第一章:常盤木
―――その姿を見たとき一番最初に思ったのは『美しい』ということだ。
そんなの見た数の観測者にだけ感想が存在がするだろうし、そんな下らない論理を振りかざすつもりもないが、しかしながら彼女の凛とした顔付きに自分は―――入江帆高は微かに笑みをこぼしたのである。
彼女は観測者としての意味を持ち、観測者にだけ意味を持つ。さながら跋扈するオブザーバー達に厭わない物言いをするならば、入江帆高は『人類史に刻まれた栄光』を招来してしまったのである。
―――召喚ではなく“招来”と敢えて言おう。
「問いましょう。貴方が私の指揮者ですか」
「………瑞希、なにを」
何を言っているんだ、と言いたかった。
しかし言葉を発する前に彼女は自分に語りかける。
「契約はここに成されました。指揮者指示をください」
何が何だかだった。崩れ落ちた天井から差し込む月明かりが彼女と自分を照らしていて、運命的に見えているさまだが、状況の意味が何一つ分からないのは変わりがないということを再認識する。
「なあ―――」
「サーヴァントの気配を感知。直ちに仕留めます」
自分の言葉を聞かずに文字通り壁をぶち破り、15メートルはゆうに超えるであろう建物を飛び出して、倫敦の街を駆け抜けて行った。
華奢な身体のどこにそんな力があるのかという考えよりも早く、瑞希に起きた異常現象をどうにか頭の中で処理しようとするが、自分程度の頭じゃ割り切れない。
彼女は少なくとも一度死にかけているのだ。気が動転していてもおかしくはない。だとしても、異常な状況に説明はつかないのだが。
彼女の言葉の節々で出た単語『サーヴァント』や『マスター』。コレが指す意味に現状理解することはない。
―――嗚呼、瑞希ミズキみずき。
「待ってくれ!」
自分も瑞希の後を追っていた。3階から飛び降りることはできないため、自身が進んだ道を巻き戻るかたちで彼女の向かった倫敦郊外を駆け抜けていた。
途中で建物の職員のような人とすれ違い何があったのか訊かれたが、その人を無理矢理引き剥がして自分は抜けていった。許可証は置いていった。
「くそったれ……!くそぉ………!」
悔しく、胸を締め付ける。やるせない気持ちの波動が血液を流れているようで、自身の息遣いと体温の熱が耳を突き刺すようだ。
思い出す。思い出してしまう。―――あの日の、逃げ出した日のことを。
倫敦の街並みは燈りが灯っていた。
重厚なレンガ造りの家々や建物、そして近代のオフィスビルが取り囲む過去と現代の融合。そんな情景に破壊と狂乱がなまじスープのように掻き回されていた。
「な―――」
刹那、黄金の極光が空を疾走する。
ビル群のガラスが酸性雨のように降り注ぐ。下中にいる人々は喧々囂々と逃げ惑う混沌と化していた。建物の価値が紙くずかのように人類の進化の象徴がいとも容易く劣化と破局を繰り返していく。
そして光の奔流が空を走るたびに、自身の体に疲労感と熱を帯びたように“少し”の体調不良が現れたが、動けなくなるほどではない。
―――しかし空に舞うのは黄金の光だけではなかった。
赤褐色にどす黒い何かを纏った閃光が光の奔流の発生源へと迫る。光の奔流が空を照らすたび、扉を叩くような音が聞こえた気がした。視力には自信のある方だった。目を凝らして光の線上を眺める。
赤褐色の光芒の正体は“征矢”だ。
確かにソレは弓で射った矢だったのだ。とてつもない速度、矢の駆け抜ける衝撃波でガラスが砕けていたのだ。人間の理解の範疇などとうに超えていたのだ。
「何をしてるのアーチャー!」
立ち止まり、逃げ惑う人々に肩を押され、背中を押され、もみくちゃにされて前へ進めずにいたとき、同じように押し返されたと思われる自分と年齢の近いと思われる少女がその惨状にそう呟いた。
「あっちから攻撃をやめなきゃ死ぬって……あぁ〜もう!」
何なのよ、と怒気を孕んだ声をあげたかと思えば。
「―――いや、いい……壊して」
この惨状に当てられて気でも狂ったのか黄金と赤褐色の光芒に両手を掲げ、悲痛にも似た叫びを上げる。
「全部壊して、全部、全部、全部―――魔術の神秘を丸ごと剥き出しにして!」
少女は祈るように、信仰するように、願った。
