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火刑戦旗を掲げよ!  作者: かすがまる
第7幕

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第126話 暖かな翼も、どうしてか失せ

 灯明にぼんやりと照らされる地下道で、ヤルッコは無言の死闘を繰り広げていた。


 飛来した小剣を避けずに受ける。左の二の腕に突き刺さって血が散った。骨にまでは届いていないだろうと頭の片隅で思い、それが堅牢な鎖帷子のお陰だろうとも思った。上等の武官装束は実戦にも役立つようだ。


 本命の斬撃が来る。左上から斜めに斬り下ろす軌道だ。これも躱さない。防ぎもしない。剣を握る手首目がけて下から剣を斬り上げてやる。渾身の一撃だ。


 激しい金属音、火花、頬を撫でる風、肩への衝撃。


 剣を握ったままに手首が飛び、埃っぽい石畳の床へと落ちて転がった。持ち主はもはや気にしないだろうとヤルッコは思う。振り上げた刃を返して首筋に叩き込んだからだ。半ばまで断っている。ごぽりと音を立てて血を吐き、その男は倒れ伏した。広がる液体の中に青色の頭巾が赤黒く染まっていく。


 再びの衝撃があった。横合いから体当たりをされて、ヤルッコは肩から転倒した。激痛が生じた。肩だ。先の攻防で骨折したのだろうと思う。さりとて右手の剣を落とすことはない。布で柄と手とをきつく縛りつけてあるからだ。


 立ち上がり様に斬りつける。防がれて鍔迫り合いになった。あちらの刃もこちらの刃も血塗れだ。力任せに押し込もうとして、脇腹が熱いことに気付いた。さてはと思う。どうやら体当たりの際に刺されたようだ。たとえ板金で身を鎧おうともあのように勢いをつけられては刃が通る。フンと鼻を鳴らした。


 背後に女のくぐもった声を聞く。苦痛と絶望の色合いを感じ取る。振り向きはしない。


 左手を無理矢理に動かして鍔の先の手首を掴んだ。同時に身を屈めて引っ張る。相手も力で対抗しようとした。そこへ足を振るった。一気に身を延ばしての膝蹴りだ。深く入った。吐瀉物を浴びた。動きの止まったその隙を逃さず首に切っ先をねじ込む。首の骨の感触が刃越しに伝わる。手首を捻るようにしてそれをへし折った。


 息つく暇もなしに、今度は背後の敵へ……やはり青色の頭巾を被った男へと剣を向けた。こちらの足元には頭巾を被った死体が、あちらの足元には女中姿の死体が、それぞれに転がっている。


 間合いのある内にと周囲を確認したならば、女中の死体が七つに、頭巾男の死体が四つある。立っている人間はあちらが二人にこちらが一人だ。数の差は逆転したようだ。


 息を荒げ、汗をかきつつも、ヤルッコは寒さを覚え始めていた。血が流れるほどに力が抜けていく。さりとて止血する余裕などはない。油断なく頭巾の男二人を睨みつけながら、五歩ほど移動し、左手で手探りして一本の短剣を拾った。女中の持ち物だ。柄も刃も乾いたままで、それはこの剣の持ち主がさしたる戦いもできずに殺されたことを物語っている。


 女の腕力とはいえ、ベルトランに訓練された者が数に勝っていて敗れる……その意味を思う。


 まるで符丁のように頭に巻かれた同色の布……ベルトランの緑巾とよく似たそれの意味を思う。


「刃の団か……まったく、碌でもない……!」 


 回り込もうとした一人に短剣を投げつけて、ヤルッコは走り出した。もう一人へと猛然と斬りかかる。剣と剣とが刃の欠けるほどにぶつかって、その衝撃が身体のあちらこちらの痛みを倍増させた。心ならずも怯んだところで剣を弾かれた。諸手を上げた状態になった。鍔迫るや否や鍔で上へと崩されたのだ。顎にも衝撃があった。相手の柄頭が当たったようだ。奇妙な浮遊感を覚えた。


