黒髪の天使が、神秘的な碧眼でもって少女らを教えていた。
あれは夢のような時間だった。なぜなら夢を教えてくれたから。
小さな村の中に閉じていた世界が、作物とともに1年で区切られてその先がなかった時間が、そのどちらもが広く大きく解放されていく授業だったのだ。まだ見ぬ土地と明日とは自分に無縁のものではないのだ、自分の力で進んでいけるのだ……そう自信をもった少女は、今、こうして夢の先に生きている。
(でも、まだ途中なんだ……もっと、もっと何かができるはず……きっと)
そのためにも、まずは目の前の書類である。
少女は得意の計算力を駆使し、戦う。これで功名が成るわけでもあるまいが、任された仕事に全力を尽くすことは義務であり責任であり、何よりも喜びだ。夢は叶うまでの間もまた夢として楽しいのだから。
彼女の夢はたった1つ。英雄となるに違いない彼の、その側近くに立つことだ。
(今は絶対に眼中にないってわかってるけど、いつかきっと、必ず……!)
キコ村の歳若い女たちによるとある同盟、その中から1歩先んじた場にいることは確かなのだ……少女は不敵な笑みを浮かべると、まるで敵を蹂躙するかのような激しさでもって、帳面に文字と数字とを書き付けていく。
「……もう、邪魔!」
書類に時折混ざっている異物を、少女はクズ籠に勢いよく放り込んだ。同じようなものが十も二十も既に捨てられている。それらの内容を吟味したならば、あるいは少女にとってもう1つの功名への道も見えたのかもしれない。その道を選ぶかどうかは別として。
それらは全て恋文である。
今年で14歳となるその少女は、事務仕事と武術稽古とでくたびれ果ててはいるものの、既にその美しさを町中に知られる身となっていた。
マルコが馬賊の里から帰還したのは、その1年後のことである。




