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第19話 馬車が道をやってきます

 ガタリガタリと揺れる馬車の内で、その少女は器用な寝相を見せていた。


 簡素ながらもドレスを着ているというのに、クッションを1つ膝に挟みこみ、もう1つにはもたれかかるようにして身体を固定している。腕にはくたびれた河馬のぬいぐるみが抱えられていて、その首に結ばれたリボンは桃色だ。結びは拙く解けかかっている。


(おいたわしや、パウリーナ様……揺れる道行きを逞しくお眠りになっておられるが)


 向かいの席に座り、少女の様子をまんじりともせず見据えている女性がいる。


 凛々しく美しい佇まいは物語の王子のようだ。名をヴィルマ・カントラという。歳の頃は17、8か。波打つ金髪を側頭部にて1本に縛り上げ、緑色の瞳には強い意志が燃えている。気品ある装いは男装でこそないものの騎士の訓練服を思わせる作りで、随所になめし皮の補強が施されている。腰の剣帯には細剣が吊られていて、その柄頭には金の印章があしらわれている。


 アスリア王国の軍制において女性の騎士は存在しない。兵士についても同様で、軍属の女性としては後方勤務が専らである。それにも関わらず彼女が帯剣しているという事実は、彼女が着いている任務の特殊性ゆえだ。女であり若年であろうとも、騎士のごとく戦うべしとされる特務。


 役職名をして“侍女武官”。


 それは王族女性を守護するために設けられたもので、ヴィルマが護るべき主君は目の前に愛らしく眠っているその人だ。


 末位とはいえ正統な王位継承権を有する第3王女、パウリーナ。御歳とって12歳、来年には婚姻もできる年頃である。琥珀色の髪はしっとりとしていて大地の暖かみが感じられる。化粧知らずの肌はプニプニと柔らかくあり、モゴモゴと咀嚼している様子は見ている夢の内容を教えてくれる。手足が短く小柄な身体は純朴さの表れだ。ヴィルマは思わず頬を緩ませて、そっと膝掛けを少女に掛け直した。


 大事に、丁寧に、その安らかな寝息を乱さないようにして……。


 席に居住まいを正したならば、腹からはじわじわと苦々しさが湧いてくる。彼女の手は細剣の柄頭を握り、彼女の足は少しでも揺れを抑えようてか、開かれ踏みしめられている。


 ヴィルマは脳裏に王都の心無い者たちの顔を思い浮かべていた。己が身に蒙る困難であればいかようにも耐え忍んでみせようが、有形無形の理不尽に晒されているのはパウリーナなのだ。彼女を取り巻く罵詈雑言は枚挙の暇がないほどだ。


 曰く、王家にあらざるほどの愚鈍。帝王学どころか音楽、舞踏、礼法、何もかもが拙い。身につかない。辛うじて人並みなのは書くらいのものか。画に至っては牛馬が怪物になる始末で目を疑う。いや疑うのなら頭の中身か。まず碌でもないものであろうよ、と。


 曰く、王家から血を盗むに等しい穢れ腹。エベリア帝国の侵攻を前に膝を折ったヒルトゥラ元伯爵の娘を母親に持つが、その貞操は守られていなかったと聞く。恥知らずで知られる元伯爵であるから、或いはエベリア人に股を開かせていたのかもしれない。事実、王はパウリーナとその母を離宮へと遠ざけたではないか、と。


 曰く、王家とも思えない凡百の容姿。薄汚い泥のような髪。寝ぼけたような垂れ目。まるで女を感じさせない幼児体型。中身だけでなく外見までもが童のままに大きくなってしまったのだ。装飾品もドレスも似合いはしない。あれでは当家の侍女の方がまだしも気品が感じられる、と。


 本人には聞こえない音量で、しかし伝わる密度と頻度で……王都の風に染み込んだ悪意は、宮城から逃れた先の離宮にあってもその臭いを断つことが叶わない。華やかな世界から追いやられて抗うこともなく、パウリーナはただいとけない日々を過ごすばかりだ。


 ギリと奥歯が軋む。握られた柄頭が震える。


 しかしそれらは力なく解けて、ヴィルマは切なく息を吐くのだ。


 車輪の回る音ばかりが響いている。馬車の内の小さな世界は2人がいるきりで他に誰もいない。パウリーナには仕える女官もいないのだ。若き王女の女官といえば貴族息女らが競って志願する役職であろうに、パウリーナの側には誰1人として寄りつきはしない。


 第3王女に近しくする者は、第1王女に睨まれる。


 アスリア王国で最も尊い女性、第1王女エレオノーラ。王が病床にある今、国権の頂点に立つ女性である。次期女王になることは誰しもの知る決定事項であり、夫であり王配となるところの元聖騎士との間には1男1女を成している。勇者との悲恋で知られるが、今は全てが満たされた立場にいると言えるだろう。彼女ほどの幸福を生きている女性は大陸中を探しても見つかるまい……ヴィルマはそう思う。