 どうしてか遠のく視界の中で、敵の剣がまさに大上段から振り下ろされようとしている様を眺める。あれは致命傷に至る斬撃だ。他人事のようにそう思う。刃が光を反射したものか、目が眩んだ。


 剣速を思えば一瞬のことに過ぎまい。


 しかし、ヤルッコはその眩さの中に多くを見た。聞いた。味わった。


 暖かささえ伴って、ヤルッコは今日という一日を思い返したのである。





 眩さに目を瞬いた。穏やかな昼下がりのことだ。


「……小さいながらも暖かな村です。私も訪れたことがあります」


 陽光の差し込む回廊にルーカス・ユリハルシラの言葉が紡がれていた。


 ヤルッコはそれを聞く。何を返事するでもなく。


「お年寄りが元気な村でして、何をするにしろ若者そっちのけで前へ出てくるのです。明るい傍若無人とでもいうか……ははは……私も叱られたことがありますよ」


 王都王城の奥まったこの場所は女王パウリーナの居住区画であり、滅多な人間の出入りできる場所ではない。特に男性はごく稀だ。王が女性である場合には伝統的にそう取り計らわれる。区画内では警護兵すらが女性のみで組織されるのだから徹底的だ。女性兵士を認めない王国における例外である。


 ヤルッコはその例外の中の例外だ。


 男性としてはただ一人の常駐護衛官を務めている。侍女武官たるヴィルマ・カントラとほぼ同格に扱われているし、この区画に個室をすら与えられている。今もこうして帯剣して客人に付き添うことを許されている。


「雑草とは土の中にまで刃を入れて刈るのですな。それを教わりました。調練でも土には塗れますが、それとは別の充実感がありましたなぁ……ユリハルシラ家の者は誰もが耕作を体験するのです。農耕こそが政治の基であるという教えでして」


 いいことだとヤルッコは思った。


 およそ権力者というものは見た目の清潔さにばかり神経質となる嫌いがある。素朴から遠ざかることで格式を嘯き、身綺麗なる外身に酔い痴れて内実の汚穢に鈍感になっていくのだ。随分とそういう人間を見てきた。そういう人間が周囲も自身も諸共に不幸にしていく様を。


 土に塗れることは、人に生物としての実感を与えてくれるようにヤルッコは思う。


 ともすれば浮足立ち領分を忘れてしまうその慢心に、二本の足で地を踏むことなしには生きられないという事実を再認識させてくれる。何様かに思いあがったその酩酊に、己の何者であるかをそっと諭してくれる。


 そう考えるから、今の役割に伴う身嗜みの義務にだけは辟易としていた。支給される衣服が上等に過ぎるのだ。老いたる身を殊更に労われているようでもあり、悔しさと気恥ずかしさを感じない日とてない。さりとて、七十も半ばとなってはその着心地がありがたいこともまた確かだ。唸るよりない。


「本当に、いい村なのですよ。あそこで老いを迎えることは幸いであると思えるほどに」


 乾ききらない雨粒が方々で眩しさを更なるものとしている。区画など気にも留めずに草木が茂る中庭には輝かしさが満ちている。生命とはまさに光であることを歌い上げているかのようだ。


「……戦災孤児を引き受けて、村ぐるみで育てていたそうです」


 草の間を黒く小さな虫の列が見える。忙しなく動いてる。動かなくなったものを運んでいく。


「内乱でカリサルミ領は荒れました。周辺各領に流れた難民の数は多く、父もそれを憂いておりましたが……まさか……」


 横目に父親を亡くした若者を見る。夏の豊かな緑色に背を向け、柱にもたれるようにして影の中に項垂れている。ルーカスという人物の常を思えば痛ましい姿でしかない。


「まさか……人の善意が働くその中に、凶手を潜ませていようとは……!」


 悲痛が耳より入って胸を刺す。心に出血を強いる針の痛みだ。何度経験しても慣れるものではない。照らされて温い額と頬とを腫れぼったい手で撫でさすって、ヤルッコは唸るように息を吐いた。


