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48.

アルマに先導され、左肩にがーちゃんを乗せて食堂へ行くと、なんだかすごくきちんとした一室に案内されて少々戸惑いを禁じ得なかった。

そこは中庭の見える日当たりのいいお部屋で、広々とした部屋に大きな長机が設置され、真っ白で清潔なクロスがかけられたそれには生花のたっぷりいけられた立派な花瓶が据えられ、家族分のカトラリーがきちんと並べられていた。

領地のお屋敷で普段使っている食堂は広さは前世基準で考えると広いんだけど、もう少し庶民的な雰囲気で、それに慣れているとここはゴリゴリのお貴族様の会食場所、という感じだ。

隅々まで心配りが行き届き、居心地よくしつらえられているのは見ればわかるけれど、中身庶民な私にはあまりくつろげる雰囲気でもない。


入ると既にお兄ちゃんが来ていて、アルマに先導されて兄の隣に座る。

用意されたカトラリーの位置を見るに、お誕生日席が父さんで、兄の正面が母さんだろう。

たった4人で使うには大きいテーブルなので、普段よりお互いの距離が遠いのが吉と出るか凶と出るか。


アルマが引いてくれた椅子によいしょと腰掛け、まずは一息つくと、左肩に乗せてきたがーちゃんが“なぜこんな所へついてきてしまったのか”とでも言いたげな、後悔と戸惑いがないまぜになった表情でどこか遠く、窓の外を見ているのに気が付いた。

・・・とても分かる。もっと小狭いところで一皿で全部完結するようなお昼ご飯で十分なのに、ここはそれとは対極だ。

そして、がーちゃん越しにさらに左上座にいるお兄ちゃんからもため息が聞こえてきた。


「あら、お兄ちゃんも今日は楽しくない日なのね」


がーちゃんと私とで兄のほうを向いて聞くと、きっと無意識だったのだろう、兄が取り繕うように慌てて首を振る。


「ああ、いや。・・・茶会の招待状が年々増えていてな」


「なるほど、それは面倒ね」


兄と視線が合うと、昨日正確に社交界の面倒さを理解した私と何かが通じ合い、兄はまたため息をついて私は彼に同情的な笑みを送る。

さっきアルマから貰ったヤツだ。


「フェンネル様は辺境伯兼任ですから、新年のお祝いが終わったらすぐに領地に戻ってしまわれる、とどなたもご存じですからねぇ」


てきぱきと温かいお茶を淹れてくれつつ、アルマも気の毒そうな笑みを浮かべる。

彼女からお茶を受け取った兄はますます浮かない表情だ。


「この5日ほどに招待が集中しちまう、って事ですか。そりゃまた・・・大変だ」


がーちゃんからも同情的な視線を寄せられて、そんなところだ、と短く答える兄は本当にげんなりしているようだ。


「そんなに沢山ご招待を頂いてるの?」


「ああ。昨日こっちへ来た時には、こっちの部屋の書机に小さい山が3つできていた。領地へ直接来たのと合わせたらざっと・・・いや、やめる。せっかくの昼食が、何を食べたか分からなくなりそうだ」


「もちろん全部に出るわけじゃないのよね?」


遠い目をした兄が、アルマに淹れてもらったお茶を一口すするのを待って聞いてみると、兄は力なく首を振る。


「もちろん。全部は物理的に不可能だ。・・・うちは広い領地だが王都からは遠いし、周辺諸領とはうまくやっているから、王都にいる間はできるだけ遠い領地の領主と顔を繋いだり、関係を作っておかないとならない。だからまずは取捨選択して重要度の高い領地の招待から順に出席していくことになるが、仕分けと出欠の返事をするだけでも一仕事なんだ」


「成程ねぇ。・・・まさか全部、お兄ちゃん一人でやってるの?」


ふと嫌な予感がして尋ねると、兄は首を横に振って否定する。

良かった。誰かが手伝ってくれているようだ。


「優先度についてはアルメイダ殿と相談して決めているから心配するな」


お兄ちゃんの口からその名が出て、脳裏に父の副官の怜悧な顔がよぎる。

私のことを異物のように見るその鋭い表情に、体が震えそうになるのを誤魔化すと、肩に乗っていたがーちゃんが不思議そうに私を見てきたけれど、とりあえず気づかなかったふり。