 そのエレオノーラがパウリーナを嫌っているのだ。しかもそれを隠さずに公言している。恥ずべき者だと。王家の汚点であると。さもなくばどうして貴族たちがかくもパウリーナを邪険にできよう。


 しかし、彼女の存在なしに今のヴィルマはあり得ない。パウリーナと出会いも、剣を帯びた側仕えも、そしてこの煩悶の日々も……全てが全て、エレオノーラに起因する出来事なのだ。


 侍女武官という王族女性のための特務官を創設したのはエレオノーラである。多くの政務が慣習と戒律とに則って処理される中にあって、それは異彩を放つ勅令であり、ヴィルマにとっては天啓に等しい好機だった。アスリア王国において女の身で武人たらんと欲するのならば、目指すべきはそれだと努力した。


 努力は実り、パウリーナの傍らにはヴィルマが日夜侍ることとなった。しかしそれは既に悪意だった。ヴィルマが侍女武官に抜擢されたこと自体がパウリーナへの侮りなのだ。


 カントラ家はささやかながらも領地と館とを持つ騎士の家である。支配貴族へ武力を提供する義務を負っている。ヴィルマはそのことを武門の誇りとこそ思え、恥であるなどとは夢にも思わない。思ったこともない。従騎士や従者の男たちに混じって武術を稽古した日々は宝物だ。


 しかし他の侍女武官と己とを比較したならば、たちまちに気分が塞ぎこむ。ヴィルマ以外の侍女武官は全員が上級貴族の出自だからだ。しかも教会から聖別された宝剣を賜っている。ヴィルマにはない。


 女官もいない第三王女の侍女武官など、そこらの田舎騎士の娘で事足りるであろうよ……そんな陰口が風に乗って聞こえてきてヴィルマを苦しめる。そればかりか、彼女の容姿すらがパウリーナへの揶揄に使われるのだから堪らない。


 あの2人が並んでいるところを見ろ、どちらが侍女に見えるやら……そんなことを言いたいがためにヴィルマを選んだ節があるのだ。他ならぬエレオノーラが、だ。


 手を握り締める。


 あらゆる武術を身に修めてきた。鍛えてきたのだ。細剣と言わず長剣だろうが弓だろうが槍だろうが……徒手空拳であっても戦ってみせる。己の主君のために身命を捨てる誓いも立てた。


 しかし現実はどうだろうか。


 侍女武官とは王族女性を飾る装飾品の1つに過ぎず、戦いがあるにしてもそれは陰湿で政治的な代物であった。陰口という毒矢を浴びせられ、皮肉という冷剣を振るわれ、嘲笑という邪炎に燃やされて、それらから主君を護る術のないヴィルマだ。


(勇者様と共に戦乱を生き、死別の悲しみを越えて魔人の姦計を破ったほどの御方が、どうしてかくも無情なことをなさるのか……)


 ヴィルマは実家に飾られていた勇者の姿絵を思った。絵物語の英雄そのものの姿だ。勇敢にして慈愛に満ち、万難を排して正義を実行した聖なる人物だ。教会においても既に聖人としての伝説が執筆されている。騎士にとっては共に戦うことを夢見る対象でもある。


 もしも勇者が存命であったなら、かかる事態にも陥らなかったのだろうか……ヴィルマは窓の遮光布を寄せ上げ、目を細めて外を見やった。


 北の風景が広がっていた。


 天境山脈が大きく長く、人の世界の壁として連なっている様子が見て取れる。あの先には大氷原が在って、人の営みに仇為す瘴気と冷気とを送り込んでくるのだ。そう思えば、ヴィルマには春の空の水色もどこかが切ない。天には守護の盾などなく、ただ吹かれるよりないのだから。


「おや、どうかされましたかな?」


 声が馬蹄の音と共にやってきた。風に青い外套が翻って鮮やかだった。


「ご休憩にいたしましょうか?」


 騎乗の軍人の微笑みは何かしら不敵な成分を含んでいるようにヴィルマには感じられた。しかしその軍才は確かなようで、武術における卓越も身のこなしのいちいちから伝わってくる。


 アクセリ・アーネル領軍大尉。


 ヘルレヴィ領軍における精鋭と言えば千騎の騎兵部隊が知られているが、その部隊長こそこの男である。後方兵站地域の兵といって馬鹿にはできないとヴィルマは心得ている。それというのも、彼はかつてあのハッキネン護衛団に協力していたと聞くからだ。馬賊討伐においても部隊長として勇猛を発揮したという。


 かかる事態……第三王女パウリーナによるヘルレヴィ伯爵領への御訪問においては、馬車を護衛する百騎百卒の指揮官として同道している。そしてもとより不本意なこの訪問を、より困難なものへと変貌させた張本人でもあった。


(ハッキネン男爵は、どうしてこの軍人を推薦してきたのだろうか……!)