 ユリハルシラ侯クラウスの死。


 早馬が王城へと駆け込み知らせたその悲報は、事の重大性を鑑みて公表はされず、今はごく一部の人間にのみ共有されている。状況が切迫している。表立ってはクラウス・ユリハルシラは今も軍事行動中である。精兵たる領軍を指揮し、聖杯騎士団に対して遅滞戦術を実施し続けていることとされたのだ。


 片や日を浴び、片や影に沈むという時間がしばし流れた。ヤルッコは問うてみることにした。


「憎いかの?」


 誰が、何が、とは敢えて言わない。


「……いえ、憎くはありません。これが帝国との戦争においてのことならば別であったでしょうが、どうしてか憎しみは湧かないのです」


 静かな声だ。ひっそりと沈み込む響きがある。


「その代わりというわけでもないのでしょうが……恐ろしさがあります。私は教会が恐ろしい」


 中庭が明るければ明るいほどに影の道となるこの石畳の回廊で、一人の若者が顔を陰らせ引き攣らせている。眼球の白色ばかりが浮かび上がっている。血走った二つばかりが。


「何を目的としてか、手段において自由に過ぎる……彼らと我らは世界を共有していないようにすら思える。理解も共感もできない。とても同じ人間の集団とは思えない。それなのに我々に強い影響力を発揮していて、天災のように避け難く押し寄せてくる。目に見える脅威としては勇者や聖騎士があり、目に見えぬ脅威としては社会の随所に潜む刃がある。肌で感じるよりない脅威もある……我らの生きる日常の全てを包み浸透するようにして蔓延る、魔性の芳香の如きものが。まるで醒めない悪夢を見ているようだ……」


 熱のこもった言葉であろうに、聞くヤルッコは身に寒気を覚えていた。なるほど、恐怖だった。ルーカスは広く大きく教会という存在の全貌を捉えていて、その普遍的とも思える強大さに身を竦ませているのだ。両の手で己を掻き抱いている。凍えているのだろうか。


 ヤルッコは長く嘆息した。どこかで小鳥が群れているものか、可愛らしい姦しさが聞こえている。


「休む、ということも戦いじゃぞ」

「……休むことが、ですか」

「勢いに任せて玉砕するきりの、そんな一瞬の覚悟でしかないのなら休まずともよいがの。勝ち続けることなどできやせんのが戦争じゃからして、最後に勝っているためにはどこかで休まにゃならんじゃろが」


 言いつつ、ルーカスの腕を掴んだ。驚く顔に不満顔を見せておいて、腕を引っ張りつつ二歩ほど後退する。それで若者の顔に日差しが降りかかった。眩しげに目を細める様子を、代わりに入った陰の内から見る。ヤルッコもまた目を細めている。


「構わんから、泣いてこい。酒と飯をたらふく腹に詰めてこい。眠れるなら眠っておくのもいいぞ。それが済んだら顔を洗え。それで出直してこい」

「それは……しかし……」

「四の五のぬかすな。ユリハルシラ侯爵」


 正面から言う。逃さぬように両の手を握る。握力をこめる。


「お前さんは今やユリハルシラ家の当主なんじゃ。爵位だって受け取ることが決まっとる。そうとお披露目された後は休めんぞ? それはもう長いこと戦わんにゃならんぞ? そんな情けない顔でやっていけるほどに侯爵というもんは簡単なのか? 違うと思うぞ、儂」


 捲し立ててから、最後にルーカスの胸を拳で軽く叩いた。


「しっかり休んでこい、ルーカス・ユリハルシラ。時に泣き、時に笑う。時に戦い、時に休む。何が恥ずかしいものか。人間とはそういう生き物じゃ。そらそら、行った行った。帰った帰った」


 強制的に方向転換をさせ、容赦なく押していく。若者の戸惑いに笑みを誘われつつも手を休めない。この区画は入り組んだ構造をしているものの、防衛上の観点から一本道でもって一般区画と繋がっている。そこにまで押してきて、最後に平手で背を打ってやった。