「あの人なら間違いなさそうよね。父さんはちょっとアレだろうし・・・」


「そうだな。父様は多分、俺以上にそういう順位付けは苦手だろう」


「ごめんね。でも来年からは私もお手伝いすることになると思う。そうしたらお兄ちゃんの負担も半分ですむわよね?・・・・よね?」


「ああ・・・年々招待状が増えていることを考えると、あまり楽観視は・・・できそうにないが」


私が半分お茶会と夜会への出席を受け持っても、その分これまで応じられなかった招待へ応じられる、と考えれば仕事量は減らないわけで。

・・・これが貴族のお仕事だから、嫌とは言えないのが辛いわね。


どんよりしてまた溜息などつく兄を見かねて話題を変えることにして、アルマがくれたお茶で口を湿してから少し違う切り口を探す。


「ええと・・・お兄ちゃんが婚約とかすれば、ちょっとは減らないかしらね、招待状」


あわよくば気になっている子がいるかどうか聞きだせるし、そしたらその子の人となりを観察した上で応援できるから、と婚約を話題に乗せてみると、兄の表情はますます暗くなってしまった。

―――しくじったわ。安定のしくじり感よね、さすが私。自分でも嫌になる。


「減る、だろうな。年々増える招待状はどこも大体未婚の娘がいるようだから」


「そう。・・・あの、あちこちの夜会とかへ出席してて、いい子だなって思う女の子はいなかった?―――誤解しないでちょうだいね。将来の私のお義姉さまになるかもしれない方に興味があるだけで、お兄ちゃんの婚約に口出ししたり、ましてや邪魔したりなんか絶対にしないから」


「そうですね。ご主人はレオンハルト様にお幸せになっていただきたいだけで、お相手がどんな種族や身分の方であれ仲良くやってけると思いますよ。俺みたいなのでも受け入れる度量の広いひとですから」


地雷原の端っこをおっかなびっくり歩く私に、すかさずがーちゃんからの援護が飛ぶ。

ありがたい。ありがたいわ、この子。


ちょっとした話題の転換だったはずの婚約の話を、あまりにも力強く「邪魔しない」と明言しすぎたのか、ちょっとびっくりしたように私たちを見ていた兄は、やがて疲れたように笑ってポツリと答える。


「決めるのは俺じゃないさ。家にとって都合のいい相手を、時期が来れば父様なりアルメイダ殿が見繕ってくる」


「え・・・それって・・・。いや、お兄ちゃん。そこは私に任せてもらえないかしら」


あるいは好きあった相手との幸せな結婚、という道もあるだろうに、最初から貴族の結婚なんて親同士が家の都合で決めるものだ、と思ってしまっている兄がなんだか気の毒で、私は自分の薄い胸を張る。

そうしてみても、あんまり頼りがいはなさそうだけど。


「任せる・・・?何を?」


「だから、政略結婚よ。私がするわ、家に都合のいい婚姻」


きっぱり言い切ると、兄とがーちゃんがほぼ同時に『は!?』と声を上げ、二人とも驚いたような表情で私を見てくるので、何かしらこれは、私ってば結婚に夢を見ている系女子だと思われていたのかしら。

・・・この喪女を捕まえて、よりにもよって結婚に夢を見ている、と。

逆に教えてほしいわね。

どうやって結婚に夢を見られるのか。

幸せを夢見て婚約し、どこの馬の骨とも知れない相手に婚約者を取られた挙句、最悪は愛した婚約者に殺される運命のこの私に。


「私だって今やもうお貴族様よ?好むと好まざるとにかかわらず、すでに税収でご飯を頂いてしまったわ。であれば養ってくれている領地のためにお仕事するのが道理。夜会に出てフェンネル領を宣伝したり、いざと言う時頼れるお友達を作ったり・・・・これについては鋭意努力中だけど・・・とにかく、領地のためになることはするわ。お仕事だもの。―――政略結婚は、その最たるものよね。選択肢から外せるわけがないわ」


ない胸を張って堂々と言い放つと、がーちゃんと兄はぽかんとした表情でしばらく私を見た後、何か知らないけれど二人で視線を交わして無言の意見交換をしていた。


寿命以外で死ぬのは勘弁だからお断りしたい婚姻も勿論あるけれど、少なくとも光の国から来る少女の邪魔はしないのだから、慎重に綱渡りすれば例の会の構成員と婚約状態にあってもあるいは生き残れるかもしれない。

そして、生き残る場合は婚約破棄されるだろうけど、アンジェラに良縁をタダでくれてやるつもりも毛頭ない。

優先順位は自分の命が一番・・・と言いたいとこだけど、状況によって領民と家族が上にくるかもしれない・・・としても、我が身と領地、家族を守ってまだ余裕があれば絶対に相手には引っ掻き傷くらいでは済ませてやらない所存だ。

