第151話 蒲公英(ダンデライオン)
「何の音かしら?」
比較的早い時間帯にも拘わらず、庭先で発生する音に訝しむベティス。窓枠から庭を眺めようと歩を進めた矢先、突然背後で発生した音に驚き振り返る。
見ると、部屋の扉が開け放たれ、メイドであるニッキが部屋へと入ってきた所だった。ベティスは、丁度いいタイミングとばかりに、騒音の発生理由をニッキへと問いただす。
「ニッキ、庭先で何か音がするのですけれど、貴女はこの音の理由を何か知っていて?」
部屋の中に居たベティスが、枢機卿であるビネガーの来訪の事など知る由もない。ゆえに、一階から昇ってきたであろうニッキへと、その情報を得ようとするのは当然の行動と言えた。
だが、ニッキ自身は、ベティスからの問いに対し、応えに窮する。ありのままの事実を告げ、『教会からアルス様が疑われている事が明白のようです』などと言おうものなら、ベティスお嬢様は間違いなく部屋を飛び出すだろう。その行動は、東から太陽が昇る事と同様と言えるほど確実だ。
ゆえに、グロックからの指示で勤しんでベティスの私室へと駆け込んでみたものの、その勢いとは裏腹に、言葉を饒舌に語れない。普段から基本寡黙を強いられるメイド職はこういった時の対応に窮してしまう。
口上ではエマール家随一といっても過言ではないベティス。
一方、普段あまり言葉を口にしないメイドであるニッキ。
言葉のやり取りとなれば、どちらが優位に事を運ぶことになるかなどは、火を見るより明らかである。ゆえに、ベティスの問い掛けに対し、どうすればベティスの興味を逸らせるか思いつかないニッキは、応えに窮する。
それでも、暫くの間ニッキの言葉を待つベティス。部屋の中からは一切の音が発生しない時が流れる。ゆえに、庭先で発生する音が、否が応にも際立つ。
視線はニッキへと向けるベティス。だが、耳からの情報は確実に庭先の音を捕らえていく。人間の耳は、必要な音だけを捉える機能が元々備わっている。これを、カクテルパーティ効果と言うが、ニッキとしては日常会話でも雑談でも、何でも良いから何かしらの言葉を発するのが得策であった。さすれば、ベティスの耳は、ニッキの発する言葉を捉えようとした事だろう。
暫くニッキの応えを待ったベティスではあったが、視線の先のニッキは口を真一文字に塞ぎ、両腕は前掛けのエプロンを握り絞めていた。
どうやら自分の好奇心が、ニッキを追い詰めてしまっているらしい。と、感じ取ったベティスは、踵を返すと本来取るはずだった行動である窓際へと歩を進める。
すると、すかさずそんなベティスの行動を、後ろからニッキが羽交い絞めにする。
「はぁ~!? ニッキ、あなた自分が何をしてるか判っているの? この手を離しなさい!」
「お嬢様、ダメです! 窓際は危険です!」
「危険って! ニッキ、あなた何を知っているの!?」
「兎に角、ダメなものはダメなんです! お嬢様、聞き分けて下さい」
「突然、そんな事を言われても納得出来る筈がないでしょう! 兎に角、離しなさい!」
そんなやり取りをしてる最中、いつの間にか庭先からの音はしなくなっていた。ただ、今度は室内で発生したやり取りにより、二人はなかなかその事に気付かない。
ゆえに、必死にベティスの身体を捉え続けるニッキ。ベティスは、ニッキが言葉だけでは従わないと悟ると、自身を拘束しているニッキの指を解きに掛かる。
互いの思惑が交錯し合い、言葉を交わす余裕が無くなっていく。
そして、室外だけでなく、室内にもある種の静けさが訪れた。
「ニッキ、離しなさい!」
「いいえ! それはなりません! お嬢様は、こちらでジッとなさってておいで下さい!」
「ニッキ! ニッキ! そういう事ではないのよ。何か静かになってない?」
外から聞こえていた騒音がいつの間にか途絶えていたという事に、ようやく気付く二人。
「確かに、何も聞こえないですね……。私が確認して参りますので、お嬢様はこちらでジッとなさっておいで下さい。窓枠にも近づいてはなりません! お嬢様、どうか。どうか、お願い致します。そちらを守って頂かねば、私自身メイドの職を辞さなければならぬやもしれません」
ニッキはそう言うと、ベティスに向け、深々と頭を下げる。
「もう、分かったわよ! ニッキ、では騒音が途絶えた原因を探って来てくださいな。わたくしは、ここで待っておりますわ」
ベティスは、仕方ないと嘆息気味に息を吐き出すと、ニッキの申し出に了承の意を告げる。
「承知致しました、ベティスお嬢様。少々、こちらでお待ち下さいませ。直ぐ、調べて参ります」
ニッキは、ベティスに再び深々とお辞儀をすると、踵を返し、部屋を後にした。
そして、室内にはベティス一人が取り残される。
抑えられない好奇心も相まって、視線はどうしても窓枠へと吸い込まれる。
だが、自分が無意識の内に、視界に窓枠を捉えてしまっていると気付くと、慌てて頭を振る。
先ほど、ニッキの口からメイドを辞さなければならぬやもしれないという言葉が出た。つまりは、それだけ大事な案件が庭先で起こっていたのかもしれない。
(それは一体なに? もう終わったの? もう、安全になったって事でしょうか?)