「じゃあの! 次に会う時は侯爵の顔になっとくんじゃぞ!」


 光と影とが互い違いに石畳の模様となる回廊の先へ、ルーカスが歩き去っていく。よろよろとしているが、それでも己の足で進むのだ。ヤルッコは頷く。大丈夫だろうと思う。


「……マルコと共に戦ってやってくれな、ルーカス」


 遠い背にそっと言葉をかけた。願うように。祈るように。


「今は眠りこけとるそうじゃが……それだとて戦いだというのだから、救われんよ。あやつは誰に対する以上に自分に対して厳し過ぎる。無理のし過ぎで、休み方を忘れちまっとるんじゃ」


 その場に一人立ち尽くして、ヤルッコは手と手を擦り合わせた。次いで手で手を揉み解す。痛むばかりで上手く動かない両の手を宥めすかし、少しでも戦士でいられる時を延ばすためだ。


 ヤルッコはもう戦場に立てない。長い行軍にも耐えられない。鍛え抜いたはずの肉体はこの数年で急速に衰えてしまった。精神よりも先に肉体が挫けてしまったのだ。もはや休んだところで回復するものではない。人は若返ることなどできはしない。


 だから、ここにいる。


 マルコがこの国の王と認めた者を護っている。そういう役割を任されている。健康状態を慮っての人事であることは承知しているが、閑職に回されたという気はまるでしない。


 実際、女王パウリーナはマルコにとって大きな弱点だ。


 国の在り様を改め、ひいては世界の在り様をすら変革せんとするマルコであるが、その地位としては王国内の筆頭将軍であるに過ぎない。非常の際には全軍を指図できるという特別な兵権を有するも、持てる手勢の規模としては国軍や領軍に及ばず、近衛兵団に並び立てるかどうかといったところだ。貴族の証たるハハト姓にしたところで領地のない名ばかりの家名である。


 いかな救国の英雄とて、戦場の外では女王はおろか四侯六伯にも傅く存在でしかないのだ。それがこの国の理だ。社会の現実だ。合法的に軍事力を用いるマルコへ課せられた制約である。


 そんなマルコへと女王パウリーナが寄せる全幅の信頼……つまるところ、これがマルコの力となっている。筆頭貴族クラウス・ユリハルシラはマルコへ献身的なほどに便宜を図っていたが、その彼が死した今、マルコの影響力は女王に因るところが益々大きくなろう。ヤルッコはそこに強さと脆さとを同時に見出すのだ。


 マルコとパウリーナ。


 どちらも傑物だ。ヤルッコは一切の疑念なくそう思う。二人が出会ったことはこの世界にとって重大事件であったのだろう。年齢が近いこともいい。共に世界を見渡して、巨大なる歩みを為していくに違いない。


 しかし、この上ない出会いであるがゆえに、危うくも感じられる。世界へ強く影響していくがゆえに、二人には身を隠すところもあるまいと思われる。ヤルッコは腹の底に冷え冷えとしたものがわだかまっている気がして、下腹を手で押さえた。


 二人は世界を大きく動かす。これまでにないほどに。


 それゆえに、これまでにないほどの反動と抵抗もまた二人を襲うのではないだろうか。


 足元に流れる空気を感じ、その先を求めて回廊の奥を見やった。暗く静かなる道が奥にまで伸びている。この陽気であってもそこはひっそりと涼やかだ。夕にはもう灯明が必要となる。灯さねば闇の口のようでしかないその奥行きを思う。


 死がいつだって身近な場所に潜んでいる。心憎いほどの几帳面さで。


 時代を駆ける者がその速度を失ったならば、必ずそれは襲い来る。何かの支払いを求めるように、何かの帳尻を合わせるように、人が所詮は人でしかないことを教え諭すようにして死は抱擁を為す。


 前回の勇者も、今回の勇者も、どちらもが戦死した。帝国の皇太子もそうだ。サロモンは戦場でこそ生き残ったものの、それでは不平等とでもいうものか、慌ただしく火炙りの刑が執り行われた。


