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火刑戦旗を掲げよ!  作者: かすがまる
第7幕

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第122話 汝ら、厳勇をもって抗うべし

 勇者と龍将軍は相討ち。


 北上した聖杯騎士団は壊滅するもマルコ・ハハトは意識不明の重体。


 そんな噂が時ならぬ寒波のようにして吹き荒び、王国の隅々にまで得も言われぬ冷気を及ぼしている。貴族も平民も区別なく顔色を青白くして震えている。誰もが戦々恐々としている。何かとてつもない事態が起きているのだと怯え、身を竦ませているのだ。


「……だから、浮足立つ輩が目につく!」


 びっしりと文字の記された巻物を睨みつけ、伯爵位を双肩に担うところのレオ・サルマントは噛みつくように独りごちた。王都より届いたばかりの密書である。のっぴきならない内容が記されている。


 曰く、王都に不穏な空気あり。


 勇者と聖杯騎士団に対して弓引いた背信背徳を糾弾する勢力が興り、女王に教会への謝罪釈明を求めているという。どこから情報が漏れたものかヨアキム・ベック東方司教の軟禁についても非難が為された。しかもそれら言論を広く喧伝しているのだから、その活動は初手から剣呑さを帯びていると言えよう。


 貴族においては南部に限らず北部においてもその主張に同調する者が出ており、即位の典礼が東方教会に所属する聖職者でなく特別教区の祓魔師によってなされたことも今更ながらに疑問疑惑の対象となっている。ヒルトゥラ辺境伯および彼が陣頭に立って実施されている行禍原開拓についても同様だ。


 レオは恐ろしく思う。神の力とはこれだ、と。


 人々は不遜なることを懼れる余り、内乱を経てまでして動き出した新時代の諸々を目につく端から否定し始めている。躍動する政治を、経済を、社会を……この新たなるアスリア王国を、以前の委縮したものへと押し戻すことによって神へ畏まろうとしている。


 さすがに女王を直接には非難できないためか、代わって三人の人物が誹謗中傷に晒されている。


 一人目に、前伯であるところのセヴェリ・カリサルミだ。神聖の旗へ最初に襲いかかった彼のことを狂人とする言説がある。


 曰く、酒に酔うが如く己に酔った成り上がり者にして、その狭窄な視野をもって旗色を急変させる誇りなき男である。内乱においては南部に与しておきながら意地も見せず北部に降伏し、それで爵位を失ったとなれば狂犬のように戦を求めて聖杯騎士団へ襲い掛かった。全滅は当然のことであろう……とのことだ。


 二人目に、筆頭貴族ユリハルシラ家の嫡子であるところのルーカス・ユリハルシラだ。兵権を私にして勇者に立ちはだかった彼のことを愚者とする言説がある。


 曰く、権門の生まれでありながら無知蒙昧の者にして、その無思慮から失笑するよりない奇行の多き男である。自らが鍛えたわけでもなしに、精強なる兵を指揮する興奮に溺れ、勇者とも龍将軍とも匹敵する己を空想して無為な戦いに逸った。壊滅しても己一人は逃げのびた辺り、卑怯でもあろう……とのことだ。


 そして三人目は龍将軍マルコ・ハハトだ。新時代の英雄であり未来の王配とも目されているところの彼をば、徹底的なまでに侮辱し貶める言説がある。


 曰く、人心の荒廃と瘴気の腐食に沈む辺境の村の生まれにして、王女への身分を弁えない恋慕をもって野獣の如く戦ったおぞましの男である。その若さと血縁背景の欠如からユリハルシラ侯に便利に使われたことを勘違いし己を英雄視する思い上がりを見せて、火撃などという私兵を率いて野を駆けることの野蛮さは馬賊の粗暴に酷く似る。


 忠義と愛国の顔は偽りである。稀代の成り上がり者にして、無法無教養の男……彼はあるいは狡猾であるのかもしれない。彼が駆ける先には用意されたように戦争の悲惨がある。彼は戦禍を踏み台にして成り上がった。災厄の申し子だ。


 もしも全てが偶然でないのだとすれば、彼こそは新時代に現れた魔人なのかもしれない。勇者は彼を討つためにこそ世に顕現なされたのかもしれない。勇者は見事にその使命を果たされたのかもしれない。


 敬虔にして文化を尊ぶ人間であるならば、今こそ、勇者の聖なる御働きの後を継ぐべきではないだろうか。


 マルコ・ハハトを罰し、彼の跳梁を許した諸々の悪徳を正すべきではないだろうか。


 それこそが、それだけが、人が神の愛に応えるための手段ではないだろうか。


 王国の新時代にまつわる全てをマルコ・ハハトという一個人の罪科であると総括し、これを裁き改めることをもって国体に聖性を回復することを企図する……そういう論調である。