徹底的に私は悪くなく向こうが一方的に婚約を破棄する、という状況を作り出して維持して周知する。

そして、未来の婚約者殿には元婚約者になられる際には私に対して大きな負い目を感じて頂く。

返しきれない借りがある、と思わせるのだ。

そうして罪悪感という首輪をしっかりつけて、鎖でつないでおけば便利な下僕の完成、というわけ。

国境でもめ事が起きたり、最悪の事態になったりした時に鎖をぐいと引っ張って、うちやお兄ちゃんの代わりにひと働きさせる、って寸法だ。

・・・なんだ、結局鎖に下僕を繋いだ“女王様”になるのね。


「ミザリーはどこにもお嫁に行かなくていい」


背後から低い声が聞こえ、びっくりして振り返ると父さんが入ってきたところだった。


「その覚悟は立派だと思うけどな。でも父さんはミザリーにも、レオンハルトにもきちんと好きになった相手と幸せになってほしいんだ。家の事なら、心配するような状況じゃない」


父さんは私たちのところへ歩いてきて、私と兄の間に立つとそれぞれの頭に手を置いてくしゃくしゃと撫でまわし、その勢いに負けて揺れる肩の上でがーちゃんが慌ててバランスをとるのを感じつつも私はその大きな手になされるがままになっていた。

やがてひとしきり私たちを構ってから、兄と変わらないくらい疲れた様子の父さんが自分の席に着き、そのタイミングで息せき切らせた母さんも食堂へ飛び込んできて、待たせてごめんなさい、の言葉とともに慌てて座を占めると、やっとお昼ご飯が始まったのだった。










「どうぞ気を付けて行ってきてね。できるだけ早く帰ってこられるよう祈ってるわ」


食事を終えて一息ついて、お兄ちゃんがお茶会に出かけるというので玄関先まで見送りに出て、馬車の窓の向こうにいる兄へとそう声をかけると、兄から諦めの色が濃い笑みが返事代わりに返ってくる。

今日はどこかの侯爵家のお茶会へ出るそうだ。

昨日の今日なのでさすがに夜会の招待はすべて断ったそうだけど、きっちりと礼装に身を包んだ兄は全然楽しそうには見えない。

昨日みたいなやつが連続で続くとなると、私もげんなりしそうだわ。


「・・・行ってくる」


絞り出すようそう言って、兄が馬車のドアを軽くノックすると、それを合図に御者として同乗している兄の従者の少年が馬に鞭を当てる。

すると二頭立ての馬車は滑るように動き始め、手を振る私に窓枠越しに軽く手を振り返す兄を乗せて、車輪の音と蹄鉄のリズミカルな音を響かせながら馬車は走り去ってしまった。


本邸よりも小さい王都公邸ではあるものの、玄関から表門まではそれなりに距離があって、すぐ隣に停まっていた時よりずいぶん小さく見える馬車が門に到達したらしく、普段は閉じられた門がゆっくり開き、速度を落とした馬車が通り過ぎるのを見送ると、私は踵を返して後ろに控えた侍女たちに声をかけた。


「じゃあエルメラちゃん、簡単で構わないから必要な場所を案内してもらえるかしら」


私の午後の予定は、公邸内の把握だ。

ちなみに、母さんはどこかで別のお茶会だとかで昼食を摂ってすぐ慌ただしく出て行ってしまっており、父さんはどこにいようと逃れられない領主としての書類仕事のためこちらの執務室にこもっている。

・・・私一人予定がないわけだけど、あまり深く考えると社会に必要とされていない人の気分になるので、あえて考えないことにした。

まぁ何にもできない貴族のお嬢さんなんて割と社会に必要とされてない人なんでしょうけど。


「はい!まずはどこからご覧になりますか?私のお勧めは中庭なんです!前庭もいいんですけど、中庭は皆様のために庭師が特に丹精してて、冬でも見ごたえがあるんですよ!」


私が水を向けると、後ろに控えていたエルメラちゃんがキラキラした目を向けて、楽しそうに話し始める。

仕事らしい仕事ができるのが嬉しくて仕方がない、という感じだ。

必要なとこだけざっと見られたらいっか、と思っていたけれど、これは彼女に付き合ってお屋敷ツアーに参加するしかなさそうだわ。

社会に必要とされてない人でも彼女に充足感を感じさせてあげられるのだから、やらない手はない。

兄のお見送りという事もあって、私付きの侍女3人が全員付き添ってくれているのだけれど、3人それぞれに温度差がある。

楽しそうなエルメラちゃんの横にいるアルマは今にも“寒いから外はほどほどに”とでも言いたそうな表情で、さらにその横のミケーラは私を見て小さく笑みを浮かべており、私がいる限り庭から始まるお屋敷ツアーに特に何の不満もなさそうだ。