 この世界は先駆者を殺す。時代を代表する人物を生かしてはおかない。


 あるいは、英雄は年老いることを許されていないのではあるまいか。マルコの行く末を思えば、ヤルッコは居ても立ってもいられなくなる。年甲斐もない話だ。ひどく新鮮で、刺激的で、身を持て余すような感覚だ。失うことを恐れ、前途の困難に怯える心……諦観とは真逆の思いがヤルッコを突き動かしている。


「ふん、気忙しくさせるわい。まったく」


 ヤルッコは再び手を擦り合わせた。こうでもしなければ浮かび上がってこない熱量を思う。己の命の力を思う。使いどころを過つわけにはいかない。若きマルコらのために何ができるのだろうか……いつもそれを考えている。


 だからだろうか、その急報が届いた時、ヤルッコは一切の狼狽もなく事態を受け止めることができた。


「暴動です! 王都内の随所で火の手が上がっています!」


 夕の食事にと汁物を啜っていたところへ、ヴィルマが血相を変えて知らせに来た。場所は回廊の脇の小部屋である。ヤルッコはここを常の居場所としてこの区画への人の出入りを監視している。


「教会が扇動しているようです。国軍の一部がその動きに同調しているとの報告もあります。親教会の貴族も協力したとなれば、あるいはここも危ういかもしれません」


 早口に言い募る様に彼女の焦りを見る。顔色は蒼白だ。


「城詰めの兵も当てにならんか」

「はい。国軍はこれまでも女王陛下に対して構えたところがありました。昇龍旗のことを思えば仕方のないところもあるのですが……」

「近衛兵はどうだ? アクセリならその辺りも抜かりなかろ?」


 当然のように尋ねたそれに、美しい侍女武官は眉根を寄せる表情でもって返答した。


「……近衛兵団団長殿は、このところ南部貴族との接近が噂されています」

「ほお?」

「今夜もどこぞの屋敷で夜会に参加しているようです。噂の域はでませんが、彼を王国における軍事の長に据えようという言説があって……同じ辺りからは、龍将軍閣下を所詮は村民上がりと蔑む声も聞こえてくるのです」


 苦さと言うよりは辛さを感じさせる物言いであった。ヤルッコの方を見ることもできない。


「マルヤランタ侯に近しい貴族らとの交流も確認されています。迎賓館にベック司教との接見を求めて足を運んだことも記録に残っています」


 そこで言葉は途切れ、ゴクリと唾を飲み込む音がした。強い眼差しがヤルッコへと向けられた。


「アクセリ・アーネルという人物を……ヤルッコ殿は信頼しておられるでしょうか」


 研ぎ澄まされた白刃の如き鋭利と緊張とがあった。この緊急時にヴィルマがパウリーナの側を離れている意味を知り、ヤルッコは小さく吐息した。


「もともと奴には王国への忠誠心などないわい。頭は切れるし舌もよく回るから、まずもって信用のならん男じゃな」


 ヴィルマが息を呑んだ様を確認してから、言葉を続ける。


「じゃが、信頼しとる。マルコが生きとる限りにおいてなら、奴は他の誰よりも信頼に足る男じゃわい」


 フン、と鼻を鳴らしてそっぽを向く。肩をすくめても見せる。


「変な言い方になるが、奴、えらく欲張りじゃからの。マルコを主と仰いで戦うことの充実感を諦めるわけがないんじゃ。儂らの内で一番楽しんどるんじゃないか? 何でもできるからの、奴は。マルコが動けんのなら、それはそれで喜々として万事を自分流で動かすじゃろ。それだけの才のある男じゃからして」


 ヤルッコとアクセリの付き合いは長い。トピアスという名の勇者が王国に現れるより前に前線で出会い、時に肩を並べて戦い、時に酒場で杯を傾け合った。気の置けない戦友だ。共に王国への忠誠心に欠けていて、互いに相手の長所と短所をよく承知している。


 アクセリ・アーネル……万能の才を持つがため、それを活かせない世界に見切りをつけてしまっていた男だ。功名の道を全て諦め、適当に食い扶持分を働き、風流などに傾いていた男だ。