「教会め……!!」


 握力が弱められず文面が揺れる。レオは王都における不埒な動きを教会の主導によるものと断じていた。恐らくはヨアキム・ベックの王都入り以前から全ては用意されていたのだろうと思う。勇者の行動がどのような結果を生もうとも、それを礼賛し新王政を批判する腹積もりであったに違いない。


 そして、あってはならない動きすらも王都に蠢いているという。


 国軍である。


 対帝国戦争において大きく兵力を損じつつも、今や五個師団五万を数えるまでに再編の進んでいた王国最大の軍隊である。その統帥権は大陸に二つしか存在しない龍の旗……アスリア王国においては東龍大旗と呼ばれる一旗に付属するものとされている。旗を司るのは王権の長たる国王だ。


 しかし、女王パウリーナは東龍大旗を玉座の背に飾っていない。統帥権の保有を宣言していない。


 東龍大旗は即位に際し東方大司教より貸与されるという建国の厳法を順守しているためだ。軍備を整えることはすれども一切の命令を発していない。現状、国軍は国政から半ば独立しているとも言える。


 その国軍の中にも不吉なきな臭さが生じているのだ。


 表立っての異変は特に確認されていない。王権の監督の下に軍は整然とその力を回復させ続けている。ところが軍施設とは別な場所に蠢動があった。高級士官向けの酒場や南部貴族の王都屋敷などである。夜会、集会の類が連日開かれている。複数名の国軍将校が女王批判勢力と同調行動をとっているとの疑いがあるのだ。


 あるいはと予想されていたことではある。内乱終結により判明した事実として、教会による人材汚染があったからだ。


 それは教会経営の孤児院に育った者が間諜どころか暗殺者紛いの行動をとっているという衝撃的な内容を中心としていた。そういった生い立ちの者が優先的に使用人や兵士へ採用されてきた慣習的背景もある。発覚以後は素性調査や思想検査が徹底され、あらゆる現場で人員の様変わりが見られた。


 不十分なのだ、そこまでしても。たとえ出自や身元が明らかであっても、教会との内々の縁を結んだ者は国軍将校や国政官僚にも数多く存在するからだ。


 その動機が利益によるものなのか、それとも教義によるものなのか、それはわからない。新時代の国内勢力図において劣勢に立たされた者が権勢獲得の手段を求めたという側面もあろう。行禍原開拓計画に反対する勢力も複数確認されている。女王パウリーナの資質を疑問視する声も未だ絶えない。いちいちを論ずればきりがないほどに問題は多い。王国は未だ一枚岩にほど遠い。


 そして今、危機が訪れている。不協和音が王国の天地を震わせている。


 帝国皇帝を退け王国内乱を平定したその大なる勢いでもって抑え込まれ、潜在するに留まっていた様々が一気に表面化してきた感がある。切っ掛けはただの一事であるとレオは見極めている。


 マルコ・ハハトだ。


 あの凄まじき男が倒れたという一事が、王国に百万千万の危険を招来したのだ。


 彼は一個人としては巨大に過ぎた。彼がただ在るだけで放たれる威圧というものがあって、それが王国を広く覆っていた。新時代の躍動は彼の存在が大前提であり絶対条件となっていたのだ。


 実際、全ては彼の業績である。


 対帝国戦争においても、王国内乱においても、重要な軍事的勝利には全て彼が関わっている。まさに常勝無敗だ。向かうところ敵なしだ。その軍才は戦史に記録され、人の歴史が続く限りもはや消えることはないだろう。誇張なしにレオはそう確信している。


 だが彼の業績は軍事のみに非ず。王国北部の復興や南北の経済構造改革など、彼が計画に携わった諸々が王国新時代を力強く前進させている。人の営みに活気をもたらしている。


 彼に才無きものといえば芸術くらいのものだが、それにしたところで絵画や歌劇の題材として己の姿なり戦歴なりを提供している。


 彼が災厄の申し子? 冗談ではない。彼こそは革新の先導者であろう。


 レオはこうも思う。


 後世の歴史は女王パウリーナを語るに際し、マルコ・ハハトの忠誠を得た君主としてのみ評価するのではないかと。そしてそれは他の何よりもとてつもない業績ではなかろうかと。