 思わず睨みつけてしまったヴィルマである。しかし相手はどこ吹く風だ。


「大丈夫ですとも。目的地には夕暮れを前に到着できます。休む時間はまだいくらもありましょう」


 少しも大丈夫な気分にならなかったヴィルマは、窓枠をグッと掴んだ。それを前のめりになったと見たか、アクセリは器用に馬を寄せ、耳を寄せてくる。チラとも馬車の中を覗き込もうとしない礼儀のあり方は見事に思うも、やはり何かしら面白がられている気がしてならないヴィルマである。


 事の次第はこうだ。


 北方を中心に各地で続く冷害、前線におけるエベリア帝国軍の挑発的行動、そして一季節前よりの国王の病臥。“聖炎の祝祭”以降の復興熱も冷めやり、アスリア王国では社会不安が広がりつつある。


 それを憂いた第1王女エレオノーラにより発案されたのが、王女3人総出による王国北方領の歴訪である。行禍原に隣接する北西サルマント伯爵領とペテリウス伯爵領、そして北東ヘルレヴィ伯爵領を王女らが巡り、民を広く慰撫しつつ、前線の将兵を激励するという計画だ。


 第1王女エレオノーラの声望は勇者伝説と共に絶大であるし、第2王女マルガレータもまた美貌と貧民救済事業の推進とで民に広く慕われている。それに比べると第3王女パウリーナは見劣りするどころではなかった。彼女はまだ若く何もなしていないし、華やかな美もなく、離宮に追いやられているだけの存在だ。あるいはその“見劣り”こそが役割なのかもしれない……そう思うとやりきれないヴィルマである。


 しかし、この計画はパウリーナの体調不良により変更されることとなった。彼女は前線へは向かわず、ただヘルレヴィ伯爵領のみを先んじて訪問して王都へと帰還する。足手まといになるくらいなら適当に後ろの方を歩いてから帰れ、そんな扱いだった。


 それでもいいとヴィルマは考えていた。


 パウリーナを衆目の中で貶められるくらいなら、仮令王女としての扱いをされなくとも、早く切り上げて離宮へと戻してあげたかった。逃避と罵られても構わない。ただ暖かく優しい空間で彼女を包んであげたかった。そんな時間を少しでも多く過ごさせてあげたかった。


 ところが、そんなヴィルマの願いを1人の領軍大尉が打ち破ったのだ。


「体調も回復したご様子ですし、いかがでしょう? 折角こんな北辺までいらしたのです。領都だけでなく各地の町へ……むしろ辺境になど馬車を進ませてみては? 冷害に強い領辺境の村々の様子を、実際にその目でお確かめになられてみては? この私がご案内いたしますゆえに」


 外れくじを引かされた顔のマティアス・ヘルレヴィ伯爵もそれを推奨し、パウリーナがコクリと頷いて見せたならば、もはやヴィルマには為す術がなかった。


 こうして、馬車は領軍に護られながら北東辺境へと車輪を転がしていくことになる。不思議と街道の整備が行き届いていることだけが救いか。それでも揺られ揺られて、今パウリーナは眠り、今ヴィルマは睨みつける。アクセリという名の軍人を。


「……そもそも、どこへ」


 眠る少女を起こさぬよう、不本意ながら軍人の耳に顔を近寄らせて、ヴィルマは問う。


「どこへ向かっているのですか、この馬車は」


 怒気から低くなる声をそのままに伝えたならば、さも意外そうな顔の中にも楽しむ目つきを隠さずに、その男は答えるのである。


「キコ村という村落です」


 お伝えしませんでしたかな、という呟きは伝えた確信のもとに口にしているのだろう。ヴィルマは反論できない。辺境に向かうと決まった時には動転してしまって、記憶が定かではないのだ。


「何が……そこに何があるというのですか!」


 言って「しまった」と後悔するヴィルマである。反発から言った言葉だが、そこへ向かう理由は覚えていたのだ。確か冷害対策についてだ。それすら聞いていなかったと馬鹿にされるのは侍女武官としていかにも情けない。


 しかし、青い外套をまとうその軍人は、侮蔑の色もなく微笑んだ。


「不思議があるのです。私にとっては他に得難い宝でしたが、王女様にとっては……さて……」


 言葉尻を笑みに消しながら離れていく。残されたのは謎かけのような言葉だけだ。ヴィルマは呆けたように窓枠を離れた。予想外のことだったからだろうか、何か力が抜けてしまったのだ。


 馬車は進む。


 一行がキコ村に到着したのは、まだ日も高く暖かな時分だった。

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