「じゃあ中庭を見せてもらえるかしら」


そう言って笑みを向けると、エルメラちゃんの笑顔の輝度が数段上がる。

何ルクスか分からないけど、輝くばかりの笑顔、とはこういうのを言うんでしょうね。

久しぶりの主人一家の来訪で、およそ初めてと思われるお嬢様とのひと時を彼女が心待ちにしていたのがよく分かる笑顔だった。

おお・・・意外と役に立つのかもしれないわ、社会に必要とされてない人も。


「・・・ご主人、水を差すつもりはないんですけど、あれ」


相変わらず左肩にとまっているがーちゃんが後ろを見ながら何事か告げてきて、何かに気付いたらしい彼の注意喚起に従って私も振り返ると、先ほどお兄ちゃんを乗せた馬車が走り去った正門の方向から、何か動物の一群がこちらへ向けて駆けてくるのが見えた。


「・・・何かしら、あれ」


思わずそう呟くと、ミケーラがまるで私を守るようにさっと前に出てきて、こっちへ走ってくる一団へちょっと困ったような視線を向ける。


「多分狼ですよ。・・・あれ?あの後ろのほうにいるのって、ご主人のリンクスじゃありません?」


毛玉みたいな四足の獣がこっち来るわね、と思っていると、私よりも目がいいらしいがーちゃんがそれは狼だと指摘した上、お誕生日に父さんから貰った犬・・・でなくて狼のリンクスが混じっていると言う。

ので、もうちょっと頑張って目を凝らしてみたけれど、あー、確かになにか犬っぽいわね、としか私には言えなかった。

この体、目はいいんだけどねぇ、前と比べたら。


「あ、あの、あれは多分フェンリル種の狼です。ここにいるっていう事は、ぜ、絶対フェンネル様の配下だから、あの、大丈夫だと思うんですが、ミザリー様はもう少し後ろに下がっていてください」


くるりと振り返ったミケーラが、私に触れないように両手をこちらに差し出して押すような動作をするので、彼女のその手を両方ともとって彼女も引っ張りつつエルメラちゃんとアルマの位置まで後退しておく。

ここに入ってこられるという事は父さんの眷属なので危ない目には合わないでしょうけど、ミケーラも万一を警戒しているようだし備えて悪いことはない。


「ひゃあっ!ミミミザリー様っ!手っ!手がっ!!」


一瞬で真っ赤になったミケーラの事は気にせずに、私より小さい彼女をぐぐいと引っ張り、肩をつかんでくるりと狼たちのほうを向かせてから後ろからぎゅっとハグする。

反応がいちいち可愛いのよねぇ、この子。

あーーー!というミケーラの小さい悲鳴が消える頃、すごい勢いで走りこんできた狼たちが私たちの前を猛スピードで通り過ぎ、どこか知らないけれど明確にあるらしい目的地へと消えていく。

しかし、全部で7頭くらいいた中で先頭の1頭と後ろのほうを走っていた推定リンクスと思しき1頭は残りの群れとは同行せず、私たちの前で立ち止まると、舌を出してしきりに荒い息をしていた。

先頭にいた1頭はリンクスよりもやや大きい個体で、白灰色のふわふわの毛と綺麗な緑の目をした狼だった。

リンクスの目は月のような黄色で、狼にも色んな毛の色、目の色があるらしい。


「・・・ええと、とりあえずお水、かしらね?」


はぁはぁと激しく息をする2頭を前にそう呟くと、私の両隣りにいたエルメラちゃんとアルマがさっと踵を返してお屋敷へと消え、しばらく待つとそれぞれお水の入った大きな水差しと給水用のお皿を持って戻ってくる。