 少なくともレオにはマルコ・ハハトの忠誠を得ることなどできはしない。想像もできない。それはしかも彼ばかりの話ではない。


 ダニエル・ハッキネン、アクセリ・アーネル、オイヴァ・オタラ、ラウリ、ヤルッコ……そしてクスター。


 彼が特別の将軍位を得るより以前から彼へ主従の誓いを立てていたと思われる、あれら見事な男たちにしても同じだ。己の配下とすることはできないと納得している。


 マルコ・ハハトが倒れたことで図らずも体感させられたことがあり、それが自覚を新たにさせた。


 心身が軽いのだ。


 錯覚かもしれないが、レオは己の体重が俄かに減じた気がしてならなかった。何か張りつめていたものが途切れ、強張っていた身体から力が抜けていくように感じられる。そのくせ腰は重い。足が前へ進まない。ともすれば何もかもを投げ出して流れに身を任せたくなる。


 レオはこの感覚に覚えがあった。青年の頃のことだ。豪勇にして厳格なる父が病没し、サルマント伯爵位を受け継ぐまでの間の日々……世界の広さが他人事に映り、その一方で寝起きする部屋が素朴な魅力をもってレオを包んだ。父の声が聞こえない朝の、あの奇妙なる解放感を思い出す。


 厳父か、マルコ・ハハトとは。


 齢十九歳の英雄は王国を叱咤教導するようにして存在していたのではないだろうか。

 

 そうであるならば、彼を主と定めた男たちは臣であると同時に子でもある。彼という父性に見出され、大いに期待され、厳しく鍛えられて……当人のみでは到達し得ない領域にまで己が才覚を磨き高めているに違いない。革新の申し子とでも言うべきか。男たちの見事さには理由があるということだ。


 彼らの間には余人の入り込めない絆が生じていよう。そしてそれこそが希望であるとレオは思う。


 これまでの危機はマルコ・ハハトがその凄まじさでもって解決してきた。それが厳然たる事実だ。しかし今回は違う。身の凍えるような噂は限りなく真実に近いからだ。彼は勇者に勝利するも、倒れた。命に別状はないと聞いているが、その才知を発揮できない。その存在感を放てない。


 王国を襲う今現在の危機は、彼という巨人の力なしに乗り越えねばならないのだ。


「閣下、聖杯騎士団より面会の希望が……」

「謝絶しろ」


 配下の者の声を遮って発言した。二の句を告げさせずに続ける。


「先にも使者は通すなと命じたぞ。レオ・サルマントは体調不良だと伝えさせたはずだ。苦い薬湯を飲んで寝込んでいるゆえ、回復するまで大人しく待っていろと付け加えておけ」


 それで済んだと思いきや、配下は命令に反してその場に留まっている。何事かと顔を見れば、複雑な緊張を表情に絡ませて言う。


「使者ではありません。指揮官が来ているのです」

「あの小娘か。教会とはつくづく……!」

 

 レオは憤懣を原動力として立ち上がった。物に当たらぬよう自制するのにも努力を要した。大股に天幕の内を歩いて外へ出た。


 ここは陣中である。サルマント領軍五千が臨戦態勢を整えて待機している。


 場所はカリサルミ領の南西にして南にエテラマキ領との領境を見る位置だ。昼とも夕とも知れない曇天の下、伯爵旗が不穏の風に湿った音を立てている。岩崖の合間に木壁を設営して南への備えとする一方、本陣を挟んで北側にも木柵を三重に配している。それは北への備えだ。


 この不可思議な形は事前にマルコ・ハハトより渡された設計書に基づいている。レオは今更ながらに思う。勇者の出現は予想されていたのではあるまいかと。そうならば様々に納得できるからだ。


 要害の地に栓のように建設されたこの砦……勇者を通過させたる後は追加の兵を阻み、事と次第によっては敗走してきたかもしれない勇者を逃さず仕留める……そのための用意だったのではないだろうか。


 少々の疑問は残る。北側に矢倉を建てることを禁じられている点だ。乾濠についても北側については木柵と木柵の間のみと限定されている。十分な施設を構築する南側に比べると心許ない設計だ。


 それは勇者をこの地にまで逃さないという自信の表れであろうか。それとも領軍の兵気が内側に籠りきることを嫌ったものか。


 いずれにせよ、脅威は南側にのみ存在しているのが現状だ。


 聖杯騎士団が野戦陣地を築いている。初めは一千三百の兵力であったものがこの数日で何倍かに膨れ上がった気配がある。上がる炊煙の数が違う。掲げられる旗の数が違う。放たれる戦気の迫力が違う。


 今日明日のことかもしれない。


 幾多の戦場で磨き抜かれた闘争の嗅覚が、レオに戦いの始まりを予感させている。呼吸の度に鼻の奥から下腹にかけてきな臭さが行き来するのだ。知らず身体に漲る力がある。眠りは浅くなり、常にないほど夜目が利くようになった。理屈よりも先に本能が戦に臨まんとしているのだ。


