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第八話 君を追いかける夏(1)

 定期テストが終わり、夏休みがやってきた。テスト結果が返ってきた日、カナデに聞くと『一位』と書いてある紙切れを見せてくれた。固まっているわたしに、カナデは興味なさげにあくびをしながら「家族がうるさいから、仕方なくね」と教えてくれた。だけど、ろくに授業に出ていないのに、一位って……。元々東高を志望していたカナデは、やはり頭の作りがわたしとは違うのか。微妙な順位が並んだ自分の結果表を隠しつつ、少しだけ情けない気持ちになった。 


 こうして、夏休みが始まった。若葉と日菜子は部活があるから定期的に登校するようだけど、わたしは帰宅部なので学校に行く用事はない。習い事もしていないし、遊びに行くような友達は……いなくはないのかもしれないけれど、みんなそれぞれ予定があるかもしれないし。だから、わたしは当初、夏休みの暇を持て余す予定だったのだ。


 まだ暑さも控えめな午前中、早起きをして学校の最寄駅にやって来ていた。目的地は、カナデと練習に使っているカラオケ屋。足早に進み、いつもはカナデとくぐる自動ドアを、今日は一人で抜けた。一人で来るのは初めてで、ちょっとだけ緊張している。楽器ケースの持ち手をぎゅっと握りしめて店内に入ると、いつもの店長ではなく若い男性店員がいた。初めて見る店員さんだけど、どこか見慣れた雰囲気がある。お洒落な丸い髪型が目立っていて、なんだか不思議な存在感がある人だった。


 店員は慣れた手つきで受付を済ませ、部屋番号が書かれた伝票とドリンクバー用のグラスを渡してくれた。その際に、わたしが手に持っていた楽器ケースをちらりと見る。


「……楽器の練習で、ご利用なんですね」


 低い柔らかな声で話を振られ、つい驚いて身を震わせる。共学に通っているはずなのに、男の人と話す機会なんてあまり無いから……余計落ち着かなくなってしまう。


「あっ、はい……! ええと……自主練、で」


 うろたえていると、店員は長い前髪の向こう側に隠れた瞳を細めた。その笑顔はどこか安心感があって、一瞬どきりとしてしまう。


「そっか。頑張ってね」


 片手を振る店員に見送られながら、そそくさと背中を向ける。途中、ドリンクバーに立ち寄ってコップに烏龍茶をなみなみ注ぎ、その場で勢いよく飲み干してしまった。


 わたしは薄暗い部屋に着くなり楽器ケースを開け、トランペットを取り出した。照明を反射する金色のトランペットは、僅かに夏の空気を帯びて温かい。カナデに教えてもらったウォーミングアップに取りかかり、楽器に身体を慣らしていく。しばらくそれを続けて、課題の練習曲に取り掛かった。


 わたしは焦っていた。ほのかの演奏を聴いた時から、あの音色が頭にこびり付いて離れない。あの日聴いたほのかの音色は――まさしく、カナデを支えるために作られたものと言っても過言ではなかった。華々しい輝きを持ったカナデの音を、優しく包み込んでいくような柔らかい音。素人のわたしでもわかる程に、長年の歴史をもって培われた二人の相性は……。


 カナデとほのかの関係が修復された今、カナデが再び、ほのかを選んでしまったらどうしよう。本当は、同じくらいのレベルの人と一緒に演奏をしていた方が、楽しいんじゃないのかな。きっとカナデに尋ねても、優しく「そんなことないよ」と返されてしまう。だから、わたしは今――できることを。ほのかに追いつくことは無理だとしても、せめてカナデに見捨てられてしまわないように。少しでも努力をしようと思っていた。


 焦って指がもたついて、メロディーが途切れた。湿った唇が滑って、狙った音が外れる。こんなのじゃダメ、到底カナデには見せられない。室内は冷房が効いているはずなのに、汗が顔を伝っていた。


 深呼吸をして、もう一回。余計な力を抜き、教わったことをすべて思い出す。カナデの音をイメージしながら……鳴れ! だけど勢いよく狙った音は的から外れ、場違いな音が大きく鳴った。


 また失敗、どうして。カナデが教えてくれたことが……できていない。


 楽器を持つ手が汗ばんでいた。カナデに認めてもらいたい――その気持ちが強すぎて、どんどん空回っていく。焦りが音に乗り移ったみたいに、音楽はどこかちぐはぐに崩れていった。


 がむしゃらに吹き続けていると、気づけば終了時刻になっていた。吹きすぎたせいか唇はひりひりと痛み、最後の方は音も鳴らなくなってしまった。わたし、全然吹けない。こんなことになるのなら、自分の気持ちに気付かないほうがよかったのに。涙が溜まっていた両目を拭い、項垂れながら楽器をケースにしまい込んだ。


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