それまでの間にリンクスと思しき狼のほうをミケーラを抱っこしたままじろじろと観察してみたけれど、確信を持つには至らなかった。

・・・どうせ父さんのスパイだし、普通の犬みたいに懐いてこないので、実はそんなに構ってあげてない。

散歩やなんかはリード付けて歩くの自体は嫌がらないんだけど、なんか私のほうがあの子に散歩されてるみたいな雰囲気になるのよね。

仕事だから付き合ってやってる、って感じで。

運動量とか普通の散歩じゃ足りないみたいで、私が勉強してる時間や明け方あたりに好きなだけ勝手に散歩に出てるようなので、私との散歩はホントに仕事の一環なんでしょうけど。

ご飯も私が用意できるわけじゃないので、ホントにペットと言うかなんかいつもその辺にいる犬、くらいの距離感だ。

だから、目の前のこれがリンクスかどうか、と聞かれても今一つ確信が持てない。

酷い飼い主?・・・自分の子飼いじゃない他所のスパイ―――しかも今まさに私の事を探っているスパイ―――を優しく飼える人がいるなら、そっちのほうがなんか怖いわ。

そのくらい度量の広い人になれたら、一発で解脱できそうな気もするけれど。


「リンクス?」


試しに呼び掛けてみると、推定リンクスと思しき狼が月色の目を私へ向けて、荒い息のままぱたり、と不愛想に一度だけ尻尾を上下させる。

あ。これリンクスだわ。間違いない。

このものすごい不愛想な感じ、仕方なしに尻尾を振ってやってる、という感じで一回だけ尾を振るのも、間違いなくリンクス。


「そっちの子はあなたのお友達?」


もう一頭を指して聞いてみるも、月色の目は無感情で、はぁはぁと自分の呼吸を整えるほうに意識を戻してしまっている。

そうよ、こういう犬なのよ。愛想の欠片もないし、なんか知らないけどいつもその辺にいる犬、っていう認識になるのも仕方ないわ。


「まぁいいわ。アルマ、お水をもらえるかしら。そっちの子にもあげましょう」


腕の中からミケーラを解放して後ろのアルマにお願いすると、彼女は浅くうなずいて手にした底の浅いボウルみたいな容器をそれぞれ二頭の前に置く。

それから、水差しをもったエルメラちゃんを促してその中に水を注いでもらう。


「・・・あ。っちょ!?こっちの狼って!?」


水差しからボウルに水が注がれた途端、リンクスが待ちかねたとばかりに鼻先を突っ込んで水を飲み始め、もう一頭のためのボウルに水を注ぎ入れたエルメラちゃんが不意に何かに気付いて水差しを抱えて後ずさる。


「あら、知ってる子?」


リンクスに比べると半分くらいしか中身の入っていないボウルをもう一頭のほうへ押しやってやると、白灰色の狼は私をしばらくの間見つめて、それからやっと水の入ったボウルに口を付けた。

その様子を見ながら聞くと、なんだか青い顔をしたエルメラちゃんは相変わらず水差しを抱きしめたままひきつった笑顔を浮かべている。


「ええと、その、あの・・・あわわわっ!そ、そんな入れ物からお水を飲むのはやめてくださいっ!」


私の質問に答えようとはしてくれているみたいだけど、どうやら目の前で起こっている現実は彼女にとっては信じがたいものらしく、途中で水差しを放り出して狼からボウルをひったくろうとし、そうはさせまいとする狼と水の入った容器の取り合いに発展している。


侍女服の少女と狼の水をめぐるひと悶着は見ていてあまりにも現実味がなく、ファンタジーよねえ、なんて遠い目をしていると、がーちゃんが「あれ、止めなくていいんですか?そのうちあのメイド、勢い余ってひっくり返りません?」と無理やり現実に引き戻してくれたので、傍観をやめて介入することにした。


「エルメラちゃん、何か知らないけど、お水くらい飲ませてあげましょう。この子もこのお皿が嫌なら意思表示くらいするでしょ?フェンリル種って頭がいいって聞いたわ」


お皿の片方をエルメラちゃんの手が引っ張り、もう片方を狼が咥えて取り合い状態のところへ声をかければ、エルメラちゃんが情けない顔で応じる。


「でもですねぇ、ミザリー様。この狼はあの、普通の狼でなくて」


「そう。この子たちどこから走ってきたか知らないけど、もしかして領地からかもしれないから、普通でも普通じゃなくてもお水くらいあげたいわ」


エルメラちゃんが地面に置いた水差しを取り上げて彼女らのほうへ行くと、うう、と情けない声を上げたエルメラちゃんがボウルから手を放し、勝利を収めた狼はわさわさとふさふさの尻尾を振りながら引っ張り合いで中身が消失したそれを私の前に持ってきておくと、お行儀よく座る。