 それ故に、南の門へと至った時には全てが整っていた。レオは宣戦を告げる、もしくは受けるような心構えでもって階段を登り、木壁の上へと己が姿を現したのである。


「あれえ? 勇ましいよ? 具合が悪いとか言ってたのに……驚きのニナだよ」


 瞬間的に殺意を覚え、レオは門前に下馬もせずいる三騎の内の一騎を睨みつけた。


 この緊張の地にあっては場違いにも程がある金髪の少女騎士が、聖騎士を両脇に従えてそこにいる。年の頃はマルコ・ハハトやルーカス・ユリハルシラよりも若い。末娘サンドラよりは年上だろうが、口調の響きについていえばこちらの方が余程に幼稚で、それが何とも気に障る。


 名はニナウルスラ。信じ難いことに役職をもって聖騎士を指揮する者である。


「戯言無用。用件を聞こう」

「門を開けて? 私たちを通して? 勇者様のご遺体を回収し奉らなければならないの。聖杯島へお運びし奉らなければならないの。王国の人間なら、それがどれだけ聖なる行いかわかるよね?」


 両手を組んで上目使いに言う。拳に力は入る。


「断る。聖杯騎士団には王国領内の自由通行権など認められていない。エテラマキ領に駐屯していること自体、重大な問題があると知れ」

「勇者様はお通し奉ったのに?」

「……王国は聖定の勇者に対して閉ざす門戸を持たない。それはしかし聖杯騎士団に対してもそのままに適用されるというものではない。勇者が率いる軍であれば通す。そうでなければたとえ東方大司教が率いていたとして通すものではない」

「勇者様を弑し奉っておいて?」

「……龍将軍は勇者と相対し、戦いに及んだ上でこれを打倒した。龍将軍は王国の英雄なれば、彼に対し軍を向けた勇者の行動にこそ私は疑問を感じる」

「ふぅん……そういうこと言うんだ。サルマント伯爵が勇者様の御行いにケチをつけるんだ?」


 身振りや話し方のいちいちに怒りを誘われながらも、レオは品位の保持に努めた。


「ねえ、先の勇者様がいらっしゃらなければ亡き者、もしくは亡国の奴隷でしかなかった伯爵さん。ねえねえ、サル領かペテ領か、帝国軍のそんな気紛れで偶然に死ななかっただけの伯爵さん。本当にそういうこと言っちゃっていいのかな? 神様の御意思をその貴き御身に体現される勇者様に対して、たかだか伯爵の如きが大それたことを言っちゃってるよ? 興っては滅ぶを繰り返すが如き一国家がさ? その国内法で特権階級であると認めているに過ぎない、そんな凡俗の如きがさ? 神の御旗を見下ろしている不敬にすら気づかず、馬鹿を極めて、凄く大それたことを言っちゃってる……呆れ果てのニナだよ」


 努力はした、と言うべきか。


「貴公が聖騎士であることも大いに疑わしいが、先にここを通った者が勇者であったのか王姉殿下であったのか、それともただの気の触れた女であったのかもわからなくなったと言っているのだ。それともあるいは教会が奇跡と嘯く聖定とやらに問題があるものか。先代に引き続き当代までも目的半ばで敗死するとは、どうにも締まらない話だ。神の意思が聞いて呆れるわ」


 腹の底に渦巻くものを言葉に込めて発した。


 返答は風を切る鋭きもので為され、レオは抜き打ちの一振りによってそれを斬り払った。


 矢だ。


 それは問答の始まった瞬間から察知していた殺気が、一本の矢の形に結実したものである。見える三騎以外にもう一騎、奥手に潜んでいたようだ。レオは剣を鞘に納めない。怒気も露わにして、馬上に笑う少女を見下ろすばかりだ。


「あは! 神を冒涜した男が聖杯騎士団に向かって剣まで抜いた! あはは!」

「アスリア王国四侯六伯たる身に対しての暴挙、今ここにこの目で確認したぞ」


 互いに相手を指差し合って、言う。


「お前、背信者だ! あはは! 神の御旗をお預かりする身の聖務として、ここに神罰を代行するぅ!」

「その狂気をもって聖杯騎士団を僭称する賊徒と推定する。申し開きあらば、武装解除して地に伏せよ」


 少女の笑い声は去り、聖杯騎士団が整然と軍を寄せてくる。


 レオは命令を発し、サルマント領軍が防戦のために動く。


 兵数は共に五千……レオはそれを見極めて唸った……ここに合算して一万となる両軍が、要害の地を巡る戦いを始めるのであった。

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