第141話 初出勤
アルスの初等部進学を間近に控え、一足先にゼストが新しい職場となる弓兵隊への初出勤の日がやってきた。
マーレの父から手紙を受け取り、アルスの初等部進学を期に王都に越すことを決めたゼスト一家。引っ越し先の勤め先としては、マーレとの結婚時の取り決めでもあったマーレの実家の武器屋で見習い職人から始めるつもりであった。
ただ、度々行動を共にするグロックが、ゼストの弓の腕に惚れ込んでしまった事で、ゼストの弓の腕を腐らせては勿体ないと、マーレの父カロッツェの一番弟子であるジオが後継者の席へと収まる。
無事、後継者が決まった事で、ゼスト自身は弓の腕を生かすべく、グロックの口利きで弓兵隊へと入隊する事になったのだった。
ただし、その頃はアルスがベティスと共に、精霊界へと赴いている最中。アルスを迎えに辺境地へと再度赴く必要もある為、入隊時期をアルスの進学のタイミングに合わせて貰った経緯となる。
そして、予定より早く王都へと越して来たゼスト一家。ゼストも越して来て以降、何もしていなかった訳ではない。
兎にも角にも、生活の基盤を整える必要があった。
イリエに教えて貰った洋館を買い取る事を決めたものの、その洋館自体が人が住めるような環境ではない。外見面としては、庭は荒れ放題だし、家具すら一つもない。
必要最低限の家具は、新たに購入としたものの、必要な全てを購入していたのでは、金銭面で心苦しくなる。それゆえ、空いている時間を利用して、辺境地で暮らしていた時と同様、ある程度はゼストが手作りで家具を作成する事にしたのである。
辺境地の時とは違い、木を勝手に伐採する事は出来ない為、木材を購入する事となったが、それでも出来合いの物を買い揃えるよりは、だいぶ経費を削減出来たのであった。
「じゃあ、行ってくる」
玄関ホールには、ゼストの初出勤を見送ろうと、共に暮らす家族全員が集まる中、ゼストが一声掛けた。
「ええ。あなた、しっかりね」
「父さん、頑張って」
皆、思い思いの言葉を口に見送る中、グロックがゼストに声を掛ける。
「わしも共に行こう」
「グロックさん?」
「何、わしも別に共に出勤しようという訳ではないぞ? ゼストさんを弓兵隊へと勧めたのはわしじゃからな。弓兵隊の隊長さんには、一言お礼を言わせて貰わんとな」
ゼストは、グロックの申し出に思う所はあるものの、グロックの気持ちを無下には出来ないと、共に弓兵隊の宿舎へと赴く事にした。
そして、家族に見送られながら、二人して家を後にする。
「どうじゃ? 緊張しておるか?」
宿舎へと赴く最中、グロックがゼストへと声を掛ける。ゼスト宅は、端に位置するとはいえ、貴族街に居を構えている。その為、王宮までの道程では、それほど人通りは多くはなかった。
「ええ。そうですね……。考えてみれば、俺は就職……と言って良いのかは分かりませんが、そういった事も初めてになりますから」
ゼストが生計を立てていく為にと、最初に選んだ先は、冒険者であった。冒険者ギルドへと登録し、クエストをこなす日々。最初は誰もが通る道ではあるが、登録したての頃は、冒険者ランクが低いという事もあり、クエスト毎の収入はお世辞にも多いとは言えない額。
それでも、少しずつランクを上げ、魔物討伐などのクエストも行うようになっていったが、ある程度の数をこなすと、今度は逆に魔物に傷を付けられてしまった防具などを買い替えねばならず、生活は一向に楽にならない。
そんなゼストに転機が訪れたのは、とあるパーティーに誘われてからである。元々、男四人で組んでいた所に、更に五人目としてゼストが誘われた。
今、思い返してみても、どうして自分が誘われたのかの理由は定かではない。リーダーの方針で男しか居ないパーティーゆえ、なかなか入ろうとする者が居なかった事で、手あたり次第に声を掛けていたという可能性は否定出来ない。