落ち着かない気持ちが、視線を彷徨わせる。ゆえに、まだ住み慣れたとは言い切れない私室を、ぐるりと見回す。
(ああ……。そういえば、この部屋にはベッドを設置しておりませんでしたわね……)
エマール家にあるベティスの私室。
そして、こちらのベティスの私室。
比べた時の大きな違いはベッドの有無だろう。
別に、今回あてがわれたベティスの私室が狭いゆえ、ベッドが置けないという訳ではない。ベティスは、皆の反対を押し切って、あえてベッドを置いていなかった。
それは言うまでもなく、アルスと一緒に寝る事を確定させる為である。ゆえに、ベッドを置かないようにした。
だが、今のベティスにとって、部屋にベッドが無いという事が、落ち着かない気分を誘発する。
エマール家で暮らしていた時は、嫌な事や落ち着かない事があると、ベッドで毛布の中に潜り込み、時を過ごした。だが、今はそれが出来ない……。
(え? わたくしは、どうしてこんなにも不安な気持ちが溢れているのでしょうか? わたくしを部屋へと閉じ込めたニッキ……。アルス様も、同様ですわよね?)
アルス様も、部屋の中で大人しくしているはず! と、思いたい気持ちが溢れるが、それと同じ量だけ不安な気持ちが、心に暗闇を齎す。
そして、ベティスは部屋の唯一の出入り口のドアへと視線を向ける。
あの扉を抜け、少し歩けばアルスの私室へと辿り着く。そして、その中にはアルス自身が居て、部屋の中には毎夜寝床を共にするベッドも設置されている。
部屋に飛び込み、アルスに抱きしめて下さいと懇願したとしても、アルスは厭わないだろう。ベッドで共に毛布にくるまって下さいと懇願したとしても、アルスは厭わないだろう。
優しくベティスを迎える、太陽のような笑みが、瞬間的に脳内を埋め尽くす。
少し歩けば、全てがあるはずだ……。あるはずなのだ!
だが、気持ちに反し、ベティスの足は動かない。
まるで、魔法で縫い付けられたかの如く……。まるで、歩き方を忘れてしまったが如く……。
(そんなはずはない! そんなはずはない!)
どんなに何度否定しても、一向に消えないベティスの不安。
そして、その不安な気持ちに向き合う時がやってくる……。
遠くから螺旋階段を駆け上がる足音が聞こえる。言わずもながら、ニッキがベティスに報告に上がる為、駆け上がってきているのだろう。
その音に、ゴクリと唾を飲み込むベティス。
どんどん近づく足音。
そして、開け放たれるドア。
「ベティスお嬢様! アルス様が!!!」
ニッキの悲痛な叫び声を聴き、ベティスの全身に力が抜ける……。
縫い付けられた足はそのままに、その場でへなへなと力なく座り込んでしまうベティス。
「お嬢様、失礼致します」
ニッキは先触れとばかりにそうベティスに告げると、小さなベティスの身体を両腕で抱え込む。そして、そのまま今来た道程を引き返すニッキ。
ベティスが連れられた庭先……。
そこでは、後ろ手に手錠を掛けられたマーレが、グロックの制止に必死に抵抗していた。
そして、口から溢れる言葉は、『離して!』と『アルス』の言葉を繰り返す。
「ニッキ、降ろして!」
ベティスの言葉に、ゆっくりとベティスを地面に降ろすニッキ。ベティスは、地に足が付くのを確認するや否や、二人の下へと駆け寄る。先ほどまで動かなかった足が嘘のように、前へ前へと必死に足を繰り出す。
「お爺様、おば様。アルス様は!?」
ベティスは二人の下へと辿り着くと、二人の服を掴み、問いかけた。
「アルスは……教会に連れて行かれたんじゃ……」
「そ……そんな……」
グロックの言葉に、またしても足から崩れ落ち、身体は自然と四つん這いの姿勢を作る。
どうやら、自分が今居る場所は、元は花壇が設置されていた場所だったらしい。だが、その花壇は今や見るも無残な景色に様変わりしていた。
ほとんどの花々が踏みつけられ、魔法で穿たれ、原形を留めていない花々たち。
ここに越してきて後、マーレの願いもあって、花壇にどんな花々を植えるか話し合ったものだ。あれが良い、これが良いと、和気あいあいと、楽しく話していた時を思い出す。
ベティスの視線は誘導されるが如く、花壇を見回す。
そして、一輪だけ咲いている花を見つけると、その花の下へと駆け出す。
ベティスが辿り着いた先。そこには、一輪の蒲公英が天に向け咲いていた。
その花の咲きようと、アルスの優しい微笑みを重ね合わせてしまうベティス。
一輪だけ残った花を両手で優しく包み込むと、ベティスは声もなく泣くのだった……。
第5章 『完』
今回の話で、第5章は完結となります。
めちゃくちゃ中途半端な所のようにも思えますが、作者としてはここで一度区切らせて頂いた方が都合が良い為、今回の話で第5章の区切りとさせて頂く事にしました。
今回のタイトルのダンデライオンですが、こちらはタンポポの英語読みになります。蒲公英、こちらは漢字表記ですね。
私の書き方として、人物の心情を深く掘り下げる事を第一としています。ゆえに、その心情は風景や物で表す事も多いのですが、今回の場合は春ですし、タンポポを太陽と見立てて採用させて頂きました。
伝わっていますでしょうか?
さて、次話からは第6章となります。
ようやくここまで辿り着きました。というのも、第6章に記載する内容は連載開始直後からほぼほぼ記載する内容が決まっている話になります。
本来であれば、もっと早くに書き進めるはずだったのですが、回り回ってどんどん後へと追いやられる結果となりました。
今度も読んで頂けるよう頑張りたいと思います。
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又、可能でしたら、ブックマーク、感想等もお待ちしております。
今後とも、拙作を宜しくお願い致します。
榊原シオン




