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第五話 金色と銀色の別れ(3)

 彼女が連れてきたのは、駅前のドーナツ店だった。ショーケースからもちもちの苺ドーナツとカスタード入りの苺ドーナツをトングで取る彼女を見て、可愛い子は可愛いドーナツが好きなんだな、なんて思う。わたしも空気を読み、蜂蜜味のチュロスドーナツをトレイに載せた。その様子を見て、彼女は「それ、私も好きです」と言って微笑んでいた。


 同学年っぽい子に奢られるのは気が引けたけど、レジ前で何度も「奢らせてください!」と言う彼女に負けて、ドーナツとアイスココアをご馳走になる。彼女はピンクのドーナツ二つとミルクティーを注文し、奥の二人席へ移動した。ソファー席をさっと譲ってくれる気配りが優しくて、直感的に彼女は“いい子”なんだなと思った。


「突然誘ってしまってごめんなさい。私、東高の天台ほのかっていいます。奏とは、小中が一緒で……」


 ほのかはミルクティーを飲んで、意を決したように口を開いた。だけど次第に声が小さくなって、言葉が詰まったみたいに止まってしまう。俯いて、どこか上目遣いでわたしを見た。大きな瞳が揺れていて、わたしは咄嗟に掌をぎゅっと握りしめる。


「あなたは、奏の……高校のお友達で、いいんでしょうか」


 “高校のお友達”――その言葉に、一瞬だけ息が止まる。わたしはほのかの澄んだ目を静かに見据えて、頷いた。


「……わたしは海浜高の、春日美奈です。カナデとはクラスは違うけど、同じ高校で……」


「そっか、奏……。海浜に、行ってたんだ……」


 ほのかはなんとも言えない、苦虫をすりつぶしたような違和感のある笑顔で微笑んだ。それはどこか無理をしているような、今にも泣き出してしまいそうな、そんな表情だった。同じ中学出身のほのかが、カナデの進学先を知らないだなんて……聞けなかったのか、本当に知らなかったのか。戸惑ったわたしの心情を察してか、ほのかは目を伏せて話を続けていく。


「奏、中三の途中で学校に来なくなって、最後まで会えなくて……。一緒に東高受けようって言ってたんだけど、いなくて……。海浜を、受けてたんだね……」


 その言葉が、心臓にナイフのように突き刺さった。東高校は、県内有数の進学校だ。東高に行けば大半の生徒が難関大にストレート合格できるという噂もあるくらい、勉強のできる生徒が集まっている。そのうえ部活動も盛んな、紛うことなき文武両道校だ。その東高と偏差値の差が十くらいあるのが、わたしの通う海浜高校。海浜高校もいわゆる自称進学校だけど、東高との間には深くて大きな溝がある。


 東高を目指していたカナデが……中学に行かなくなって、海浜高に来ているなんて。息が止まって、背筋がすっと冷たくなる。いつか聞いた、カナデの入試の成績が首席であるという、そんな噂を思い出した。


「奏とは、小学校の音楽クラブで知り合って。当時から一緒に、トランペットを吹いていたの。このトランペットも、昔、奏と一緒に買いに行って……色違いなんだ」


 少しだけ穏やかな口調になりながら、ほのかは横に置いていた楽器ケースを膝に置いて、静かに蓋を開ける。わたしとお揃いのケースの中には、銀色のトランペットが収納されていた。少し年季の入ったケースだけど、中のトランペットは電灯の光を反射して、鏡のように輝いている。


 わたしは、自分の隣に置いている楽器ケースを一瞥する。つまり、わたしが借りているこの楽器は――カナデがほのかと一緒に買った、色違いの楽器ということになる。そんな思い出の楽器を、容易く人に貸していいのだろうか。わたしは口を噤んで、俯いてしまう。


「……奏、さっきトランペット背負ってたね。二人は吹奏楽部に入っているの?」


「いえ、わたしたち吹部には入ってなくて……カナデが個人的に、わたしに楽器を教えてくれてるだけで……。この楽器も、カナデのだし」


 何か後ろめたいことがあるかのように、言葉が少し早口になる。そんなわたしをほのかは優しく見つめながら、顔を綻ばせた。


「そっか……。奏がトランペットを続けてくれていて、良かった」


 ほのかの茶色がかった大きな瞳は、店内のあたたかな灯を反射させて濡れていた。意味ありげに呟いたその言葉を自分の中で反芻させるように、ほのかは胸を撫で下ろす。わたしはその様子を眺めながら、小さく息を吸う。


 不登校。昔の友達と、思い出の楽器。東高に行く約束。そしてさっきの、逃げるようなあの態度――……。テーブルの下で、指先が僅かに震えていた。わたしはその震えを誤魔化すように、湿った掌を力強く握りしめる。


「あの……昔……カナデに、何があったの?」


 口から、自然と言葉が出てしまった。わたしが興味本位でカナデの人生を知るなんて、本当にそんなことしていいのかな。だけど……ここまで来たら知りたいし、知らなきゃ。わたしはこれからもカナデと一緒にいたいから、逃げたくない。


 ほのかは一瞬だけ目を見開き、静かに微笑みながらミルクティーに口を付けた。細い喉が上下して、ほのかは丁寧にカップを置く。戸惑うように開かれた桜色の唇が、わたしの知らないカナデの姿を紡いでいく。

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