 そんな男をかつてないほどに奮い立たせたのが、マルコである。全力を尽くした先の、更なる働きをまで平然と要求してくる凄まじの主だ。この世界に二人といない、強烈無比な英雄だ。


 万能の才は大いに活躍する場を得た。どうして今更に別な退屈の道を選ぼう。 


「外の護りは近衛兵団に任せておけ。お前さんは内の護りをしっかりと固めることじゃ。一本道に警護兵を集めるといい。そういう訓練をしてきたのだし、そのための兵じゃろ?」


 皺の手でヴィルマの肩を叩き、ヤルッコはゆっくりと歩き出した。少し遅れて慌てたような声が追って来た。


「ヤルッコ殿は、どちらへ?」

「裏の口……抜け道を確認してくるわい。あくまでも万一のために、の」


 台の上から荷袋と灯明を手に取った。


「一応断っとくが、皿洗いやら掃除婦やらを連れてくぞ。あ奴らの素性、言わずとも知っとったじゃろ?」

「……ご武運を」

「フン、万一のためじゃい、万一のため」


 振り向きもせずにヤルッコは行く。声をかけたならすぐにも八名の使用人が集まった。普段の業務の中ではそうでもなかろうが、この危急の時にヤルッコへ向ける目には暴力に慣れ親しんだ者特有の静寂がある。彼女らはベルトランの不法組織に所属する女たちだ。


「裏から来るとすれば凶手じゃ。教会のな。この区画の前の主を思えば、十分にありそうなことよ。儂らはそれを排除する。いいな?」


 ヤルッコは女たちを引き連れて厨房へ入った。床下に設けられた収納庫の内の一つを開いて、中に入っていた申し訳程度の荷をどける。ここだけは二重底になっているのだ。隅の紐を引いて底蓋を持ち上げたなら、ひんやりとした空気にかび臭さを漂わせて、地下への鉄梯子が長く伸びている。


「七人来い。一人は残って蓋を閉めるんじゃ。簡単には開かないよう荷など細工しておけ。梯子を叩く音で合図する。その時は開けてくれ。それまではここで待機じゃな」


 装備を確認し、ヤルッコは真っ先に梯子へ足をかけた。暗闇の穴のようなそこへと身を浸し、深く深く降りていく。ゆっくりと慎重に潜っていく。思うように動かない手足を誤魔化しながら。


 降り立った地下で女中たちを待ちながらも、ヤルッコは戦うための準備に余念がなかった。剣を握ったその手を縛るのだ。何もなくとも震え、満足に握力も込められない難儀な手である。そうでもしなければ戦えないが、そうしさえすればまだ戦える。ヤルッコはまだ働けるのだ。


「フン……屈強で覇気のある戦士じゃからの、儂」


 素振りを控えめに済ませ、ヤルッコは暗闇の道を進んだ。狭く高低差のある道程であった。灯火で照らしたとて奥まったところには絶えず黒色の壁があり、身近なところでもそこかしこに影がわだかまる。


 ヤルッコは思う。まるで人生のようだと。不安を抱いたとて立ち止まるわけにもいかない。


 火が強ければと思った。しかしどんなにか照らしたところで不安は消えまいとも思った。出口まではどれほどかと考え、そこにあるだろう日の光を欲した。月明かりでも、星の瞬きでもいい。人間のちっぽけを脱して何かしら広大無辺のものに身を晒したかった。あるいは希望とはそういうものなのかもしれない。


 ふと、マルコを感じた。すぐ側にである。耳や頬に何かが触れた気さえして、そちらを見た。己の肩しか見えやしない。それでも感じる。我が身にマルコが重なった印象があった。


「……お前は何を望んで、炎の道程を生き急いどるんじゃろな」


 心の中で呟いたそれは祈りのようなものであった。誰にも推し量れない未曾有の困難と相対しているに違いない彼を想えば、ヤルッコは祈らずにいられない。できることの限られてきた身である。行く末を見守ることもできないとなれば、もう祈るより他に術もない。


 歩く。暗さに怯える本能を理性で抑え込み、先へと。がたの来た身体を押し出して、先へと。


「お前は幸せなのか、マルコよ……そんなにも身を焼くようにして……」


 



