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第五話 金色と銀色の別れ(7)

***


 ほのかと別れて帰宅すると、電気も付けずにベッドへ倒れ込んだ。制服がしわになるかもしれないけれど、着替える気力は残っていない。ほのかが語ったカナデの過去。何かを感じていたけれど、退部して登校拒否……。


 枕に顔を埋め、指先でぎゅっと握りしめる。生真面目なほのかが、わたしに嘘をつくとは思えない。全部、本当なんだろう。楽器が上手すぎて部で浮いて、当時のカナデはどれだけ孤独だったんだろう。凡人のわたしは一生理解することはできないと思うけど、カナデに……わたしが何かしてあげられることはないのかな。


 顔を動かして、部屋の隅に置いたほのかとお揃いの楽器ケースを眺めてみる。……このトランペットは、カナデの過去の象徴なの? カナデは、これを手放したかったの? それとも――わたしに、何かを託したかったの? 答えなんて、いくら考えても分からない。分からないけれど――それでも、わたしは受け取ってしまった。だから、もう目を背けられない。


 暗闇の中で目を瞑りながら、ほのかの言葉を思い出す。


『奏と、昔みたいに友達に戻れたらって思うんだけど……。さっきの奏の態度を見ると、もう……無理なのかな』


 寂しそうだった、ほのかの笑顔。小学校四年生からずっと一緒に頑張ってきて、強い絆で結ばれていたはずの二人なのに。……カナデには、わたしの知らない時代にそんな大切な子がいたなんて。当たり前のことなのに、そう思うと――少しだけ気持ちが沈んでいく。


 重い身体をベッドから起こし、放り投げていた鞄の中からスマートフォンを取り出した。画面を点けると見慣れた待受画面が眩しくて、つい目を逸らす。通知が来ていないのを確認し、メッセージアプリを起動する。トーク画面の一番上には、カナデのアイコンが並んでいた。


 どうしよう。躊躇しつつも、カナデのアイコンをタップする。ほのかに話を聞く前のやり取りが残っている画面を眺めながら、文字を打ち込もうとするけれど……何と打てばいいのか、分からなかった。迷う指先で文字を打ち込み、何度も削除ボタンを押す。並べた言葉は、どれもしっくりこなかった。唸りながら、しばらく画面を見つめる。……この気持ち、文字じゃダメかも。わたしはもう、立ち止まっていられない。――逃げないって、さっき決めたばっかりだ。勢いで、通話ボタンを押してしまった。


 暗い部屋の中で、コール音が響き渡る。身体から、じんわりとした汗が噴き出ている。息を長く吐きながらも、心臓がばくばくと高鳴っていた。やっぱり電話なんて……そう後悔しかけたとき、音がぷつんと切れた。


「……ミナ?」


 どこか落ち着いたカナデの声が、受話口から聞こえてきた。深呼吸をしたのに心臓がどくんと鳴って、手が一瞬でじっとりと汗ばむ。


「あっ、カナデ……あ、あの」


 口が、慌てて言葉を探そうとして空回りする。これじゃあ、ただの挙動不審な人だ。完全に慌ててしまい、言葉が何も出てこない。あたふたとしていると、カナデの息がふっと漏れる。続けて「ふふふ……」と小刻みに声が聞こえてきて、どうやら笑っているようだった。


「……ミナったら。今日はごめん。心配して、電話かけてきてくれたんでしょ? ミナは優しいね。もう大丈夫だから、心配しないで」


「で、でも。カナデ……」


「ちょっとね……過去に色々迷惑かけた子なんだ。まだ自分の気持ちが、上手く言葉にできなくてさ」


 はは、とカナデは珍しく自嘲するように笑う。カナデに、ほのかと話したことを言うべきなのだろうか。ほのかの気持ちを、伝えるべきなのだろうか。わたしは携帯を持ったまま、動けなかった。わたしは……カナデのために、何をしてあげることができるんだろう。


「……カナデ」


 名前を呟くと、電話越しに「ん?」と優しい声が聞こえてくる。カナデは優しい。二人の問題だって分かってるけど、カナデのために、わたしは……。


「……今週の土曜日か日曜日、どっちか空いてる?」


 わたしの口から飛び出たのは、突拍子もない誘いだった。自分で自分に驚いて、はっと息を呑んでしまう。だけど、ここまで言ってしまったらもう止まれない。わたしはぐっと、携帯を持つ手に力を込めた。


「今週? ……どっちも空いてるけど、どうしたの?」


「……じゃあ土曜日に、遊びに行こう」


 一瞬、スマートフォン越しの空気が止まった気がした。カナデが何かを考えているのが、沈黙から伝わってくる。


「……え?」


 間の抜けた声が返ってきて、わたしは少しだけ口元を引き締める。そのまま勢いに任せて、言葉を繰り返した。


「だから、カナデ……遊びに行こう!」


「珍しいね。急にどうしたの?」


「わたしが……カナデと一緒に過ごしたいなって……思って!」


 途端に恥ずかしくなって声が小さくなると、カナデがふっと息をつく。少し間があって、柔らかい声が返ってきた。


「そっか。じゃ、土曜日ね。……ミナとのデート、楽しみにしてるよ」


「えっ? 何言ってるの……! 別にデートじゃないから!」


 電話越しにカナデが笑い出して、からかわれているのが悔しかった。だけど、その楽しそうな声に、わたしも安心して笑い返してしまう。


 ただの思いつきだけど……カナデとどこかに遊びに行こう。カナデが抱えている悩みが、少しでも軽くなるように。少しでも気が晴れるように。わたしにそんなことができるか分からないけど、やってみる価値はあるかもしれない。


「……楽器は持っていかない方がいいよね?」


 冗談っぽく言うカナデに、頷く。もちろん、楽器はない方がいい。カナデの演奏を聴きたい気持ちは確かにあるけれど、それでは遊びに行くとはいえない。今回は――カナデにトランペットを教えてもらっているわたしじゃなくて、ただの友人の春日美奈として、カナデに向き合ってみたかった。


 それからいくつか雑談を交わし、だいぶ電話に慣れてきた頃に通話は終わった。啖呵を切ったはいいけれど、どうしよう。わたしは真っ暗な部屋で立ち尽くしたまま、カナデのアイコンを見つめる。部屋は暗いままなのに、スマートフォンの画面だけがやけに明るく感じていた。土曜日、何をすればいいんだろう。どうすれば、わたしはカナデを笑わせられるかな。わたしはゆっくりと画面をなぞり、どきどきしながら『高校生 デート おすすめ』と検索バーに打ち込んだ。なんて……別にデートじゃないんだけど。



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