そのパーティーでは、前衛を務められるメンツが多かった。そして、リーダーの冒険者ランクが高い事もあり、受けるクエストはゼストが一人でやっていた時とは比べ物にならない程、高くなる。
五等分したとしても、ゼスト一人でやっていた時よりも実入りは多く、助かるのだが、やはりゼスト自身経験不足である点は否めない。それなら、いっその事後衛職に乗り換えるか。と、一大奮起し、剣を弓へと持ち変える事にしたのである。
その時の出会いが無ければ、もっと早くに冒険者を辞めていただろうし、次のパーティーで、マーレと出逢う事もなかった……。こうやって、弓の腕のみで生計を立てられるようになる事もなかったであろう。
ホントに人生とは分からないものだな……。と、ゼストは思う。
「そうじゃったか。では、そうなってくると集団行動や規律といったものに、慣れるまでが大変やもしれぬな」
「ええ。そうかもしれません」
ゼストは、そう言うとふいに立ち止まってしまう。しばらく、気付かず歩いたグロックではあるが、ゼストが隣に居並んでいない事に気付くと、振り返った。
「ゼストさん、どうしたんじゃ? よもや入隊が怖くなったか?」
「いえ。そういう訳ではないんです。まあ、これから弓兵としてやっていく事に不安が無いと言えば嘘になるでしょう。初めての経験ですからね。初めてというのは、俺に限らず誰しもが怖い物でしょう」
「まあ、そうじゃろうな。新たな試みというのは、誰しもが怖い事じゃろう。ただ、それが理由でないとするならば、いかがしたんじゃ?」
問いかけられた事で、ゼストはグロックへとキチンと、向き合う態勢を取る。
「グロックさん、今回の件は本当にありがとうございます。あのまま、マーレの実家でご厄介になっていたとしても、きっと生活は出来ていた事でしょう。ただし、マーレには少なからずご両親に対して思う所があるっていうのは、事実です。あのまま、生活を続けていたら、アルスにとって悪影響が出ていたかもしれない」
ゼストの言葉に、グロックがそうかもしれぬな。と、頷く。
「確かに、今の住居を購入した事はかなりの痛手ではありました。でも、俺は未来に不安はない。暫くは新しい職場に慣れるまで時間が掛かる事は事実でしょう。だが、家に帰れば家族が待ってくれている。そこに更に、グロックさん、ベティスちゃん、ニッキさんまでもが加わった。もう家の事は心配ない。それに、紹介して貰ったからという理由で、グロックさんが隊長さんに一言お礼を言いに言ってくれるというのに、俺からグロックさんに何も言わないのはおかしいでしょう。なので、改めて言わせて下さい。グロックさん、今回の事は本当にありがとうございました。もしかしたら、暫くの間、俺は毎日疲れると愚痴を零すかもしれない。でも、そこに後悔はありません。それだけは断言出来ます。グロックさん、本当にありがとうございます」
と、ゼストはグロックに向け、深々と頭を下げる。
「ゼストさんが、そう思ってくれておるんじゃとしたらなによりじゃ。今回の事はわしの勝手な老婆心じゃて、わしが好きでやった事じゃよ。じゃが、気持ちは素直に受け取ろう」
と、ゼストの肩に手を置くグロック。
「それに、ここは人々が行き交う往来のど真ん中じゃ。大の男が、人が見てる前で軽々と頭を下げるものではないぞ。ほら、ゆくぞ。早よせねば、初出勤じゃというのに、遅刻してしまうじゃろうが」
グロックは、そう言うや否や一人先に歩き出す。
グロックは照れ臭かったのだ。今まで、自分は貴族同士の化かし合い、蹴落とし合いといった中で生活をしてきた。ゆえに、素直に自分の心を表せるゼストが、グロックからは眩しく見える。
(わしは、やはりこの男が好きで好きでたまらないんじゃな……)
王宮へと再度歩むグロックの歩みは、家を出た頃に比べて軽い物になっていたのだった。