美しいブロンドの髪だった。しかし、やはり先ほどの瑞希と比べると見劣りしてしまうのは瑞希の魔性さがいけなかった。そんな事を思ってる間、少女がこちら側を見て一瞬目が合った。そして次に目線が泳いだ。だが目線が泳いだ先で彼女が目を見開く。困惑と恐怖と焦燥の衝撃が肩から足まで走ったようであった。
―――もしかしたら、切断された指を見て驚いたのかな。
「すみません、驚かせてしまっ―――」
「アーチャー―――!」
彼女が彼方まで届くような声を上げる。
それに呼応するように、赤褐色の閃光がこちらに向かってくる。先ほどまでの征矢とは違い、幾分か図太い。その閃光の背後から黄金の光の奔流が一、二、三と荒々しく照準の合わない極光が赤褐色を呑み込もうとする。
やがて閃光は極光を完全に躱しきり、地面に激突する。それと同時、光の柱が聳え立つ。神話の大戦さながらのようだ。神にでも祈るかと云うでもなく極光の追突によって地震かのような地響きが倫敦の大地を震撼する。思わず自分も少女も体勢を崩し、尻餅をつく。墜落地点から近かったせいか瓦礫や木片が空中に散り回り、少女とそして何より自分に目掛けて落ちてこようとする。
だが、まばたきの間に二つの閃光が少女と自分の間に割り込む。自分の目の間には先ほどまで一緒にいた瑞希が。そして少女の目の前には臙脂色の髪の女性が、片手を掲げて―――開門する。
「兵装展開……―――反理を示せ」
臙脂色の女性が一小節何かを呟いた刹那、巨大な盾が現れる。突如として現れたそれに驚く暇もなく、振り注ぐ瓦礫や木片が盾に衝突する。―――死を覚悟した。
「『神理の盾』―――!」
しかし次に見た光景もまた、唖然とするものだった。防いだのではない、霧散したのだ。迫る瓦礫や木片の数々は、まるでその盾の幾何学的な神聖文様に吸い込まれるようにして、単なる光の粒子へと分解されたのである。その盾のおかげで自分と瑞希に対して瓦礫や木片が当たることはなかった。分解という表現が合っているかは分からないがそうとしか説明がつかない。
入江帆高は気づかない。
これは物質的な装甲の厚さによる防御ではなく、世界の運行、即ち“神の定めた普遍の真理”を具現化する概念防絶。
熱、運動、呪詛、因果。
あらゆる世界の乱れをこの盾は平常化させるためにある宝具であることを。―――しかれどもそれは少女も存じ上げぬことではあった。
「排除します」
瑞希は狂戦士かのように聖剣を眼前にいる臙脂色の女性と少女に向けて青眼に構える。
「やめろ瑞希!」
自分は叫んだ。
喉が傷ついたと思うほど、自分がこのような大声をあげたのかと他でもない自分自身が驚いた。しかし彼女には傷ついてほしくなかったし、何より場当たりできではあったものの、少なくとも助けてくれた恩人たちに泥を投げたくなかった。
「………了解です。指揮者」
瑞希はそう言うと本来持つべきでなかった白髪と真紅のドレスが一瞬光りに包まれたかと思えば、もともとの黒曜のような黒髪と先程まで着ていた着衣となっていた。
「やっと話を聞く気になってくれた。セイバーちゃん?」
少女は自分が瑞希を諌めたことに驚いたのだろうか。少し考えるような素振りをしてこう言う。
「アーチャーちょっと黙って」
はいは〜い、と軽々しく発言する臙脂色の髪色を持つ女性を叱り、ブロンドの髪色の少女は自身をこう称した。
「私はハルリ・ボルザーク」
―――取引しましょう、セイバーのマスター。
そう彼女は自分に語りかけた。
※※※※※ ※※※※ ※※※ ※※ ※
倫敦・破壊された高層ビル群
―――少年と少女が関係値の変異を起こし、刹那の間に剣兵と弓兵のマスターが邂逅を果たす。
それはまさに運命が動いたとも言えた。
いや………搖いたとも、蕩いたとも取れるかも知れない。ここからが、この少年の『入江帆高』というまだ何者でもない人間のスタートラインと―――ターニングポイントだったのだから。
全てを捨てた自分が言えたことではないが。
コレだけは果たさなくてはならない。
自分は終わってしまったのだから、せめて過去に託したい。
―――しかし、まあ。
「懐かしいものだな。運命にハルリ」