うわぁ、どっかのリンクスさんと違ってかわいい子よね。

手の中の水差しにはまだたっぷりとお水が残っていたので、空になったボウルへなみなみと注ぎ入れると、また何度か尻尾を振った狼は今度はためらわず水を飲み始めた。

物のついでなので、リンクスのほうにもお水を注ぎ足してやる。

こっちはまた一回尻尾を上下させ、ぱた、と地面を打つ音をさせてからほぼ同時くらいに鼻先をボウルに突っ込んで最初と同じような勢いで水を飲みだした。

やっぱり、この子たち領地から走ってきたのかもしれないわね。


「あなたたち、領地から来たの?三日かけて?」


ボウルを空にして、少し落ち着いたらしい白灰色のほうの狼を見ながら話しかけると、勿論答えはなかったもののパタパタと何度か尻尾を振ってくれるので、犬ってこうじゃなきゃね、なんて思いつつ思わず手も出してしまう。

ふわふわの毛はどうやら冬毛だから余計にボリュームがあるようで、見た目詐欺で実際はちょっとくらいゴワっとしてるかな、という予想に反して見た目通りのふかふかもふもふだった。

頭を撫でると撫でやすいようにか耳がぺたりと寝て、尻尾もわさわさと揺れているので嫌というわけではないらしい。

そして何より重要なことに、リンクスと違って“撫でさせてやっている感”がこの狼からは感じられない。


「うあー、可愛い。リンクスと全然違う。可愛い」


思う存分撫でまくりながら思わずつぶやくと、なんだかリンクスが冷たい目で私を見てきたけど知らないわ。

私は懐きもしない他所のスパイに優しくできるほど人間出来てないんだから。


「お、来たか。みんな無事に着いたか?」


私が合意の上でもふもふの毛皮を堪能していると、不意に父さんの声がし、すぐ横の玄関を見ると戸口から父さんが出てきているところだった。


「あら父さん。さっきこの子たちのほかに5頭くらいがどこかへ走って行ったわよ」


突然出てきたご当主様に、侍女たちがさっと姿勢を正して頭を下げる。

父さんはそんな彼女らに楽にしなさい、と声をかけつつ近づいてきて、私と狼のそばへ無造作にしゃがむ。


「そうか。多分裏の犬舎のほうへ行ったんだろうな。ええと、今回は全部で6頭連れてきたんだったか? ご苦労さんだったな・・・なんだお前、ミザリーに水をもらったのか」


二つの空の容器と私の傍らの水差しを見て大体何があったのか察した父さんが私のそばの白灰色の狼へと語りかける。

視界の端ではエルメラちゃんが頭を抱えていたけれど、その隣のアルマは彼女が何をそんなに悲観しているのか理解できないようだった。

ミケーラはと言うと、何やらぷう、と頬を膨らませて私に撫でられる狼をなにやら羨ましそうに見つめている。

・・・あの子の世界、私を中心に回りすぎてやしないかしら。

安心と信頼の猫クオリティ、恐るべしよね。


「この子って、リンクスたちとは違うの?」


しゃがんだ父さんが灰色の狼をわしわしと撫でるのを見ながら、聞くともなしに聞いてみると、父さんはちょっと驚いたように私を見る。

昼食の時は前後の書類仕事にうんざりしていたのかあまり元気もなかったようだけど、外にいる今、なんだか生き生きして見えるのは気のせいだろうか。


「え?・・・ああ、ミザリーはこれを見るのは初めてだったか。見ててご覧。・・・おいルーク」


「ルーク!?」


びっくりして随分大きな声が出てしまったけれど、これは仕方ないわよね。

父さんに呼び掛けられた狼は、見る間にその姿を変えていく。

四足の獣が膨れ上がるように人間大の大きさになり、後ろ足で立ち上がり、二足歩行の獣の姿になったと思えば、全身を覆う艶やかでふさふさの毛が生えてくるのを逆再生するかのように消えていく。

言葉もなく眼前で起こる文字通りの『変身』に見入っていると、やがて変化を終えた後、獣のいた場所には見慣れた白灰色の髪の青年が立っていた。



ブックマークが300超えてる!?びっくりした。

ありがとうございます。ありがとうございます。

先週風邪をひきまして、三日くらいマトモに稼働してなかったので今日の更新分はまた誤字が大盤振る舞いされてる可能性が高いです。

風邪はやり始めてるようなので、皆様どうぞ十分にご自愛ください。

来週は木曜更新予定です。またのお越しを。

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