「……身を焼くようにして……世界を、どこへ……」

「しゃべるな! くそっ! 血が止まらねえ!」


 寒さの中、ヤルッコは誰かの大声を聞いた。確認しようにも全身にまるで力が入らない。目蓋を何とか開けたなら大男が何事か慌ただしくしていた。頬や手が血塗れで、その必死な形相の迫力を増している。


「怪我を、したんか……オイヴァ」

「寝言だな、ヤルッコさんよ! こんなに斬られちまって……こんなに……畜生、何だってこんなに血が出ちまう!」


 それも仕方ないだろうと思い、ヤルッコは少し笑った。己が石畳の地下道へ無様に横たわっていることを思い出していた。幾度も刺され、幾度も斬られた結果であることも。


「凶手は……」

「……頭巾の死体は六つあったが」

「そう、か……オイヴァが?」

「俺が来た時には、終わっていた。息があったのはあんただけだ、ヤルッコさん」


 口調の変化に気付き、顔を見た。いい歳をして大きなやんちゃ坊主のような顔が、寂しそうに悲しそうに眉尻を下げている。隠せない男だ。ヤルッコは再び笑った。もう無理に苦々しさを作る必要もない。


「最後の、一人は……どうじゃったかな……途中までは、思い出せるが……」


 記憶が混乱していた。しかも呆としてしまって考えがまとまらない。酷く喉が渇く。


「女王は……?」

「無事だ。城下の混乱に乗じて国軍の一部が城へ乱入しようとしたんだが、全部、防ぎきった。それで俺は考え直したよ。女でも戦える奴は戦えるんだと」

「ヴィルマ……か」

「ああ。城詰めの貴族の中にも馬鹿が混じっててな。駆けつけるまでもなく打ち払っていたよ」


 安堵と共に力が抜けていく。既に全身の痛みは他人事のように遠く、寒さと乾きこそ強いものの、それも徐々に遠のいていく気配があった。


「ベルトランに……詫びておいてくれ。奴の手の者を、七人も……」

「それだけの相手だったってこった。だが伝えとくよ。あいつも今はどこで戦っているやら知れないが……」

「マルコの側では……ないのか?」

「ラウリが上手いこと火撃ごと隠してのけたからな。あいつは陽動に動いているらしい。教会もいよいよ形振り構わなくなってきた。陰の戦も防ぐきりじゃあどうしようもねえようだ」


 苦しさが眠気へと薄れていく中で、ヤルッコは一つのやましさを覚えた。


 結局のところ、マルコを主と仰ぐ男たちはマルコを全てに優先させている。ヤルッコ自身もその例に漏れない。それが当然だ。仮にマルコとパウリーナのどちらかしか助けられないのだとすれば、迷うことなくマルコを助けることに全力を尽くす。そこら辺りの心情がヴィルマを不安にさせたのだろうと気付いたのだ。


 マルコならば全てを掌握して最良の結果を出せるのだろう。しかし今、マルコは眠っている。どんなにかヤルッコらが力を合わせたとて、やはり何かが決定的に足りない。どこかで妥協することになる。


 それでも、そうであったとしても、少しでも良い結果を求めるから……ヤルッコはここに己の命を使ったのだ。そうすることでマルコの征く道の基となれるのならば、それは本懐であったから。


「ルーカスに……偉そうなことを、言ったわい……儂……」

「……そうかい」


 急速に何かが失われていって、もう目も見えなくなってきた。ヤルッコは日の光を浴びたいと思ったが、それはもう叶わないから、心にマルコを思い浮かべることにした。


 ああ……時代を燃やす美しの火炎……老骨に夢を見させてくれるほどの、その輝き。


「マルコ……マルコよ……」


 口は動いているのだろうか。もはやそれもわからない。それでも言葉を口にした。


「お前の征く先に……希望の……あらん、こと……を……」


 祈りを世界へと示して。


 そして、ヤルッコは終わった。


 右手に剣を縛りつけた、そのままに。

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